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国家

プラトン 著

この本について

本HTMLは、プラトン(Πλάτων)の対話篇『国家』(原題:Πολιτεία、「国制」の意)の現代日本語訳である。正義とは何か、それは正しい人にとって善いのか、という問いから、理想の国のあり方と、魂のあり方、そして知を愛し求める者の教育が論じられる。全10巻。対話の全体を、ソクラテスが後日、一人称で語って聞かせる形をとる。

底本(テキストデータ):John Burnet(ed.), Platonis Opera, Tomus IV(Oxford: Clarendon Press, 1902年)所収 Πολιτεία。入手元:Perseus Digital Library / Open Greek and Latin Project(CTS URN: urn:cts:greekLit:tlg0059.tlg030.perseus-grc2)。

本書は現代語訳のみを掲載し、直訳との切替は行わない(散文の哲学書であり、直訳併記の対象ではない)。

本文中の番号(例:514a)は、底本の欄外に付された「ステファヌス番号」であり、原典と対応させながら読み進める手がかりとなる。「底本頁」ボタンで常時表示に切り替えられる。『国家』は327aから621dまでの範囲にあたる。底本は、354頁の次を357頁とするなど、頁番号に欠けがある箇所があるが、これは底本の頁付けによるもので、本文が欠けているのではない。

この対話は、ソクラテスの語りである。そのため、底本に話者の表示はなく、本訳でも話者の表示を付けていない。誰が話しているかは、「と彼は言った」「と私は言った」などの語りの言葉から読み取れる。語りの言葉を伴わない短い応答は、そのまま「 」で示した。こうした応答は、問う人と答える人が交互に話すものとして、前後の発言の流れから話者を読み取っていただきたい(原典でも、話者の明らかな応答では語りの言葉が省かれる)。他の人が述べる言葉は「 」で示し、その中でさらに引用される言葉や、仮に語られる言葉は『 』で示した。一人の発言が底本で複数の段落にまたがる場合は、発言の始まりに「を、終わりに」を置き、途中の段落では括弧を開き直していない。

詩句は、底本と同じく行を分けて示し、「 」は用いていない。

底本で、校訂者が本文から除くべきものとして角括弧に入れた語句(31か所)は、訳出していない。校訂者が補った語句(山括弧、15か所)は、訳に含めた。

用語の訳語は、全巻を通じて統一した(例:δικαιοσύνη=正義、πολιτεία=国制、πόλις=国、φύλαξ=守護者)。主な訳語は、用語集に示した。

画面右下の「i」ボタンを押すと、明るさ調整・なぞり線・底本頁・解説の各切り替えをまとめて行える操作パネルが開く。閉じるには「✕」を押す。

解説・概説・用語集は、原典にない参考情報であり、底本の本文と、信頼できる資料で確認できる範囲で書いた。主な典拠は、Stanford Encyclopedia of Philosophy、Encyclopaedia Britannica である(制作時点)。査読を経たものではない。本文の理解を助ける参考としてお使いいただきたい。

哲学原典を読む / 古典書房

概説

1. 『国家』以前の哲学

古代ギリシアでは、正義や徳は、まずホメロスやヘシオドスなどの詩人によって語られ、教えられた。詩人たちは、神々が正しい者に報い、不正な者を罰すると歌った。『国家』の第一巻から第二巻にかけて、この通念が、そのまま吟味にかけられる。
前5世紀には、弁論と政治の技術を教えるソフィストたちが現れ、法や正義は、慣習にすぎないのか、それとも自然にもとづくのか、という問いが盛んに論じられた。『国家』に登場するトラシュマコスは、そうした議論の担い手として描かれている。一方、自然を探究した知を愛する者たちは、万物の根源と世界の秩序を問い、パルメニデスは、あるものと見かけとを区別した。ソクラテスは、何も書き残さず、人にどう生きるべきかを問い続け、前399年に処刑された。そのとき、弟子のプラトンは28歳ごろだった。

