本書は、パルメニデス『自然について』(Περὶ Φύσεως)の現代日本語訳である。存在とは何かを説いた、ギリシャの哲学詩の断片である。
底本:Hermann Diels, Poetarum Philosophorum Fragmenta(Berlin: Weidmann, 1901)所収のテキスト。
底本の画像:Internet Archive(poetarumphilosop00diel)のスキャン画像(トロント大学所蔵本)。全頁(p.57〜p.72)を底本の画像と照合した。
テキストデータ:底本の画像から書き起こしたギリシャ語本文。
解説・概説・用語集は、原典にない参考情報である。本文の理解を助ける参考としてお使いいただきたい。
番号:断片番号は、ディールス=クランツ(DK)方式(28 B 1〜19)に従い、ローマ数字で示した。
直訳:現代語訳を基本とし、原文の構造を忠実に示す直訳を、行ごとに併記した。
目次の各項目から本文へ移ることができる。本文中の「↑ 目次」で目次へ戻れる。画面右下の「i」ボタンを押すと、明るさ調整・現代語訳と直訳の切り替え・なぞり線・解説の各切り替えをまとめて行える操作パネルが開く。閉じるには「✕」を押す。
古典を読む / 古典書房
パルメニデス(前515頃〜前450頃)が生きた時代の直前まで、ギリシャの哲学者たちは「世界は何からできているか」を問い続けていた。タレスは水、アナクシメネスは空気、ヘラクレイトスは火を万物の根源と考えた。彼らに共通するのは、世界が絶えず変化するという前提だった。ヘラクレイトスは「万物は流転する」と言い、同じ川に二度入ることはできないと述べた。
これらの哲学者たちは感覚的な世界をそのまま出発点にしていた。目に見え、手で触れられるものが実在すると考え、その根源を探した。
『自然について』の革新は、大きく三つにまとめられる。
第一に、感覚が示す世界の実在を、根本から問い直したことである。感覚が示す世界、つまり変化し、生成し、滅びるものは、本当に実在するのか。パルメニデスの答えは明確だった。実在するのは「存在するもの」だけであり、「存在しないもの」は存在しない。
第二に、「存在するもの」は変化できないことを、論理だけで示したことである。変化するとは、「あったものがなくなる」か「なかったものが生じる」ことを意味する。しかし、「なくなる」とは存在しないことになることであり、「生じる」とは存在しないものから生じることになる。どちらも「存在しないもの」を前提とするが、それは許されない。こうして存在するものは、生成もせず滅びもせず、唯一で完全で連続し、動かず、球のように完全な姿をもつとされた。
第三に、真理に至る道を、感覚ではなく思惟に置いたことである。感覚的な世界、すなわち光と夜、生成と消滅、場所の移動は、すべて「死すべき者たちの思い込み」にすぎず、真の実在ではない。真理(アレーテイア)に至る道は、感覚ではなく思惟によってのみ開かれる。
パルメニデスの主張はその後の哲学者たちに大きな衝撃を与えた。「変化は不可能だ」という結論を受け入れれば、目の前の世界を説明できなくなる。後継の哲学者たちはそれぞれの方法でこの難問に応えようとした。
エンペドクレスは火・水・土・空気の四元素を立て、それ自体は変化しないが組み合わせが変わることで世界の変化を説明した。アナクサゴラスは無限に多様な質料と「知性(ヌース)」によって変化を説明した。デモクリトスは分割不可能な原子(アトム)の結合と分離によって変化を説明した。
プラトンはパルメニデスの存在論を受け継ぎ、真の実在をイデア(形相)に求めた。感覚的な世界はイデアの影に過ぎないとし、真の知識はイデアの認識によってのみ得られるとした。デカルトが「考えるものとしての私」の存在を確認したことも、パルメニデスの「思惟することと存在することは同じだ」という命題の遠い反響と見ることができる。
以下、()内は原則としてギリシャ語原語(カタカナ/原語)。
馬たちが、心の赴くかぎり遠くへわたしを運ぶ。そして、名高い精霊へ至る道へと私を導くように連れ出す。その精霊はあらゆる町々を越えて、知のある者を運ぶ。賢い馬たちが、その道をとおり私を運ぶ。車を引きながら、娘たちが道を先導する。両側の車輪に押され、車軸は轂の中で、燃えながら笛のような音を発する。この太陽の娘たちは、夜の館を後にして、光の中へと、頭から覆いを押しのけながら、急ぎ進む。
そこに、夜と昼の道の門がある。鴨居と石の敷居とが、その上下を囲む。その扉は、天高くそびえ、大きな扉板で作られている。その鍵を、多くを罰する正義の女神ディケーが交互に持つ。娘たちは、やわらかな言葉で正義の女神ディケーを説き伏せ、巧みに、かんぬきのついた掛け金のある門を押し開くよう求める。すると扉は、青銅の軸が、釘と鎹で固定された軸受けの中で、交互に回転しながら、大きく開く。まっすぐに大路に沿って娘たちは馬と車を進める。
女神はこころよく私を迎え、右手で私の手を取り、こう語りかける。「ようこそ、不死の御者たちとともに来た若者よ。馬たちがわが館へとあなたを運んできた。悪しき運命があなたをこの道へと送り出したのではない。正義の女神ディケーと法がそうしたのだ。この道は人の踏み慣れぬ道だからだ。揺るぎない真理(アレーテイア)のよく丸い核心も、死すべき者たちの思い込みも、あなたはすべてを学ばなければならない。そこには真の確信はない。しかしそれでも、見せかけのものが、すべてを貫きながら、いかにして真にあるものとして通用しているかを、学ぶだろう。」
断片Iは詩全体の序詩(プロエム)で、パルメニデス自身が馬車に乗って女神のもとへ至る旅を描いています。
精霊(δαίμων)と女神(θεά)の区別 旅の最初に登場するのは「精霊(ダイモン)」で、その道を示す存在です。門をくぐった後に現れるのは「女神(θεά)」で、真理と思い込みについての教えを授ける存在です。この二つは原典で明確に使い分けられています。
太陽の娘たち(ヘリアデス) 馬車を先導する娘たちは太陽神ヘリオスの娘たちで、夜の領域から光の領域へと道を導く存在です。夜の覆いを脱いで光の中へ進むという描写は、「無知から知へ」という旅の象徴でもあります。
真理(アレーテイア)のよく丸い核心 原語`εὐκυκλέος ἀτρεμὲς ἦτορ`は「よく丸い・揺るぎない・心臓」の組み合わせです。「丸い」はギリシャ思想における完全性・欠けのなさの象徴で、断片VIIIで存在を「よく丸い球」に例えるのと対応しています。
二つの教え 女神は二つのことを教えると言います。一つは真理(アレーテイア)の確かな道、もう一つは死すべき者たちの思い込みです。詩は断片IIから断片VIIIで真理の道を、断片IXから断片XIXで思い込みの世界を描きます。
― 試し読みはここまでです ―
自然について
発行責任者(訳者):飯島健二
発行:古典書房
制作協力:Claude(claude-sonnet-5)
参照原典:ギリシア語原典(断片集)『Poetarum Philosophorum Fragmenta』(Hermann Diels編, Berlin: Weidmann, 1901年、断片番号はDiels-Kranz方式 28 B 1〜19)
初版発行日:2026年06月13日
改訂版発行日:2026年11月6日
本書の現代語訳・解説・用語集その他の創作部分について、著作権は発行責任者に帰属します。私的使用のための複製を除き、著作権者の許諾なく複製・転載・再配布することを禁じます。
試し読み版