本HTMLは、プラトン(Πλάτων)の対話篇『メノン』(原題:Μένων、紀元前5世紀末のアテナイを舞台とする)の現代日本語訳である。テッサリア出身の若者メノンが、ソクラテスに、徳は教えられるものか、とたずねる。ソクラテスは、徳とは何かを問い返し、二人の問答が始まる。
底本(テキストデータ):John Burnet(ed.), Platonis Opera, Tomus III: Tetralogias V-VII continens(Oxford: Clarendon Press, 1903年)所収 Μένων。入手元:Perseus Digital Library / Open Greek and Latin Project(CTS URN: urn:cts:greekLit:tlg0059.tlg024.perseus-grc2)。
本書は現代語訳のみを掲載し、直訳との切替は行わない(散文の哲学書であり、直訳併記の対象ではない)。
本文中の番号(例:81a)は、底本の欄外に付された「ステファヌス番号」であり、原典と対応させながら読み進める手がかりとなる。「底本頁」ボタンで常時表示に切り替えられる。
発言者は、底本の略号(ΜΕΝ.=メノン、ΣΩ.=ソクラテス、ΠΑΙ.=召使いの少年、ΑΝ.=アニュトス)に対応させて、「メノ:」「ソク:」「少年:」「アニュ:」と示した。底本で、校訂者が本文から除くべきものとして角括弧に入れた語句(80a、85a、97aの各1か所)は、訳出していない。校訂者が補った語句(83cの少年の応答、97aの「もし」)は、補われたものとして訳に含め、注で示した。98dの「†」は、底本が本文の破損を疑った箇所であり、訳でも同じ位置に残した。ピンダロスとテオグニスの詩句は、底本と同じく行を分け、「 」は用いていない。発言の中で引用される言葉や、仮に語られる言葉は「 」で示した。
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解説・概説・用語集は、一般に流通している知見にもとづく参考情報であり、逐一の出典確認・査読を経たものではない。本文の理解を助ける参考としてお使いいただきたい。
哲学原典を読む / 古典書房
ここで「徳」と訳すアレテー(ἀρετή)は、人やものが、その働きを十分に果たす優れたあり方を指す語である。古くは、名門の家に生まれ、よい養育を受けた貴族の資質と結びつけて考えられ、生まれつきのものと見られがちだった。詩人たちの見方も定まらず、本文に引かれるテオグニスの詩句は、その揺れを、一人の詩人のうちに示している。
紀元前5世紀のアテナイでは、民主政のもとで、言葉によって人々を説得する力が、政治や裁判で大きな意味を持った。そこへ各地から来たソフィストたちが、報酬を取って、人を優れた者にする術を教えると名乗った。徳が教えられるかどうかは、机上の問いではなく、子どもをどこへ学びに出すかという、現実の問題だった。
一方、哲学は、それまで、世界のはじまりや、ものの本性を探究する営みだった。人がどう生きるべきかを、哲学の中心の問いにしたのが、ソクラテスである。彼は何も書き残さず、人々と問答を交わして、相手が知っていると思っていることを、ともに吟味した。プラトンの初期の対話篇は、その問答を描いており、多くは、はっきりした答えに至らずに終わる。
この対話篇には、講義のような教えが、ほとんど出てこない。始まるのは、一つの問いと、それを受けた問答である。徳は教えられるものか、という問いに、ソクラテスは、答える前に、徳とは何かを知っているのか、と問い返す。何であるかを知らないものについて、その性質を論じることはできない、という考えが、この対話全体を支えている。
