ライプニッツ
Gottfried Wilhelm Leibniz略歴
ライプツィヒ大学の道徳哲学教授の子として生まれる。幼少から父の書斎でラテン語や古典を独習し、15歳でライプツィヒ大学に入学。哲学・法学を修め、17歳で学士号、20歳で法学博士号をアルトドルフ大学で取得した。アカデミアには進まず、政治・外交の世界に身を投じた。
マインツ選帝侯の外交顧問として活動し、パリへの旅(1672〜1676年)では当代の数学者・科学者と交流し、ニュートンとは独立して微積分法を発見した。1676年以降はハノーファー宮廷の顧問・図書館長として生涯を終えた。数学・物理学・論理学・哲学・神学・歴史学・外交に及ぶ広大な活動をおこない、後世に多大な影響を与えた。
主要著作
- 1686年『形而上学叙説』
- 1695年『自然と恩寵の原理』
- 1710年『弁神論』
- 1714年『モナドロジー』(生前未刊行、死後出版)
- 1765年『人間知性新論』(死後出版)
『モナドロジー』と神
『モナドロジー』は、九十の短い節で、モナド(単純実体)から宇宙全体までを描き出す。その中ほど、§38から§48にかけて、神の存在と属性が集中的に論じられる。
出発点は充足理由律である。いかなる事実も、なぜそうであって別様でないのかという理由なしには成り立たない。しかし偶然的な事物の理由をどこまで遡っても、その理由もまた偶然的である。だから事物の究極の理由は、偶然的な事物の連鎖の外、必然的な実体のうちになければならない。ライプニッツはこれを神と呼ぶ。
こうして導かれた神は、唯一で、限界をもたず、絶対的に完全である。さらに、神は現実に存在するものの源泉であるだけでなく、可能なものと永遠の真理の源泉でもある。すべてのモナドは神から連続的な閃光によって生まれ、神は無数の可能な宇宙のうちから最善のものを選んで存在させる。
この書に沿って「神」を定義するとすれば
ライプニッツは§38で「これこそ私たちが神と呼ぶものである」と書き、続く節で神の性質を一つずつ確定していく。それらの節を順につなげれば、それがそのまま神の定義となる。
定義文
『神とは、偶然的な事物の連鎖の外にあって事物の究極の理由をなす、唯一にして必然的な実体である。限界をもたず、可能な限りのあらゆる実在性を含む絶対的に完全な存在者であり、現実存在の源泉であると同時に、本質と永遠の真理の源泉でもある。力能・認識・意志をもち、根源的な単純実体として、すべてのモナドを連続的な閃光によって生み出し、最善のものを選んで産出する。』
事物の究極の理由は、必然的な実体の中になければならない。この実体においては、変化の詳細は、いわば源泉の中にあるように、卓越した仕方でのみ存在する。これこそ私たちが神と呼ぶものである。この実体は詳細のすべてに対する充足理由であり、詳細はいたるところで結びついているのだから、神はただ一つのみ存在し、この神で十分である。
この唯一にして必然的な最高実体は、それ自身の外に、それに依存しないものを何ももたない。だから限界をもちえず、可能な限りのあらゆる実在性を含み、絶対的に完全である。神のうちには、現実存在の源泉だけでなく、本質の源泉、すなわち可能性のうちにある実在的なものの源泉もある。神の知性が、永遠の真理の領域だからである。神なしには、現実に存在するものが何もないだけでなく、可能なものすら何もないだろう。
神のみが根源的な単純実体であり、すべての被造的なモナドはその産物であって、瞬間から瞬間へと、神性からの連続的な閃光によって、いわば生まれ出る。神のうちには、あらゆるものの源泉である力能があり、観念の詳細を含む認識があり、最善の原理に従って産出を行う意志がある。そして、神の知恵が最善のものを神に知らしめ、神の善がそれを選ばせ、神の力能がそれを産出させる。