スピノザ『エチカ』を知るための本

知の地図シリーズ / 古典書房

哲学者について

バルーフ・デ・スピノザ(Baruch de Spinoza、1632年〜1677年)は、アムステルダムに生まれた。ポルトガル系ユダヤ人の家の出身で、ユダヤ人共同体の学校で学んだのち、ラテン語などを学んだ。1656年にユダヤ人共同体から破門された。その後はレンズ磨きで生計を立てながら、レインスブルフ、フォールブルフ、ハーグに暮らし、ハーグで没した。生前に刊行した著作に『デカルトの哲学原理』『神学・政治論』があり、『エチカ』は没後の1677年、遺稿集に収められて刊行された。

原典について

原典言語はラテン語、原典名は『エチカ』(Ethica ordine geometrico demonstrata、幾何学的秩序によって証明されたエチカ)である。全五部から成り、各部は定義・公理・定理・証明・系・備考などの形式で記されている。底本は、Spinoza Opera, im Auftrag der Heidelberger Akademie der Wissenschaften herausgegeben von Carl Gebhardt, Zweiter Band(Heidelberg: Carl Winter, 1925)である。

本書の構成と考え方

本書は、原典における思考の進展を辿る形で提示する本である。

第Ⅰ部は、原典全体を対象とし、原典の記載順および論の進行に沿って構成する。本書は、翻訳HTMLを読むときの案内図として、定義・公理・定理・系・備考を一文で示し、証明については、原典の証明が頼っている定義・公理・定理を、原典が示すとおりに表にする。