この対話篇が哲学とされるのは、答えを与えるからではなく、答えが確かかどうかを、理由をたどって確かめ続けるからである。相手の言い分を受け取り、そこから出てくる結果をともに確かめ、受け入れられなければ退ける。その過程そのものが、考えるということの見本になっている。問答は、ソクラテス以来の哲学のあり方であり、ここで初めて現れたものではない。しかし『メノン』では、問答が行き詰まったとき、その行き詰まりから、新しい問いが生まれる。知らないものを、どうやって探すのか。探究するとは、どういうことなのか。哲学が、自分の進め方そのものを、問いの対象にするのである。
さらに、数学の問いを一人の少年に与えて、考えるとはどういうことかを、実際に見せる場面がある。哲学と数学が結びつく、最初期の例の一つとして、よく取り上げられる。難しい議論というより、読む人が、少年とともに、自分でも考えてみたくなる場面である。
アリストテレスは、『メノン』の問いを受け継ぎ、人の性格にかかわる徳は、生まれつきでも、ただ教えられるだけでもなく、習慣づけによって身につくと論じた。徳を、生き方の技術のように、具体的に考える方向は、ここから開かれていく。
探究のパラドクスは、学ぶこと、知ることの本性を問う問題として、その後も繰り返し取り上げられた。生まれる前から備わる知識があるのか、という問いは、近代の生得観念をめぐる論争でも、この対話篇の少年の場面を引いて論じられた。また、知識と、ただ正しいだけの思いとは、どう違うのか、という区別は、『テアイテトス』で正面から取り上げられ、のちの認識論の出発点になった。
「何であるか」を問い、定義を求める探究の型は、プラトンの対話篇を通じて、アリストテレスの学問の方法へと受け継がれた。なお、この対話に同席するアニュトスは、数年後に、ソクラテスを告発する者の一人になる。読み返すとき、その場面は、また別の重さを持つだろう。
以下、()内は原則としてギリシア語原語。
ステファヌス版番号(Burnet版, 1903年)。番号をクリックすると本文の該当箇所へ移動する。
底本には章・節の見出しはなく、伝統的に参照されるステファヌス版番号(70~100)が付されているのみである。目次の3部構成は、内容にもとづいて便宜的に分けたものであり、底本に印字された境界ではない。
〔 70a~80d について 〕
位置づけ:対話篇の導入部と、徳の定義を求める最初の探究にあたる部分。
概要:メノンは、徳は教えられるものか、と性急にたずねる。ソクラテスは、徳が何であるかを知らないので答えられないと言い、徳とは何かを問う。メノンは、男の徳、女の徳などと数え上げるが、ソクラテスは、すべてに共通する一つの型を求める。形や色の例を経て、メノンは、徳とは美しいものを欲して、それを手に入れる力だと答えるが、この答えも退けられる。メノンは、ソクラテスをシビレエイにたとえて、行き詰まりを訴える。
メノ:*1ソクラテスよ、私に言ってもらえるだろうか。徳は教えられるものなのか。それとも教えられるものではなく、鍛えて身につけるものなのか。あるいは、鍛えて身につけるものでも学んで身につけるものでもなく、人間には生まれつき備わるのか。それとも何か別の仕方で備わるのか。
*1 〔 話者の略称について 〕底本の話者名は、ΜΕΝ.(Μένων、メノン)、ΣΩ.(Σωκράτης、ソクラテス)、ΠΑΙ.(παῖς、召使いの少年)、ΑΝ.(Ἄνυτος、アニュトス)のように、人名の最初の二文字(ないし三文字)で示されている。本訳では、これと同じ考えで、「メノ:」「ソク:」「少年:」「アニュ:」と示した。「少年」は人名ではなく、παῖς(子ども、召使い)の訳である。
