本HTMLは、プラトン(Πλάτων)の対話篇『エウテュプロン』(原題:Εὐθύφρων、紀元前399年、ソクラテスの裁判の直前を舞台とする)の現代日本語訳である。ソクラテスは、メレトスに不敬の罪で告発されて、王の柱廊(官庁のひとつ)に出頭する。そこで、父を殺人で訴えようとしている神事の専門家エウテュプロンに出会う。ソクラテスは、これほどのことに踏み切る以上、敬虔と不敬虔を正確に知っているはずだと見て、「敬虔とは何か」を彼に問いただす。いくつもの答えが吟味されるが、議論は一巡してもとに戻り、エウテュプロンは急用を口実に立ち去って、問いは答えの出ないまま残される。
底本(テキストデータ):John Burnet(ed.), Platonis Opera, Tomus I: Tetralogias I-II continens(Oxford: Clarendon Press, 1905年)所収 Εὐθύφρων。入手元:Perseus Digital Library / Open Greek and Latin Project(CTS URN: urn:cts:greekLit:tlg0059.tlg001.perseus-grc1)。
本書は現代語訳のみを掲載し、直訳との切替は行わない(散文の哲学書であり、直訳併記の対象ではない)。
本文中の番号(例:9a)は、底本の欄外に付された「ステファヌス番号」であり、原典と対応させながら読み進める手がかりとなる。「底本頁」ボタンで常時表示に切り替えられる。
発言者は、底本の略号(ΣΩ.=ソクラテス、ΕΥΘ.=エウテュプロン)に対応させて、「ソク:」「エウ:」と示した。底本で、校訂者が本文から除くべきものとして角括弧に入れた語句(8か所)は、訳出していない。10dで校訂者が補った語句は、補われたものとして訳に含めている。発言の中で引用される詩句や、仮に語られる言葉は「 」で示した。
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解説・概説・用語集は、一般に流通している知見にもとづく参考情報であり、逐一の出典確認・査読を経たものではない。本文の理解を助ける参考としてお使いいただきたい。
哲学原典を読む / 古典書房
古代ギリシアの宗教は、教義を信じることよりも、供犠や祈りといった決まった行いを正しく執り行うことを中心にしていた。神々の姿は、ホメロスやヘシオドスらの詩人が語る物語で人々に知られ、その物語のなかでは、神々は人間のように争い、欺き、父を縛り、父を去勢さえした。そのため、敬虔であるとは、国の慣習にかなった仕方で神々に仕えることだと、おおむね考えられていた。
紀元前5世紀になると、ソフィストたちや自然を探究する人々が、伝統的な神々の物語や慣習の根拠を問い直し始めた。それに対する反発もあり、アテナイでは、国の認める神々を認めないことが、不敬(アセベイア)の罪として告発の対象となった。紀元前399年、ソクラテスもこの罪で告発される(『ソクラテスの弁明』)。『エウテュプロン』は、その告発の直後を舞台にしている。
この対話篇でソクラテスは、「敬虔とは何か」という問いに、個々の例を並べるのではなく、すべての敬虔なものに共通するただ一つの「型(エイドス)」を示すよう求める。エウテュプロンは、自分が今していること、すなわち不正をなす者は父でも訴えることだ、と例を挙げるが、ソクラテスは、これでは敬虔なもの一般の説明にならないと退ける。この「何であるか」を問う仕方は、定義を求める探究の型として、のちの哲学に大きな影響を与えた。
次にエウテュプロンは、敬虔とは神々に愛されるものだと答える。ソクラテスはこれを、神々の間にも争いがあり、同じものを愛する神と憎む神がいるはずだと指摘して退け、修正された「すべての神々に愛されるもの」という答えも吟味する。そこで提出される問いが、敬虔なものは、敬虔であるから神々に愛されるのか、神々に愛されるから敬虔なのか、というものである。ソクラテスは、前者でなければならず、したがって、神々に愛されることは敬虔なものの本質ではなく、それがこうむる性質にすぎないと論じる。