第Ⅱ部は、第Ⅰ部で整理した思考の展開を踏まえ、この哲学者が「物」を定義するとすれば、どのように定義するかを検討する。

本書は、対応する翻訳HTMLと構成・論の進行を同じくするが、分量は翻訳HTMLのおよそ4割程度である。

目次

原典構造一覧

本一覧は、本書が参照する原典において実際に用いられている構造単位を、そのまま示す。

第Ⅰ部 原典について

第1部 神について
定義
定義1自己原因とは、本質が存在を含むもの、すなわち、存在するものとしてしか本性が考えられないもののことである。
使われる箇所 定理7の証明、定理24の証明、第5部定理35の証明
定義2同じ本性をもつ別のものによって限定されうるものは、自分の類において有限と呼ばれる。物体は別の物体によって、思考は別の思考によって限定されるが、物体と思考は互いを限定しない。
使われる箇所 定理8の証明、定理21の証明
定義3実体とは、それ自体のうちにあり、自分自身によって考えられるもの、すなわち、その概念をつくるのにほかのものの概念を必要としないもののことである。
使われる箇所 定理1の証明、定理2の証明、定理4の証明、定理5の証明、定理6の系、定理6の別証明、定理10の証明、定理15の証明、定理18の証明、定理28の証明
定義4属性とは、知性が実体について、その本質を成すものとして知覚するもののことである。
使われる箇所 定理4の証明、定理9の証明、定理10の証明、定理12の証明、定理19の証明、定理20の証明、第2部定理1の備考
定義5様態とは、実体の変状のことであり、ほかのもののうちにあって、そのほかのものによっても考えられるものである。
使われる箇所 定理1の証明、定理4の証明、定理6の系、定理15の証明、定理23の証明、定理25の系、定理28の証明、定理31の証明、第2部定理1の証明
定義6神とは、端的に無限な存在者、すなわち、無限の属性から成る実体のことであり、そのどの属性も永遠で無限な本質を表現している。
使われる箇所 定理10の備考、定理11の別証明2、定理14の証明、定理14の系1、定理16の証明、定理19の証明、定理23の証明、定理31の証明、第2部定理1の証明、第2部定理1の備考、第2部定理45の証明、第4部定理28の証明、第5部定理35の証明
定義6の説明「端的に無限」は「ある類において無限」とは違い、後者は無限の属性を否定できるが、前者は、本質を表現し否定を含まないものがすべて本質に属する。
定義7自分の本性の必然性だけから存在し、自分だけによって行為へと決定されるものは自由と呼ばれ、ほかのものによって一定の限定された仕方で存在し作用するよう決定されるものは、必然的な、あるいはむしろ強制されたものと呼ばれる。
使われる箇所 定理17の系2、定理32の証明、定理33の備考2、第2部定理17の備考、第3部定理49の証明
定義8永遠性とは、永遠なものの定義だけから必然的に出てくると考えられるかぎりでの、存在そのもののことである。
使われる箇所 定理19の証明、定理20の証明、定理23の証明、第5部定理29の証明、第5部定理30の証明
定義8の説明こうした存在は永遠の真理と考えられるので、持続が始まりも終わりもないとしても、持続や時間では説明されない。
使われる箇所 第5部定理29の証明
公理
公理1あるものはすべて、それ自体のうちにあるか、ほかのもののうちにある。
使われる箇所 定理4の証明、定理6の系、定理11の別証明2、定理14の系2、定理15の証明、定理28の証明
公理2ほかのものによっては考えられえないものは、それ自身によって考えられなければならない。
公理3限定された原因が与えられると結果が必然的に出てくる。限定された原因がまったく与えられなければ、結果は出てくることができない。
使われる箇所 定理27の証明、第5部定理33の証明
公理4結果の認識は原因の認識に依存し、それを含む。
使われる箇所 定理3の証明、定理6の別証明、定理25の証明、第2部定理5の証明、第2部定理6の証明、第2部定理7の証明、第2部定理16の証明、第2部定理45の証明、第5部定理22の証明
公理5互いに共通するものを何ももたないものどうしは、互いによって理解されることもできない。
使われる箇所 定理3の証明
公理6真の観念は、その観念対象と一致しなければならない。
使われる箇所 定理5の証明、定理30の証明、第2部定理29の証明、第2部定理32の証明、第2部定理44の証明
公理7存在しないものとして考えられうるものは、その本質が存在を含まない。
使われる箇所 定理11の証明
定理1〜36
定理1実体は、その本性において、自分の変状より先にある。
使われる箇所 定理5の証明
 証明頼るもの 定義3、定義5
定理2異なる属性をもつ二つの実体は、互いに共通するものをまったくもたない。
使われる箇所 定理6の証明、定理11の別証明1、定理12の証明
 証明頼るもの 定義3
定理3互いに共通するものをまったくもたないもののうち、一方が他方の原因であることはない。
使われる箇所 定理6の証明
 証明頼るもの 公理5、公理4
定理4区別される二つ以上のものは、実体の属性の違いか、それらの変状の違いによって区別される。
使われる箇所 定理5の証明
 証明頼るもの 公理1、定義3、定義5、定義4
定理5自然のうちに、同じ属性をもつ実体が二つ以上与えられることはない。
使われる箇所 定理6の証明、定理8の証明、定理12の証明、定理13の証明、定理14の証明、定理15の備考、第2部定理10の備考、第2部補助定理1の証明
 証明頼るもの 定理4、定理1、定義3、公理6
定理6一つの実体が、別の実体によって産出されることはない。
使われる箇所 定理6の系、定理11の備考、定理12の証明
 証明頼るもの 定理5、定理2、定理3
 系実体は、端的にほかのものによって産出されえない。
頼るもの 公理1、定義3、定義5、定理6
使われる箇所 定理7の証明、定理15の備考
 別証明実体が産出されうるなら、その認識が原因の認識に依存し、実体でなくなるという矛盾から示す。
頼るもの 公理4、定義3
定理7存在することは、実体の本性に属する。
使われる箇所 定理8の証明、定理8の備考1、定理8の備考2、定理11の証明、定理11の別証明1、定理11の別証明2、定理12の証明、定理19の証明、第2部定理10の証明
 証明頼るもの 定理6の系、定義1
定理8すべての実体は、必然的に無限である。
使われる箇所 定理12の証明、定理13の備考、定理15の備考、第2部補助定理1の証明
 証明頼るもの 定理5、定理7、定義2
 備考1有限という性格は、じつは部分的な否定にあたり、無限という性格は、ある本性の存在を絶対的に肯定することにあたる。そこで、実体を有限とすれば、その本性に属する存在を部分的に否定することになるが、これは定理7により不合理である。したがって、定理7だけから、すべての実体が無限でなければならないことが出てくる。
頼るもの 定理7
 備考2定理7の証明が難しく感じられるのは、実体の変様と実体そのものを区別せず、ものがどう産出されるかを知らない人が、自然のものの始まりを実体にあてはめるからである。実体の本性に注意すれば、定理7は公理として認められる。実体について真の観念をもちながら、その存在を疑うのは、真の観念をもちながら偽ではないかと疑うのと同じであり、実体が創造されると主張するのは、偽の観念が真になったと主張することになり、これ以上に不合理なことは考えられない。したがって、実体の存在は永遠の真理だと認めるほかない。続いて、同じ本性の実体は唯一であることを、別の仕方で示す。そのために、四つの点(真の定義は定義されるものの本性だけを表現する、したがって定義は一定の数の個体を含まない、存在するものには存在の原因が必然的に与えられる、その原因はそのものの本性のうちか外にある)を前提とし、二十人の人間の例から、本性のもとに複数の個体がありうるものは外的な原因を必然的にもつと結論する。実体の定義は必然的な存在を含み、複数の実体の存在は定義から出てこないので、同じ本性の実体は唯一である。
頼るもの 定理7
使われる箇所 定理15の備考
定理9ものがもつ実在性あるいはあることが多いほど、そのものに属する属性は多い。
 証明頼るもの 定義4
定理10一つの実体のそれぞれの属性は、それ自身によって考えられなければならない。
使われる箇所 定理12の証明、第2部定理5の証明、第2部定理6の証明
 証明頼るもの 定義4、定義3
 備考属性が実在的に区別されて考えられても、それぞれの属性はつねに同時に実体のうちにあり、一方が他方から産出されることはなく、それぞれが実体の実在性を表現するので、二つの実体を成すと結論することはできない。むしろ、一つの実体に多くの属性を帰することは不合理でなく、実在性をより多くもつ存在者ほど、永遠性と無限性を表現する属性をより多くもつ。したがって、端的に無限な存在者は、定義6のとおり、無限の属性から成る存在者と定義されなければならない。実体の違いを見分ける記号を問う人には、続く定理が、自然には唯一で端的に無限な実体しかないことを示すので、そうした記号は探しても無駄だと答える。
頼るもの 定義6
使われる箇所 定理14の系1
定理11神、すなわち、それぞれが永遠で無限な本質を表現する無限の属性から成る実体は、必然的に存在する。
使われる箇所 定理13の証明、定理14の証明、定理17の系2、定理19の証明、定理19の備考、定理21の証明、定理29の証明、定理33の証明、定理34の証明、第5部定理35の証明
 証明頼るもの 公理7、定理7
 別証明1存在する原因または存在しない原因は、そのものの本性のうちか外にあることから、神の存在を取り除く原因はどこにも与えられないと示す。
頼るもの 定理7、定理2
 別証明2存在しえないことは無力、存在しうることは力能であることから、有限な存在者だけが必然的に存在することは不合理だと示す。
頼るもの 公理1、定理7、定義6
 備考最後の証明は、理解しやすいように神の存在を後天的に示したが、同じ基礎から先天的にも示せる。存在しうることは力能なので、実在性が多く属するものほど、存在するための力を自分自身からもち、端的に無限な存在者は、端的に無限な力能をもつからである。この証明の明証性が見て取れにくいのは、外的な原因から生じるものだけを見慣れた多くの人が、容易に生じるものは容易に滅びるから、多くが属するものは作るのが難しいと判断する先入見をもつためである。この先入見を除くには、私が語っているのは外的な原因から生じるものではなく、外的な原因によっては産出されない実体(定理6)だと注意すれば足りる。実体の完全性は外的な原因に負っておらず、その存在は自分の本性だけから出てくる。完全性はものの存在を取り除かずに定め、不完全性はそれを取り除く。神の本質はあらゆる不完全性を排除し、絶対的な完全性を含むので、神の存在についての確実性は、ほかのどのものの存在についての確実性よりも大きい。
頼るもの 定理6
定理12実体の属性のうち、そこから実体が分割されうることが出てくるようなものは、真には考えられない。
使われる箇所 定理15の備考
 証明頼るもの 定理8、定理6、定理5、定理2、定義4、定理10、定理7
定理13端的に無限な実体は不可分である。
 証明頼るもの 定理5、定理11
 系どの実体も、したがってどの物体的実体も、実体であるかぎりでは可分的でない。
使われる箇所 定理15の備考
 備考実体が不可分であることは、別の仕方でも簡単に分かる。実体の本性は、無限であるとしか考えられない。すると、実体に部分があるなら、その部分は有限な実体としか解されないが、それは定理8により、はっきりした矛盾である。
頼るもの 定理8
定理14神以外に実体はありえず、そのような実体を考えることもできない。
使われる箇所 定理15の証明、定理15の備考、定理18の証明
 証明頼るもの 定義6、定理11、定理5
 系1神は唯一であり、自然のうちには一つの実体しかなく、それは端的に無限である。
頼るもの 定義6、定理10の備考
使われる箇所 定理17の系2、定理24の系、定理29の備考、定理30の証明、定理33の証明、第2部定理4の証明
 系2延長するものと思考するものは、神の属性であるか、神の属性の変状である。
頼るもの 公理1
使われる箇所 定理15の備考
定理15あるものはすべて神のうちにあり、神なしには何ものもあることも考えられることもできない。
使われる箇所 定理17の証明、定理18の証明、定理23の証明、定理25の証明、定理25の系、定理28の備考、定理29の証明、定理30の証明、定理31の証明、第2部定理3の証明、第2部定理10の証明、第2部定理33の証明、第2部定理36の証明、第2部定理45の証明、第4部定理28の証明、第4部定理37の証明、第5部定理14の証明、第5部定理36の備考
 証明頼るもの 定理14、定義3、定義5、公理1
 備考神を、身体と精神から成り、情念にさらされるものとして思い描く人々が真の認識からどれほど遠いかは、すでに証明されたことから明らかである。神の本性を観想した人は皆、神が物体的であることを否定し、これは、物体を一定の形で限られた量と解するなら、端的に無限な神をそう言うのは不合理であることからも裏づけられる。しかし彼らは、延長する実体そのものを神の本性から遠ざけ、神によって創造されたと定めており、どんな神の力能で創造できたのかを、まったく知らない。これに対して、実体はほかのものによって産出も創造もされず(定理6の系、定理8の備考2)、神のほかに実体はなく(定理14)、延長する実体は神の属性の一つである。反対論は二つある。第一に、物体的実体は部分から成るので無限でありえず、無限な量を想定すると不合理(無限なものが有限な部分から成る、無限が別の無限の二倍になる、無限な数が別の無限な数の12倍になる、無限に延びる二線の間隔が限定できなくなる)が生じる。第二に、神は最高に完全で受動できないが、物体的実体は可分的で受動する。これに答えて、不合理は、無限な量を測定可能で有限な部分から合成されたものと想定するところから出るのであり、無限な量は部分から成りえず、不可分である(定理12、定理13の系)。量を想像のうちで見れば有限で可分的だが、知性のうちで実体として見れば無限で唯一で不可分であり、物質の部分は様態的に区別されるだけで実在的には区別されない(水の例)。第二の反対論も、可分性を前提とするので同じ答えになり、さらに、たとえ延長する実体が可分的だとしても、それが永遠で無限であると認められるかぎり、神のほかに神の本性が受動する実体はなく、すべては神のうちにあって神の本性の法則だけから生じるので、神の本性にふさわしくないとは言えない。
頼るもの 定理6の系、定理8の備考2、定理14、定理14の系2、定理12、定理13の系、定理8、定理5
使われる箇所 第2部補助定理1の証明
定理16無限に多くのものが無限に多くの仕方で、すなわち無限な知性のもとに入りうるすべてのものが、神の本性の必然性から帰結しなければならない。
使われる箇所 定理17の証明、定理17の備考、定理25の備考、定理26の証明、定理29の証明、定理33の証明、定理34の証明、定理36の証明、付録、第2部定理3の証明、第2部定理3の備考、第2部定理44の証明、第2部定理45の備考、第4部序文、第4部定理4の証明、第5部定理22の証明
 証明頼るもの 定義6
 系1神は、無限な知性のもとに入りうるすべてのものの作用因である。
使われる箇所 定理17の備考、定理18の証明、定理34の証明
 系2神はそれ自体による原因であり、偶有による原因ではない。
使われる箇所 定理34の証明
 系3神は端的に第一の原因である。
使われる箇所 定理34の証明
定理17神は、自分の本性の法則のみから、だれにも強制されずに働く。
使われる箇所 定理17の系2、定理17の備考
 証明頼るもの 定理16、定理15
 系1神自身の本性の完全性以外には、外からも内からも神を促して働かせる原因は存在しない。神は自らの完全性の力だけによって作用因である。
 系2神のみが自由な原因である。
頼るもの 定理11、定理14の系1、定理17、定義7
使われる箇所 定理29の備考、第2部定理48の証明
 備考神の権能のうちにあるものを神は生じさせないこともできると考え、そこに神の自由を見る人々に対しては、それは三角形の本性から内角の和が二直角になることを神が帰結させないようにできると言うのと同じで、不合理だと答える。また、神に最高の知性と自由な意志が属するとする人々は、神が理解するものをすべて創造すれば全能が尽きると恐れ、絶対的な意志で創造するものを選ぶと考える。しかし定理16により、無限に多くのものが三角形の場合と同じく永遠から永遠に必然的に帰結しており、神の全能は永遠に同じ現実性にとどまる。むしろ反対者こそ、神が理解するものを創造できないとして全能を否定している。神に知性と意志が属するとしても、それは私たちのものと名称が同じだけで、天の犬と吠える犬ほどに異なる。神の知性はものの本質と存在の両方の原因なので、ものとは本質と存在の両方で異ならなければならない。意志も同様に論じられる。
頼るもの 定理17、定理16、定理16の系1
使われる箇所 定理33の備考2
定理18神はすべてのものの内在的な原因であり、移行的な原因ではない。
 証明頼るもの 定理15、定理16の系1、定理14、定義3
定理19神、すなわち神のすべての属性は永遠である。
使われる箇所 定理20の証明、定理23の証明
 証明頼るもの 定義6、定理11、定理7、定義8、定義4
 備考神の存在が神の本質と同じく永遠の真理であることは、定理11の証明の方法からも明らかである。神の永遠性は『デカルトの哲学原理』で別の方法でも証明したので、ここで繰り返さない。
頼るもの 定理11、『デカルトの哲学原理』定理19
定理20神の存在と神の本質は、一つであり同じものである。
使われる箇所 定理20の系2
 証明頼るもの 定理19、定義8、定義4
 系1神の存在は、神の本質と同じく、永遠の真理である。
 系2神、すなわち神のすべての属性は不変である。
頼るもの 定理20
使われる箇所 定理21の証明、第5部定理17の証明
定理21神の何らかの属性の絶対的な本性から帰結するすべてのものは、常に、しかも無限なものとして存在しなければならなかった。すなわち、その同じ属性を通して永遠であり無限である。
使われる箇所 定理22の証明、定理23の証明、定理28の証明、定理29の証明、付録、第2部定理11の証明、第2部定理30の証明、第4部定理4の証明、第5部定理40の備考
 証明頼るもの 定理11、定義2、定理20の系2
定理22神の何らかの属性が、必然的に、かつ無限なものとして、その同じ属性を通して存在するような変様によって変様されているかぎり、その属性から帰結するものは何であれ、やはり必然的に、かつ無限なものとして存在しなければならない。
使われる箇所 定理23の証明、定理28の証明、付録、第2部定理11の証明
 証明頼るもの 定理21
定理23必然的に、かつ無限なものとして存在する様態はすべて、神の何らかの属性の絶対的な本性から、あるいは、必然的に、かつ無限なものとして存在する変様によって変様された何らかの属性から、必然的に帰結しなければならなかった。
使われる箇所 定理32の証明、付録
 証明頼るもの 定義5、定理15、定義8、定義6、定理19、定理21、定理22
定理24神によって産出されたものの本質は、存在を含まない。
 証明頼るもの 定義1
 系神はものが存在し始める原因であるだけでなく、存在し続ける原因でもあり、スコラ学の用語ではものがあることの原因である。
頼るもの 定理14の系1
使われる箇所 定理28の証明、定理28の備考、定理29の証明、第2部定理45の備考、第4部定理4の証明
定理25神は、ものの存在の作用因であるだけでなく、本質の作用因でもある。
使われる箇所 定理26の証明、第5部定理22の証明
 証明頼るもの 公理4、定理15
 備考この定理は定理16からいっそう明らかに帰結する。与えられた神の本性から、ものの本質も存在も必然的に結論されるからである。神が自己原因と言われる意味で、神はすべてのものの原因とも言われるべきであり、これは次の系からさらに明らかになる。
頼るもの 定理16、定理25の系