ソク:メノンよ、以前はテッサリアの人々は、ギリシア人のなかで評判がよく、馬術と富のゆえに感嘆されていた。だが今では、私の見るところ、知恵のゆえにも感嘆されている。とりわけ、君の友人アリスティッポスの同市民である、ラリサの人々がそうだ。その原因となったのは、君たちにとってはゴルギアスである。彼はその町に来て、知恵をめぐる愛慕者たちを得た。アレウアス家の有力者たちがそうであり、君の愛慕者アリスティッポスはその一人だ。ほかのテッサリア人たちもそうである。彼はまた、君たちにこの習慣も身につけさせた。知っている人々ならそうするのが当然であるように、誰かが何かをたずねれば、恐れることなく堂々と答える、という習慣である。それは彼自身が、ギリシア人のうち望む者には誰にでも、望むことを何でも自分にたずねさせ、誰に対しても答えないことがなかったからである。ところがここでは、親愛なるメノンよ、事情は逆になっている。知恵の干ばつのようなものが起こり、知恵はこの土地から君たちのところへ去ってしまったように思われる。少なくとも、ここの人々の誰かに、もし君が同じようにたずねようとするなら、笑わない者はなく、こう言うだろう。「よそから来た人よ、あなたには、私が幸せ者に見えるらしい。徳が教えられるものなのか、それともどんな仕方で備わるものなのかを知っている者だと思っているのだから。だが私は、徳が教えられるものか教えられないものかを知るどころか、徳とはそもそも何であるかということさえ、知らずにいるのだ。」
私自身も、メノンよ、同じ状態にある。この事柄については、同じ町の人々と同じように、私も貧しい。私は、徳についてまったく知らないことを、自分で責めている。それが何であるかを知らないものについて、どうして、それがどのようなものかを知りえようか。それとも君は、メノンが何者であるかをまったく知らない人が、その人が美しいか、金持ちか、あるいは生まれがよいか、それともそれらと反対か、ということを知りうると思うか。そんなことがありうると思うか。
メノ:私はそうは思わない。だが、ソクラテスよ、君は本当に、徳が何であるかさえ知らないのか。そのことを君についてのこととして、国へ帰って報告してよいのか。
ソク:それだけではないよ、友よ。知っている人には、これまで他の誰にも出会ったことがない、と私は思っている。
メノ:どういうことだ。ゴルギアスがここにいたとき、彼に会わなかったのか。
ソク:会った。
メノ:それで、彼は知っていると君には思えなかったのか。
ソク:私はあまり記憶力がよくないのだ、メノンよ。だから、そのときどう思えたのか、いまは言うことができない。だがおそらく、彼は知っているのだろうし、君も、彼が語ったことを知っているのだろう。だから、彼がどう語っていたか、私に思い出させてくれ。あるいは、望むなら、君自身が語ってくれ。君の考えは、彼と同じだろうから。
メノ:そうだ。
ソク:ではあの人のことはそのままにしておこう。ここにいないのだから。メノンよ、神々にかけて、君自身は、徳を何であると言うのか。言ってくれ、出し惜しみはしないでほしい。私がこの上なく幸運な偽りを述べた者となるように。すなわち、君もゴルギアスも知っている人だと明らかになり、私は、知っている人には一度も出会ったことがないと言っていたことになるように。
メノ:言うのは難しくない、ソクラテスよ。まず、男の徳を望むなら、たやすい。男の徳とは、国の事柄を行うのに十分な力があり、行うにあたって、友にはよいことをし、敵には害を加え、自分自身はそのような目に遭わぬよう用心することである。女の徳を望むなら、述べるのは難しくない。家をよく治め、家のなかのものを守り、夫に従順であらねばならない。また、子どもの徳は別にある。女の子のも男の子のもあり、年長の男の徳もある。望むなら自由人の、望むなら奴隷の徳もある。ほかにもきわめて多くの徳がある。だから、徳とは何かを言うのに行き詰まることはない。行いの一つ一つ、年齢の一つ一つに応じて、それぞれの仕事に向けた徳が、私たちの一人一人にあるのだから。そして同じように、ソクラテスよ、悪徳もそうなのだと私は思う。