2. 『国家』の哲学の革新

この対話篇は、正義とは何か、という個人の生き方の問いを、国のあり方の問いと重ねて論じる。個人の魂の中で起こることと、国で起こることとが、互いに写し合う関係にあると見て、小さな文字を読むために、大きな文字を先に読む、という進め方をとる。そのため、一つの対話の中に、倫理学、政治哲学、教育論、認識論、形而上学、芸術論が結びついて現れる。
とくに、美しいもの、正しいもの、善いものについて、個々のものとは別に、それらがそうであることの拠り所となるもの(型)があるという考えが、太陽の比喩、線分の比喩、洞窟の比喩によって示される。見えるものの世界と、知性で捉えられるものの世界とが区別され、知識と思わくの違いが、能力の違いとして論じられる。
また、詩人の模倣への批判、男女の教育、財産と家族のあり方、国制が移り変わっていく過程と、それに対応する人間の型の描写、死後の魂の物語など、後の読者が個別の主題として取り上げ続けてきた論点が、この一作に集まっている。

3. 『国家』以後の哲学

アリストテレスは、『政治学』で、『国家』の財産や妻子の共有の考えを検討し、批判した。新プラトン主義のプロクロスは、『国家』についての論考を残した。
ルネサンスには、トマス・モアが『ユートピア』で理想の国を描き、近代には、ルソーが『エミール』で、教育についての最も美しい論として『国家』を挙げた。20世紀には、ポパーが『開かれた社会とその敵』で、『国家』の政治思想を批判的に論じた。洞窟の比喩は、認識と教育の比喩として、今日でも広く引かれている。
正義とは何か、国は誰がどのように治めるべきか、教育は人をどう変えるのか、見かけと実在はどう違うのか。これらの問いは、形を変えて、今日の哲学でも論じられている。

本書における重要な用語

以下、()内は原則としてギリシア語原語。

正義δικαιοσύνη
正しいこと、人に対して為すべきことを為すこと。本作の中心の問い。個人の徳であると同時に、国のあり方の徳としても論じられる。形容詞 δίκαιος は「正しい」(人は「正しい人」)、反対は ἀδικία「不正」。
国制πολιτεία
国の仕組みと、そこで人々が営む生き方の全体。作品名でもある。個々の形としては、名誉支配制、寡頭制、民主制、僭主独裁などがある。
国πόλις
自らの法と統治を持つ共同体。本訳では「国」と訳し、「都市国家」とはしていない。
魂ψυχή
生きているものを生かす原理。本作では、理知的な部分、気概的な部分、欲望的な部分の三つに分けて論じられる。
徳ἀρετή
あるものがそのものとして優れた働きをするための優れた状態。国と魂の徳として、知恵、勇気、節制、正義が挙げられる。
守護者φύλαξ
国を守り、統治する人。本作では、広い意味で国の守護者全体を指し、のち、統治する者(ἄρχων)と、その補助をする者(ἐπίκουρος、補助者)とに分けられる。
型εἶδος/ἰδέα
個々の美しいものや大きなものとは別に、それらがそうであることの拠り所となるもの。本訳では「型」とし、人の姿などを指す場合は「姿」と訳した。なお、第二巻に現れる τύπος(枠、規準)も、文脈により「型」と訳した。
善ἀγαθόν
善いこと。第六巻で、善の型が、他のすべての学びの先にある最大の学びとして語られる。
思わくδόξα
見えるものや、一般に思われていることにもとづく見解。知識(ἐπιστήμη)とは別の能力として区別される。
知識ἐπιστήμη
あるものについて、それがどうあるかを確かに知ること。第五巻で、思わくと区別される。
知を愛し求めることφιλοσοφία
知を愛し求める営み。本訳では、「哲学」の語は用いず、このように訳した。その人は φιλόσοφος「知を愛する者」。
気概θυμός
怒りや誇り、名誉を求める心。魂の気概的な部分(θυμοειδές)として、理知的な部分に味方して欲望的な部分に対するものと語られる。
模倣μίμησις
何かを真似て作り表すこと。詩や絵画の営みとして、第三巻と第十巻で論じられる。
僭主独裁τυραννίς
一人が法によらず国を支配する制度。その支配者が τύραννος「僭主」。
問答法διαλεκτική
問いと答えによって、型を捉えるまで進む学び。第七巻で、学習の最後に置かれる。
仮定ὑπόθεσις
論の出発点として置かれるもの。線分の比喩で、思考(διάνοια)の段階の特徴として語られる。
守護霊δαίμων
人に付き添い、その生を見守る存在。エールの物語では、魂が選んだ生の守り手として付き添う。
必然ἀνάγκη
避けられない定め。エールの物語では、女神として人格化され、その膝の上で宇宙の紡錘が回る。