 系個物は、神の属性の変状、すなわち神の属性が一定の限定された仕方で表現される様態にほかならない。
頼るもの 定理15、定義5
使われる箇所 定理25の備考、定理28の証明、定理36の証明、第2部定義1、第2部定理1の証明、第2部定理5の証明、第2部定理10の証明、第3部定理6の証明、第5部定理24の証明、第5部定理36の証明
定理26あるものが何かを作用するように決定されているなら、そのものは必然的に神によってそのように決定されている。そして、神によって決定されていないものは、自分自身を作用するように決定することができない。
使われる箇所 定理28の証明、定理29の証明
 証明頼るもの 定理25、定理16
定理27神によって何かを作用するように決定されたものは、自分自身を非決定にすることができない。
使われる箇所 定理29の証明
 証明頼るもの 公理3
定理28有限であり限定された存在をもつ個物は、同じく有限で限定された存在をもつ別の原因によって存在し作用するように決定されないかぎり、存在することも作用へ決定されることもできない。この原因もまた同様であり、こうして無限に進む。
使われる箇所 定理32の証明、第2部定理9の証明、第2部補助定理3の証明、第2部定理30の証明、第2部定理31の証明、第2部定理48の証明、第4部定理29の証明、第5部定理6の証明
 証明頼るもの 定理26、定理24の系、定理21、公理1、定義3、定義5、定理25の系、定理22
 備考神は、自分が直接に生み出したものの、自分の類においてではなく端的に最も近い原因である。結果は原因なしにはありえず考えられないからである。また神は、個物の遠い原因とは厳密には言えない。遠い原因とは結果とまったく結びつかない原因のことだが、存在するものはすべて神のうちにあり、神なしにはありえず考えられないほど神に依存しているからである。ただし、個物を神が直接に生み出したものから区別する理由でなら、そう言えるかもしれない。
頼るもの 定理15、定理24の系
定理29自然のうちには、偶然的なものは何も与えられない。すべてのものは、神の本性の必然性から、一定の仕方で存在し作用するように決定されている。
使われる箇所 定理32の系2、定理33の証明、第2部定理31の系、第2部定理44の証明、第3部定理7の証明、第5部定理6の証明
 証明頼るもの 定理15、定理11、定理16、定理21、定理27、定理24の系、定理26
 備考能産的自然とは、それ自身のうちにあり、それ自身を通して考えられる神、すなわち自由な原因としての神のことで、永遠で無限な本質を表す実体の属性がこれにあたる。所産的自然とは、神の本性の、つまり神の各属性の必然性から出てくるすべてのもの、すなわち神のうちにあり神なしにはありえず考えられない神の属性の様態の全体である。
頼るもの 定理14の系1、定理17の系2
使われる箇所 定理31の証明
定理30現実に有限であれ現実に無限であれ、知性は、神の属性と神の変状だけを把握しなければならない。
使われる箇所 第2部定理4の証明
 証明頼るもの 公理6、定理14の系1、定理15
定理31現実の知性は、有限であれ無限であれ、意志、欲望、愛などとともに、所産的自然に帰せられなければならず、能産的自然に帰せられてはならない。
 証明頼るもの 定義5、定理15、定義6、定理29の備考
 備考ここで現実の知性だけを取り上げるのは、潜在的な知性を認めるからではなく、混乱を避け、最も明晰に知覚される知解そのものに話を限りたいからである。私たちが理解できることはどれも、知解をいっそう完全に認識する助けになる。
定理32意志は自由な原因とは呼べず、必然的な原因としか呼べない。
 証明頼るもの 定理28、定理23、定義7
 系1神は意志の自由によって作用するのではない。
使われる箇所 付録、第2部定理3の備考
 系2意志と知性は、神の本性に対して、運動と静止、およびすべての自然的なものと同じ関係にある。
頼るもの 定理29
使われる箇所 付録、第2部定理3の備考
定理33ものは、実際に産出されたのとは別の仕方でも別の秩序でも、神によって産出されることはできなかった。
 証明頼るもの 定理16、定理29、定理11、定理14の系1
 備考1偶然的なものは何もないことを示したので、偶然的とは何かを説明する。ものが必然的と言われるのは本質のゆえか原因のゆえかであり、不可能と言われるのは本質が矛盾を含むか、それを産出するよう決定された外的原因がないかのどちらかである。偶然的と言われるのは私たちの認識の欠如によるほかはなく、本質が矛盾を含むか知らないもの、あるいは矛盾を含まないと知っていても原因の秩序が隠れていて存在を断言できないものを、私たちは偶然的あるいは可能的と呼ぶ。
使われる箇所 第2部定理31の系、第4部定義4の説明、第4部定理11の証明
 備考2ものは最も完全な本性から必然的に帰結したのだから、最高の完全性をもって産出された。これは神の不完全性を示さず、逆に、ものが別の仕方で産出されうるとすれば神に別の本性を帰さねばならず、神が最高に完全でないことになる。これを退ける人が多いのは、定義7の自由とは異なる絶対的な意志という自由を神に帰す習慣による。だが、たとえ意志が神の本質に属するとしても、別の産出は否定される。神の決意は永遠から確定しており、永遠には前も後もないので、神は別のことを決意できない。別の決意をしたなら別の知性と意志をもち、神の本質も別になるが、それは不合理である。また、善悪は神の意志のみに依存するという反論は、神が望むことを必然的に理解するのに意志によって別様に理解できると言うに等しく、不合理である。すべてを神の無差別な意志に従わせる見解は、神が善という理由で行うとして神の外に手本や目標を置き、神を運命に従わせる見解よりは、真理から外れることが少ない。
頼るもの 定義7、定理17の備考
定理34神の力能は、神の本質そのものである。
使われる箇所 定理35の証明、定理36の証明、第2部定理3の備考、第3部定理6の証明、第4部定理4の証明
 証明頼るもの 定理11、定理16、定理16の系
定理35神の権能のうちにあると私たちが考えるものはすべて、必然的にある。
使われる箇所 第2部定理3の証明
 証明頼るもの 定理34
定理36存在するものの本性からは、どれからも何らかの結果が帰結する。
使われる箇所 第2部定理13の証明、第3部定理1の証明、第3部定理7の証明、第5部定理4の備考
 証明頼るもの 定理25の系、定理34、定理16
付録神の本性と特性を説明し終えたが、証明の理解を妨げる先入見が残る。それらはすべて、人々が自然のものは自分たちと同様に目的のために働き、神もすべてを人間のためにつくったと想定することに依存する。人々はものの原因を知らず、自分に有益なものを求める衝動だけを意識するので、自分を自由だと思い、すべてを目的のために行うと考える。そして自然のものを自分の役に立つ手段とみなし、それを用意した自由な統治者がいると結論し、自分の気質から神々の気質を判断して、この先入見は迷信になった。自然の不利益は神々の怒りと解されたが、目的を扱わない数学が真理の別の基準を示した。目的因は人間の作り事であり、この教説は原因と結果、先と後を逆にし、最も完全なものを最も不完全にして神の完全性を奪う。信奉者は無知への還元に頼り、石の落下の例のように原因を問い続けられると神の意志に逃げ込む。善悪・秩序・美醜などの概念は想像の仕方にすぎず、感じ方は人により異なる。ものの完全性はその本性と力能だけから評価されるので、自然の不完全性を挙げる論は退けられる。なぜ神はすべての人間を理性の導きだけで統御されるようにつくらなかったのかという問いには、神には最高から最低の段階までのすべてをつくる質料が十分にあったと答える。
頼るもの 定理16、定理32の系1、定理32の系2、定理21、定理22、定理23
使われる箇所 第2部定理16の系2、第2部定理48の備考、第4部序文、第4部定理37の備考2
第2部 精神の本性と起源について
定義
定義1物体とは、神の本質を、延長するものとして考えられる限りにおいて、一定の限定された仕方で表現する様態のことである。
頼るもの 第1部定理25の系
使われる箇所 補助定理2の証明、補助定理3の証明、第3部定理2の証明
定義2あるものの本質に属するとは、それが与えられるとそのものが必然的に定立され、それが取り去られるとそのものが必然的に取り去られるもの、あるいは、それなしにはそのものが、またそのものなしにはそれが、ありえず、また考えられもしないもののことである。
使われる箇所 定理10の証明、定理37の証明、定理49の証明
定義3観念とは、精神が、思考するものであるがゆえに形成する、精神の概念のことである。
使われる箇所 定理48の備考
定義3の説明「知覚」は精神が対象から受動することを示すと思われ、「概念」は精神の能動を表現すると思われるので、知覚よりも概念と言う。
定義4十全な観念とは、対象との関係なしにそれ自身において考察される限りで、真な観念のすべての内在的な特性、すなわち内在的な名称を備えている観念のことである。
使われる箇所 第4部定理62の証明、第5部定理17の証明
定義4の説明観念とその観念対象との一致という外在的なものを除くために、内在的と言う。
定義5持続とは、存在することの不定の継続のことである。
定義5の説明持続は、存在するもののまさにその本性によっても、作用因によっても決定されえない。作用因はものの存在を必然的に定立するが、取り去りはしないので、不定と言う。
定義6実在性と完全性を、私は同じものと解する。
使われる箇所 第4部序文、第5部定理35の証明、第5部定理40の証明
定義7個物とは、有限で、限定された存在をもつもののことである。複数の個体が一つの行為において協働し、そのすべてが同時に一つの結果の原因となるなら、その限りで、そのすべてを一つの個物と見なす。
公理
公理1人間の本質は必然的な存在を含まない。すなわち、自然の秩序からは、この人やあの人が存在することも、存在しないことも、同じように起こりうる。
使われる箇所 定理10の証明、定理11の証明、定理30の証明、第3部定理51の証明、第3部定理57の証明
公理2人間は考える。
使われる箇所 定理11の証明
公理3愛、欲望、そのほか心の感情と呼ばれる思考の様態は、同じ個体のうちに、愛されたもの、欲望されたものなどの観念が与えられる場合にのみ与えられる。しかし、観念は、ほかのいかなる思考の様態が与えられなくても与えられうる。
使われる箇所 定理11の証明、定理49の証明
公理4ある物体が多くの仕方で変状させられるのを、私たちは感じる。
使われる箇所 定理13の証明
公理5物体と思考の様態のほかには、いかなる個物も、私たちは感じず、また知覚しない。
使われる箇所 定理13の証明
定理1〜13
定理1思考は神の属性である。すなわち、神は思考するものである。
使われる箇所 定理3の証明、定理20の証明
 証明頼るもの 第1部定理25の系、第1部定義5、第1部定義6
使われる箇所 定理2の証明
 備考思考する存在者がより多くを考えうるほど、それだけ多くの実在性、すなわち完全性を含むと私たちは考える。そこで、無限なものを無限の仕方で考えうる存在者は、考える力能において無限である。ただ思考のみに注意して無限な存在者を考えるので、思考は神の無限の属性の一つである。
頼るもの 第1部定義4、第1部定義6
定理2延長は神の属性である。すなわち、神は延長するものである。
 証明頼るもの 定理1の証明
定理3神のうちには、神の本質の観念も、神の本質から必然的に帰結するすべてのものの観念も、必然的に与えられる。
使われる箇所 定理5の証明、定理9の証明、定理20の証明、定理24の証明、第5部定理22の証明、第5部定理35の証明
 証明頼るもの 定理1、第1部定理16、第1部定理35、第1部定理15
 備考民衆は、神の力能を自由な意志と、存在するすべてのものへの権利と解し、それらのものを偶然的と見なし、神の力能を王たちの力能と比べる。この見解は第1部で論駁した。神は自分自身を理解するのと同じ必然性で、無限のものを無限の仕方でなす。神の力能は能動的な本質にほかならず、神が作用しないと考えることは、存在しないと考えることと同じく不可能である。民衆が神に帰する力能は人間的であるだけでなく無力をも含み、神を人間のようなものとして考えていることを示す。読者には、第1部の定理16以降を熟考し、神の力能を王たちの人間的な力能や権利と混同しないよう求める。
頼るもの 第1部定理32の系1、第1部定理32の系2、第1部定理16、第1部定理34
定理4そこから無限なものが無限の仕方で帰結する神の観念は、ただ一つしかありえない。
 証明頼るもの 第1部定理30、第1部定理14の系1
定理5観念の形相的存在は、神を、ただ思考するものとして考察される限りで原因として認め、ほかの属性によって説明される限りでは認めない。すなわち、観念対象を作用因とするのではなく、思考するものである限りの神自身を作用因とする。
 証明頼るもの 定理3、第1部定理25の系、第1部定理10、第1部公理4
定理6どの属性の様態も、神を、ただその様態が属する当の属性のもとで考察される限りで原因としてもち、ほかのいかなる属性のもとで考察される限りでももたない。
使われる箇所 定理9の証明、補助定理3の証明、定理45の証明、第3部定理2の証明、第3部定理11の備考、第4部定理7の証明、第4部定理29の証明
 証明頼るもの 第1部定理10、第1部公理4
 系思考の様態でないものの形相的存在が神の本性から帰結するのは、神があらかじめそのものを認識したからではない。観念対象は、観念が思考の属性から帰結するのと同じ仕方で、同じ必然性で、それぞれの属性から帰結する。
使われる箇所 定理36の証明、第5部定理1の証明
定理7観念の秩序と連結は、ものの秩序と連結と同じである。
使われる箇所 定理8の証明、定理9の証明、定理15の証明、定理19の証明、定理20の証明、定理24の証明、定理25の証明、定理26の証明、第3部定理11の証明、第3部定理12の証明、第5部定理1の証明
 証明頼るもの 第1部公理4
 系神の考える力能は、神の現実の能動する力能に等しい。神の無限な本性から形相的に帰結するものはすべて、同じ秩序と同じ連結で、神のうちで神の観念から対象的に帰結する。
使われる箇所 定理32の証明、定理36の証明、定理38の証明、定理39の証明、第3部定理28の証明、第5部定理1の証明
 備考実体の本質を構成するものとして知覚されうるものはすべて一つの実体に属するので、思考する実体と延長する実体は一つの同じ実体であり、延長の様態とその観念も、二つの仕方で表現された一つの同じものである。神と神の知性と理解されたものを同じものとしたヘブライ人の一部は、これを霧を通して見たようである。したがって自然は、どの属性のもとに考えても、一つの同じ原因の連結をもつ。円の観念の原因を神が思考するものであるかぎり、円の原因を神が延長するものであるかぎりとしたのは、円の観念が別の思考の様態を通してしか知覚されず、それが無限に進むからである。ものがそれ自体であるとおりの原因は、無限の属性から成るかぎりでの神である。
使われる箇所 定理8の証明、定理12の備考、定理21の備考、第3部定理2の備考
定理8存在しない個物、すなわち様態の観念は、個物すなわち様態の形相的本質が神の属性に含まれているのと同じ仕方で、神の無限な観念に含まれていなければならない。
使われる箇所 第3部定理11の備考
 証明頼るもの 定理7、定理7の備考
 系個物が神の属性に含まれているかぎりでしか存在しないあいだは、その観念も、神の無限な観念が存在するかぎりでしか存在しない。個物が持続するとも言われるかぎりで存在するときは、その観念も、それによって持続すると言われる存在を含む。
使われる箇所 定理9の証明、定理11の証明、定理15の証明、定理45の証明、第3部定理11の備考、第5部定理21の証明、第5部定理23の証明
 備考この定理が語るものは一つなので、十全な例は与えられないが、円によって明らかにする。円の内で交わる直線がつくる長方形は互いに等しく、円のうちには等しい無限の長方形が含まれるが、そのどれも、その観念も、円が存在するかぎり、円の観念に含まれるかぎりでしか存在すると言われない。そのうちEとDの二つだけが存在すると考えるなら、それらの観念は、円の観念に含まれるかぎりだけでなく、それらの長方形の存在を含むかぎりでも存在し、これによって残りの長方形の観念から区別される。
使われる箇所 定理9の証明、第3部定理11の備考
定理9現実に存在する個物の観念は、神が無限であるかぎりではなく、現実に存在する別の個物の観念によって変状させられたものと見なされるかぎりでの神を、原因とする。この別の観念の原因もまた、神が第三の別の観念によって変状させられているかぎりでの神であり、このように無限に続く。
使われる箇所 定理9の証明、定理19の証明、定理20の証明、定理24の証明、定理25の証明、第3部定理1の証明
 証明頼るもの 定理8の系、定理8の備考、定理6、第1部定理28、定理7
 系どんな観念の個別的な対象においても、そこに生じることは何であれ、神が同じ対象の観念だけをもつかぎりで、その認識が神のうちに与えられる。
使われる箇所 定理12の証明、定理13の証明、定理30の証明、第3部定理10の証明
 証明頼るもの 定理3、定理9、定理7
定理10人間の本質には、実体があることは属さない。すなわち、実体は人間の形相を構成しない。
使われる箇所 定理10の証明
 証明頼るもの 第1部定理7、定義2、公理1
 備考第1部定理5からも証明される。同じ本性をもつ二つの実体は与えられないが、複数の人間が存在しうるので、人間の形相を構成するものは実体があることではない。また、実体の無限、不変、不可分などの特性からも明らかである。
頼るもの 第1部定理5
 系人間の本質は、神の属性の一定の変様によって構成される。
使われる箇所 定理11の証明、第4部定理29の証明
 証明頼るもの 定理10、第1部定理15、第1部定理25の系
 備考神なしには何ものもあることも考えられることもできないことは誰もが認め、神はものの本質と存在の唯一の原因である。ところが大半の人々は、それなしにはものがあることも考えられることもできないものを、そのものの本質に属すると言う。そのため彼らは、神の本性が創造されたものの本質に属すると信じるか、創造されたものが神なしにありうると信じるか、自説に一貫していないかである。その原因は、神の本性を認識の順序で最後に置き、感覚の対象を先立つと信じて、哲学する順序を守らなかったことにある。私が、神なしにはありえない個物の本質に神が属すると言わなかったのは、個物の本質を構成するのは、それが与えられるとそのものが措定され、取り除かれると取り除かれるもの、あるいはそれなしにはそのものが、そのものなしにはそれが、ありえず考えられもしないものだからである。
定理11人間精神が現実にあることを構成する第一のものは、現実に存在するある個物の観念にほかならない。
使われる箇所 定理12の証明、定理13の証明、定理20の証明、定理48の証明、第3部定理2の証明、第3部定理3の証明、第3部定理10の証明、第3部感情の一般的定義の説明、第4部定理37の証明、第5部定理9の証明、第5部定理38の証明
 証明頼るもの 定理10の系、公理2、公理3、定理8の系、第1部定理21、第1部定理22、公理1
 系人間精神は神の無限な知性の一部である。人間精神がこれこれのものを知覚するとは、神が、無限であるかぎりではなく、人間精神の本性を通して説明される、すなわち人間精神の本質を構成するかぎりで、これこれの観念をもつということである。神が、人間精神の本性を構成するだけでなく、同時に別のものの観念ももつかぎりでその観念をもつときは、人間精神はものを部分的に、すなわち非十全に知覚する。
使われる箇所 定理12の証明、定理13の証明、定理19の証明、定理22の証明、定理23の証明、定理24の証明、定理30の証明、定理34の証明、定理38の証明、定理39の証明、定理40の証明、定理43の証明、定理43の備考、第3部定理1の証明、第3部定理28の証明、第5部定理36の証明
