ホワイトヘッド

Alfred North Whitehead

1861年2月15日 — 1947年12月30日
イギリス・ケント州ラムズゲート生まれ

略歴

イギリスのケント州に生まれる。父は聖職者兼教師であった。シェーボーン・スクールで教育を受け、1880年にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学し数学を専攻した。1884年に同大学の研究員・教師となり、バートランド・ラッセルを指導した。

ラッセルとの共著『プリンキピア・マテマティカ』(数学原理、1910〜1913年)で数学の論理的基礎づけを試みた後、ロンドン大学インペリアル・カレッジで数学・物理学の哲学を研究した。1924年、63歳でハーバード大学哲学科教授として渡米。晩年に過程哲学の大著『過程と実在』(1929年)を刊行し、生涯をボストンで終えた。

主要著作

『過程と実在』について

ホワイトヘッドの哲学的主著で、過程哲学(有機体の哲学)の体系を展開する難解な著作。ギフォード講義(1927〜1928年)をもとにまとめられた。

西洋哲学が「物質的実体」を基本的な実在として捉えてきたことを批判し、宇宙の究極的な構成要素として「現実的契機(actual occasion)」という出来事の概念を置く。各現実的契機は、宇宙のあらゆる過去の出来事を「把握(prehension)」しながら自己を形成し、「合生(concrescence)」のプロセスを経て完結し、消えてゆく。固定した物体という像は、この生成と消滅の連鎖のなかに溶け込んでゆく。神も宇宙の過程と深くかかわる存在として再定義される。

この書に沿って「物」を定義するとすれば

ホワイトヘッドにおいて、物を定義することは容易ではない。物を、性質を担う静止した基体として語ること――実体・性質という思考の型に頼ること――こそが、繰り返し退けられてきたからである。窮極の事実は、留まる基体ではなく、生成の過程そのものである。しかもその生成は、みずからの力だけで始まるのでもない。

定義文

『物とは、神の原初的本性から始発の主体的目的を相続して生成する現実的存在として、抱握によって世界を自己の構成へと取り込みながら満足に至り、消滅とともに客体の不滅性を得て後続の生成へと引き継がれる、自己原因的な一単位である。』

物は、生成の始発点においてはまだ何もめざしていない。あらゆる時間的な生成に先立って、あらゆる永遠的客体を評価し尽くしている非時間的な秩序、すなわち「神の原初的本性」から、物はそれぞれの立脚点に適切な仕方で始発の目的を相続する。これが「主体的目的」であり、この始発を得た物が「現実的存在」、すなわち世界がそこから成り立っている窮極の実物である。

物は、過去の現実的存在や選ばれた永遠的客体をみずからの構成へと取り込む働き、すなわち「抱握」によって、それ自身になる。抱握はしだいに統合され、一つの確定した複合的感受、すなわち「満足」に至って、生成の過程は終わる。満足した物は直接性を失いながらも、後続の物の構成へと取り込まれ、実在的な構成要素として働き続ける。これが「客体の不滅性」であり、物は消滅することによってのみ不滅になる。相続された目的をいかに満足へと運ぶかは物それ自身の決定によるのであり、この意味で物は「自己原因」である。

生没年・略歴は一般的な資料に基づく。

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