プラトン
Plato略歴
アテナイの名門の家に生まれる。若い頃から詩や政治に関心をもったが、ソクラテスと出会い、哲学へと転じた。前399年にソクラテスが処刑されたのち、メガラ、エジプト、南イタリアなどを遍歴した。南イタリアではピタゴラス派の数学的宇宙論に触れ、以後の思想に深い影響を受けた。
前387年頃、アテナイに戻りアカデメイアを創設。以後40年にわたり、弟子の教育と著作に専念した。シチリアのシュラクサイへの訪問を二度行い、哲人政治の実現を試みたが、いずれも失敗に終わった。アリストテレスはアカデメイアの弟子の一人である。
主要著作(対話篇)
- 前399年頃『ソクラテスの弁明』『クリトン』
- 前380年頃『メノン』『パイドン』
- 前375年頃『国家』
- 前360年頃『ティマイオス』『パルメニデス』『テアイテトス』
- 前350年頃『法律』
『パルメニデス』について
プラトン中期から後期への転換点に位置する対話篇。若いソクラテスが晩年のパルメニデスと出会い、イデア論について問答を交わす場面から始まる。
前半では、ソクラテスのイデア論——物はイデアに「与る(分かちもつ)」ことで何であるかを得る——に対し、パルメニデスが厳しい批判を加える。物がイデアの全体に与るのか一部に与るのか。物とイデアの両方を見比べる第三のイデアが必要ではないか(第三人間論)。イデアは思考の産物にすぎないのではないか。これらの問いの前で、イデアと物の関係は根本的な困難に直面する。
後半では、パルメニデス自身が「一」について、一があるなら、一があらぬなら、一と他のものに何が帰結するかをたどる演習を行う。この篇はプラトン哲学のなかで最も難解な対話篇として知られ、その解釈は古代から現代にいたるまで論争が続いている。
この書に沿って「物」を定義するとすれば
『パルメニデス』において、物の定義は論の到達点として置かれているわけではない。この書は、形相とそれを分有するものとの関係を問い、その問いに答えないまま、一があるなら、一があらぬなら、という仮定の帰結をたどる訓練へと移り、一も他のものも、あり、またあらず、現れ、また現れない、という言葉で終わる。物が何であるかという問いは、この運動のなかで、一以外の他のものが何を被るかという問いとして扱われる。
定義文
『物とは、一以外の他のものとして、一を分有することによって一つの全体とその部分とになり、部分どうし、また部分と全体とが互いに限界をもつものであるが、それ自身の本性においては数において限りのないものであり、一を欠くなら、一つに見えて一つではない塊として現れるにすぎないものである。』
ソクラテスは、自分が一であり、また多であると言う。右と左、前と後ろ、上と下が異なるという点で多数性を分有し、ここにいる七人のうちの一人の人間であるという点で一を分有している。一以外の他のものは、一ではないが、一をまったく欠いているのでもなく、部分をもち、その部分は一つの完全な全体の部分である。こうして他のものは、全体としても部分のそれぞれとしても一を分有する。一と結びつくとき、部分は部分どうしで、また全体に対して限界をもち、全体も部分に対して限界をもつ。しかしそれ自身の本性においては、思考によってどれほど小さく取っても多数であり、数において限りがない。
一があらぬなら、他のものは互いに他のものであるほかない。それぞれの塊は、遠くからぼんやりと見れば一つのものとして現れ、近くから鋭く思考すれば、数において限りのないものとして現れる。陰影で描かれた絵のように、離れて立てばすべてが一つの同じものとして、近寄れば多くの、互いに似ていないものとして現れる。物が一つのものとして現れることは、一によってはじめて成り立つ。