 備考読者は行き詰まることを数多く思いつくだろうが、ゆっくり私とともに進み、すべてを読み終えるまで判断を下さないよう頼む。
定理12人間精神を構成する観念の対象に起こることはすべて、人間精神によって知覚されなければならない。すなわち、その対象が物体であるなら、その物体のうちに起こることはすべて、精神に知覚される。
使われる箇所 定理13の証明、定理14の証明、定理17の証明、定理19の証明、定理21の証明、定理22の証明、定理38の証明、第3部定理2の備考、第4部定理7の証明、第5部定理4の証明
 証明頼るもの 定理9の系、定理11、定理11の系
 備考この定理は、定理7の備考からもいっそう明晰に理解される。
頼るもの 定理7の備考
定理13人間精神を構成する観念の対象は身体である。すなわち、現実に存在する延長の一定の様態であり、それ以外の何ものでもない。
使われる箇所 定理15の証明、定理19の証明、定理21の証明、定理21の備考、定理23の証明、定理24の証明、定理26の証明、定理28の証明、定理29の証明、定理38の証明、定理39の証明、第3部定理3の証明、第3部定理10の証明、第3部感情の一般的定義の説明、第5部定理23の証明、第5部定理29の証明
 証明頼るもの 定理9の系、定理11の系、公理4、定理11、第1部定理36、定理12、公理5
 系人間は精神と身体からなり、人間の身体は私たちが感じるとおりに存在する。
使われる箇所 定理17の備考
 備考精神と身体の合一を理解したが、それを判明に理解するには、身体の本性の十全な認識が要る。以上の論は人間にも他の個体にも同じくあてはまり、すべての個体は程度の差はあれ魂をもつ。神はどんなものの観念についても人間の身体の観念と同じ仕方で原因であり、観念は対象と同じく互いに異なり、より優れた対象の観念ほど実在性を多く含む。人間精神がほかの精神とどう異なるかは身体の本性の認識によって決まるが、ここでは説明できない。ただし、身体が多くのことを同時に能動し受動するのに適しているほど、その精神は多くを同時に知覚するのに適し、身体の能動がその身体だけに依存し、協働する物体が少ないほど、精神は判明に理解するのに適している。そこで、これを証明するため、物体の本性をあらかじめ述べる。
物体についての補助定理
公理1すべての物体は、運動しているか静止しているかのどちらかである。
使われる箇所 定理10の証明、定理11の証明、定理30の証明、第3部定理51の証明、第3部定理57の証明
公理2どの物体も、ときにはより遅く、ときにはより速く運動する。
使われる箇所 定理11の証明
補助定理1物体は、運動と静止、速さと遅さによって互いに区別されるのであり、実体に関して区別されるのではない。
使われる箇所 補助定理3の証明、補助定理4の証明
 証明頼るもの 第1部定理5、第1部定理8、第1部定理15の備考
補助定理2すべての物体は、ある点で一致する。
使われる箇所 定理38の系、第5部定理4の証明
 証明頼るもの 定義1
補助定理3運動している物体または静止している物体は、運動または静止へと別の物体によって決定されなければならなかった。その別の物体もまた別の物体によって決定されていて、こうして無限に続く。
使われる箇所 第3部定理51の証明、第3部定理57の証明
 証明頼るもの 定義1、補助定理1、第1部定理28、定理6、補助定理1の前の公理1
 系運動している物体は、別の物体によって静止へと決定されるまで運動し続け、静止している物体も、別の物体によって運動へと決定されるまで静止し続ける。
複合された物体
公理1ある物体が別の物体によって変状させられるすべての仕方は、変状させられる物体の本性と、変状を与える物体の本性から帰結する。そのため、同一の物体が、運動を与える物体の本性の違いに応じて異なる仕方で運動させられ、逆に、異なる物体が、同一の物体によって異なる仕方で運動させられる。
使われる箇所 定理10の証明、定理11の証明、定理30の証明、第3部定理51の証明、第3部定理57の証明
公理2運動している物体が、動かすことのできない静止した別の物体に衝突するとき、その運動している物体は運動を続けるように反射され、反射の運動の線が衝突された平面となす角は、入射の運動の線が同じ平面となす角に等しい。
使われる箇所 定理11の証明
定義いくつかの物体が、ほかの物体によって互いに重なり合うように押さえつけられるとき、あるいは、同じ速さまたは異なる速さの度合いで運動していて、互いに一定の割合で運動を伝え合うとき、それらの物体は互いに合一していると言い、すべてが合わさって一つの物体、すなわち個体を構成すると言う。この個体は、この合一によってほかの物体から区別される。
公理3個体の諸部分が、より大きな表面あるいはより小さな表面にわたって互いに重なり合うほど、諸部分に位置を変えさせることは、それぞれそれだけ難しく、あるいは容易になり、したがって個体にほかの形を取らせることも、それぞれそれだけ容易に、あるいは難しくなる。諸部分が大きな表面で重なり合う物体を硬い物体、小さな表面で重なり合う物体を柔らかい物体、諸部分が互いの間で運動している物体を流体的な物体と呼ぶ。
使われる箇所 定理11の証明、定理49の証明
補助定理4複数の物体から複合された個体について、そのいくつかの物体が分離され、同時に、同じ数の同じ本性をもつほかの物体がその場所を継ぐならば、その個体は、その形に何の変化もなく、以前のとおり自分の本性を保つ。
使われる箇所 定理24の証明
 証明頼るもの 補助定理1、補助定理3の系の後の定義
使われる箇所 補助定理5の証明
補助定理5個体を構成する諸部分が大きく、あるいは小さくなっても、すべての部分が以前と同じ運動と静止の割合を互いに保つような比率であるならば、その個体は同様に、その形に何の変化もなく、以前のとおり自分の本性を保つ。
使われる箇所 第3部要請1の説明
 証明頼るもの 補助定理4の証明
補助定理6個体を構成するいくつかの物体が、一方向へ向かってもつ運動をほかの方向へ向けて曲げさせられても、自分たちの運動を続け、以前と同じ割合で互いに伝え合うことができるならば、その個体は同様に、その形に何の変化もなく、自分の本性を保つ。
 証明頼るもの 補助定理3の系の後の定義
補助定理7このように合成された個体は、全体として運動していても静止していても、またどの方向へ動いても、各部分が自分の運動を保ち、以前と同じようにそれを他の部分に伝えるかぎり、自分の本性を保つ。
使われる箇所 補助定理7の備考、第3部要請1の説明
 証明頼るもの 補助定理3の系の後の定義
 備考合成された個体は、その本性を保ったまま多くの仕方で変状を受けうる。これまで考えた個体は最も単純な物体だけから合成されたものだが、本性の異なる多くの個体から合成された個体は、各部分がそれぞれ多くの物体から成るので、個体の本性を変えずに部分を速く、あるいは遅く動かして運動を他の部分に伝えられ、さらに多くの仕方で変状を受けうる。第三の種類の個体も同様であり、これを無限に進めば、自然全体が一つの個体であり、その部分である全物体は、全体としての個体を変えずに無限の仕方で変化すると考えられる。物体を本格的に論じるならもっと詳しく説明すべきだが、私は別のことを意図しており、ここから証明したいことを導くために持ち出したにすぎない。
頼るもの 補助定理7
要請
要請1人間の身体は、本性の異なる非常に多くの個体から合成されており、そのそれぞれの個体はきわめて複合的である。
使われる箇所 定理15の証明、定理24の証明、第3部要請1の説明、第3部定理17の備考
要請2人間の身体を合成する個体のうち、あるものは流体的であり、あるものは柔らかく、またあるものは硬い。
要請3人間の身体を合成する個体、したがって人間の身体そのものは、外部の物体から非常に多くの仕方で変状を受ける。
使われる箇所 定理14の証明、定理28の証明、第3部定理51の証明、第4部定理39の証明
要請4人間の身体は、維持されるために、他の非常に多くの物体を必要とし、それらによって絶えずいわば再生される。
使われる箇所 定理19の証明、第4部定理18の備考、第4部定理39の証明
要請5人間の身体の流体的な部分が外部の物体に決定されて、しばしば別の柔らかい部分にぶつかるとき、その柔らかい部分の面を変え、いわば押している外部の物体の痕跡をそこに刻み込む。
使われる箇所 定理17の証明、第3部要請2
要請6人間の身体は、外部の物体を非常に多くの仕方で動かし、また非常に多くの仕方で配置することができる。
使われる箇所 定理14の証明、第4部定理39の証明
定理14〜49
定理14人間精神は、非常に多くのものを知覚するのに適しており、その身体がより多くの仕方で配置されうるほど、いっそう適している。
使われる箇所 第3部定理11の証明、第4部定理38の証明
 証明頼るもの 要請3、要請6、定理12
定理15人間精神の形相的存在を構成する観念は、単純ではなく、非常に多くの観念から合成されている。
使われる箇所 第3部定理3の証明
 証明頼るもの 定理13、要請1、定理8の系、定理7
定理16人間の身体が外部の物体から変状を受けるどの様態の観念も、人間の身体の本性と、同時に外部の物体の本性とを含まなければならない。
使われる箇所 定理17の証明、定理18の備考、定理19の証明、定理23の証明、定理25の証明、定理26の証明、定理27の証明、定理28の証明、定理38の証明、定理39の証明、第3部定理27の証明、第4部定理5の証明
 証明頼るもの 補助定理3の系の後の公理1、第1部公理4
 系1人間精神は、多くの物体の本性を、自分の身体の本性とともに知覚する。
使われる箇所 定理17の証明、定理26の証明、定理47の証明
 系2外部の物体について私たちがもつ観念は、外部の物体の本性よりも、私たちの身体の状態を多く示す。
頼るもの 第1部付録
使われる箇所 定理17の備考、第3部定理14の証明、第3部定理18の証明、第3部感情の一般的定義の説明、第4部定理1の備考、第4部定理9の証明、第5部定理34の証明
定理17人間の身体が、ある外部の物体の本性を含む様態で変状を受けているなら、人間精神は、その外部の物体を現実に存在するもの、あるいは自分に現在するものとして観想し、この観想は、身体にその物体の存在または現在を排除する変状が生じるときまで続く。
使われる箇所 定理17の証明、定理19の証明、定理44の備考、定理47の証明、第3部定理11の備考、第3部定理12の証明、第3部定理13の証明、第3部定理18の証明、第3部定理18の備考1、第3部定理19の証明、第3部定理25の証明、第3部定理28の証明、第3部定理56の証明、第4部定理1の備考、第4部定理9の証明、第5部定理7の証明
 証明頼るもの 定理12、定理16、定理16の系1
 系精神は、人間の身体がかつて一度変状を受けた外部の物体について、それらが存在せず現在していなくても、あたかも現在しているかのように観想することができる。
使われる箇所 定理17の備考、定理18の証明、定理40の備考1、定理44の備考、定理49の備考、第3部定理18の証明、第3部定理25の証明、第3部定理30の備考、第3部定理47の備考、第4部定理13の証明
 証明頼るもの 要請5、補助定理3の系の後の公理2、定理12、定理17
 備考存在しないものを現在するかのように観想することがどう起こるかが分かる。要請は経験によってほぼ確かな内容だけを含むので、真の原因から外れていないと信じる。ペトロの観念でペトロ自身の精神を構成するものは、ペトロの身体の本質を直接に説明し、ペトロが存在するあいだにしか存在を含まない。パウロのうちにあるペトロの観念は、ペトロの本性よりパウロの身体の状態を多く示すので、ペトロが存在しなくても、パウロの精神はペトロを現在するものとして観想する。外部の物体を現在するかのように表象する身体の変状を像と呼び、精神がこのように観想するとき想像すると言う。精神は想像することによっては誤らず、現在するものとして想像するものの存在を排除する観念を欠くと考えられるときにだけ誤る。存在しないと知りながら想像するなら、その想像する力能は欠陥ではなく本性の徳であり、とくにそれが自分の本性だけに依存して自由であるならそうである。
頼るもの 定理13の系、定理17の系、定理16の系2、第1部定義7
使われる箇所 定理26の証明、定理35の備考、定理40の備考1、定理49の備考、第3部要請2、第3部定理11の備考、第3部定理12の証明、第3部定理27の証明、第3部定理56の証明、第4部定理9の証明、第5部定理21の証明、第5部定理34の証明
定理18人間の身体が二つあるいはそれ以上の物体によって同時に一度変状させられた場合、のちに精神がそれらのうちの一つを想像すると、精神はただちに他のものをも想起する。
使われる箇所 定理40の備考1、定理44の備考、第3部定理11の備考、第3部定理14の証明、第3部定理52の証明、第4部定理13の証明、第5部定理1の証明、第5部定理10の備考、第5部定理12の証明、第5部定理13の証明
 証明頼るもの 定理17の系
 備考記憶とは、人間の身体の外にあるものの本性を含む観念の、ある種の連鎖であり、身体の変状の秩序と連鎖に従って精神に生じる。それは、ものの本性を説明する観念の連鎖ではなく、第一の原因を通してものを知覚する知性の秩序に従う連鎖、すなわち全人間に同じ連鎖とも区別される。これにより、前のものと何の類似もないものへ思考が移ることも分かる。ローマ人は pomum という語から果実へ移るが、それは同じ人間の身体が語と果実の両方にしばしば変状させられたからにすぎない。各人は習慣が身体のうちでものの像を秩序づけたとおりに思考が移り、兵士は馬の足跡から騎手、戦争へ、農夫は鋤や畑へと移る。
頼るもの 定理16
使われる箇所 定理40の備考2、第3部定理11の備考、第3部定理52の証明、第3部感情の定義4の説明、第4部定理13の証明、第5部定理21の証明
定理19人間精神は、身体が変状させられるその変状の観念を通してしか、人間の身体そのものを認識せず、また身体が存在することも知らない。
使われる箇所 定理23の証明、定理29の系、定理43の備考、定理47の証明、第3部定理30の証明、第3部定理53の証明
 証明頼るもの 定理13、定理9、要請4、定理7、定理11の系、定理12、定理16、定理17
定理20人間精神の観念すなわち認識もまた、神のうちに与えられる。この観念は、神のうちで人間の身体の観念すなわち認識と同じ仕方で生じ、神に同じ仕方で関係づけられる。
使われる箇所 定理22の証明、定理23の証明、定理43の証明
 証明頼るもの 定理1、定理3、定理11、定理9、定理7
定理21精神のこの観念は、精神そのものが身体に合一しているのと同じ仕方で、精神に合一している。
使われる箇所 定理22の証明、第4部定理8の証明、第5部定理3の証明
 証明頼るもの 定理12、定理13
 備考定理7の備考から、いっそう明晰に理解される。そこで、身体の観念と身体、すなわち精神と身体は一つの同じ個体であり、思考の属性のもとでも延長の属性のもとでも考えられることを示した。同様に、精神の観念と精神そのものは、思考の属性のもとで考えられる一つの同じものであり、同じ必然性で、同じ考える力能から神のうちに与えられる。精神の観念、すなわち観念の観念とは、観念が対象との関係なしに思考の様態として考えられる限りでの、その形相にほかならない。人は何かを知るとき、そのことによって自分がそれを知っていることを知り、このように無限に続く。
頼るもの 定理7の備考、定理13
使われる箇所 定理43の備考、第4部定理8の証明、第5部定理3の証明
定理22人間精神は、身体の変状だけでなく、それらの変状の観念をも知覚する。
使われる箇所 定理23の証明、定理47の証明、第4部定理8の証明
 証明頼るもの 定理20、定理12、定理11の系、定理21
定理23精神は、身体の変状の観念を知覚する限りにおいてしか、自分自身を認識しない。
使われる箇所 定理29の系、定理47の証明、第3部定理9の証明、第3部定理30の証明、第3部定理53の証明、第3部感情の定義1の説明
 証明頼るもの 定理20、定理19、定理11の系、定理16、定理13、定理22
定理24人間精神は、人間の身体を構成する諸部分の十全な認識を含まない。
使われる箇所 定理28の証明、定理36の証明
 証明頼るもの 補助定理3の系の後の定義、要請1、補助定理4、補助定理3の系の後の公理1、定理3、定理9、定理7、定理13、定理11の系
定理25人間の身体の変状のどの観念も、外部の物体の十全な認識を含まない。
使われる箇所 定理26の証明、定理28の証明、定理29の系、定理38の証明
 証明頼るもの 定理16、定理9、定理7
使われる箇所 定理27の証明
定理26人間精神は、自分の身体の変状の観念を通してでなければ、いかなる外部の物体も、現実に存在するものとして知覚しない。
使われる箇所 定理26の証明、定理29の系、第5部定理21の証明、第5部定理29の証明
 証明頼るもの 定理7、定理13、定理16、定理16の系1
 系人間精神が外部の物体を想像するかぎり、その物体の十全な認識をもたない。
 証明頼るもの 定理17の備考、定理26、定理25
定理27人間の身体の変状のどの観念も、人間の身体そのものの十全な認識を含まない。
使われる箇所 定理29の証明、定理29の系、定理38の証明
 証明頼るもの 定理16、定理25の証明
定理28人間の身体の変状の観念は、人間精神だけに関係づけられるかぎり、明晰判明ではなく、混乱している。
使われる箇所 定理29の系、定理36の証明
 証明頼るもの 定理16、要請3、定理24、定理25、定理13
 備考人間精神の本性を構成する観念も、それだけで考えられるなら、身体の変状の観念と同じ仕方で明晰判明でないことが示される。精神の観念や、変状の観念の観念も、精神だけに関係づけられるかぎり同様である。
使われる箇所 定理29の系
定理29人間の身体の変状のどの観念についても、その観念の観念は、人間精神の十全な認識を含まない。
使われる箇所 定理29の系、第4部定理64の証明
 証明頼るもの 定理27、定理13、第1部公理6
 系人間精神は、自然の共通の秩序に従ってものを知覚するたびに、自分自身についても、自分の身体についても、外部の物体についても、十全な認識ではなく、混乱し断片的な認識しかもたない。
頼るもの 定理23、定理19、定理26、定理29、定理27、定理25、定理28、定理28の備考
使われる箇所 定理40の備考2、第3部定理3の証明
 備考精神が自然の共通の秩序に従ってものを知覚するたびに混乱した認識しかもたないとは、精神が外から、すなわちもの同士の偶然の出会いによって、あれやこれやを観想するように決定されるときのことである。内から、すなわち多くのものを同時に観想して、それらの一致、相違、対立を理解するように決定されるときは、ものを明晰判明に観想する。これは後で示す。
定理30私たちは、自分の身体の持続について、きわめて非十全な認識しかもつことができない。
使われる箇所 定理31の証明
 証明頼るもの 公理1、第1部定理21、第1部定理28、定理9の系、定理11の系
定理31私たちは、私たちの外にある個物の持続について、きわめて非十全な認識しか持つことができない。
使われる箇所 定理31の系、第4部定理62の備考
 証明頼るもの 第1部定理28、定理30
 系すべての個物は偶然的で可滅的である。
頼るもの 定理31、第1部定理33の備考1、第1部定理29
使われる箇所 第3部感情の定義15の説明
定理32すべての観念は、神に関係づけられる限り、真である。
使われる箇所 定理33の証明、定理34の証明、定理36の証明、第4部定理1の証明、第5部定理17の証明
 証明頼るもの 定理7の系、第1部公理6
定理33観念のうちには、偽といわれる根拠となる積極的なものは何もない。
使われる箇所 定理35の証明、第4部定理1の証明
 証明頼るもの 定理32、第1部定理15
定理34私たちのうちにある絶対的な観念、すなわち十全で完全な観念は、すべて真である。
使われる箇所 定理41の証明、定理43の証明
 証明頼るもの 定理11の系、定理32
定理35虚偽は、非十全な観念、すなわち断片的で混乱した観念が含む、認識の欠如のうちにある。