ソク:私はたいへんな幸運に恵まれたようだ、メノンよ。一つの徳を探していて、君のもとに置かれている徳の群れを見つけたのだから。ところで、メノンよ、この蜂の*2群れのたとえにならって、こうたずねよう。もし私が、蜂の本質について、それは何であるかとたずね、君が、蜂は多くの、さまざまなものだと言ったとする。そこで私が、こうたずねたら、君は私にどう答えるだろう。「蜂が多くの、さまざまなものであり、互いに異なっていると君が言うのは、それらが蜂であるという点でか。それとも、その点では少しも違わず、ほかの何かの点で、たとえば美しさや大きさ、あるいはそのようなもののうちの何かで違うのか。」言ってくれ、そうたずねられたら、君はどう答えるか。
*2 〔 蜂の例について 〕ソクラテスは、「蜂とは何か」とたずねた場合を例にとる。蜂には多くの種類があるが、蜂であるかぎりでは互いに違わない、その同じものを答えるべきだと言う。徳についても、男の徳、女の徳などと数え上げるのではなく、すべてに共通する同じ一つのものを答えるよう求める根拠となる(72a~c)。
メノ:私なら、蜂であるという点では、一方の蜂が他方の蜂と少しも違わない、と答える。
ソク:では、そのあとで私が、こう言ったとしよう。「ではメノンよ、それを私に言ってくれ。蜂が、その点では少しも違わず、すべて同じであるというもの、それは何だと君は言うのか。」君は、何か私に言えただろうか。
メノ:私なら言えた。
ソク:徳についても、こうなのだ。たとえ徳が多くの、さまざまなものであっても、すべての徳は、それによって徳であるところの、同じ一つの型を持っている。答える人は、それに目を向けて、たずねた人に、徳であるところのそのものを明らかにするのがよい。それとも、私の言うことがわからないか。
メノ:わかっているつもりだ。だが、たずねられていることを、まだ望むようにはつかめていない。
ソク:メノンよ、徳についてだけ、そう思うのか。男には男の徳、女には女の徳、そのほかの人々にはまたそれぞれの徳がある、と。それとも、健康や大きさや強さについても、同じなのか。男の健康は一つ、女の健康は別のものだと思うか。それとも、健康であるかぎり、それが男のうちにあっても、ほかの誰のうちにあっても、どこでも同じ型なのか。
メノ:健康は、男でも女でも同じだと思う。
ソク:では、大きさも強さもそうではないか。女が強いなら、同じ型、同じ強さによって強いのだろう。この「同じ」ということで私が言うのは、強さが強さであるという点では、それが男のうちにあっても女のうちにあっても、違いはない、ということだ。それとも、何か違いがあると思うか。
メノ:私はそうは思わない。
ソク:では徳は、徳であるという点で、子どものうちにあるか老人のうちにあるか、女のうちにあるか男のうちにあるかによって、何か違いが生じるのか。
メノ:なぜか私には、ソクラテスよ、これはもはや、ほかのものと同じではないように思える。
ソク:どうしてだ。君は、男の徳は国をよく治めること、女の徳は家をよく治めることだ、と言ったのではなかったか。
メノ:言った。
ソク:では、節制をもって、また正しく治めることなしに、国であれ家であれ、ほかの何であれ、よく治めることはできるだろうか。
メノ:できるはずがない。
ソク:それなら、人々が正しく節制をもって治めるなら、正義と節制によって治めることになるのではないか。
メノ:そうならざるをえない。
ソク:それなら、女も男も、善い者であろうとするなら、同じもの、すなわち正義と節制を必要とする。
メノ:そう見える。
ソク:では、子どもと老人はどうか。放埒で不正であれば、善い者になることがあるだろうか。
メノ:ありえない。
ソク:だが、節制があり、正しければ、どうか。
メノ:そうだ。
ソク:すると、すべての人は、同じ仕方で善い者なのだ。同じものを得て、善い者になるのだから。
メノ:そのようだ。
ソク:もし彼らの徳が同じでなかったなら、彼らは、同じ仕方で善い者ではなかっただろう。
メノ:確かに、そうではなかっただろう。
