本HTMLは、プラトン(Πλάτων)の対話篇『プロタゴラス』(原題:Πρωταγόρας)の現代日本語訳である。ソクラテスが、アテナイの富裕な人物カリアスの家で、アブデラ出身の高名なソフィスト、プロタゴラスと交わした問答を、のちに友人に語って聞かせる形で、対話は進む。徳は教えることができるのか、という問いが、その中心にある。
底本(テキストデータ):John Burnet(ed.), Platonis Opera, Tomus III: Tetralogias V-VII continens(Oxford: Clarendon Press, 1903年)所収 Πρωταγόρας。入手元:Perseus Digital Library / Open Greek and Latin Project(CTS URN: urn:cts:greekLit:tlg0059.tlg022.perseus-grc2)。
本書は現代語訳のみを掲載し、直訳との切替は行わない(散文の哲学書であり、直訳併記の対象ではない)。
本文中の番号(例:320c)は、底本の欄外に付された「ステファヌス番号」であり、原典と対応させながら読み進める手がかりとなる。「底本頁」ボタンで常時表示に切り替えられる。『プロタゴラス』は309aから362aまでの範囲にあたる。
冒頭の対話の発言者は、底本の略号(ΕΤ.=友人、ΣΩ.=ソクラテス)に対応させて、「友:」「ソク:」と示した。それ以降の本文は、ソクラテスが語る形であり、語りの中の対話には、底本どおり、話者の表示を付けていない。語りの中で他の人が述べる言葉は「 」で示し、その中でさらに引用される言葉や、仮に語られる言葉は『 』で示した。一人の発言が底本で複数の段落にまたがる場合は、発言の始まりに「を、終わりに」を置き、途中の段落では括弧を開き直していない。ホメロスやシモニデスの詩句は、底本と同じく行を分け、「 」は用いていない。
底本で、校訂者が本文から除くべきものとして角括弧に入れた語句(9か所)は、訳出していない。校訂者が補った語句(山括弧、10か所)は、訳に含めた。底本が本文の欠落を示す箇所(340a)は、訳でも同じ位置に「…」を置いた。
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解説・概説・用語集は、原典にない参考情報であり、底本の本文と、信頼できる資料で確認できる範囲で書いた。主な典拠は、Stanford Encyclopedia of Philosophy、Encyclopaedia Britannica、Perseus Digital Library(Smith の人名辞典)である(制作時点)。査読を経たものではない。本文の理解を助ける参考としてお使いいただきたい。
哲学原典を読む / 古典書房
前5世紀のアテナイは、民主政のもとで、市民が民会や法廷で言葉を交わして物事を決める都市だった。そこでは、人前で巧みに語る力が、政治上の力に直結した。この需要にこたえて、各地の都市を巡り、報酬を取って弁論や教養を教える人々が現れた。ソフィストと呼ばれた人々である。プロタゴラスは、その代表として知られる。
それ以前の哲学者たちは、宇宙や自然の成り立ちを問うた。ソフィストたちが関心を向けたのは、人間の社会であった。法や慣習は自然に備わったものか、人間が取り決めたものか。善悪や正しさは、どこまで人によって異なるのか。こうした問いが、広く論じられるようになった。
徳(アレテー)は、もともと、人や物がすぐれていることを広く指す語である。この対話篇でプロタゴラスは、幼いころから家庭や学校で、詩を学ぶことなども通じて、徳が教え込まれていくと語る(325c以下)。ソクラテスは、何も書き残さず、人に問いかけることによって、こうした教育のあり方や考え方を吟味し続けた。
この対話篇は、知恵を教えると称する人と、問うことしかしないと言う人とが、直接向かい合う場面を描く。しかも、その二人が、何を問い、どう答えるかの取り決めそのものをめぐって、争う。長く語って聞かせる方法と、短い問いと答えを重ねる方法のどちらが、ものごとを明らかにするのに適しているのか。方法の選び方が、すでに、哲学とは何かをめぐる争いになっている。