使われる箇所 定理41の証明、定理43の備考、定理49の備考、第4部定理1の証明
 証明頼るもの 定理33
 備考誤りが認識の欠如のうちにあることを、例で示す。人々が誤るのは自分を自由だと思うからであり、この思い込みは、自分の行為は意識しているが、それを決定している原因は知らないという一点にのみある。人間の行為は意志に依存するという言葉は観念を何ももたず、意志とは何か、それがどう身体を動かすかを誰も知らない。同様に、太陽を約200フィート離れていると想像する誤りは、想像そのものにあるのではなく、真の距離とこの想像の原因を知らないことにある。真の距離を知っても太陽は近くにあると想像し続けるが、それは、身体の変状が太陽の本質を含むからである。
頼るもの 定理17の備考
使われる箇所 定理43の備考、定理49の備考、第3部感情の定義27の説明、第4部定理1の備考、第5部定理5の証明
定理36非十全で混乱した観念は、十全な観念、すなわち明晰判明な観念と同じ必然性で帰結する。
 証明頼るもの 第1部定理15、定理32、定理7の系、定理24、定理28、定理6の系
定理37すべてのものに共通であり、部分にも全体にも等しくあるものは、どの個物の本質も構成しない。
使われる箇所 定理44の証明
 証明頼るもの 定義2
定理38すべてのものに共通であり、部分にも全体にも等しくあるものは、十全にしか考えられない。
使われる箇所 定理38の系、定理44の証明、定理46の証明、第5部定理4の証明、第5部定理7の証明
 証明頼るもの 定理7の系、定理16、定理25、定理27、定理12、定理13、定理11の系
 系すべての人間に共通なある種の観念、すなわち概念が与えられる。
頼るもの 補助定理2、定理38
使われる箇所 定理40の備考2、第3部定理3の証明
定理39人間の身体と、人間の身体がふつう作用を受けるいくつかの外部の物体とに共通かつ固有であり、しかもそれらのどの物体の部分にも全体にも等しくあるもの、そのものの観念もまた精神のうちで十全である。
使われる箇所 定理40の備考2
 証明頼るもの 定理7の系、定理16、定理13、定理11の系
 系身体が他の物体と共通に持つものが多いほど、精神はそれだけ多くのものを十全に知覚するのに適している。
使われる箇所 定理40の備考2
定理40精神のうちで、精神のうちにある十全な観念から帰結する観念は、すべてやはり十全である。
使われる箇所 定理40の備考2、第4部定理26の証明、第4部定理52の証明、第5部定理4の備考、第5部定理31の証明
 証明頼るもの 定理11の系
 備考1共通概念の原因は説明したが、他の公理すなわち概念にも別の原因があり、第二次概念などの起源の説明は有益だが、別の論考に充てたのでここでは扱わない。ただ、存在者、もの、何かなどの超越的な名辞の起源だけを述べる。身体は限られた数の像しか同時に判明に形成できず、この数を大きく超えると像は互いに混乱し、精神はすべての物体を区別なく混乱して想像し、存在者、ものなどの一つの属性のもとに包括する。普遍概念(人間、馬、犬)も同様で、像があまりに多く形成されると、精神は個々の違いと個物の限定された数を想像できず、身体が最も強く変状された全員の一致点だけを判明に想像し、それを人間という名で無数の個物について述べる。これらの概念は各人で同じではなく、身体がより頻繁に変状されたもの、精神がより容易に想像し思い出すものに応じて異なる。像だけで自然を説明しようとした哲学者たちに多くの論争が生じたのも、不思議ではない。
頼るもの 定理17の備考、定理17の系、定理18
使われる箇所 第3部定理55の備考、第3部定理1の証明、第3部定理56の証明、第4部定理27の証明
 備考2私たちが多くのものを知覚し普遍概念を形成するのは、第一に、感覚を通して断片的で混乱した秩序のない仕方で表象された個物により、第二に、語を聞いたり読んだりしてものを思い出し、ものを想像するときに似た観念を形成する記号による。この二つを第一種の認識、臆見、あるいは想像と呼ぶ。第三に、共通概念とものの特性の十全な観念による。これを理性、第二種の認識と呼ぶ。このほか、神のいくつかの属性の形相的本質の十全な観念から、ものの本質の十全な認識へ進む第三の種類、直観知がある。三つの違いを、第四の比例数を求める例で示す。商人は教師から証明なしに聞いたこと、経験、あるいはユークリッドの証明の力により、第二の数に第三の数を掛けて第一の数で割る。数1、2、3のような最も単純な場合は、第一と第二の比を一目で見て、その比そのものから第四の数6を結論するので、はるかに明晰である。
頼るもの 定理29の系、定理18の備考、定理38の系、定理39、定理39の系、定理40
使われる箇所 定理41の証明、定理42の証明、定理47の備考、第3部定理58の証明、第4部定理26の証明、第5部定理7の証明、第5部定理10の証明、第5部定理12の証明、第5部定理25の証明、第5部定理28の証明、第5部定理31の証明、第5部定理36の備考、第3部定理1の証明、第3部定理56の証明、第4部定理27の証明
定理41第一種の認識は虚偽の唯一の原因であり、第二種と第三種の認識は必然的に真である。
使われる箇所 定理44の証明、第4部定理27の証明、第4部定理35の証明、第4部定理62の証明
 証明頼るもの 定理40の備考2、定理35、定理34
定理42私たちに真と偽を区別することを教えるのは、第二種と第三種の認識であり、第一種の認識ではない。
 証明頼るもの 定理40の備考2
定理43真の観念をもつ者は、同時に自分が真の観念をもつことを知っており、ものの真理を疑うこともできない。
使われる箇所 定理43の備考、定理49の備考、第3部定理58の証明、第4部定理27の証明、第4部定理52の証明、第4部定理56の証明、第4部定理62の証明、第5部定理27の証明
 証明頼るもの 定理11の系、定理20、定理34
 備考真の観念をもつ者は、それが最高の確実性を含むことを知っている。真の観念をもつとは、ものを最善に認識することだからである。観念を板に描かれた絵のように物言わぬものと見なし、思考の様態すなわち理解することそのものと考えない者でなければ、これを疑えない。ものを理解していなければ、理解している自分を知ることはできず、光が自分自身と闇を明らかにするように、真理は自分自身と虚偽の規範である。これにより三つの問いに答えた。真の観念が対象との一致という外的な名称だけで偽の観念と区別されるなら、真の観念をもつ人は偽の観念だけの人にまさらないのではないか。人々はなぜ偽の観念をもつのか。観念が対象と一致していることを人はどこから確実に知るのか。真の観念と偽の観念の関係は存在者と非存在者の関係であり、虚偽の原因はすでに示した。確実性は、真の観念をもつというそのことから、すなわち真理が自分自身の規範であることから生じる。精神がものを真に知覚するかぎり神の無限な知性の部分なので、その明晰判明な観念が真であることは、神の観念が真であることと同じだけ必然的である。
頼るもの 定理21の備考、定理43、定理35、定理19、定理35の備考、定理11の系
使われる箇所 定理49の備考、第4部定理27の証明、第4部定理62の証明
定理44理性の本性には、ものを偶然的なものとしてではなく、必然的なものとして観想することが属する。
使われる箇所 定理44の証明
 証明頼るもの 定理41、第1部公理6、第1部定理29
 系1ものを過去に関しても未来に関しても偶然的なものとして観想するのは、想像だけに依存する。
 備考これがどう起こるかを説明する。精神は、存在しないものでも、その現在の存在を排除する原因が現れないかぎり現在するものとして想像し、二つの外部の物体から同時に変状を受けた身体では、一方を想像すると他方も想起する。また、物体が遅く、速く、同じ速さで動くと想像することから、時間を想像する。子どもが昨日、朝にペトロ、正午にパウロ、夕方にシメオンを見て、今日また朝にペトロを見ると、一日全体と、正午のパウロ、夕方のシメオンを未来の時間に関係づけて想像する。逆に夕方にシメオンを見ればペトロとパウロを過去に関係づける。この想像は、同じ順序で見た回数が多いほど確固とする。ところが別の夕方にシメオンの代わりにヤコブを見ると、子どもは夕方とともに、ときにはシメオンを、ときにはヤコブを想像し、想像は揺れ動いて、両方を偶然的に未来にあるものとして観想する。この揺れ動きは、過去や現在の時間に関係づけられたものについても同じである。
頼るもの 定理17、定理17の系、定理18
使われる箇所 定理49の備考、第3部定理17の備考、第3部定理18の証明、第3部定理18の備考1、第4部定理62の備考
 系2理性の本性には、ものをある種の永遠の相のもとに知覚することが属する。
使われる箇所 第4部定理62の証明、第5部定理29の証明
 証明頼るもの 定理44、定理41、第1部公理6、第1部定理16、定理38、定理37
定理45現実に存在する、どんな物体あるいは個物の観念も、それぞれ、神の永遠で無限な本質を必然的に含む。
使われる箇所 定理46の証明、定理47の証明、第5部定理20の備考、第5部定理29の備考
 証明頼るもの 定理8の系、第1部定理15、定理6、第1部公理4、第1部定義6
使われる箇所 定理46の証明
 備考ここでの存在とは、持続や、抽象的に量のようなものとして考えられた存在ではない。神の本性の永遠な必然性から帰結することにより個物に帰せられる存在そのもの、個物が神のうちにあるかぎりでの存在を指す。個物はそれぞれ別の個物によって存在するように決定されるが、存在し続ける力は神の本性の永遠な必然性から帰結する。
頼るもの 第1部定理16、第1部定理24の系
使われる箇所 第5部定理29の備考
定理46各観念が含む神の永遠で無限な本質の認識は、十全で完全である。
使われる箇所 定理47の証明、第5部定理18の証明、第5部定理31の証明
 証明頼るもの 定理45の証明、定理45、定理38
定理47人間精神は、神の永遠で無限な本質の十全な認識を持つ。
使われる箇所 第4部定理36の証明、第4部定理36の備考、第4部定理37の証明、第5部定理18の証明
 証明頼るもの 定理22、定理23、定理19、定理16の系1、定理17、定理45、定理46
 備考神の無限な本質とその永遠性は、すべての人に知られている。すべてのものは神のうちにあり神を通して考えられるので、この認識から多くを十全に導き出せ、定理40の備考2の第三種の認識を形成できる。その卓越性と有用性は第5部で述べる。人々が神について共通概念ほど明晰な認識をもたないのは、神を物体のように想像できず、神という名前を見慣れたものの像と結びつけてきたからで、外部の物体から絶えず変状を受けるので、この結びつきはほとんど避けられない。誤りの大部分は名前をものに正しく当てはめないことにある。円の中心から円周へ引いた線は等しくないと言う人は円で数学者と別のものを解しており、計算を間違える人は精神のうちと紙の上で別の数をもっている。紙の上の数を精神のうちにももつと考えるから誤っているように見えるにすぎない。論争の大部分は、自分の精神を正しく説明しないか、他人の精神を誤って解釈することから生じ、他人のうちにあると思う誤りや不合理は、実は存在しない。
頼るもの 定理40の備考2
使われる箇所 定理49の備考、第4部定理36の証明、第5部定理10の証明、第5部定理20の備考、第5部定理36の備考
定理48精神のうちには、絶対的な、すなわち自由な意志はない。精神はあれやこれやを意志するように、ある原因によって決定され、その原因もまた別の原因によって決定され、こうして無限に続く。
使われる箇所 定理49の証明、第3部感情の定義6の説明
 証明頼るもの 定理11、第1部定理17の系2、第1部定理28
 備考同じ仕方で、理解する、欲する、愛するなどの絶対的な能力も与えられず、これらの能力は虚構か、個物から形成される普遍概念にほかならない。知性と意志の観念や意志作用に対する関係は、石性と石、人間とペトロやパウロの関係と同じである。意志とは肯定し否定する能力であって、欲望ではない。そこで次に、意志作用が観念そのもの以外の何かであるか、観念が観念であるかぎり含む肯定と否定以外の肯定と否定が精神のうちにあるかを探究しなければならない。観念とは、眼底や脳に形成される像ではなく、思考の概念である。
頼るもの 第1部付録、定理49、定義3
使われる箇所 定理49の証明
定理49精神のうちには、観念が観念であるかぎりで含むもの以外に、いかなる意志作用、すなわち肯定と否定も与えられない。
使われる箇所 定理48の備考、定理49の証明、定理49の備考、第3部定理2の備考
 証明頼るもの 定理48、公理3、定義2
 系意志と知性は、一つの同じものである。
 証明頼るもの 定理48、定理48の備考、定理49
 備考答えは、知性を明晰判明な観念だけと解するなら意志が知性より広いことは認めるが、意志は普遍概念であり、知覚より広いとは言えないというものである。
頼るもの 定理44の備考、定理43、定理43の備考、定理49、定理17の系、定理17の備考、定理35、定理35の備考、定理47の備考
使われる箇所 第3部感情の定義15の説明
第3部 感情の起源と本性について
序文感情と生き方を論じた人々は、自然の共通の法則に従うものではなく自然の外のものを扱い、人間を国家のなかの国家のように考えて、人間は自分の行為に絶対的な力能をもつと信じ、人間の無力の原因を自然の共通の力能ではなく人間本性の欠陥に帰して、それを嘆き、笑い、軽蔑し、忌み嫌う。優れた人々はいたが、感情の本性と力、および感情を抑制する精神の力能を決定した者はおらず、デカルトも才能の鋭さのほかには何も示さなかった。しかし自然はつねに同一で、その法則と規則はどこでも同一なので、ものの本性を理解する方法も、自然の普遍的な法則と規則を通して理解するという一つのものでなければならない。それゆえ憎しみ、怒り、妬みなどの感情も、他の個物と同じ自然の必然性から帰結し、確かな原因と特性をもち、認識に値する。そこで、感情の本性と力、およびそれに対する精神の力能を、先行する諸部と同じ方法で、線や面や物体を扱うように論じる。
使われる箇所 第4部定理57の備考
定義
定義1十全な原因とは、その結果がその原因自身を通して明晰判明に知覚されうる原因のことであり、結果がその原因だけを通しては理解されえない原因は、非十全な原因、すなわち部分原因と呼ばれる。
使われる箇所 定義2、定理1の証明、第4部定理2の証明、第4部定理5の証明、第4部定理23の証明、第4部定理33の証明、第5部定理31の証明
定義2私たちのうちまたは外で何かが生じ、私たちがその十全な原因であるとき、すなわち私たちの本性から、その本性だけを通して明晰判明に理解されうる何かが帰結するとき、私たちは能動すると言い、逆に私たちがその部分原因にすぎないとき、受動すると言う。
頼るもの 定義1
使われる箇所 定理1の証明、第4部定理2の証明、第4部定理5の証明、第4部定理15の証明、第4部定理23の証明、第4部定理33の証明、第4部定理35の証明、第4部定理35の系1、第4部定理52の証明、第4部定理59の証明、第4部定理61の証明、第4部定理64の証明
定義3感情とは、身体の変状、および同時にこれらの変状の観念のことである。身体の変状とは、それによって身体自身の能動する力能が増大または減少し、促進または抑制されるものである。
使われる箇所 定理14の証明
 説明私たちがこれらの変状のどれかの十全な原因でありうるなら、感情は能動を意味し、そうでない場合は受動を意味する。
要請
要請1人間の身体は、その能動する力能が増大または減少する多くの仕方で触発されうるし、その力能を大きくも小さくもしない他の仕方でも触発されうる。
使われる箇所 定理12の証明、定理15の証明
 説明この要請、すなわち公理は、第2部の要請1と補助定理5および7に基づく。
頼るもの 第2部要請1、第2部補助定理5、第2部補助定理7
要請2人間の身体は多くの変化を受けることができるが、それでも対象の刻印すなわち痕跡を保ち、したがってものの同じ像をも保つ。
頼るもの 第2部要請5、第2部定理17の備考
定理1私たちの精神は、十全な観念を持つかぎりにおいて必然的にあることを能動し、非十全な観念を持つかぎりにおいて必然的にあることを受動する。
使われる箇所 定理3の証明、定理56の証明、定理58の証明、定理59の証明、第4部定理23の証明、第4部定理28の証明、第5部定理20の備考
 証明頼るもの 第2部定理40の備考、第2部定理11の系、第1部定理36、定義1、第2部定理9、定義2
 系精神は、非十全な観念を多く持つほど多くの受動にさらされ、逆に、十全な観念を多く持つほど多くを能動する。
定理2身体は精神を思考へと決定することができず、精神も身体を運動へも静止へも、またそのほかの何かへも決定することができない。
使われる箇所 第5部定理1の証明
 証明頼るもの 第2部定理6、第2部定義1、第2部定理11
 備考精神と身体は、思考の属性のもとで見るか延長の属性のもとで見るかの違いだけの同一のものであり、両者の能動と受動の秩序は同時である。それでも人々は、身体は精神の意のままに動くと固く信じている。しかし、身体が自分の本性の法則だけで何をなしうるかを経験は誰にも教えておらず(夢遊病者や動物の例)、精神がどう身体を動かすかも誰も知らない。精神が考案に適さなければ身体は不活発なままだという反論に対しては、逆に身体が不活発なら精神も思考に不適になる経験もある、と問い返し、語ることも黙ることも精神の権能だという反論に対しては、人は舌も衝動も抑えられず、後悔や相反する感情の経験もある、と答える。人が自分を自由だと信じるのは、自分の能動を意識していて、それを決定する原因を知らないからである。精神の決意と衝動と身体の決定は一つの同一のものであり、属性によって呼び名が違うだけである。夢のなかでも自由な決意から語っていると信じるのだから、自由と信じられている決意は想像すなわち記憶と区別されず、観念が必然的に含む肯定にほかならず、現実の観念と同じ必然性で生じる。自由な決意から行うと信じる人は、目を開けたまま夢を見ている。
頼るもの 第2部定理7の備考、第2部定理12、第2部定理49
定理3精神の能動は十全な観念のみから生じ、受動は非十全な観念のみに依存する。
使われる箇所 定理9の証明、定理56の証明、感情の一般的定義の説明、第4部定理15の証明、第4部定理24の証明、第4部定理28の証明、第4部定理35の証明、第4部定理35の系2、第4部定理51の証明、第4部定理52の証明、第4部定理59の証明、第4部定理61の証明、第4部定理63の証明、第4部定理64の証明、第5部定理3の証明、第5部定理4の備考、第5部定理18の証明、第5部定理20の備考、第5部定理36の証明、第5部定理40の証明、第5部定理40の系、第5部定理42の証明
 証明頼るもの 第2部定理11、第2部定理13、第2部定理15、第2部定理38の系、第2部定理29の系、定理1
 備考受動が精神に関係づけられるのは、精神が否定を含むもの、すなわち他のものなしには自分だけでは明晰判明に知覚されえない自然の部分として考察されるかぎりにおいてのみである。個物についても同じことが示せるが、ここでは人間精神だけを論じる。
使われる箇所 第4部定理32の証明、第4部定理59の証明、第5部定理40の証明
定理4いかなるものも、外部の原因によらなければ、破壊されえない。
使われる箇所 定理5の証明、定理6の証明、定理8の証明、定理11の備考、第4部定理1の証明、第4部定理4の証明、第4部定理18の備考、第4部定理20の証明、第4部定理30の証明
 証明
定理5ものは、一方が他方を破壊しうるかぎり、そのかぎりで本性が対立する。すなわち、そのかぎりで同じ主体のうちに存在できない。
使われる箇所 定理6の証明、定理10の証明、定理37の証明、第4部定理7の証明、第4部定理30の証明
 証明頼るもの 定理4
定理6各々のものは、自己のうちにあるかぎり、自己の存在に固執しようと努力する。
使われる箇所 定理7の証明、定理12の証明、定理44の備考、第4部定理4の証明、第4部定理20の証明、第4部定理25の証明、第4部定理26の証明、第4部定理31の証明、第4部定理60の証明、第4部定理64の証明