目次

ステファヌス版番号(Burnet版, 1902年)。番号をクリックすると本文の該当箇所へ移動する。

原典構造一覧(ステファヌス版番号)

底本は全10巻に分かれ、目次の10部はこれに一致する。各巻の中には章・節の見出しはなく、伝統的に参照されるステファヌス版番号(327~621)が付されているのみである。番号の一部が欠けるのは、底本の頁付けによる。

〔 327a~354c について 〕
位置づけ:第一巻。対話の始まりと、正義をめぐる最初の議論にあたる部分。
概要:ソクラテスはグラウコンとともにペイライエウスへ下り、ポレマルコスに引き止められて、ケパロスの家に集まる。ケパロスとの老年についての話から、正義とは何かという問いが生じ、「真実を語り、受け取ったものを返すこと」という定義、続いてシモニデスの言葉の吟味が行われる。そこへトラシュマコスが激しく割って入り、正義は強者の利益だと主張する。ソクラテスは、技術と利益の関係から、これを検討する。

私は昨日、アリストンの子グラウコンとともにペイライエウスへ下って行った。女神に祈りを捧げようと思ったし、同時に、人々が今回初めて祭りを行うので、どのように執り行うのかを見物したかったからである。土地の人々の行列も美しいと私には思われたが、トラキア人が送り出した行列も劣らず見事に見えた。祈りを捧げ、見物を終えて、私たちは市街へ帰ろうとした。すると、遠くから私たちが家へ向かうのを見つけたケパロスの子ポレマルコスが、召使いの少年を走らせ、私たちを待たせるように命じた。少年は後ろから私の外套をつかんで言った。「ポレマルコスさまが、待ってほしいと仰せです」。私は振り向いて、本人はどこにいるのかと尋ねた。「あの方は後ろから来られます。どうか待ってください」と少年は言った。
「待つことにしよう」とグラウコンは言った。

それからしばらくして、ポレマルコスが到着し、グラウコンの兄弟アデイマントス、ニキアスの子ニケラトス、そのほか何人かも、行列から帰ってきたところのようであった。

「ソクラテス、君たちは帰ろうとして、もう市街へ向かっているように見える」とポレマルコスは言った。

「その見立ては悪くない」と私は言った。

「では、私たちが何人いるか見えるか」と彼は言った。

「見えないはずがあるか」

「それなら、君たちはこの人数に勝つか、さもなければここにとどまるかだ」と彼は言った。

「まだ一つ残っているではないか。私たちが、君たちは私たちを行かせるべきだと説得するという道だ」と私は言った。

「聞こうとしない者たちを、説得することができるだろうか」と彼は言った。

「とうていできない」とグラウコンは言った。

「では、私たちは聞かないつもりだと思ってくれ」

「まさか。君たちは、夕方に女神のために、馬に乗っての松明競走が行われることも知らないのか」とアデイマントスは言った。

私は言った。「馬に乗ってだと。それは新しい。松明を持って、馬で競いながら互いに渡し合うというのか。それとも、どういうことか」

ポレマルコスは言った。「そのとおりだ。しかも、見る価値のある徹夜祭も行われる。というのも、夕食のあとに立ち上がって、その徹夜祭を見物するのだ。そこで多くの若者たちに会って、語り合おう。だからとどまってくれ。ほかの仕方はしないでくれ」

「どうやら、とどまらねばならないようだ」とグラウコンは言った。

「君たちがそう思うなら、そうするべきだろう」と私は言った。

そこで私たちはポレマルコスの家へ行き、そこでポレマルコスの兄弟であるリュシアスとエウテュデモスに会った。さらに、カルケドンのトラシュマコス、パイアニア区のカルマンティデス、アリストニュモスの子クレイトポンもいた。家の中にはポレマルコスの父ケパロスもいた。非常に年老いていると私には思われた。というのも、久しぶりに彼に会ったのである。彼は冠をかぶり、クッションを載せた椅子に座っていた。中庭で供犠を済ませたところだったのである。私たちは彼のそばに座った。そこには椅子が輪になって置かれていたからである。