主題の面では、徳は一つのものなのか、それとも、正義・節制・勇気・敬虔・知恵のように、別々の部分に分かれるのかが問われる。さらに、人はよいと知っていながら、なぜそれに反することをしてしまうのか、という問いが、快楽と苦痛の問題とともに検討される。詩人の詩句を取り上げ、その言葉の意味を一句ずつ吟味する場面は、詩の読みと教養のあり方への、鋭い問いかけにもなっている。
対話の終わり近くでは、ソクラテス自身が、二人の立場が入れ替わったように見えると述べる(360e~361c)。読み進めるうえで、どの時点で誰がどの前提を認めたのかを、たどり直す楽しみがある。
徳は教えられるか、という問いは、プラトン自身の『メノン』で、徳とは何かという問いと結びつけて、いっそう掘り下げられた。快楽と善の関係は、『ゴルギアス』や『ピレボス』などで、別の角度から論じられた。
アリストテレスは、『ニコマコス倫理学』で、徳は習慣によって身につくと論じ、あわせて、知識があるのに反対の行いをしてしまう人(アクラシア、自制のなさ)について、ソクラテスの見方を取り上げて検討した。のちのストア派は、徳を一つのものとして論じ、徳と知識の強い結びつきを受け継いだ。
快楽と苦痛をはかって比べる議論は、ソクラテスが、多くの人々の考えを問うところから進めている(352e以下)。徳の教育、知識と行いのずれ、言論による教育の力と危うさ。これらの問いは、今日の倫理学や教育論でも、形を変えて論じられている。
以下、()内は原則としてギリシア語原語。
ステファヌス版番号(Burnet版, 1903年)。番号をクリックすると本文の該当箇所へ移動する。
底本には章・節の見出しはなく、伝統的に参照されるステファヌス版番号(309~362)が付されているのみである。目次の4部構成は、内容にもとづいて便宜的に分けたものであり、底本に印字された境界ではない。
〔 309a~328c について 〕
位置づけ:対話の枠組みと、プロタゴラスの教えを語る部分にあたる。
概要:ソクラテスは、友人に請われて、その日の出来事を語り始める。まだ夜明け前に、青年ヒッポクラテスが訪れ、プロタゴラスのもとで学びたいと言う。二人はカリアスの家に行き、集まったソフィストたちの様子が描かれる。ソクラテスは、プロタゴラスに、ヒッポクラテスが彼に学べば何が得られるのかを問い、プロタゴラスは、自分の教えるものと、徳は教えられるという考えを、物語と言論で語る。
友:*1ソクラテスよ、どこから現れたのか。それとも、言うまでもなく、アルキビアデス*2の若い盛りを追う狩りの帰りなのか。実際、先日私も彼を見たが、まだ美しい男ではあったものの、男には違いなかった、ソクラテスよ、われわれ同士で言うなら、すでに顎ひげも生えそろい始めていた。
*1 〔 話者の表示について 〕底本の冒頭の対話では、発言者が ΕΤ.(友人)、ΣΩ.(ソクラテス)の略号で示されている。本訳では、これと同じ考えで、「友:」「ソク:」と示した。それ以降の本文は、ソクラテスが友人に語って聞かせるもので、その中の対話には、底本どおり、話者の表示を付けていない。誰が語っているかは、「と彼は言った」などの語りの言葉や、文脈から読み取れる。
*2 〔 アルキビアデスについて 〕アテナイの名門の出身で、のちに将軍・政治家となった人物。ソクラテスと親しく、『饗宴』や『アルキビアデス』にも登場する。本文では、友人が、すでに顎ひげが生えそろい始めた彼の年ごろに触れ、ソクラテスが、ホメロスの句を引いて応じている。
ソク:それがどうしたというのか。君はホメロス*3を称賛する者ではないか。彼は、最も優美な若さとは、初めてひげの生えかけた者のものだと言ったが、それこそ、いまアルキビアデスが持っている若さである。
*3 〔 ホメロスの句について 〕ソクラテスが引くのは、「初めて顎ひげが生えかけた若者の、最も愛らしい若さ」という趣旨の句で、ホメロス『イリアス』24巻347~348行にあたる。ここでは、アルキビアデスの若さをたたえる句として引かれている。
友:それで、いまはどうなのか。あの人のところから来たのか。あの若者は君に対してどのような様子か。