 証明頼るもの 第1部定理25の系、第1部定理34、定理4、定理5
定理7各々のものが自己の存在に固執しようと努力するその努力は、そのもの自身の現実的本質にほかならない。
使われる箇所 定理9の証明、定理10の証明、定理37の証明、定理54の証明、第4部定義8、第4部定理4の証明、第4部定理5の証明、第4部定理8の証明、第4部定理15の証明、第4部定理18の証明、第4部定理18の備考、第4部定理20の証明、第4部定理21の証明、第4部定理22の証明、第4部定理25の証明、第4部定理26の証明、第4部定理32の証明、第4部定理33の証明、第4部定理53の証明、第4部定理60の証明、第4部定理64の証明、第5部公理2の説明、第5部定理8の証明、第5部定理9の証明、第5部定理25の証明
 証明頼るもの 第1部定理36、第1部定理29、定理6
定理8各々のものが自己の存在に固執しようと努力するその努力は、有限な時間ではなく、不定の時間を含む。
使われる箇所 定理9の証明
 証明頼るもの 定理4
定理9精神は、明晰判明な観念をもつかぎりでも混乱した観念をもつかぎりでも、ある不定の持続のあいだ自己の存在に固執しようと努力し、またこの自らの努力を意識している。
使われる箇所 定理12の証明、定理13の証明、定理58の証明
 証明頼るもの 定理3、定理7、定理8、第2部定理23
 備考この努力は、精神だけに関係づけられるときは意志、精神と身体に同時に関係づけられるときは衝動と呼ばれる。衝動は人間の本質そのものであり、そこから人間の保存に役立つことが必然的に帰結するので、人間はそれらについて能動するように決定されている。欲望は、人間が衝動を意識しているかぎりでの衝動、すなわち衝動の意識を伴う衝動であり、衝動との違いはそれだけである。したがって、あるものを善いと判断するから努力し欲するのではなく、努力し欲するからそれを善いと判断するのである。
使われる箇所 定理11の備考、定理27の証明、定理28の証明、定理37の証明、定理39の備考、定理55の証明、定理56の証明、定理57の証明、定理58の証明、感情の定義1の説明、第4部定理19の証明、第4部定理26の証明
定理10私たちの身体の存在を排除する観念は、私たちの精神のうちに与えられえず、むしろ精神に対立する。
使われる箇所 定理11の備考、第4部定理20の備考
 証明頼るもの 定理5、第2部定理9の系、第2部定理11、第2部定理13、定理7
定理11私たちの身体の能動する力能を増大または減少させ、促進または抑制するものは何であれ、そのものの観念は、私たちの精神の考える力能を増大または減少させ、促進または抑制する。
使われる箇所 定理12の証明、定理34の証明、定理57の証明、定理59の証明、第4部定理41の証明、第4部定理42の証明
 証明頼るもの 第2部定理7、第2部定理14
 備考精神はより大きな完全性へ、あるいはより小さな完全性へ移行し、この受動が喜びと悲しみを説明する。喜びは精神がより大きな完全性へ移行する受動、悲しみはより小さな完全性へ移行する受動である。これらが精神と身体に同時に関係づけられると、喜びは快感あるいは快活、悲しみは苦痛あるいは憂うつと呼ばれ、快感と苦痛は人間の一つの部分がより強く触発されたとき、快活と憂うつはすべての部分が等しく触発されたときに関係づけられる。喜び・悲しみと欲望のほかに第一次的な感情は認めず、残りはこの三つから生じる。続いて定理10を説明する。精神の現在の存在と想像する力能は、精神が身体の現実的存在を含むことに依存するので、精神が身体の現在の存在を肯定することをやめれば、それらは失われる。やめる原因は精神自身でも身体が存在しなくなることでもなく、身体の、したがって精神の現在の存在を排除する別の観念であり、その観念は精神の本質を構成する観念に反対する。
頼るもの 定理9の備考、定理10、第2部定理17の備考、第2部定理8の系、第2部定理8の備考、第2部定理17、第2部定理18、第2部定理18の備考、定理4、第2部定理6、第2部定理8
使われる箇所 定理15の証明、定理19の証明、定理20の証明、定理21の証明、定理23の証明、定理34の証明、定理35の証明、定理37の証明、定理38の証明、定理53の証明、定理55の証明、定理56の証明、定理57の証明、定理59の証明、感情の定義3の説明、感情の定義4の説明2、第4部定理8の証明、第4部定理18の証明、第4部定理29の証明、第4部定理30の証明、第4部定理41の証明、第4部定理42の証明、第4部定理43の証明、第4部定理44の証明、第4部定理51の別証明
定理12精神は、できる限り、身体の能動する力能を増大または促進するものを想像しようと努める。
使われる箇所 定理13の証明、定理15の証明、定理19の証明、定理25の証明、定理28の証明、定理33の証明、定理42の証明、定理52の備考、第4部定理60の証明
 証明頼るもの 第2部定理17、第2部定理17の備考、第2部定理7、要請1、定理11、定理6、定理9
定理13精神は、身体の能動する力能を減少または抑制するものを想像するとき、それらの存在を排除するものを、できる限り想起しようと努める。
使われる箇所 定理20の証明、定理23の証明、定理25の証明、定理27の証明、定理28の証明、感情の定義29の説明
 証明頼るもの 定理12、第2部定理17、定理9
 系精神は、自分と身体の力能を減少または抑制するものを想像することを避ける。
使われる箇所 定理15の証明、定理38の証明
 備考愛とは外部の原因の観念を伴う喜び、憎しみとは外部の原因の観念を伴う悲しみである。愛する者は愛するものを現在のものとして保存しようと必然的に努め、憎む者は憎むものを遠ざけ破壊しようと努める。詳しくは以下で述べる。
使われる箇所 定理15の証明、定理17の証明、定理19の証明、定理20の証明、定理22の証明、定理28の証明、定理29の証明、定理30の備考、定理33の証明、定理34の証明、定理35の証明、定理38の証明、定理39の証明、定理40の証明、定理44の証明、定理45の証明、定理48の証明、定理49の証明、定理55の証明、感情の定義7の説明、第4部定理57の証明
定理14精神が二つの感情によって同時に触発されたことが一度でもあれば、のちにその一方によって触発されるとき、他方によっても触発される。
使われる箇所 定理15の証明、定理16の証明
 証明頼るもの 第2部定理18、第2部定理16の系2、定義3
定理15ものは何であれ、付帯的に、喜び、悲しみ、あるいは欲望の原因でありうる。
使われる箇所 定理16の証明、定理36の証明、定理50の証明、定理52の備考
 証明頼るもの 要請1、定理14、定理11の備考
 系あるものを、喜びまたは悲しみの感情を伴って観想した、ただそれだけのことから、そのものがその感情の作用因でなくても、私たちはそのものを愛したり憎んだりしうる。
使われる箇所 定理16の証明、定理35の証明、定理35の備考、定理50の備考、定理52の備考
 証明頼るもの 定理14、定理11の備考、定理12、定理13の系、定理13の備考
 備考知られた原因なしにあるものを愛したり憎んだりすることは、世に言う共感と反感によって起こる。また次の定理で示すとおり、私たちを同じ感情で触発するのが常である対象に何か似たところがあるだけで喜びまたは悲しみを与える対象も、ここに含められる。これらの名称を導入した著者たちはものの隠れた性質を意味しようとしたが、私はそれらの名称で知られた性質や明らかな性質をも理解してよいと考える。
使われる箇所 感情の定義9
定理16ある物が、精神を喜びや悲しみで触発するのが常である対象と似た点を何か持っていると想像する、ただそれだけのことから、その点がこれらの感情の原因でない場合でも、私たちはその物を愛し、あるいは憎む。
使われる箇所 定理17の証明、定理46の証明、第4部定理34の証明
 証明頼るもの 定理14、定理15、定理15の系
定理17私たちを悲しみで触発するのが常である物が、同じように大きな喜びで触発するのが常である別の物と似た点を何か持っていると想像するならば、私たちはその物を憎み、同時に愛する。
使われる箇所 定理17の備考
 証明頼るもの 定理13の備考、定理16
 備考二つの反対の感情から生じる精神の状態は心の動揺と呼ばれ、心の動揺と感情の関係は、疑いと想像の関係と同じであり、心の動揺と疑いは程度の大小でしか異ならない。定理17では、先行するものから導きやすいので、心の動揺を、一方の感情についてはそれ自体で、他方については付帯的に原因である対象から導いた。しかし、心の動揺がたいてい両方の感情の作用因である対象から生じることを否定するのではない。人間の身体は本性の異なる非常に多くの個体から組成され、一つの同じ物体からも多くの異なる仕方で触発されうるし、一つの同じものは多くの仕方で触発されうるので、身体の同じ部分を多くの異なる仕方で触発することもできる。そこで、同じ対象が多くの反対の感情の原因でありうると容易に考えられる。
頼るもの 第2部定理44の備考、定理17、第2部要請1、第2部補助定理3のあとの公理1
使われる箇所 定理31の証明
定理18人間は、過去または未来のものの像から、現在のものの像から受けるのと同じ喜びと悲しみの感情で触発される。
使われる箇所 感情の定義15の説明、第4部定理9の備考、第4部定理12の証明
 証明頼るもの 第2部定理17、第2部定理17の系、第2部定理44の備考、第2部定理16の系2
 備考1ものを過去または未来のものと呼ぶのは、私たちがそのものから触発された、あるいは触発されるだろうという限りにおいてである。そのように想像する限りその存在を肯定するので、身体は、ものが現在しているかのように触発される。しかし、多くを経験した人々も、ものを未来または過去のものとして観想する間は動揺し、成り行きを疑うことが多いので、似たものの像から生じる感情は安定せず、成り行きが確かになるまで他のものの像によって乱されやすい。
頼るもの 第2部定理17、第2部定理44の備考
使われる箇所 第4部定義6、感情の定義15の説明
 備考2希望は、成り行きを疑っている未来または過去のものの像から生じる不安定な喜び、恐れは同じく不安定な悲しみである。疑いが取り除かれると、希望から安心が、恐れから絶望が生じ、これらは、希望し、あるいは恐れたものの像から生じた喜びあるいは悲しみである。歓喜は、成り行きを疑っていた過去のものの像から生じた喜びであり、良心の呵責はそれに対立する悲しみである。
使われる箇所 定理50の証明、定理50の備考、感情の定義13、第4部定義6、感情の定義15の説明
定理19愛するものが破壊されると想像する人は悲しむ。これに対して、愛するものが保存されると想像する人は喜ぶ。
使われる箇所 定理21の証明、定理36の証明、定理42の証明、感情の定義13の説明、第5部定理19の証明
 証明頼るもの 定理12、定理13の備考、第2部定理17、定理11の備考
定理20憎むものが破壊されると想像する人は喜ぶ。
使われる箇所 定理23の証明、定理28の証明、感情の定義11の説明、感情の定義13の説明
 証明頼るもの 定理13、定理13の備考、定理11の備考
定理21愛するものが喜びあるいは悲しみで触発されていると想像する人は、自分もまた喜びあるいは悲しみで触発される。この二つの感情のそれぞれは、愛されるものにおいて大きいか小さいかに応じて、愛する人においても大きく、あるいは小さくなる。
使われる箇所 定理22の証明、定理22の備考、定理25の証明、定理26の証明、定理27の証明、定理38の証明、定理45の証明
 証明頼るもの 定理19、定理11の備考
定理22ある人が、私たちの愛するものに喜びを与えると想像するなら、私たちはその人に対して愛を抱く。反対に、その人が同じものに悲しみを与えると想像するなら、その人に対して憎しみを抱く。
使われる箇所 定理24の証明、定理27の証明
 証明頼るもの 定理21、定理13の備考
 備考定理21は同情を説明する。同情は他者の損害から生じた悲しみと定義でき、他者の善から生じる喜びを何と呼ぶかは知らない。他者に善を行った人に対する愛を好意、他者に悪を行った人に対する憎しみを憤慨と呼ぶ。私たちが憐れむのは愛したものに限られず、以前にいかなる感情も抱かなかったものでも、自分に似ていると判断すれば憐れむ(のちに示す)。それゆえ、似たものに善を行った人に好意を抱き、損害を与えた人に憤慨する。
頼るもの 定理21
使われる箇所 定理27の備考、感情の定義18、感情の定義20の説明
定理23憎むものが悲しみを受けていると想像する人は、喜ぶ。反対に、それが喜びを受けていると想像するなら、悲しむ。この二つの感情はどちらも、憎むものにおけるその反対の感情が大きいか小さいかに応じて、大きくも小さくもなる。
使われる箇所 定理26の証明、定理27の証明、定理35の証明、定理38の証明
 証明頼るもの 定理11の備考、定理20、定理13
 備考この喜びは、堅固で心の葛藤を伴わないものではほとんどありえない。自分に似たものが悲しみを受けていると想像すれば人は悲しまなければならず、喜びを受けていると想像すれば喜ぶはずだからである。ここでは憎しみだけに注目している。
頼るもの 定理27
定理24ある人が、私たちの憎むものに喜びを与えると想像するなら、私たちはその人に対しても憎しみを抱く。反対に、その人が同じものに悲しみを与えると想像するなら、その人に対して愛を抱く。
使われる箇所 定理35の備考
 証明頼るもの 定理22
 備考これらの憎しみの感情とそれに似た感情は妬みに帰せられ、妬みとは、人を他者の悪に歓喜させ他者の善に悲しませるものとして考えられる憎しみにほかならない。
使われる箇所 定理55の備考、定理55の証明、感情の定義24の説明
定理25私たちは、私たちや愛するものに喜びを与えると想像するすべてのことを、私たちと愛するものについて肯定しようと努める。反対に、悲しみを与えると想像するすべてのことを、否定しようと努める。
使われる箇所 定理26の証明、定理30の備考、定理40の備考、定理41の備考、定理50の備考、第4部定理49の証明
 証明頼るもの 定理21、定理12、第2部定理17、第2部定理17の系、定理13
定理26私たちは、憎むものについて、それに悲しみを与えると想像するすべてのことを肯定しようと努め、反対に、それに喜びを与えると想像することを否定しようと努める。
使われる箇所 定理40の証明、定理43の証明
 証明頼るもの 定理25、定理21、定理23
 備考人は、自分と愛するものを正当以上に高く、憎むものを正当以下に低く感じやすい。自分について正当以上に高く感じるこの想像は高慢と呼ばれる錯乱の一種であり、人は目を開けたまま、想像だけで手にしていることを何でもできると夢見て、それらの存在を排除するものを想像できないあいだは喜び躍る。高慢とは、自分について正当以上に高く感じることから生じた喜びである。他者について正当以上に高く感じることから生じる喜びは高評価、正当以下に低く感じることから生じる喜びは軽視と呼ばれる。
使われる箇所 感情の定義22の説明、感情の定義28の説明
定理27私たちに似ていて、私たちがいかなる感情も抱いていないものが、何らかの感情を受けていると想像すると、まさにそのことによって、私たちは似た感情を受ける。
使われる箇所 定理23の備考、定理27の証明、定理29の証明、定理30の証明、定理31の証明、定理32の証明、定理40の証明、定理47の証明、定理49の備考、定理52の備考、定理53の系、感情の定義33の説明、感情の定義44の説明、第4部定理50の備考、第4部定理68の備考
 証明頼るもの 第2部定理17の備考、第2部定理16、定理23
 備考感情のこの模倣は、悲しみに関わるとき同情、欲望に関わるとき競争心と呼ばれる。競争心とは、私たちに似た他者が同じ欲望を抱いていると想像することから生まれる、あるものへの欲望である。
頼るもの 定理22の備考
使われる箇所 感情の定義18、感情の定義33の説明、感情の定義35
 系1私たちがいかなる感情も抱いていない人が、私たちに似たものに喜びを与えると想像するなら、私たちはその人に対して愛を抱く。反対に、その人が同じものに悲しみを与えると想像するなら、その人に対して憎しみを抱く。
使われる箇所 定理32の証明、感情の定義20の説明
 証明頼るもの 定理22、定理21、定理27
 系2憐れむものを、その悲惨が私たちに悲しみを与えるという理由で憎むことは、私たちにはできない。
 証明頼るもの 定理23
 系3私たちは、憐れむものを、できるかぎりその悲惨から解放しようと努める。
使われる箇所 第4部定理50の証明
 証明頼るもの 定理27、定理13、定理9の備考
 備考善を行おうとする意志すなわち衝動は、恩恵を施そうと欲するものを憐れむことから生じ、善意と呼ばれる。善意とは、同情から生じた欲望にほかならない。
頼るもの 定理22の備考
使われる箇所 感情の定義18、感情の定義33の説明、感情の定義35
定理1〜59
定理28喜びに資すると想像するものはすべて、それが実現するよう促進することに努める、反対に、それと対立するもの、すなわち悲しみに資すると想像するものは、取り除くか破壊することに努める。
使われる箇所 定理28の証明、定理29の証明、定理31の系、定理32の証明、定理35の証明、定理36の証明、定理38の証明、定理39の証明、定理39の備考、定理50の備考、定理51の備考、定理55の備考、第4部定理19の証明、第4部定理37の備考2、第5部定理19の証明
 証明頼るもの 定理12、第2部定理17、第2部定理7の系、第2部定理11の系、定理9の備考、定理13の備考、定理20、定理28、定理13
定理29私たちは、人々が喜びをもって眺めると想像することをすべて行うことにも努め、反対に、人々が避けると想像することを行うのは避けようとする。
使われる箇所 定理33の証明、定理43の証明
 証明頼るもの 定理27、定理13の備考、定理28
 備考人々に気に入られるというだけの理由で何かを行い、あるいは控える努力は野心と呼ばれ、とくに自他の損害を伴ってまで民衆に気に入られようとする場合がそうで、そうでなければ人当たりのよさと呼ばれる。また、私たちを喜ばせようと努めた他人の行為を想像するときの喜びを称賛、その行為を避けるときの悲しみを非難と呼ぶ。
使われる箇所 定理31の備考、定理53の系、感情の定義48の説明、第4部定理37の備考2
定理30他の人々に喜びを与えると自分で想像することを行った人は、自分を原因とする観念を伴った喜びを感じる、すなわち自分自身を喜びをもって観想し、反対に悲しみを与えると想像することを行った人は、自分自身を悲しみをもって観想する。
使われる箇所 定理34の証明、定理40の備考、定理41の備考、定理43の証明
 証明頼るもの 定理27、第2部定理19、第2部定理23
 備考自己を原因とするこの喜びと悲しみは愛と憎しみの一種だが、愛と憎しみは外的な対象に関係づけられるので別の名で呼ぶ。外的原因の観念を伴う喜びを栄誉、反対の悲しみを恥と呼び(自分が称賛され、あるいは非難されていると信じる場合)、それ以外で内的原因の観念を伴う喜びを自己満足、悲しみを後悔と呼ぶ。他人に与える喜びは想像上にすぎないことがあるので、栄誉を好む人が、実は皆の厄介者なのに、自分は皆に好かれていると想像して高慢になることも起こりうる。
頼るもの 定理13の備考、第2部定理17の系、定理25
使われる箇所 定理34の証明、定理35の証明、定理40の備考、定理41の備考、定理42の証明、感情の定義29の説明、感情の定義31の説明
定理31ある人が、私たち自身が愛し、欲し、あるいは憎んでいるものを、愛し、欲し、あるいは憎んでいると想像すれば、私たちはそのものをより安定して愛することになり、反対に、私たちが愛するものをその人が避けていると想像する場合、あるいはその人が私たちの憎むものを愛している場合には、私たちは心の動揺を被る。
使われる箇所 定理32の備考、定理35の証明、感情の定義44の説明、第4部定理34の備考、第4部定理37の別証明、第5部定理20の証明
 証明頼るもの 定理27、定理17の備考