ケパロスは私を見るとすぐに挨拶し、こう言った。「ソクラテス、君はペイライエウスへ下りてきても、私たちのところへは、来るべきなのにあまり来てくれない。もし私に、楽に市街へ行ける力がまだあるなら、君がここへ来る必要は少しもなく、私たちのほうが君のところへ行っただろう。だが今は、君がもっと頻繁にここへ来なければならない。よく知っておくがいい、私にとっては、体にかかわる他の快楽がしぼんでいくのに応じて、議論にかかわる欲望と快楽が増してゆくのだ。だから、どうか別のようにはしないでくれ。ここにいる若者たちと交わり、私たちのところへ、親しい友のもとへ来るように通ってきてくれ」

私は言った。「本当に、ケパロスよ、私は、非常に高齢の人々と語り合うのが楽しい。彼らからは学ぶべきだと私には思われる。私たちもおそらくこれから通らねばならない道を、すでに先に歩んだ人々だからだ。その道はどのようなものか、険しくて苦しいのか、それとも平らで通りやすいのか。そこで、あなたは、詩人たちが老年の入口と呼ぶ年齢にすでに達しているのだから、あなたにそれがどう見えるかを、ぜひ聞きたい。人生の苦しい時期なのか、それともあなたはどう伝えるのか」

彼は言った。「ゼウスにかけて、ソクラテス、私にどう見えるかを君に話そう。私たちは同じ年ごろの者が何人か、しばしば同じ場所に集まる。古い諺を守っているわけだ。私たちの大半は、集まるとすぐに嘆き、若いころの快楽を恋しがり、色事のこと、酒宴や饗宴のこと、それに類することを思い出して、大きなものを奪われたかのように憤る。あのころはよく生きていたが、今は生きてさえいないと言うのだ。また、家人から受ける侮辱を老年のせいにして嘆く者もいて、老年がどれほどの悪の原因かと歌い立てる。しかし私には、ソクラテス、彼らは本当の原因を責めていないと思われる。もしこれが原因なら、老年のせいなのだから、私も同じ目に遭ったはずだ。この年齢に達した他の人々もみなそうであろう。ところが私は、そうではない人々にすでに何人も出会っているし、詩人のソポクレスにもあるとき居合わせた。ある人が彼に尋ねていたのだ。『どうだね』とその人は言った。『ソポクレスよ、恋の営みについては。まだ女と交わることができるか』。すると彼は『口をつつしみたまえ、君』と言った。『私はそれから、この上なく喜んで逃れたのだ。荒れ狂う獰猛な主人から逃げ出したかのようにな』。私にはあのとき、彼がよいことを言ったと思われたし、今もそれに劣らず思う。というのも、この種のことについては、老年には大きな平穏と自由が生じるからだ。欲望が張りつめるのをやめて緩んでしまえば、ソポクレスの言ったとおりになる。非常に多くの狂った主人たちから解放されるのだ。しかしこれについても、家人との関係についても、原因は一つだけで、それは老年ではない、ソクラテス、人々の性格だ。つつしみ深く気楽な人々であれば、老年もほどほどにしか重荷にならない。そうでなければ、ソクラテス、老年も若さも、そういう人には苦しいことになる」

私は彼がこう言うのに感心し、もっと話させたくて、彼を促して言った。「ケパロス、あなたがそう言っても、多くの人はそれを受け入れず、あなたが老年を楽に耐えているのは、性格のためではなく、多くの財産を持っているためだと考えるだろうと思う。金持ちには慰めが多いと言われているからだ」

彼は言った。「君の言うとおりだ。彼らは受け入れない。彼らの言うことにも一理はあるが、彼らが思うほどではない。テミストクレスの言葉はもっともだ。彼はセリポス人に罵られ、『お前が名声を得ているのは自分自身のためではなく国のおかげだ』と言われたとき、自分がセリポス人であったら有名にはならなかっただろうし、そちらもアテナイ人であったなら同じだと答えたのだ。金持ちでなくて老年を重く感じている人々にも、同じ言葉がもっともに当てはまる。まともな人でも、貧しさを伴う老年を楽に耐えることはまずできないし、まともでない人は、金持ちになっても自分にとって気楽な者にはならないだろう」