ソク:よい様子だと、私には思われた。とりわけ今日はそうだった。というのも、彼は私を助けて、私のために多くのことを言ってくれたからである。実際、私はいま、彼のところから来たところだ。ただ、奇妙なことを君に言いたい。彼がそばにいたのに、私は注意を向けず、何度も彼のことを忘れていたのだ。
友:君と彼の間に、それほどの大事が、いったい何があったというのか。というのも、まさか、少なくともこの町で、彼より美しい誰かほかの人に出会ったのではあるまい。
ソク:出会ったとも、しかもはるかに美しい人にだ。
友:何を言うのか。この町の人にか、外国人にか。
ソク:外国人にだ。
友:どこの国の人か。
ソク:アブデラ*4の人だ。
*4 〔 アブデラについて 〕エーゲ海北岸、トラキア地方の都市。プロタゴラスの出身地であり、原子論の哲学者デモクリトスの出身地ともされる。冒頭でソクラテスが「外国人」と答え、友人がその人物を問う場面の答えが、このプロタゴラスである。
友:その外国人は、それほど美しいと君に思われたのか、クレイニアスの子よりも美しいと君に見えるほどに。
ソク:幸せな人よ、最も知恵のある者のほうが美しく見えるのは、当然ではないか。
友:では、ソクラテスよ、君は誰か知恵のある人に出会って、私たちのところへ来たのか。
ソク:それどころか、もしプロタゴラスが最も知恵のある人だと君に思われるなら、少なくとも今の人々の中では、おそらく最も知恵のある人にだ。
友:おや、何を言うのか。プロタゴラスが町に来ているのか。
ソク:来ているとも、もう三日目になる。
友:すると、君はいま、あの人と一緒に過ごして帰ってきたところなのか。
ソク:まったくそうだ。多くを語り、多くを聞いてきた。
友:それなら、もし何か妨げることがなければ、この子を立たせて、ここに座り、その会談の様子を私たちに話してくれないか。
ソク:ぜひそうしよう。君たちが聞いてくれるなら、私は感謝もするだろう。
友:こちらこそ、君が話してくれるなら、私たちも君に感謝しよう。
ソク:それなら、感謝は二重になるだろう。ともかく、聞いてくれ。
実は、昨夜、まだ夜明け前の深い時刻に、アポロドロスの子で、ファソンの兄弟であるヒッポクラテス*5が、杖で戸をひどく激しく叩いた。誰かが開けると、すぐに急いで中へ入ってきて、大きな声で、「ソクラテスよ、起きているのか、眠っているのか」と言った。
私は彼の声に気づいて、「これはヒッポクラテスだな。何か変事を知らせに来たのではないか」と言った。
「何もない。あるとすれば、良い知らせだけだ」と彼は言った。
私は言った。「それなら結構だ。それで、何事なのか。何のためにこんな時刻にやって来たのか」
彼は私のそばに立って、「プロタゴラスが来ている」と言った。
「来たのはおとといだ。君はいま聞いたばかりなのか」と私は言った。
「神々にかけて、そうだ。夕方になってからだ」と彼は言った。そして同時に、寝台を手探りして、私の足もとに腰を下ろし、言った。「夕方だ、オイノエから実に遅くに着いたあとだった。実は、召使いのサテュロスが私から逃げたのだ。そのことで、彼を追いかけるつもりだと君に伝えようとしていたのに、ほかの事に紛れて忘れてしまった。家に着いて、夕食を済ませ、休もうとしていたとき、兄弟が私に、プロタゴラスが来ていると言った。はじめはすぐに君のところへ行こうとしたが、そのあと、夜がひどく更けていると思われた。しかし、疲れから眠りが私を放すとすぐに、起き上がって、そのままここへ来たのだ。」
私は彼の勇気と高ぶりを見て取って、「それが君にとって何だというのか。まさかプロタゴラスが君に何か不正をしたのではあるまい」と言った。
彼は笑って、「神々にかけて、そうだ、ソクラテスよ。彼だけが知恵のある人なのに、私を知恵のある人にしてくれないのだ」と言った。
「いや、ゼウスにかけて、もし彼に金銭を払い、彼を説得するなら、君をも知恵のある人にしてくれるだろう」と私は言った。
彼は言った。「ゼウスよ、神々よ、もしそのことにかかっているのなら。私は自分の財産も友人たちの財産も、何一つ出し惜しまないだろう。君が私のために彼と話し合ってくれるように、まさにそのためにいま君のところへ来たのだ。実際、私は一つには年が若く、一つにはプロタゴラスを一度も見たことがなく、何も聞いたこともない。以前に彼がこの町に滞在したとき、私はまだ子供だったからである。だが、ソクラテスよ、誰もがあの人を称賛し、話すことにかけて最も知恵のある人だと言っている。さあ、家の中にいる彼を捕まえるために、どうして彼のところへ行かないのか。聞いたところでは、彼はヒッポニコスの子カリアス*6のところに泊まっている。さあ、行こう。」