 系各人はできるかぎり、すべての人が自分の愛するものを愛し、自分の憎むものを憎むようにと努める。
頼るもの 定理28
使われる箇所 第4部定理37の別証明、第5部定理4の備考
 備考各人が自分の愛するもの、憎むものを皆に是認させようと努める努力は、実のところ野心である。各人は本性から、皆が自分の気質に従って生きることを求めるので、皆が互いの妨げとなり、皆が称賛され愛されたいと望めば、互いに憎み合う。
頼るもの 定理29の備考
使われる箇所 第4部第19項
定理32ある人が、一人しか所有できないものを享受していると想像すれば、私たちはその人がそのものを所有しないようにしようと努める。
使われる箇所 感情の定義33の説明、第4部定理34の証明
 証明頼るもの 定理27、定理27の系1、定理28
 備考人間の本性は、たいてい不幸な人を憐れみ、他人が所有すると想像するものを強く愛するほど、幸福な人を大きな憎しみで妬むようにできており、憐れみ深さも、妬み深さと野心も、同じ本性から帰結する。経験もそれを示し、子どもは、他人が笑い泣くのを見るだけで自分も笑い泣き、他人が行うことをまねたがり、他人が楽しんでいると想像するものを自分のために欲する。
頼るもの 定理31
使われる箇所 定理55の備考、感情の定義24の説明、感情の定義33の説明、第4部定理34の証明
定理33私たちは、自分に似たものを愛するとき、そのものが逆に私たちを愛するように、できるかぎり努める。
使われる箇所 定理34の証明、定理38の証明、定理42の証明
 証明頼るもの 定理12、定理29、定理13の備考
定理34愛するものが私たちに対してより大きな感情を抱いていると想像するほど、私たちはいっそう栄誉を感じる。
使われる箇所 定理35の証明、定理42の証明、定理49の備考
 証明頼るもの 定理33、定理13の備考、定理11、定理11の備考、定理30、定理30の備考
定理35ある人が、愛するものが、自分だけがそのものを所有していたときと同じか、それより緊密な友情の絆で、別の人を自分に結びつけると想像するなら、その人は愛するもの自体に対して憎しみを抱き、その別の人を妬む。
 証明頼るもの 定理34、定理30の備考、定理28、定理31、定理11の備考、定理13の備考、定理15の系、定理23
 備考愛するものへのこの憎しみは、妬みと結びつくと嫉妬と呼ばれ、嫉妬とは、妬まれる別の人の観念を伴う、愛と憎しみから同時に生じる心の動揺である。この憎しみは、愛し返されて得ていた喜びが大きいほど、また相手に抱いていた感情が大きいほど大きくなる。女性への愛では、衝動が抑制されて悲しむだけでなく、愛する女性の像を相手の恥部や排泄物に結びつけざるをえないので嫌悪し、さらにかつての顔つきで迎えられなくなることでも悲しむ。
頼るもの 定理24、定理15の系
使われる箇所 第5部定理20の証明
定理36一度それによって喜びを得たものを思い出す人は、最初にそのものから喜びを得たときと同じ事情のもとで、そのものを所有しようと欲する。
使われる箇所 定理36の証明
 証明頼るもの 定理15、定理28
 系それらの事情のうち一つが欠けていると気づけば、愛する人は悲しむ。
 証明頼るもの 定理36、定理19
 備考この悲しみは、愛するものの不在に関わる限りで、思慕と呼ばれる。
定理37悲しみや喜びから、また憎しみや愛から生じる欲望は、その感情が大きいほど大きい。
使われる箇所 定理38の証明、定理39の証明、定理43の証明、定理44の証明、第4部定理15の証明、第4部定理37の別証明、第4部定理44の証明
 証明頼るもの 定理11の備考、定理7、定理5、悲しみの定義、定理9の備考
定理38ある人が愛するものを憎み始め、愛が完全に消えたなら、その人は、同じ原因のもとで、そのものを一度も愛したことがなかった場合より大きな憎しみを向ける、しかも、以前の愛が大きかったほど、その憎しみはいっそう大きい。
 証明頼るもの 定理13の備考、定理28、定理21、定理37、定理33、定理13の系、定理23、定理11の備考
使われる箇所 定理44の証明
定理39ある人を憎んでいる者は、その人から自分により大きな悪が生じることを恐れるのでない限り、その人に悪を加えようと努力する、逆に、ある人を愛する者は、同じ法則に従って、その人に善を行おうと努力する。
使われる箇所 定理40の備考、定理40の証明、定理41の備考、感情の定義34、感情の定義36、第4部定理34の証明、第4部定理37の備考2、第4部定理45の証明、第4部定理45の系1、第4部定理45の系2
 証明頼るもの 定理13の備考、定理28、定理37
 備考善とは、あらゆる種類の喜びとそれに資するもの、とくに願望を満たすもの、悪とは、あらゆる種類の悲しみ、とくに願望を挫くものである。私たちは善いから欲するのではなく、欲するものを善と呼ぶので、各人は自分の感情に基づいて善悪を判断し、貪欲な人は銀の豊富を最善、野心家は栄誉を最善で恥を最悪、妬み深い人は他人の不幸を最も快いとする。望むものを望まないように仕向ける感情は臆病で、将来の悪をより小さな悪で避けるように仕向けられる限りでの恐れであり、恐れる悪が恥なら内気、避ける欲望が別の悪への臆病で抑えられてどちらを望むか分からなくなる場合の恐れは狼狽と呼ばれる。
頼るもの 定理9の備考、定理28
使われる箇所 定理51の備考、感情の定義39、感情の定義42の説明、第4部定理70の証明
定理40ある人から自分が憎まれていると想像し、しかも、自分はその人に憎しみの原因を何も与えなかったと信じる者は、逆にその人を憎む。
使われる箇所 定理40の系1、定理40の証明、定理41の証明、定理43の証明、定理45の証明、定理49の備考、第4部定理34の証明
 証明頼るもの 定理27、定理13の備考
 備考自分が憎しみの正当な原因を与えたと想像するなら恥を抱くが、これはまれである。憎しみの応酬は、憎しみに悪を加えようとする努力が続くことからも生じる。憎まれていると想像する者は、相手を悲しみの原因として想像して悲しみあるいは恐れを抱き、逆に憎む。
頼るもの 定理30、定理30の備考、定理25、定理39
使われる箇所 定理41の証明、定理41の備考、第4部定理34の証明
 系1愛する相手が自分に憎しみを抱いていると想像する者は、憎しみと愛の間で同時に葛藤する。
頼るもの 定理40
使われる箇所 定理41の系
 系2以前は何の感情も向けなかった相手から、憎しみのゆえに何らかの悪を加えられたと想像するならば、ただちに同じ悪をその相手に返そうと努力する。
使われる箇所 感情の定義37、第4部定理37の備考2
 証明頼るもの 定理40、定理26、定理39
 備考憎む相手に悪を加えようとする努力は怒り、自分に加えられた悪を返そうとする努力は復讐と呼ばれる。
使われる箇所 定理41の証明、定理41の備考、第4部定理34の証明
定理41ある人から自分が愛されていると想像し、しかも、自分はそのための原因を何も与えなかったと信じる場合(これは、この部の定理15の系と定理16により起こりうる)、その人を逆に愛する。
使われる箇所 定理43の証明
 証明頼るもの 定理40、定理40の備考
 備考愛の正当な原因を与えたと信じるなら栄誉を感じ、これはより頻繁に起こるが、憎まれていると想像するときは反対のことが起こる。自分を愛し自分に善を行おうと努める人に善を行おうとする相互的な愛の努力は謝意すなわち感謝と呼ばれ、人間は恩に報いることより復讐へはるかに傾きやすい。
頼るもの 定理30、定理30の備考、定理25、定理40の備考、定理39
使われる箇所 感情の定義34、第4部定理49の証明、第4部定理57の備考
 系憎む相手から自分が愛されていると想像する者は、憎しみと愛の間で同時に葛藤する。
頼るもの 定理40の系1
 備考憎しみが勝った場合には、自分を愛する相手に悪を加えようと努力し、この感情は残酷と呼ばれる。とくに、愛する人が憎しみの共通の原因を何も与えなかったと信じられる場合がそうである。
使われる箇所 感情の定義34、第4部定理49の証明、第4部定理57の備考
定理42愛あるいは栄誉への希望に動かされて、ある人に恩恵を施した者は、その恩恵が恩知らずの心で受け取られるのを見たならば、悲しむ。
使われる箇所 第4部定理70の証明
 証明頼るもの 定理33、定理34、定理30の備考、定理12、定理19
定理43憎しみは、返される憎しみによって増大し、逆に、愛によって消すことができる。
使われる箇所 定理49の備考、第4部定理46の証明
 証明頼るもの 定理40、定理30、定理29、定理41、定理37、定理26
定理44憎しみは、愛に完全に打ち負かされると愛に移行する、そしてそれゆえ、その愛は、憎しみが先行しなかった場合よりも大きい。
使われる箇所 第4部定理46の証明
 証明頼るもの 定理38の証明、定理13の備考、定理37
 備考それでも、より大きな喜びを得るために、何かを憎もうとしたり悲しみを受けようとしたりする人はいない。損害を取り戻す望みから損害を欲する人も、回復する望みから病気を願う人もおらず、各人は常に自分の存在を維持し悲しみを取り除こうと努める。もし後により大きな愛を得るために憎むことを欲しうるなら、憎しみが大きいほど愛も大きいので、人は憎しみの増大を常に望み、常に病気になろうと努めることになるが、これは不合理である。
頼るもの 定理6
定理45自分に似た人が、自分が愛している自分に似たものに対して憎しみを抱いていると想像する人は、その人を憎む。
 証明頼るもの 定理40、定理13の備考、定理21
定理46誰かが、自分とは異なるある階級あるいは国民に属する人から、喜びあるいは悲しみを与えられ、その人の観念が、階級あるいは国民という普遍的な名のもとで原因として伴っているなら、その人は、その一人だけでなく、同じ階級あるいは国民のすべての人を愛し、あるいは憎むことになる。
 証明頼るもの 定理16
定理47喜び、すなわち、憎んでいるものが破壊される、あるいは別の悪を受けると想像することから生じる喜びは、心の何らかの悲しみを伴って生じる。
 証明頼るもの 定理27
 備考この定理は第2部定理17の系からも証明できる。ものを思い出すたびに、現実には存在しなくても私たちはそれを現在のものとして観想して悲しみへと決定されるが、この決定はそのものの存在を排除する事柄の記憶に抑えられ、決定が抑えられるかぎりで人間は喜ぶ。この喜びは思い出すたびに繰り返される。過去の悪を思い出して喜ぶことや、解放された危険を語って楽しむことも同じ原因による。危険の想像による恐れへの決定が、解放の自由の観念によって抑えられるからである。
頼るもの 第2部定理17の系
使われる箇所 感情の定義11の説明、感情の定義32の説明
定理48たとえば、ペトロに対する愛と憎しみは、憎しみが含む悲しみと愛が含む喜びが、別の原因の観念に結びつけられると、破壊される、そして、ペトロだけがそのいずれかの原因であったのではないと想像するかぎり、愛と憎しみはどちらも減少する。
使われる箇所 定理49の証明、第5部定理6の証明、第5部定理9の証明
 証明頼るもの 定理13の備考
定理49自由であると想像するものに対する愛と憎しみは、原因が同等であるなら、そのどちらも、必然的であると想像するものに対するものより大きくなければならない。
使われる箇所 定理51の備考、第5部定理5の証明
 証明頼るもの 第1部定義7、定理13の備考、定理48
 備考人間は、自分が自由であると考えるので、他のものに対するよりも大きな愛あるいは憎しみで互いに接する。これに加えて、感情の模倣がある。
頼るもの 定理27、定理34、定理40、定理43
定理50どんなものでも、偶然によって希望あるいは恐れの原因でありうる。
 証明頼るもの 定理15、定理18の備考2
 備考偶然によって希望あるいは恐れの原因となるものは吉兆あるいは凶兆と呼ばれ、私たちはそれらを愛し憎み、希望するものへの手段として用いようと努め、あるいは障害や恐れの原因として取り除こうと努める。希望するものは容易に信じ、恐れるものは信じにくく、正当な程度より多く、あるいは少なく思うよう構成されていることから、人間が悩まされる迷信が生じた。希望と恐れから生じる心の動揺は示すに値しない。希望には恐れが、恐れには希望が必ず伴い、希望し恐れるかぎり愛し憎むので、愛と憎しみについて述べたことを容易に適用できるからである。
頼るもの 定理18の備考2、定理15の系、定理28、定理25
定理51異なる人々は、同一の対象から異なる仕方で触発されうる、また、同一の人間も、同一の対象から、異なる時には異なる仕方で触発されうる。
使われる箇所 第4部定理33の証明
 証明頼るもの 第2部要請3、第2部補助定理3、第2部公理1
 備考愛するものを別の人が憎み、恐れるものを別の人が恐れないことがあり、同一人でも以前憎んだものをいま愛することがある。各人は自分の感情から善悪を判断するので、判断も感情も人によって変わり、人々は感情の違いだけから区別される。私が恐れる悪を軽んじる人は、私には恐れを知らない人であり、その欲望が、私なら抑えられる恐れに抑制されないことに注目すれば大胆と呼ぶ。反対に私が軽んじる悪を恐れる人は臆病に見え、私を抑えられない悪への恐れで欲望が抑制されることに注目すれば小心と呼ぶ。さらに、感情だけから判断すること、促進し遠ざけようと努めるものがしばしば想像上にすぎないことから、人間は自分自身を原因とする観念を伴って悲しみにも喜びにも触発されうる。後悔は自分自身を原因とする観念を伴う悲しみ、自己満足は同じく喜びであり、人間は自分が自由だと信じているので、これらは激しい。
頼るもの 定理39の備考、定理28、定理49
使われる箇所 感情の定義27の説明、感情の定義42の説明
定理52他のものと一緒に前に見たことのある対象、あるいは多くのものに共通するものしかもたないと想像する対象を、私たちは、何か特異なものをもつと想像する対象ほど長くは観想しない。
使われる箇所 感情の定義4、感情の定義10の説明
 証明頼るもの 第2部定理18、第2部定理18の備考
 備考個物の想像が精神のうちにそれだけ存在するかぎり、この変状は驚嘆と呼ばれる。悪への驚嘆が人をその悪の観想にとどめ避ける手立てを考えられなくするとき、恐れる対象によるなら狼狽である。人の思慮や勤勉への驚嘆は、その人が自分をはるかにしのぐと観想するので崇敬、怒りや妬みへの驚嘆は戦慄であり、愛する人の思慮への驚嘆と結びついた愛は帰依である。感情の名称は、正確な認識よりも通俗的な用法から作られた。驚嘆に対立するのは軽蔑で、他人が驚嘆するのを見て、あるいは似て見えるものによって驚嘆などに決定されたのに、現前や正確な観想で原因となりうるものをすべて否定せざるをえなくなると、精神は対象にあるものよりないものを考える。帰依が愛するものへの驚嘆から生じるように、嘲笑は憎むか恐れるものへの軽蔑から、崇敬が思慮への驚嘆から生じるように、見下しは愚かさへの軽蔑から生じる。
頼るもの 定理12、定理15、定理15の系、定理27
使われる箇所 定理55の備考、感情の定義4、感情の定義5、感情の定義11の説明、感情の定義42の説明
定理53精神が自分自身とその能動する力能を観想するとき、精神は喜ぶ、自分自身とその能動する力能をより判明に想像するほど、いっそう喜ぶ。
使われる箇所 定理55の備考、定理58の証明、感情の定義27の説明、第5部定理15の証明
 証明頼るもの 第2部定理19、第2部定理23、定理11の備考
 系この喜びは、人間が他の人々から称賛されると想像するほど、ますます育まれる。
頼るもの 定理29の備考、定理27
使われる箇所 定理55の系、第4部定理52の備考
定理54精神は、自らの能動する力能を措定するものだけを想像しようと努める。
使われる箇所 定理55の証明、感情の定義27の説明、感情の定義29の説明
 証明頼るもの 定理7
定理55精神が自分の無力を想像するとき、まさにそのことによって悲しむ。
使われる箇所 感情の定義27の説明、第4部定理53の証明
 証明頼るもの 定理54、定理11の備考
 系この悲しみは、他人から非難されていると想像すると、いっそう強まる。
頼るもの 定理53の系
使われる箇所 第4部定理52の備考
 備考この悲しみに自分の弱さの観念が伴うと謙遜、自分自身の観想から生じる喜びは自己愛あるいは自己満足と呼ばれる。この喜びは自分の徳を観想するたびに繰り返され、各人は自分の行いを語り力を誇示したがって互いに煩わしくなる。各人は、他人には否定することを自分のうちに個物として観想するとき最も喜び、自分の行為が他人より弱いと想像すれば悲しんで、同等な者の行為を誤って解釈し、自分の行為を飾り立てて悲しみを取り除こうとする。したがって人間は本性上妬み深く、憎しみに傾きやすく、教育も名誉と妬みの刺激でこれに加わる。だが人々の徳に驚嘆して敬うこともあるという疑念が残るので、次の系を加える。
頼るもの 定理24の備考、定理32の備考、定理53、第2部定理40の備考1、定理28
使われる箇所 感情の定義27の説明、第4部定理34の証明、第4部定理57の備考
 系だれも、自分と同等な者でなければ、その徳を妬まない。
使われる箇所 第4部定理52の備考
 証明頼るもの 定理24の備考、定理13の備考、定理11の備考、定理9の備考
 備考定理52の備考で人の思慮や強さへの驚嘆からその人を敬うと述べたのは、これらの徳がその人にだけ備わり、私たちの本性に共通のものとしては想像されないからである。木の高さやライオンの強さを妬まないのと同様に、その徳も妬まない。
頼るもの 定理52の備考
使われる箇所 感情の定義27の説明、第4部定理34の証明、第4部定理57の備考
定理56喜び、悲しみ、欲望の種、したがって、たとえば心の動揺のように、これらから合成される感情や、これらから派生する感情、すなわち愛、憎しみ、希望、恐れなどの各感情の種は、私たちが触発される対象の種と同じ数だけ与えられる。
使われる箇所 定理56の備考、第4部定理33の証明
 証明頼るもの 定理11の備考、定理1、定理3、第2部定理40の備考、第2部定理17、第2部定理17の備考、定理9の備考
 備考感情の種は非常に多く、顕著なものに大食、泥酔、色欲、貪欲、野心がある。これらは飲み食い、飲酒、性交、富、栄誉に対する度を越した愛あるいは欲望にほかならず、対象によって説明されたものであり、対象だけで区別するかぎり反対の感情はない。節制、節酒、貞潔は受動ではなく、それらを抑制する心の力能を示すからである。残りの種は対象と同数あるので説明できず、必要もない。感情の力と精神の力能を決定するには、感情と精神の共通の特性を理解すれば足り、子供への愛と妻への愛の違いのような探究も要らない。
頼るもの 定理56
使われる箇所 感情の定義48の説明
定理57各個体の感情は、他の個体の感情と、一方の本質が他方の本質と異なるのと同じ程度に異なる。
使われる箇所 定理57の備考
 証明頼るもの 第2部公理1、第2部補助定理3、定理9の備考、定理11、定理11の備考
 備考動物の感情は、その動物の本性が人間の本性と異なるのと同じ程度に人間の感情と異なる。獣が感覚することは疑えず、馬も人間も色欲に駆られるが、馬は馬の、人間は人間の色欲に駆られ、昆虫、魚、鳥のそれも異なる。各個体の生命と歓喜は同じ個体の魂にほかならないので、歓喜も本質が異なるのと同じ程度に異なり、酔った者と哲学者の歓喜にもかなりの違いがある。残るのは、人間が能動する限りでの感情について少し付け加えることである。
頼るもの 定理57
使われる箇所 第4部定理37の備考1
定理58受動である喜びと欲望のほかに、私たちが能動する限りで私たちに関係づけられる、喜びと欲望の別の感情が与えられる。
使われる箇所 定理59の証明
 証明頼るもの 定理53、第2部定理43、第2部定理40の備考2、定理1、定理9、定理9の備考
定理59精神が能動する限りで精神に関係づけられるすべての感情のうちには、喜びあるいは欲望に関係づけられるもの以外のものは存在しない。
使われる箇所 第4部定理34の証明、第4部定理51の証明、第4部定理63の証明、第4部定理63の系の証明、第5部定理10の備考、第5部定理18の証明、第5部定理18の備考、第5部定理42の証明
 証明頼るもの 定理11、定理11の備考、定理1、定理58