「ところでケパロス、あなたが持っている財産の大部分は、受け継いだものか、それとも自分で増やしたものか」と私は言った。

彼は言った。「どれだけ増やしたというのだ、ソクラテス。私は金儲けにかけては、祖父と父の中間くらいだ。祖父は私と同名で、私が今持っているのとほぼ同じだけの財産を受け継ぎ、それを何倍にもした。父のリュサニアスは、それを今あるよりもさらに少なくしてしまった。私はといえば、これを息子たちに、受け継いだより少し多くして残せれば満足で、少なくして残さなければよいと思っている」

私は言った。「私が尋ねたのは、あなたが金銭をあまり愛していないように見えたからだ。これは、自分で財産を作らなかった者がたいていすることだ。自分で作った者は、他の人々の二倍も金銭を愛する。詩人が自分の詩を、父親が子供を愛するように、金銭を作った者も、自分の作品として金銭に熱心になる。それは、他の人々と同じく、その用途のためでもある。だから彼らは付き合いにくい。富のほかには何も称賛しようとしないからだ」

「君の言うとおりだ」と彼は言った。

私は言った。「まったくそのとおりだ。ところで、もう一つだけ教えてほしい。多くの財産を持っていることから得た最大の善は何だと思うか」

彼は言った。「それは、おそらく、言っても多くの人を説得できないだろう。よく知っておくがいい、ソクラテス。人は、自分が死ぬと思うほどに近づくと、以前は心に入ってこなかった事柄について、恐れと心配が入ってくる。ハデスにいる者たちについて語られる物語、すなわちこの世で不正を行った者はあちらで罰を受けねばならないという話は、それまでは笑われていたが、そのときには、それが本当ではないかと魂をさいなむ。自分自身も、老年の衰えのためか、あるいはすでにあちらに近づいているぶんだけ、それらをいっそうよく見ているためか、いずれにせよ疑いと恐れに満ち、すでに思い返して、誰かに何か不正を行ったかどうかを調べる。さて、自分の生涯に多くの不正を見いだす者は、子供のように眠りからしばしば跳ね起きて恐れ、悪い希望とともに生きる。だが、自分に不正の自覚が何もない者には、甘い希望がいつもそばにあり、ピンダロスの言うように、善き老いの養い手となる。ピンダロスは実に見事なことを言ったのだ、ソクラテス。すなわち、正しく敬虔に生涯を送った者には、

甘く、その人の心をはぐくみ
老いを養う希望が寄り添う。
希望は死すべき者たちの
移ろいやすい心を、何よりもよく導く。

と。これは驚くほどみごとに語られている。これに関して、私は金銭の所有を最も価値あるものと考える、誰にとってもではなく、まともでつつしみ深い人にとってだが。というのも、故意でなくても誰かをだましたり偽ったりせず、また神への供犠や人への金銭を借りたまま、恐れつつあちらへ去ることがないために、金銭の所有は大きな役割を果たす。ほかにも多くの用途がある。しかし一つ一つを比べて、知性ある人にとっては、この点で富が最も役に立つと、ソクラテス、私は少なからず考えるだろう」

私は言った。「実にみごとな言葉だ、ケパロスよ。ところで、この正義*1そのものだが、真実を語ることと、人から何かを受け取ったらそれを返すこと、ただそれだけだと私たちは言うべきだろうか。それとも、これらの同じ行為が、ときには正しく、ときには不正に行われうるのか。たとえばこういうことだ。ある人が、正気の友人から武器を預かり、その友人が気が狂ってそれを返せと要求したなら、そういうものを返してはならないし、返す者は正しくないだろうし、そういう状態の人に向かってすべての真実を語ろうとする者も、正しくないと、誰でも言うだろう」

*1 〔 「正義」について 〕原語 δικαιοσύνη は、「正義」と訳した。この語は、国の法や秩序にかなうこと、人に対して為すべきことを為すこと、魂の各部分が自分の務めを果たすことなど、幅の広い意味を持つ。形容詞 δίκαιος は「正しい」、反対の ἀδικία は「不正」と訳した。