ソク:それなら、徳はすべての人にとって同じなのだから、それをゴルギアスは何であると言い、君も彼にならって何であると言うのか、思い出して言ってみてくれ。
メノ:人々を支配できること以外に、何があろう。もし君が、すべてに通じる一つのものを探しているのなら。
ソク:そう、探しているとも。だが、メノンよ、子どもの徳も奴隷の徳も、すなわち、主人を支配できるということが、同じなのか。そして君は、支配している者が、なお奴隷でありうると思うか。
メノ:まったくそうは思わない、ソクラテスよ。
ソク:そうだろう、すぐれた人よ。さらにこの点も考えてみてくれ。君は、「支配できる」と言う。そこに「正しく」を付け加えるべきではないか。不正にではなく。
メノ:付け加えるべきだと思う。正義は、ソクラテスよ、徳なのだから。
ソク:それは徳なのか、メノンよ、それとも徳の一つなのか。
メノ:どういうことだ。
ソク:ほかのどんなものについても同じことだ。たとえば、望むなら、丸さについて、私なら、それは形の一つだと言うだろう。単に、形そのものだとは言わない。そう言うのは、ほかにも形があるからだ。
メノ:君の言い方は正しい。私も、正義だけでなく、ほかにも徳があると言っているのだから。
ソク:それはどんなものか。言ってくれ。ちょうど私も、君に命じられたなら、ほかの形を挙げられるように、君も私に、ほかの徳を挙げてくれ。
メノ:勇気も、私には徳だと思える。節制も、知恵も、度量の大きさも、そのほかのきわめて多くのものもそうだ。
ソク:メノンよ、また同じ目に遭った。一つの徳を探しながら、またしても多くの徳を見つけたのだ。さっきとは別の仕方でだが。そのすべてに通じるその一つの徳は、見つけ出せずにいる。
メノ:君が探すように、すべてに通じる一つの徳を、ほかのものの場合のように、つかむことが、まだできないのだ、ソクラテスよ。
ソク:無理もない。だが私は、できるなら、私たちを先へ進めようと熱心に努めよう。君には、あらゆることについて、事情がこうなっていることがわかるはずだ。もし誰かが君に、いま私が言ったことをたずねたとする。「形とは何か、メノンよ」と。君が彼に、「丸さだ」と答え、彼がさらに、私と同じことを君に言ったとする。「丸さは形なのか、それとも形の一つなのか。」君はきっと、形の一つだと答えただろう。
メノ:そのとおりだ。
ソク:それは、ほかにも形があるからではないか。
メノ:そうだ。
ソク:そして、それがどのような形かとさらにたずねられたなら、君は言っただろうか。
メノ:言えた。
ソク:また、色について同じように、それは何かとたずねられ、君が「白だ」と答え、そのあとで、たずねた人が受けて言ったとする。「白は色なのか、それとも色の一つなのか。」君は、色の一つだと答えただろう。ほかにも色があるのだから。
メノ:私なら、そう答えただろう。
ソク:そして、ほかの色を挙げるよう求められたなら、君は、ほかの色、すなわち白に劣らず色であるものを挙げただろうか。
メノ:挙げた。
ソク:では、もし彼が私のように論を追っていって、こう言ったとする。「私たちはいつも多くのものに行き着いてしまう。だが、そうではなく、君はこれら多くのものをある一つの名で呼び、そのどれも形でないものはないと言う。しかもそれらは、互いに反対のものでさえあるのだ。ならば、丸いものにも、まっすぐなものにも、劣らずそなわっているこのものとは何か。君が形と名づけ、丸いものをまっすぐなものより形であるとは言わない、そのものとは。」君は、そう言うのではないか。
メノ:そう言う。
ソク:では、そう言うとき、君は、丸いものが、まっすぐなものより丸いと言うわけではなく、まっすぐなものが、丸いものよりまっすぐだと言うわけでもないのか。
メノ:言うはずがない、ソクラテスよ。
ソク:だが少なくとも、丸いものがまっすぐなものより形であるとも、その逆とも、君は言わない。
メノ:君の言うとおりだ。