その後、敬虔は正しさの一部であり、神々の世話にかかわる部分だとされ、さらに、神々に仕える術、神々に求め神々に与える知識、神々との取引、と言い換えられていくが、最後には、神々に愛されるものという最初の答えに戻ってきてしまう。
敬虔なものは、敬虔であるから神々に愛されるのか、愛されるから敬虔なのかという問いは、後世、「エウテュプロンのジレンマ」と呼ばれ、倫理学や宗教哲学で長く論じられてきた。善悪の基準を神の命令や愛に置く考え方(神命説)に対して、その基準は神の意志に先立つものか、神の意志が善悪を定めるのか、という問いを突きつけるものとして読まれている。
また、「何であるか」を問い、答えを吟味して、確かな答えには至らずに終わる、という形は、プラトンの初期の対話篇に共通する特徴である。『エウテュプロン』は、その典型の一つとして、『ラケス』『カルミデス』『リュシス』などと並べて読まれる。答えが出ないこと自体を、ソクラテスの無知の自覚と、問いを続ける姿勢の表れとして読む立場もある。
以下、()内は原則としてギリシア語原語。
ステファヌス版番号(Burnet版, 1905年)。番号をクリックすると本文の該当箇所へ移動する。
底本には章・節の見出しはなく、伝統的に参照されるステファヌス版番号(2~16)が付されているのみである。目次の3部構成は、内容にもとづいて便宜的に分けたものであり、底本に印字された境界ではない。
〔 2a~5c について 〕
位置づけ:対話篇の導入部にあたる、二人の出会いの場面。
概要:王の柱廊の前で出会ったエウテュプロンに、ソクラテスは、メレトスから不敬で告発されたことを話す。エウテュプロンは、自分もまた、雇い人の死をめぐって父を殺人で訴えようとしていると明かし、周囲から非難されている事情を語る。ソクラテスは、これほどのことをするからには、敬虔と不敬虔を正確に知っているに違いないと指摘して、教えを請う。
エウ:*1ソクラテスよ、何か新しいことでも起こったのか。リュケイオンでの時間つぶしをやめて、こんなところ、王の柱廊のあたり*2で時を過ごしているとは。まさか君までが、私のように、王のもとに訴えを抱えているわけではあるまいね。
*1 〔 話者の略称について 〕底本の話者名は、ΣΩ.(Σωκράτης、ソクラテス)、ΕΥΘ.(Εὐθύφρων、エウテュプロン)のように、人名の最初の二文字(ないし三文字)で示されている。本訳では、これと同じ考えで、「ソク:」「エウ:」と示した。
*2 〔 王の柱廊について 〕アテナイの中心部、アゴラの北西の隅にあった建物で、「王(バシレウス)」と呼ばれる執政官(アルコン)の役所。この役人は、神事の取り仕切りと、殺人や不敬にかかわる訴えの受付を受け持っていた。メレトスの告発は、ここで受理された。エウテュプロンの訴えも、殺人にかかわるものとして、ここへ持ち込まれる。
ソク:いや、エウテュプロンよ、アテナイ人たちはそれを「訴え」とは呼ばず、「告発」と呼んでいるのだ*3。
*3 〔 「訴え」と「告発」について 〕エウテュプロンは、ふつうに訴え一般をさす語(δίκη)を使うが、ソクラテスは、国の公共にかかわる、市民が誰でも起こせる訴えをさす語(γραφή)に言い直す。訳では、前者を「訴え」、後者を「告発」とした。
エウ:何だって。誰かが君を告発したのか。そのようだな。まさか君のほうが他人を告発したのだ、などとは私は思わないが。
ソク:そうだ、それはない。
エウ:では、ほかの誰かが君を、ということか。
ソク:まったくそのとおりだ。
エウ:それは誰だ。
ソク:私自身もその男をよく知っているわけではないのだ、エウテュプロンよ。若い、まだ名の知られていない男のように見える。人はその男をメレトスと呼ぶと思う。区はピットスの者だ。もし君がピットスのメレトスという男を思い浮かべられるならだが、髪が長く直毛で、ひげはあまり立派でなく、鼻は鉤のように曲がっている。