私は言った。「善き人よ、まだ早いので、いまはあちらへ行くのはやめよう。それより、ここから立って中庭へ出て、その辺りを歩き回りながら、夜が明けるまで時を過ごそう。そのあとで行こう。プロタゴラスはたいてい家の中で時を過ごしているから、心配するな、おそらく家の中で彼に会えるだろう。」
*5 〔 ヒッポクラテスについて 〕アポロドロスの子で、プロタゴラスに学ぶことを望む青年。ここで、まだ夜明け前にソクラテスの家の戸を叩いて、プロタゴラスのもとへ連れて行ってほしいと頼む場面(310a以下)が語られる。名の同じ有名な医者とは別人である。
*6 〔 カリアスについて 〕ヒッポニコスの子で、アテナイでも指折りの富裕な人物。ソフィストたちに財を費やし、自宅に迎えたと伝えられる。本作の対話の場は、彼の家である(314c以下)。
そのあと、私たちは立ち上がって中庭を歩き回った。私は、ヒッポクラテスの気力を試そうとして、彼をよく観察しながら尋ねた。「教えてくれ、ヒッポクラテスよ。君はいま、プロタゴラスのところへ行こうとして、自分のために報酬の金銭を彼に払おうとしているが、それは誰のところへ行き、何者になるつもりでなのか。もし君が、君と同じ名のコスのヒッポクラテス、アスクレピオスの一族の人のところへ行って、自分のために報酬の金銭を彼に払おうと考えていたとして、もし誰かが君に『教えてくれ、ヒッポクラテスよ、君はヒッポクラテスに報酬を払うつもりだが、彼を何者と見ているのか』と尋ねたなら、君は何と答えるだろうか」
「医者として払うのだと答えるだろう」と彼は言った。
「では、何者になるつもりでか」
「医者になるつもりでだ」と彼は言った。
「では、もし君が、アルゴスのポリュクレイトスかアテナイのペイディアスのところへ行って、自分のために報酬を彼らに払おうと考えていたとして、もし誰かが君に『君がこの金銭を払おうとしているのは、ポリュクレイトスとペイディアスを何者と見てのことか』と尋ねたなら、君は何と答えるだろうか」
「彫像を造る者として、と答えるだろう」
「では、君自身は何者になるつもりでか」
「もちろん、彫像を造る者になるつもりでだ」
私は言った。「よろしい、では、プロタゴラスのところへ着いたら、私と君は、君のために報酬の金銭を彼に払う用意をすることになる。私たちの財産で足りて、それで彼を説得できればよいが、足りなければ友人たちの財産までも費やしてである。もし誰かが、このことにこれほど熱心になっている私たちに『ソクラテスとヒッポクラテスよ、教えてくれ、あなたたちはプロタゴラスを何者と見て、金銭を払うつもりなのか』と尋ねたなら、私たちは彼に何と答えるだろうか。プロタゴラスについて、ほかにどんな名が語られているのを、私たちは聞いているか。ペイディアスについては彫像を造る者、ホメロスについては詩人と聞くが、そのような呼び名を、プロタゴラスについては何と聞いているか」
「実際、あの人をソフィスト*7と呼んでいる、ソクラテスよ」と彼は言った。
「では、私たちは、ソフィストとして彼に金銭を払いに行くのか」
「その通りだ」
「それなら、もしさらにこのことを誰かが君に尋ねたなら。『君自身は、何者になるつもりでプロタゴラスのところへ行くのか』」
すでに夜がいくらか明けて、彼の様子がはっきり見えていたが、彼は顔を赤らめて言った。「これまでの例と少しでも似ているなら、明らかに、ソフィストになるつもりでだ。」
「神々にかけて、君は、ギリシア人の前で自分をソフィストとして示すことを、恥ずかしいとは思わないのか」と私は言った。
「ゼウスにかけて、ソクラテスよ、もし考えていることを言わなければならないなら、恥ずかしい」
「ヒッポクラテスよ、もしかすると君は、プロタゴラスのもとでの学びが、そのようなものではなく、文字の教師や竪琴の教師や体育の教師のもとで受けたような学びになると、考えているのではないか。実際、君はこれらのそれぞれを、職人になるための技術として学んだのではなく、素人で自由な身分の者にふさわしい教養のために学んだ」