ソク:では、「形」というこの名を持つこのものは、いったい何か。言ってみてくれ。もし君が、形についてであれ色についてであれ、そうたずねる人に、「だが、君、私には、君が何を望んでいるのかがわからない。君が何を言っているのかも知らない」と答えたなら、その人はおそらく驚いて、こう言うだろう。「これらすべてに共通する同じものを私が探していることが、わからないのか。」それとも、メノンよ、誰かが君に、「丸いものにもまっすぐなものにも、そのほか君が形と呼ぶものにも、すべてに共通する同じものとは何か」とたずねても、君は、これらについてさえ言えないのだろうか。言ってみてくれ。そうすれば、徳についての答えのための練習にもなる。
メノ:いや、それよりソクラテスよ、君が言ってくれ。
ソク:君の望みをかなえてあげようか。
メノ:ぜひそうしてほしい。
ソク:では君も、私に徳について言ってくれる気になるか。
メノ:私はその気になる。
ソク:それなら、熱心に取り組まなければならない。それだけの価値があるのだから。
メノ:まったくそのとおりだ。
ソク:さあ、形とは何かを、君に言ってみよう。次のものを形として受け入れるか、考えてみてくれ。存在するもののうちで、つねに色に伴うものだけを、私たちの言う形としよう。これで君には十分か、それとも別の仕方で探しているのか。私は、もし君が徳をこのように言ってくれるなら、それでも満足なのだが。
メノ:だが、それはおめでたい答えだ、ソクラテスよ。
ソク:どういうことだ。
メノ:君の説では、形とは、つねに色に伴うもののことだ。よろしい。だが、もし誰かが、色が何であるかを知らないと言い、形について行き詰まったのと同じように行き詰まったなら、君の答えは、いったいどういう答えになったと思うか。
ソク:私は本当のことを言おう。たずねる人が、知者や、論争好きで勝負好きの人であるなら、私は彼にこう言うだろう。「私は述べた。もし私の言うことが正しくないなら、君が議論を引き受けて論駁するのが、君の仕事だ。」だが、いま私と君がそうであるように、友人どうしで互いに語り合おうとする場合には、もう少し穏やかに、問答の流儀にかなった答え方をしなければならない。問答の流儀にかなうとは、おそらく、ただ真実を答えるだけでなく、たずねられた人が知っていると認めるものによって答えることだ。私も、君にそのように述べてみよう。私に答えてくれ。君は、何かを「終わり」と呼ぶか。私が言うのは、限りや果てのようなことだ。これらはすべて、私は同じことを言っているのである。プロディコスなら、私たちに異を唱えるかもしれないが、君は、何かが限られ、終わったと呼ぶだろう。私が言いたいのはそのようなことで、少しも入り組んだことではない。
メノ:呼ぶ。そして、君の言うことはわかっていると思う。
ソク:ではどうか。君は、何かを平面と呼び、さらに別のものを立体と呼ぶか。幾何学のなかのそれらのように。
メノ:呼ぶ。
ソク:それなら、これらから、私の言う形がもうわかるだろう。あらゆる形について、私が言うのは、立体がそこで終わるもの、それが形だということだ。これを一言にまとめて言うなら、形とは立体の限りである、と言おう。
― 試し読みはここまでです ―
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メノン
発行責任者(訳者):飯島健二
発行:古典書房
制作協力:Claude(claude-sonnet-5-5)
参照原典:ギリシア語原典『Μένων』(John Burnet版, Platonis Opera, Tomus III, Oxford, 1903年)
初版発行日:2026年10月27日
試し読み版
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注記:本サンプルは正本の冒頭(70a〜76a)のみを収録したものである。全文は正本でお読みいただける。