エウ:思い当たらないな、ソクラテスよ。それで、彼は君に対して、いったいどんな告発をしたのだ。
ソク:どんな告発かというのか。つまらないものではないと、私には思える。若くしてこれほどの事柄を見抜いたというのは、並大抵のことではないからだ。彼が言うには、若者たちがどのようにして堕落させられるか、また誰が彼らを堕落させる者か、それを自分は知っているというのだ。おそらく彼は賢い人なのだろう。そして私の無知を見て取り、私が同年輩の者たちを堕落させていると思って、母親のもとへ行くように、国のもとへ私を告発しに来るのだ。国事にかかわる人々のうちで、彼だけが正しい仕方で始めているように、私には思われる。若者たちができるだけ優れた者になるよう、まず彼らに心を配るのは正しいことだからだ。ちょうど善い農夫が、まず若い苗に心を配り、そのあとでほかのものにも心を配るのが当然であるようにだ。メレトスもおそらく、まず私たち、彼の言うところの、若者たちの芽を損なう者どもを刈り払うのだろう。そのあとで、年長の者たちにも心を配るなら、国にとって最も多く、最も大きな善の源となるに違いない。こういう始まりをした者には、当然そうなると思われる。
エウ:そうなればよいと思うよ、ソクラテスよ。だが私は逆になりはしないかと恐れている。君に不正を加えようとするのは、まさに国の炉辺から害をなし始めることだと思えるのだ。教えてくれ、彼は君が何をして若者たちを堕落させていると言うのか。
ソク:奇妙なことだ、不思議な人よ。少なくとも、そう聞いただけではね。彼は私を神々を作る者だと言う。そして、新しい神々を作り、昔からの神々を信じていないという、まさにこのことのために私を告発したのだと言うのだ。
エウ:わかった、ソクラテスよ。君がいつも、自分に神霊のしるし*4が起こると言っているからだな。だから、君が神的なことがらについて新奇なことをしているとして、この告発を書いたのだ。彼は君を中傷するつもりで法廷に来る。こういうことは大衆に対して中傷しやすいと知っているのだ。私自身も、民会で神的なことについて何か語り、彼らに将来のことを予言すると、気が狂った者だと言って笑われる。それでも、私が予言したことのうちで、真実でなかったものは一つもなかった。それなのに彼らは、私たちのような者すべてをねたむのだ。だが、そんな連中のことは気にかけるべきではない。まっすぐに立ち向かっていくべきだ。
*4 〔 神霊のしるしについて 〕ソクラテスは、幼いころから、ある声、あるいは合図が自分に起こり、何かをしようとするときに、いつも「やめよ」とだけ告げて止める、と語っていた(『ソクラテスの弁明』31c~d、40a)。メレトスは、これを新しい神を持ち込むことだと主張して、告発の理由の一つにした。
ソク:親愛なるエウテュプロンよ、笑われることなどおそらくは大した問題ではない。アテナイ人たちは、私の見るところ、誰かが恐るべき知者だと思われても、それほど気にかけはしない。ただし、その人が自分の知恵を人に教えることをしなければだ。だが、その人が他の者たちをも同じような者にしていると思えば、彼らは怒る。君の言うようにねたみからか、それともほかの理由からか、それはともかくな。
エウ:そのことで彼らが私に対してどういう態度をとるのか、あえて試してみたいとは少しも思わないよ。
ソク:それは、君が自分を人に滅多に見せず、自分の知恵を教えようとしないと思われているからだろう。だが私のほうは、人間への愛のゆえに、持っているものをすべて、誰にでも惜しみなくしゃべってしまう者だと思われはしないかと恐れている。報酬を取らないばかりか、私の話を聞こうという人がいれば、喜んでこちらから支払いさえしかねないのだから。先ほど言ったように、もし彼らが、君が自分のことで言うように、私を笑いものにするだけなら、法廷で笑い、戯れながら時を過ごしても、不愉快なことは何もないだろう。だが本気になるなら、その先がどうなるかは、君たち予言者のほかには誰にもわからない。