「まったくその通りだ。プロタゴラスのもとでの学びは、むしろそのようなものだと私には思われる」と彼は言った。
*7 〔 「ソフィスト」について 〕原語 σοφιστής は、もとは知恵のある人や技に長けた人を指す語で、必ずしも悪い意味ではなかった。前5世紀には、報酬を取って教える新しい種類の教師を指す呼び名としても使われた。のちに、プラトンがソフィストを詐欺師のように描いたこともあって、人を言いくるめる者という悪い意味をもつようになった。プロタゴラスは、自分がソフィストであると隠さずに名乗ることを選ぶ(317b)。
「君は、自分がいま何をしようとしているのか、分かっているのか。それとも気づいていないのか」と私は言った。
「それは何についてか」
「君が、自分で言うとおりソフィストである人に、自分の魂を差し出して、世話してもらおうとしていることについてだ。ソフィストがいったい何者であるかを君が知っているとすれば、私は驚くだろう。それにしても、もしこれを知らないなら、君は自分の魂を誰に預けるのかも、それが善いものなのか悪いものなのかも、知らないことになる」
「私は知っていると思う」と彼は言った。
「では言ってくれ、君はソフィストを何だと考えているのか」
「私は、その名の言うとおり、知恵のあるものごとについての知識を持つ人だと考えている」と彼は言った。
私は言った。「それなら、その言い方は、画家についても大工についても、すなわち、この人たちは知恵のあるものごとについての知識を持つ人だと、言えるのではないか。だが、もし誰かが私たちに『画家は、どんな知恵のあるものごとについての知識を持つ人なのか』と尋ねたなら、私たちはおそらく、絵の制作に関することについてだと答えるだろう。ほかの場合も同様である。しかし、もし誰かがこう尋ねたなら。『ソフィストは、どんな知恵のあるものごとについての人なのか』私たちは彼に何と答えるだろうか。どんな仕事の監督者なのか」
「ソクラテスよ、話すことに巧みな者をつくる仕事の監督者のほかに、彼を何と言えばよいのか」
私は言った。「おそらく私たちは真実を述べることになるだろう。だが、十分にではない。私たちの答えにはなお、ソフィストは何について話すことを巧みにするのかという問いが必要だからである。ちょうど竪琴弾きが、おそらく、自分が知識を持つことがらについて、すなわち竪琴の演奏について、話すことを巧みにするのと同じである。そうではないか」
「そうだ」
「よろしい。では、ソフィストは何について、話すことを巧みにするのか」
「明らかに、彼自身が知っていることについてではないか」
「そうだろう。では、ソフィスト自身が知識を持ち、弟子にも持たせるそのことは、いったい何なのか」
「ゼウスにかけて、もう君に言えることがない」と彼は言った。
その後、私は言った。「では、どうなのか。君は、自分の魂を賭けに差し出して、どれほどの危険の中へ入ろうとしているのか、分かっているのか。もし君が、身体を誰かに任せなければならず、それが良くなるか悪くなるかの危険を冒すとしたら、任せるべきかどうかを多方面から考え、相談のために友人や身内の者を呼び、何日もかけて検討するだろう。ところが、身体より重んじているもの、すなわち魂は、それが良くなるか悪くなるかによって、君のすべてが良くも悪くもなるものなのに、この魂について君は、やって来たこの外国人に自分の魂を任せるべきかどうかを、父にも兄弟にも相談せず、仲間である私たちの誰にも相談しなかった。夕方に聞いたと君は言うが、夜明け前にやって来て、彼に自分を任せるべきかどうかについて何の議論も相談もせず、すでに何としてもプロタゴラスと交わらなければならないと決めているかのように、自分の財産も友人たちの財産も使う用意をしている。君は、自分で言うとおり、彼を知らず、一度も話し合ったことがなく、ソフィストと呼んではいるが、そのソフィストが何者であるかを知らないように見える。それなのに、その人に自分を任せようとしているのではないか」
彼は聞いて、「ソクラテスよ、君の言うことからすると、そのようだ」と言った。