「そのとおりだ」と彼は言った。

「そうだとすれば、真実を語ることと、受け取ったものを返すことは、正義の定義ではない」

「まさにそうだ、ソクラテス、少なくとも、シモニデスに従うべきならば」とポレマルコスは引き取って言った。

「ところで、私は議論を君たちに譲る。私はもう祭祀の世話をしなければならないからだ」とケパロスは言った。

「私こそ、あなたのものの相続人ではないか」とポレマルコスは言った。

「まったくだ」と彼は笑って言い、そのまま祭祀のほうへ行った。

「では言ってくれ、議論の相続人よ。シモニデスが正義について正しく語ったと君が言うのは、どんなことを言っている点でか」と私は言った。

「それは、それぞれに返されるべきものを返すことは正しい、ということだ。こう言う人は、私には立派に語っていると思われる」と彼は言った。

私は言った。「しかし、シモニデスは知恵ある神的な人なので、彼を信じないのは容易でない。だが彼が実際に何を言っているのかは、ポレマルコスよ、君はおそらく分かっているだろうが、私には分からない。明らかに、さきほど私たちが言っていたこと、つまり誰かが誰かに何かを預けたとして、正気でなく要求する者に返す、ということを言っているのではない。それでも、預けられたものは、返されるべきものであろう。そうではないか」

「そうだ」

「しかし、人が正気でなく要求する場合には、どのようにしても返してはならないのだな」

「本当にそうだ」と彼は言った。

「ならば、シモニデスは、返されるべきものを返すのが正しいと言うとき、それとは何か別のことを言っているのだろうと思われる」

「ゼウスにかけて、別のことだ。友は友に対して、何か善いことをする義務があり、悪いことは何もしない義務がある、と彼は考えているからだ」と彼は言った。

私は言った。「分かった。返すことと受け取ることが害になり、受け取る者と返す者が友人どうしであるならば、預けた者に金を返す人は、返されるべきものを返していないことになる。シモニデスがそう言っていると君は言うのだな」

「そのとおりだ」

「ではどうか。敵には、たまたま返されるべきものが何であれ、返さなければならないのか」

彼は言った。「もちろんだ。彼らに返されるべきものを返すのだ。そして敵から敵へ返されるべきものは、私が思うに、ふさわしいことに、何か悪いものだ」

「シモニデスはどうやら、詩人らしく正しいものとは何かを謎めかして語ったのだ。彼は、見たところ、それぞれにふさわしいものを返すことが正しいと考えていて、それを返されるべきものと名づけたのだ」と私は言った。

「ほかに何を考えるのか」と彼は言った。

私は言った。「ゼウスにかけて、もし誰かが彼に尋ねたとする。『シモニデスよ、では、誰に何を、返されるべきふさわしいものとして与える技術が、医術と呼ばれるのか』。彼は私たちにどう答えると思うか」

「明らかに、体に薬と食物と飲み物を与える技術だ」と彼は言った。

「では、何に対して何を、返されるべきふさわしいものとして与える技術が、料理術と呼ばれるのか」

「料理に調味料を与える技術だ」

「よろしい。では、誰に何を与える技術が、正義と呼ばれるのだろうか」

「ソクラテス、これまでに言われたことに従わねばならないのなら、友と敵に、益と害を与える技術だ」と彼は言った。

「すると彼は、友によいことをし、敵に悪いことをするのを、正義と言っているのか」

「そう思う」

「では、病気と健康に関して、病む友によいことをし、敵に悪いことをするのに、最も力があるのは誰か」

「医者だ」

「では、航海している人々については、海の危険に際しては誰か」

「舵取りだ」

「では正しい人はどうか。どのような行動で、どのような働きにおいて、友を益し敵を害するのに最も力があるのか」

「敵と戦うことにおいて、また味方と共に戦うことにおいて、だと私は思う」

「よろしい。しかし、病んでいない者にとっては、友人ポレマルコスよ、医者は役に立たない」

「本当にそうだ」

「航海していない者にとって、舵取りも同じだ」

「そうだ」

「では、戦っていない者にとっても、正しい人は役に立たないのか」

「そうは思わない」

「では、平和なときにも、正義は役に立つのか」

「役に立つ」

「農業もそうだ。そうではないか」

「そうだ」

「作物の所有のためである」

「そうだ」

「靴作りもそうか」

「そうだ」

「靴の所有のために、と君は言うだろうと思うが」

「たしかにそうだ」

「ではどうか。平和なときに、正義は何の用、あるいは何の所有のために役に立つと君は言うのか」

「契約のためだ、ソクラテス」

「契約とは、共同事業のことか、それとも別のことか」

「共同事業のことだ」

「では、駒の配置においては、正しい人が役に立つ良い仲間か、それとも駒の遊びに巧みな人か」

「駒の遊びに巧みな人だ」

「煉瓦や石を積むことにおいては、正しい人のほうが建築家よりも役に立ち優れた仲間なのか」

「とんでもない」

「では、どのような共同において、正しい人は建築家や竪琴弾きよりも優れた仲間になるのか、ちょうど竪琴をかき鳴らすことにおいては、竪琴弾きが正しい人より優れているように」