エウ:いや、おそらく何も大したことにはならないよ、ソクラテスよ。君は君の訴えを思いどおりに戦い抜くだろうし、私も私の訴えをそうするだろうと思う。
ソク:ところで、エウテュプロンよ、君の訴えとはどういうものだ。君が被告なのか、それとも原告なのか。
エウ:原告だ。
ソク:誰に対してだ。
エウ:その相手を訴えると、またしても私は気が狂っていると思われるような人物だ。
ソク:どういうことだ。空を飛ぶ者でも訴えているのか。
エウ:飛ぶどころではない、ひどく年老いた人だ。
ソク:それは誰だ。
エウ:私の父だ。
ソク:君の父なのか、きみ。
エウ:そのとおりだ。
ソク:それで、嫌疑は何で、何についての訴えなのだ。
エウ:殺人だ、ソクラテスよ。
ソク:ヘラクレスよ。エウテュプロンよ、何がほんとうに正しいのかは、大衆には知られていないのだろうな。ふつうの人がこれを行えるとは私は思わない。すでに知恵の相当な高みまで進んだ人でなければ行えないだろう。
エウ:ゼウスにかけて、ソクラテスよ、ずっと先まで進んだ人でなければだ。
ソク:では、君の父に殺された人は、身内の誰かなのか。そうに違いないだろうが。他人のためなら、君が父を殺人で訴えるはずはないのだから。
エウ:おかしなことだ、ソクラテスよ。死んだ者が他人か身内かで違いがあると君は思うのか。見るべきことはただ一つ、殺した者が正しく殺したのかどうかだ。正しければ放っておき、そうでなければ訴え出る。殺した者が君と同じ炉を囲み、同じ食卓につく者であってもだ。そうと知りながらそういう人と交わり、訴え出て自分とその人を清めないなら、穢れは同じだけ生じる*5のだから。それに、死んだのは私の雇い人の一人で、私たちがナクソスで農耕をしていたころ、そこで私たちのもとで日雇いの仕事をしていた。ところが酒に酔って、わが家の召使いの一人に腹を立て、その召使いを刺し殺した。そこで父は、その男の手足を縛り、溝に投げ込んで、何をすべきかを解釈者に尋ねさせる*6ために、ここへ人をやった。その間、縛られた男のことは、人殺しなのだから、死んでも何ほどのことでもないと考えて、顧みず、ほうっておいた。実際そのとおりになった。使いが解釈者のもとから戻る前に、飢えと寒さと縛めのために死んでしまったのだ。そこで父も、ほかの身内の者たちも腹を立てている。私が人殺しのために、父を殺人で訴え出ているからだ。彼らは、父は殺したのではないし、殺したのだとしても、死んだ者は人殺しなのだから、そんな者のために気にかける必要はないと言う。息子が父を殺人で訴え出るのは不敬虔だと言うのだ。だが、ソクラテスよ、彼らは神的なことが、敬虔と不敬虔について、どうなっているのかを、よくわかっていないのだ。
*5 〔 穢れについて 〕殺人を犯した者は「穢れ」を帯びると考えられ、その者と交わる者にも穢れが及ぶとされた。穢れは、国全体に災いをもたらすおそれがあるため、清めの手続きを経て取り除かねばならなかった。エウテュプロンが父を訴え出る理由も、この考えにもとづいている。
*6 〔 解釈者について 〕ἐξηγητής。清めや供犠など、宗教上の決まりについて、国の習慣にもとづいて助言する専門家。殺人の穢れをどう扱うべきかについても、アテナイでは彼らの判断が仰がれた。
― 試し読みはここまでです ―
エウテュプロン
発行責任者(訳者):飯島健二
発行:古典書房
制作協力:Claude(claude-sonnet-5-5)
参照原典:ギリシア語原典『Εὐθύφρων』(John Burnet版, Platonis Opera, Tomus I, Oxford, 1905年)
初版発行日:2026年10月21日
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注記:本サンプルは正本の冒頭(2a〜4e)のみを収録したものである。全文は正本でお読みいただける。