「では、ヒッポクラテスよ、ソフィストとは、魂がそれによって養われる商品を扱う、卸商か小売商のようなものではないか。少なくとも私には、そのような者に見える」
「ソクラテスよ、魂は何によって養われるのか」
私は言った。「学問によってだろう、友よ、ソフィストが、自分の売るものを褒めて私たちを欺かないように、気をつけなければならない。ちょうど、身体の養いに関わる卸商や小売商がそうするのと同じである。実際、この人たちも、おそらく、自分が運んでくる商品のうち、何が身体にとって良く、何が悪いかを、自分では知らず、売るときにはすべてを褒める。彼らから買う人々も、たまたま体育の専門家か医者である者を除いて、知らない。同じように、学問を町から町へ持ち回って売り、小売りして、そのつど欲する人に売る者たちも、売るものをすべて褒める。だが、よき人よ、その中にも、売っているものが魂にとって良いか悪いかを、知らない者がいるかもしれない。彼らから買う人々も同様で、魂について医術の心得のある者がたまたまいる場合を除いてはそうだ。それなら、もし君がたまたま、これらのうち何が良く何が悪いかについての知識を持っているなら、プロタゴラスからでも、ほかの誰からでも、学問を買うのは安全だ。だがそうでないなら、幸せな人よ、最も大切なものについて、賭けをして危険を冒すことにならないか、よく見るがよい。実際、学問を買うことには、食物を買うよりも、はるかに大きな危険がある。食物や飲物は、小売商や卸商から買って、別の容器に入れて運ぶことができ、飲んだり食べたりして身体に受け入れる前に、家に置いて、心得のある人を呼んで、何を食べ何を飲むべきか、何をそうすべきでないか、どれだけ、いつ取るべきかを相談することができる。そのため、買うときの危険は大きくない。ところが学問は、別の容器に入れて運び去ることができず、代金を払って、その学問を魂そのものの中に受け取り、学んだうえで、害を受けるか益を受けるかして去るほかない。だから、このことは、私たちより年長の人々とともに検討しよう。実際、私たちはこれほどの大事を見極めるには、まだ若い。だが今は、私たちが出かけようとしたとおり、行ってあの人の話を聞こう。聞いたあとで、ほかの人々にも相談しよう。そこにいるのはプロタゴラスだけではなく、エリスのヒッピアス*8もいて、私の思うところではケオスのプロディコス*9もいるし、そのほかにも、知恵のある人が大勢いるからである。」
*8 〔 ヒッピアスについて 〕エリス出身のソフィスト。天文・歴史・詩・数学など、多方面の講義をしたと伝えられる。優れた記憶術をもつとされ、オリュンピアの祭典に、自分で作ったものだけを身につけて現れた、という話も残る。プラトンの『大ヒッピアス』『小ヒッピアス』にも登場する。
*9 〔 プロディコスについて 〕ケオス出身のソフィスト。近い意味の語を細かく区別することを得意とした。この対話篇の後半でも、語の使い分けを持ち出す場面がある(337a以下、340以下)。
そう決まったので、私たちは歩いて行った。玄関の前に着くと、立ち止まって、道すがら私たちの間に持ち上がったある議論について語り合った。それが未完のままにならず、論じ終えてから中へ入れるように、玄関の前に立ったまま、互いに意見が一致するまで語り合った。そこで私には、門番の宦官が私たちの話を聞いていたように思われる。おそらく、ソフィストの数が多いために、家に出入りする者たちにうんざりしているのだ。ともかく、私たちが戸を叩くと、彼は戸を開けて私たちを見るなり、「おや、どこかのソフィストどもだ。主人は暇がない」と言い、同時に両手で戸を力いっぱい、できるかぎり勢いよく叩きつけて閉めた。私たちがもう一度叩くと、彼は閉ざされた戸の向こうから答えて、「おい、君たち、主人に暇がないと聞かなかったのか」と言った。
私は言った。「善き人よ、私たちはカリアスのところへ来たのでもないし、ソフィストでもない。安心しなさい。プロタゴラスに会いたくて来たのだ。だから取り次いでくれ」それでようやく、その男は私たちに戸を開けた。
