存在と時間

マルティン・ハイデガー 著

Sein und Zeit(1927年)

この本について

原典名:Sein und Zeit(ドイツ語)

著者:マルティン・ハイデガー(Martin Heidegger、1889–1976)

初版発行:1927年

本ページの概説は、一般的な知見にもとづいて記載したものです。『存在と時間』自体の翻訳・全文の掲載ではありません。逐一の出典確認・査読を経たものではないため、本文の理解を助ける参考としてお使いいただき、原典の言葉に直接あたりたい方は、刊行されている原典書籍をご参照ください。

概説

『存在と時間』以前の哲学

西洋哲学は、アリストテレス以来「存在するとはどういうことか」という問いそのものを、いつのまにか棚上げにしてきた。「存在」は自明の前提とされ、哲学は専ら「どのような存在者があるか」を論じてきた。デカルト以来の近代哲学も、世界を「眺め、認識する主観」と「眺められる客観」に分け、物をまず観察の対象として扱う枠組みを踏襲していた。ハイデガーの師フッサールの現象学は「事象そのものへ」を掲げたが、存在への問いを正面から問い直すには至っていなかった。

『存在と時間』の哲学の革新

ハイデガーは、存在への問いが忘却されてきたと主張し、この問いに答えるために、まず「自分の存在を問題にしうる存在者」である人間(現存在)の分析から出発する。現存在は、気づいたときにはすでに世界のただ中に投げ込まれている(被投性・世界内存在)。そして物との関わり方についても、順序を逆転させる。物はまず観察される対象としてではなく、使う道具として出会われる。道具は、使用がうまくいっている限り目立たず「透明」であり、使用が挫折したときにはじめて「ただそこにあるだけの客体」として際立って現れる。時間は、物が入っている器ではなく、存在を理解するための地平そのものとされる。

『存在と時間』以後の哲学

本書は、サルトルやメルロー=ポンティらフランス実存主義、ガダマーの解釈学など、20世紀哲学の広い範囲に影響を与えた。後年のハイデガー自身は、技術批判や言葉をめぐる思索へと向かう(いわゆる「転回」)。現代においても、その道具分析は形を変えて受け継がれており、グレアム・ハーマンのオブジェクト指向存在論は、ハイデガーの道具分析を出発点としながら、まったく異なる結論を導き出している。

知の地図シリーズ / 古典書房

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