「金銭においてだと私は思う」

「ただし、ポレマルコスよ、金銭を使うことについては、おそらくそうではない。共同で金銭を出して馬を買ったり売ったりしなければならないときは、そのときは私の思うところ、馬に通じた人が優れている。そうではないか」

「そう見える」

「船の場合なら、船大工か舵取りだな」

「そのようだ」

「では、銀や金を共同で使わなければならないどのような場合に、正しい人が他の人々より役に立つのか」

「預けて、安全に保つ場合だ、ソクラテス」

「つまり、それを使う必要がなく、置いておく場合のことを言うのか」

「たしかにそうだ」

「すると、銀が使い道のないときに、それに関して正義が役に立つのか」

「そうなりそうだ」

「また、鎌を保管しなければならないときには、正義が共同でも個人でも役に立ち、使わなければならないときには、ぶどう作りの技術が役に立つのか」

「そう見える」

「君は、盾や竪琴についても、保管して何も使わないときには正義が役に立ち、使うときには重装歩兵の技術や音楽が役に立つ、と言うのか」

「そう言うほかない」

「他のすべてについても、正義はそれぞれのものを使うときには役に立たず、使わないときに役に立つのか」

「そうなりそうだ」

「それなら、友よ、使い道のないものに役に立つというのだから、正義はあまり大したものではなくなるだろう。だが次のことを考えてみよう。拳闘であれ他の何であれ、戦いで打つことに最も巧みな者は、身を守ることにも最も巧みではないか」

「たしかにそうだ」

「では、病気を避けることに巧みな者は、それを気づかれずに人に引き起こすことにも最も巧みなのではないか」

「そう思う」

「それに、陣営の優れた守護者*2とは、敵の計画やその他の行動を盗むこともできる、同じ人ではないか」

*2 〔 「守護者」について 〕原語 φύλαξ は、のち第三巻で、統治する者と補助者とに分けられる。それより前の箇所では、両者を含めた広い意味で用いられている。

「たしかにそうだ」

「ならば、人が何かの優れた守護者であるなら、その人はそれの優れた盗み手でもある」

「そのようだ」

「したがって、正しい人が金銭を守ることに巧みなら、盗むことにも巧みである」

「少なくとも、議論の示すところではそうだ」と彼は言った。

「すると正しい人は、どうやら盗人であることがあらわになった。君はそれをホメロスから学んだのではなかろうか。というのも彼は、オデュッセウスの母方の祖父アウトリュコスを愛し、彼が盗みと誓いにおいてすべての人々にまさっていたと言っているからだ。したがって、君によれば、ホメロスによれば、シモニデスによれば、正義は、友を益し敵を害するためという条件つきではあるが、ある種の盗みの技術であるように思われる。君はそう言っていたのではないか」

彼は言った。「ゼウスにかけて、違う。だが、私は自分が何を言っていたのか、もう分からない。それでもなお、私には、正義は友を益し、敵を害するものだと思われる」

「友と言うのは、それぞれの人にとって善良だと思われる人々のことか、それとも、そう思われなくても実際に善良である人々のことか。敵についても同じか」

「人が、自分が善良だと考える者を愛し、悪人だと考える者を憎むというのは、ありそうなことだ」と彼は言った。

「では人々は、この点で誤ることがあり、善良でない多くの人を善良だと思い、多くの善良な人についてはその反対に思うのではないか」

「誤る」

「こういう人々にとっては、善い人々が敵で、悪い人々が友なのか」

「たしかにそうだ」

「それでも、そのときには、こういう人々にとっては、悪人を益し、善い人を害するのが正しいのか」

「そう見える」

「しかし、善い人々は正しく、不正を行わない人々ではないか」

「本当にそうだ」

「すると君の議論によれば、何も不正を行わない人々に悪いことをするのが正しい、ということになる」

「とんでもない、ソクラテス、というのも、その議論は悪いもののようだ」と彼は言った。

「では、不正な人々を害し、正しい人々を益するのが正しいのか」と私は言った。

「こちらのほうが、さきのものより立派に見える」

「すると、ポレマルコスよ、多くの者にとって、つまり人々のうち判断を誤った者にとっては、友を害するのが正しいことになる。友が彼らには悪人だからだ。そして敵を益するのが正しいことになる。敵が善い人だからだ。こうして私たちは、シモニデスが言っていると私たちが述べたことの、反対を言うことになる」