中に入ると、私たちはプロタゴラスが柱廊を歩いているのに出会った。続いて、彼とともに歩いていたのは、一方の側には、ヒッポニコスの子カリアスと、その兄弟で、母を同じくする、ペリクレスの子パラロス*10、それにグラウコンの子カルミデス、もう一方の側には、ペリクレスのもう一人の子クサンティッポス、ピロメロスの子フィリッピデス、それにメンデの人アンティモイロスである。このアンティモイロスは、プロタゴラスの弟子の中で最も評判がよく、ソフィストになるために、技術として学んでいる。これらの人々の後ろについて、語られることに耳を傾けていた者たちは、大部分が外国人に見えた。彼らは、プロタゴラスが通り過ぎるそれぞれの町から連れて来る者たちで、声で、ちょうどオルペウスのように魅了するので、彼らは声に魅せられて従っているのである。だが、その一団の中には、土地の者も何人かいた。私はこの一団を見て、とりわけ、彼らが実に見事に、プロタゴラスの前に出て邪魔になることが決してないよう注意しているのを見て、喜んだ。プロタゴラス自身とその連れが向きを変えるたびに、聞き手たちは、うまく秩序正しく左右に分かれ、輪を描いて回りながら、そのつど最も見事に後ろに位置を占めたのである。
*10 〔 ペリクレスの息子たちについて 〕パラロスとクサンティッポスは、アテナイの指導者ペリクレスの二人の息子。このとき、プロタゴラスの話を聞きに来ている。ペリクレス自身の子の教育の話は、のちに、徳は教えられるかという議論のなかでも持ち出される(319e~320b)。
ホメロスの言うように、そのあとに私が目にとめたのは、ヒッピアス、エリスの人で、向かい側の柱廊の椅子に座っていた。その周りには、腰掛けに座って、アクメノスの子エリュクシマコスと、ミュリヌス区のパイドロスと、アンドロティオンの子アンドロンと、外国人の中からは彼の同じ町の人々と、そのほか何人かがいた。彼らは、自然や天上のことについて、天文学に関する問いをヒッピアスに尋ねているように見えた。椅子に座った彼は、彼らの一人一人に判断を示し、彼らが尋ねたことを順に詳しく説明していた。
さらに、タンタロス*11をも私は目にした。それは、ケオスのプロディコスも、どうやら町に滞在していたからである。彼はある部屋にいた。その部屋は、以前はヒッポニコスが倉庫として使っていたが、いまは泊まる人の数が多いので、カリアスがそこも空にして、外国人の宿にしていた。プロディコスはまだ横になっていて、見たところ、たいへん多くの羊皮や敷物にくるまっていた。彼のそばの近くの寝椅子には、ケラメイス区のパウサニアスが座っており、パウサニアスとともに、まだ若い少年がいた。生まれつき美しく善い人であると私は思うが、姿は少なくとも実に美しい。彼の名はアガトンだと聞いたように思う。もしパウサニアスの愛する少年であっても、私は驚かないだろう。この少年のほかに、二人のアデイマントス、ケピスの子とレウコロピデスの子、さらに何人かほかの人々も見えた。私は、プロディコスの話をぜひ聞きたいと思っていた。この人は、私にはきわめて知恵のある人物であり、神のように思われるからである。しかし、その声の低さのために、部屋の中でうなりのような音が起こり、語られることをはっきりしないものにしたので、彼らが何について語り合っていたかを、私は外から知ることができなかった。
*11 〔 タンタロスについて 〕ホメロス『オデュッセイア』11巻582行以下に、冥界で飢えと渇きに苦しむタンタロスが語られている。ソクラテスは、ここで、冥界を見て回る語り手になぞらえて、家の中を見て回る自分の様子を語り、プロディコスをそのタンタロスに見立てて冗談を言っている。
私たちはちょうど入ったところで、そのあとから、君の言うとおりで私もそう信じているが、美男のアルキビアデスと、カライスクロスの子クリティアスが入ってきた。
そこで私たちは、入ってから、なおしばらくそれらを眺めて時を過ごし、それからプロタゴラスのほうへ進み寄った。そして私は言った。「プロタゴラスよ、実は私とこのヒッポクラテスは、君に会いに来たのだ。」
「一人だけで話したくて来たのか、それとも、ほかの人たちを交えてでもよいのか」と彼は言った。
「私たちにはどちらでも変わりがない。ただ、来た目的を聞いたうえで、君自身で考えてほしい」と私は言った。
「では、君たちが来た目的はいったい何なのか」と彼は言った。
「ここにいるヒッポクラテスは、この土地の人で、アポロドロスの子であり、大きく裕福な家の出である。本人も、生まれつきの素質は、同年輩の者たちに張り合えると見える。そして、この国で名の知れた人になりたいと、私には思われ、それは君と交わればもっともよく実現すると彼は考えている。そこで、これらのことを、君がもう考えてほしい。それについて、君が一人だけを相手に一人で話すべきだと思うのか、それともほかの人たちを交えてか。」
「ソクラテスよ、君は私のために、実に適切に気づかってくれる。外国人でありながら大きな国々を訪れ、それらの国で、若者のうちのもっともすぐれた者たちを説き伏せて、身内であれ他人であれ、年長者であれ年少者であれ、ほかの人々との交わりを捨てさせ、自分と交われば自分との交わりによっていっそうすぐれた者になるからと、自分と共にいるようにさせる、そういうことをする者は、用心しなければならない。というのも、それをめぐっては、小さくない嫉妬や、そのほかの敵意や謀りごとが生じるからである。私は、ソフィストの技術は古いものだと言う。ところが、それを扱った昔の人々は、その技術が人に嫌われることを恐れて、見せかけの覆いをつくり、身を隠したのである。ある者は詩を、ホメロスやヘシオドスやシモニデス*12のように、またある者は秘儀や神託を、オルペウスやムーサイオスの一派のように覆いとした。体育を覆いとした者も何人かいると私は知っている。タラスのイッコスや、今なお存命で誰にも劣らないソフィストであるセリュンブリアのヘロディコス、もとはメガラの人がそうである。音楽は、君たちの国のアガトクレスが覆いとした。彼は偉大なソフィストである。またケオスのピュトクレイデスやほかの多くの者もそうした。これらの人々はみな、いま言ったように、嫉妬を恐れて、これらの技術を幕として用いたのである。しかし私は、この点で、これらの人々すべてとは意見を同じくしない。彼らは望んだことを何一つ成し遂げなかったと思うからである。この見せかけは、国で事を行う力のある人々に向けて設けられたものだが、そうした人々に隠れおおせることはできない。大多数の者は、ほとんど何も気づかず、この人々が告げることをそのまま口ずさむにすぎないからである。したがって、逃げようとして逃げおおせず、むしろ露見してしまうのは、企てとして大いなる愚かさであり、人々をはるかに敵意深くさせずにはおかない。そういう者は、ほかの点に加えて、悪賢いとも思われるからである。そこで私は、これらとはまったく反対の道を歩んできた。ソフィストであること、人々を教育することを認めている。この用心のほうが、あの用心よりもすぐれていると思う。つまり、否認するよりも認めるほうがよい。そのほかにも、これに加えて用心の策を考えてあるので、神のおかげで言うなら、ソフィストであると認めることで、何一つ不利益を被ることがない。それに、この技術に携わってもう長い年月になる。実際、私の年齢は全体として多く、君たちの誰についても、年齢からいえばその父であってもおかしくない。だから、もし君たちが望むなら、これらすべてについて、中にいる人々の前で話をするのが、私にはずっと喜ばしい。」
*12 〔 シモニデスについて 〕ケオス出身の抒情詩人。祝勝歌や追悼歌で名高かった。のちに、プロタゴラスが引く彼の詩が、議論の中心に置かれる(339a~347a)。
私は、彼がプロディコスとヒッピアスに見せたがり、私たちが彼を慕って来たのだと誇りたがっているのではないかと疑ったので、こう言った。「それなら、プロディコスとヒッピアスも、その連れの人々も呼んで、私たちの話を聞いてもらってはどうか。」
「もちろんそうしよう」とプロタゴラスは言った。
「では、君たちが座って話せるように、席を設けようか」とカリアスは言った。
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プロタゴラス
発行責任者(訳者):飯島健二
発行:古典書房
制作協力:Claude(claude-sonnet-5-5)
参照原典:ギリシア語原典『Πρωταγόρας』(John Burnet版, Platonis Opera, Tomus III, Oxford, 1903年)
初版発行日:2026年10月30日
試し読み版
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