彼は言った。「まさにそうなる。だが、定め直そう。私たちは友と敵を正しく定めていなかったようだ」

「どう定めたのか、ポレマルコスよ」

「善良だと思われる者が友だ、と」

「では今度はどう改めようか」と私は言った。

彼は言った。「善良だと思われ、かつ実際に善良でもある者が友だ。善良だと思われているが実際にはそうでない者は、友と思われるだけで、友ではない。敵についても同じ定めだ」

「この議論では、善い人が友で、悪い人が敵になるようだ」

「そうだ」

「では君は、友によいことをし敵に悪いことをするのが正しいと、私たちが最初に言ったのに加えて、今はさらに、友が善い人であるときによいことをし、敵が悪い人であるときに害することが正しい、と言うように、正しいことに付け加えることを求めるのだな」

「まったくそうだ。そう言えば、立派に言ったことになると私は思う」と彼は言った。

「では、正しい人には、人間の誰であろうと害することが属しているのか」と私は言った。

「たしかに、悪人や敵は害すべきだ」と彼は言った。

「害された馬は、よくなるか、悪くなるか」

「悪くなる」

「犬の徳の点でか、馬の徳の点でか」

「馬の徳の点でだ」

「では犬も、害されれば、馬の徳の点ではなく犬の徳の点で悪くなるのではないか」

「そうならざるをえない」

「では友よ、人間も同じように、害されれば人間の徳の点で悪くなる、と言うべきではないか」

「まったくそうだ」

「そして正義は人間の徳ではないのか」

「それもそうならざるをえない」

「ならば、友よ、害された人間は、より不正にならざるをえない」

「そのようだ」

「では、音楽の技術によって、音楽家は人を音楽の心得のない者にすることができるか」

「できない」

「馬術によって、馬術家は人を馬に乗れない者にできるか」

「できない」

「では、正義によって、正しい人々は人を不正にできるか。あるいは総じて、徳によって、善い人々は人を悪くできるか」

「それは不可能だ」

「冷やすことは熱の働きではなく、その反対のものの働きだと思う」

「そうだ」

「湿らせることも乾燥の働きではなく、その反対のものの働きだ」

「たしかにそうだ」

「害することも善いもののすることではなく、その反対のもののすることだ」

「そう見える」

「ところで正しい人は善い人か」

「たしかにそうだ」

「ならば、ポレマルコスよ、害することは正しい人の働きではない。友であれ他の誰であれ、害するのはその反対の、不正な人の働きだ」

「君の言うことはまったく本当だと思う、ソクラテス」と彼は言った。

「それなら、それぞれに返されるべきものを返すことが正しいと人が言い、その意味を、正しい人から敵には害が、友には益が返されるべきだと解するならば、そのように言った人は知恵ある人ではなかった。彼は真実を言っていなかったからである。正しい人が誰かを害するということは、どこにおいても私たちには明らかにならなかった」

「同意する」と彼は言った。

「それなら、もし誰かが、これをシモニデスやビアスやピッタコスが言ったと主張するなら、あるいは他の知恵ある幸福な人が言ったと主張するなら、私と君は共同して戦うことになる」と私は言った。

「私は戦いに加わる用意がある」と彼は言った。

― 試し読みはここまでです ―

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国家

発行責任者(訳者):飯島健二

発行:古典書房

制作協力:Claude(claude-sonnet-5-5)

参照原典:ギリシア語原典『Πολιτεία』(John Burnet版, Platonis Opera, Tomus IV, Oxford, 1902年)

初版発行日:2026年10月30日

試し読み版

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注記:本サンプルは正本の冒頭(327a〜336a)のみを収録したものである。全文は正本でお読みいただける。