 備考精神が理解する限りで関係づけられる感情から生じる行為を強さに帰し、強さを気概と高潔に区別する。気概は理性の命令のみに従って自己の存在を保存しようと努める欲望、高潔は理性の命令のみに従って他の人々を助け友情で自分に結びつけようと努める欲望であり、節制、節酒、危険に際しての沈着は気概の種、慎み、寛容は高潔の種である。以上で主要な感情と心の動揺を第一の原因から示し、私たちが外部の原因に多様に揺り動かされ、反対の風に揺れる波のように自分の成り行きと運命を知らずに動揺していることが明らかになった。省いた感情は有益さより好奇心に関わる。愛については、享受するうちに身体が新しい状態を獲得して精神も別のことを欲し始めることがしばしばあり、たとえば食べるうちに胃が満たされたのに食べ物が目の前にあると、新しい状態が食べる欲望に逆らい、食べ物の現前が不快になる。これが嫌悪と倦怠である。震えや笑いなど身体の外的な変状は、身体だけに関係づけられるので取り上げなかった。
使われる箇所 第4部定理46の証明、第4部定理69の証明、第4部定理69の備考、第4部定理73の備考
感情の定義
感情の定義1欲望とは、人間の本質そのものであり、ただし、人間のどのような変状が与えられても、その変状によって何かを行うように決定されたものとして考えられる限りでのものである。
使われる箇所 第4部定理15の証明、第4部定理18の証明、第4部定理19の証明、第4部定理21の証明、第4部定理37の証明、第4部定理59の証明、第4部定理61の証明、第5部定理26の証明、第5部定理28の証明
 説明欲望は自らについての意識を伴う衝動だと先に述べたが、衝動と欲望に差異はなく、衝動は意識の有無にかかわらず同じである。そこで同語反復を避け、衝動、意志、欲望、衝迫と呼ばれる人間の本性のあらゆる努力を含むように定義した。ただ「決定されたものとして考えられる限りでの本質」だけでは精神が欲望を意識しうることが帰結しないので、その原因を含めるために「人間のどのような変状が与えられても」を付け加えた。変状とは本質のあらゆる状態のことで、生得でも外から身についたものでも、思考だけ、延長だけ、両方に関わるものでもよい。欲望は人間の状態に応じてさまざまでしばしば対立する努力であり、人間はさまざまな方向に引かれて、どこへ向かうべきかを知らない。
頼るもの 定理9の備考、第2部定理23
感情の定義2喜びとは、人間がより小さな完全性からより大きな完全性へ移行することである。
使われる箇所 第5部定理17の証明、第5部定理27の証明
感情の定義3悲しみとは、人間がより大きな完全性からより小さな完全性へ移行することである。
使われる箇所 定理37の証明、第4部定理64の証明、第5部定理17の証明
 説明喜びは完全性そのものではないので移行と言う。移行先の完全性をもって生まれた人は、喜びなしにそれを所有するからである。悲しみも、より小さな完全性への移行にあって、より小さな完全性そのものにも、より大きな完全性の欠如にもない。欠如は無だが、悲しみは能動する力能が減少させられ抑えられる作用だからである。快活、快感、憂うつ、苦痛は主に身体に関係づけられる喜びあるいは悲しみの種類なので、定義を省く。
頼るもの 定理11の備考
感情の定義4驚嘆とは、あるものの想像であって、その個別の想像がほかの想像と何の連結ももたないために、精神がそこに釘付けになったままでいるものである。
頼るもの 定理52、定理52の備考
 説明精神があるものから別のものの思考へ移るのは、像が互いに連結されているためで、ものの像が新しい場合にはこの移行がなく、精神は別の原因が別のことを考えるように決定するまで、その観想にとどまる。新しいものの想像は、それ自体では他の想像と同じ本性であり、精神の放心は積極的な原因ではなく決定する原因の欠如から生じるので、驚嘆を感情の数に入れない。
頼るもの 第2部定理18の備考
使われる箇所 第4部定理59の証明
 説明2したがって根源的な感情は喜び、悲しみ、欲望の三つだけであり、驚嘆を述べたのは、派生する一部の感情が驚嘆する対象に関係づけられると別の名で示されるからである。同じ理由で軽蔑の定義も加える。
頼るもの 定理11の備考
使われる箇所 第4部定理59の証明
感情の定義5軽蔑とは、あるものの想像であって、精神にごくわずかしか触れないため、精神自身が、そのものの現前によって、そのもののうちにあることよりも、そのもののうちにないことを想像するように動かされるものである。
頼るもの 定理52の備考
 説明私の知る限り、これらから名を取る感情は何もないので、尊敬と見下しの定義は省く。
感情の定義6愛とは、外的な原因の観念を伴う喜びである。
使われる箇所 第4部定理34の備考、第4部定理44の証明、第4部定理57の証明、第5部定理2の証明、第5部定理15の証明、第5部定理17の系、第5部定理32の系
 説明この定義は愛の本質を明らかに説明する。愛とは愛する者が愛されるものと結びつこうとする意志だと定義する著者たちは、本質ではなく特性を表しており、本質を見抜かなかったので定義が不明瞭になった。私が特性として意志と言うときは、同意や自由な決意でも、不在のときに結びつこうとする欲望や現前にとどまろうとする欲望でもなく、愛はそうした欲望なしにも考えられる。それは、愛されるものの現前のゆえに愛する者のうちにある安らぎで、その現前が愛する者の喜びを強め、あるいは少なくとも維持する。
頼るもの 第2部定理48
使われる箇所 感情の定義7の説明
感情の定義7憎しみとは、外的な原因の観念を伴う悲しみである。
使われる箇所 第4部定理34の証明、第5部定理2の証明、第5部定理17の系、第5部定理18の証明
 説明注意すべきことは、愛の定義の説明から容易に理解される。
頼るもの 感情の定義6の説明、定理13の備考
感情の定義8傾向とは、偶然に喜びの原因となっているものの観念を伴う喜びである。
感情の定義9反感とは、偶然に悲しみの原因となっているものの観念を伴う悲しみである。
頼るもの 定理15の備考
感情の定義10帰依とは、私たちが驚嘆する相手に対する愛である。
 説明驚嘆はものの新しさから生じるので、驚嘆の対象をたびたび想像すると、私たちは同じものに驚嘆しなくなる。それゆえ、帰依の感情は容易に単なる愛に変質する。
頼るもの 定理52
感情の定義11嘲笑とは、私たちが憎むものの中に、私たちが軽蔑する何かがあると想像することから生じる喜びである。
 説明憎むものを軽蔑するかぎりその存在を否定して喜ぶが、なお憎んでいるので、この喜びは確固としたものではない。
頼るもの 定理52の備考、定理20、定理47の備考
感情の定義12希望とは、未来または過去のもののうち、その結果について私たちが多少疑っているものの観念から生じる、不安定な喜びである。
感情の定義13恐れとは、未来または過去のもののうち、その結果について私たちが多少疑っているものの観念から生じる、不安定な悲しみである。
頼るもの 定理18の備考2
使われる箇所 第4部定理47の証明、第4部定理63の証明
 説明希望と恐れは互いなしには与えられない。希望を抱いて結果を疑う人は、そのものの存在を排除する何かを想像して悲しみ、希望の間もそれが起こることを恐れており、恐れの中で憎むものの結果を疑う人は、同じく排除する何かを想像して喜び、起こらないことを希望している。
頼るもの 定理19、定理20
使われる箇所 第4部定理47の証明
感情の定義14安心とは、未来または過去のもののうち、それについて疑う原因が取り除かれたものの観念から生じる喜びである。
感情の定義15絶望とは、未来または過去のもののうち、それについて疑う原因が取り除かれたものの観念から生じる悲しみである。
 説明結果を疑う原因が取り除かれると、希望から安心が、恐れから絶望が生じる。それは、過去または未来のものを現在のものとして観想するか、疑いをもたらしたものの存在を排除する別のことを想像するときに起こる。個物の結果について確実でなくても疑わないことはありえ、疑わないことと確実性をもつことは別なので、過去や未来のものの像から、現在のものの像からと同じ喜びや悲しみに触発されうる。
頼るもの 第2部定理31の系、第2部定理49の備考、定理18、定理18の備考
感情の定義16歓喜とは、希望に反して起こった過去のものの観念を伴う喜びである。
感情の定義17良心の呵責とは、希望に反して起こった過去のものの観念を伴う悲しみである。
感情の定義18同情とは、私たちと似ていると想像する他人に起こった悪の観念を伴う悲しみである。
頼るもの 定理22の備考、定理27の備考
使われる箇所 第4部定理50の証明
 説明同情と憐れみの間には、同情が個々の感情に関わり、憐れみがその感情の習態に関わるという点を除いて、おそらく違いはない。
感情の定義19好意とは、他人に善をなした人に対する愛である。
使われる箇所 第4部定理51の証明、第4部定理51の別証明
感情の定義20憤慨とは、他人に悪をなした人に対する憎しみである。
使われる箇所 第4部定理51の備考
 説明これらの名称が通常は別のことを意味することは知っているが、私の意図は語の意味の説明ではなく、通常の意味とかけ離れていない語でものの本性を示すことにある。この点は一度注意すれば足りる。
頼るもの 定理27の系1、定理22の備考
感情の定義21高評価とは、愛のために、ある人について正当である以上に高く思うことである。
使われる箇所 第4部定理48の証明
感情の定義22軽視とは、憎しみのために、ある人について正当である以上に低く思うことである。
使われる箇所 第4部定理48の証明
 説明高評価は愛の結果すなわち特性、軽視は憎しみの結果すなわち特性なので、高評価は愛が人に愛するものを正当以上に高く思わせる限りでの愛、軽視は憎しみが人に憎む人を正当以上に低く思わせる限りでの憎しみと定義することもできる。
頼るもの 定理26の備考
感情の定義23妬みとは、憎しみが人をそのように触発して、他人の幸福によって悲しみ、反対に他人の悪によって喜ぶようにさせる限りでの憎しみである。
使われる箇所 第5部定理20の証明
 説明妬みには通常、憐れみが対立させられる。したがって憐れみは、語の意味に反するが、次のように定義できる。
感情の定義24憐れみとは、愛が人をそのように触発して、他人の善によって喜び、反対に他人の悪によって悲しむようにさせる限りでの愛である。
 説明妬みについては定理24の備考と定理32の備考を見よ。以上は外部のものの観念が原因として伴う感情であり、ここから内部のものの観念が原因として伴う感情に移る。
頼るもの 定理24の備考、定理32の備考
感情の定義25自己満足とは、人が自分自身と自分の能動する力能を観想することから生じる喜びである。
使われる箇所 第4部定理52の証明、第5部定理27の証明、第5部定理32の証明、第5部定理36の備考
感情の定義26謙遜とは、人が自分の無力すなわち弱さを観想することから生じる悲しみである。
使われる箇所 第4部定理53の証明
 説明自己満足は、能動する力能の観想から生じる喜びとしては謙遜に、自由な決意から行ったと信じる行為の観念を伴う喜びとしては後悔に対立する。後悔は次のように定義される。
感情の定義27後悔とは、精神の自由な決意から行ったと私たちが信じる何らかの行為の観念を伴う悲しみである。
使われる箇所 第4部定理54の証明
 説明これらの感情の原因は定理51の備考と定理53、54、55およびその備考で示した。悪いと呼ばれる行為に悲しみが、正しいと言われる行為に喜びが伴うのは主に教育による。親が前者を非難して叱り後者を勧め称賛することで、悲しみの動きが前者に、喜びの動きが後者に結びつけられたからである。習慣と宗教は人により違い、ある人に神聖なものが他の人には俗なので、各人は教育に応じて同じ行為を後悔したり誇ったりする。
頼るもの 定理51の備考、定理53、定理54、定理55、定理55の備考、第2部定理35の備考
感情の定義28高慢とは、自己愛から、自分について正当である以上に高く思うことである。
使われる箇所 第4部定理49の証明、第4部定理55の証明、第4部定理57の証明
 説明高慢が高評価と異なるのは、高評価が外的な対象に関係するのに対し、高慢が自分について正当以上に高く思う人間自身に関係する点で、高慢は自己愛の結果である。高慢には反対の感情がない。自分への憎しみや、自分にはできないという想像から正当より低く思う人はいないからで、できないと想像すれば、その間はそれを行うことが実際に不可能になる。ただ思いなしだけに依存する場合には、人が自分を正当より低く思うことはありうる。悲しみながら自分の無力を観想して、他人が考えてもいないのに軽蔑されていると想像する場合、未来が確かでないまま現在の自分について何かを否定する場合、恥への過度の恐れから同等の人々が敢えてすることを敢えてしない場合である。これを高慢に対立させ、卑下と呼ぶ。自己満足から高慢が生じるように謙遜から卑下が生じるので、卑下は次のように定義される。
頼るもの 定理26の備考
感情の定義29卑下とは、悲しみから、自分について正当な程度より低く思うことである。
使われる箇所 第4部定理55の証明
 説明私たちはしばしば高慢に謙遜を対立させるが、そのとき両者の本性より結果に注意している。過度に誇る人、自分の徳しか語らない人、すべての人より優先されたがる人を高慢な人、しばしば赤面する人、自分の悪徳を認める人、すべての人に譲る人を謙遜な人と呼ぶ。謙遜と卑下はきわめてまれで、人間の本性はそれ自体ではこれらに逆らい、最も卑下し謙遜していると信じられている人は、たいてい最も野心的で妬み深い。
頼るもの 定理30の備考、定理13、定理54
感情の定義30栄誉とは、喜びに、他人が称賛すると私たちが想像する自分の何らかの行為の観念が伴うことである。
使われる箇所 第4部定理49の証明、第4部定理58の証明、第5部定理36の備考
感情の定義31恥とは、悲しみに、他人が非難すると私たちが想像する何らかの行為の観念が伴うことである。
 説明恥と羞恥心は区別される。恥は恥じる行為に続く悲しみ、羞恥心は恥ずべきことをしないように自制する、恥に対する恐れすなわち臆病であり、羞恥心に対立させられる厚顔無恥は実際には感情ではない。以上で喜びと悲しみの感情を終え、欲望に帰する感情に進む。
頼るもの 定理30の備考
感情の定義32思慕とは、あるものを手に入れようとする欲望すなわち衝動であり、それは同じものの記憶によって育まれ、同時に、求められるそのものの存在を排除する他のものの記憶によって抑えられる。
 説明あるものを思い出すと、目の前にあるときと同じ感情で観想するように状態づけられるが、この努力は目覚めている間はたいてい、存在を排除するものの像に抑えられる。したがって喜びで触発するものを思い出して現在のものとして観想しようとする努力も、ただちに抑えられる。だから思慕は実際には、憎むものの不在から生じる喜びに対立する悲しみだが、名称が欲望に関わるように見えるので、欲望の感情に帰する。
頼るもの 定理47の備考
感情の定義33競争心とは、他人が同じ欲望をもつと私たちが想像することから、私たちのうちに生じる、あるものへの欲望である。
 説明逃げる人を見て逃げる、恐れる人を見て恐れる、手を焼いた人を見て自分の手を引っ込めるといった場合は、他人の感情を模倣していると言い、競争しているとは言わない。原因の違いによるのではなく、慣用により、高潔、有益、快いと判断するものを模倣する人だけを競争者と呼ぶ。この感情に妬みが結びつく理由は定理32とその備考を見よ。
頼るもの 定理27、定理27の備考、定理32、定理32の備考
感情の定義34謝意、すなわち感謝とは、同じ愛の感情で私たちに恩恵を与えた人に、善いことをしようと努める欲望、すなわち愛の熱意のことである。
頼るもの 定理39、定理41の備考
使われる箇所 第4部定理71の証明
感情の定義35善意とは、憐れみを感じる相手に善いことをしようとする欲望のことである。
頼るもの 定理27の備考
感情の定義36怒りとは、憎しみから、憎む相手に悪を加えるよう駆り立てられる欲望のことである。
頼るもの 定理39
感情の定義37復讐とは、相互の憎しみから、同じ感情で私たちに損害を与えた人に悪を加えるよう駆り立てられる欲望のことである。
頼るもの 定理40の系2、定理40の系2の備考
感情の定義38残酷、すなわち凶暴とは、愛する人、あるいは憐れみを感じる人に悪を加えるよう駆り立てられる欲望のことである。
 説明残酷に対立するのは寛容である。寛容は受動ではなく、人が怒りと復讐を抑える心の力能である。
感情の定義39臆病とは、恐れているより大きな悪を、より小さな悪によって避けようとする欲望のことである。
頼るもの 定理39の備考
感情の定義40大胆とは、同等の人々が受けることを恐れる危険を冒して、何かを行うよう駆り立てられる欲望のことである。
使われる箇所 第4部定理69の証明
感情の定義41小心とは、同等の人々があえて受ける危険に対する臆病によって、欲望が抑えられている人について言われる。
使われる箇所 第4部定理69の証明
 説明小心とは、たいていの人が恐れないのが常である何らかの悪への恐れにほかならない。だから小心を欲望の感情には数えないが、欲望に注目するかぎり小心は大胆に実際に対立するので、ここで説明しておいた。
感情の定義42狼狽とは、恐れている悪への驚嘆によって、その悪を避けようとする欲望が抑えられている人について言われる。
 説明狼狽は小心の一種だが、二重の臆病から生じるので、人を茫然とさせるか動揺させるかして悪を取り除けないように抑える恐れと定義するほうが適切でありうる。茫然とさせるとは欲望が驚嘆によって抑えられること、動揺させるとは別の悪への臆病によって抑えられ、どちらの悪を避けるか分からなくなることである。小心と大胆は定理51の備考を見よ。
頼るもの 定理39の備考、定理52の備考、定理51の備考
感情の定義43人あたりのよさ、すなわち慎みとは、人々の気に入ることを行い、気に入らないことを控えようとする欲望のことである。
感情の定義44野心とは、栄誉に対する過度の欲望のことである。
 説明野心はすべての感情を育み強める欲望なので、ほとんど克服できない。人は何らかの欲望にとらえられている間、必然的に野心にもとらえられているからである。キケロは最も優れた人ほど栄誉に強く導かれると言い、哲学者たちも栄誉を軽んじる書物に自分の名を記す。
頼るもの 定理27、定理31
感情の定義45大食とは、度を越して宴会を楽しもうとする欲望、あるいは愛でもある。
感情の定義46泥酔とは、度を越して飲もうとする欲望であり愛である。
感情の定義47貪欲とは、富に対する度を越した欲望であり愛である。
感情の定義48色欲とは、身体を交わらせることに対する欲望であり、愛でもある。
 説明この欲望は節度の有無にかかわらず色欲と呼ばれる。この五つの感情に反対のものはない。慎みは野心の一種であり、節制、節酒、貞潔は受動ではなく精神の力能を示すからである。貪欲な人、野心的な人、臆病な人が過度の飲食や性交を控えても、貪欲、野心、臆病は大食、泥酔、色欲の反対ではない。貪欲な人は他人の飲食物にむさぼりつくことを望み、野心的な人は知られずにすめば自制せず、臆病な人は望まないことをするだけで、死を避けるために富を海に投げ捨てても貪欲なままであり、好色な者も思いどおりにできないことを悲しみながら好色であり続けるからである。これらが関わるのは行為より衝動と愛なので、対立しうるのは高潔と気概だけである。
頼るもの 定理56の備考、定理29の備考
 説明2嫉妬とそのほかの心の動揺は、定義した感情の合成から生じ、大部分は名前がないので定義を省く。感情はすべて欲望、喜び、悲しみから生じ、この三つのほかには何もなく、関係や外的な名称のためにさまざまな名で呼ばれるだけである。そこで精神だけに関係する感情を次のように定義できる。
感情の一般的定義心の受動と呼ばれる感情とは、混乱した観念であり、精神はこの観念によって、自分の身体、あるいはその何らかの部分が、以前よりも大きな、あるいは小さな存在する力をもつことを肯定し、この観念が与えられると、精神自身は、あれよりもこれを考えるように決定される。
使われる箇所 第4部定理7の証明、第4部定理7の系、第4部定理8の証明、第4部定理9の証明、第4部定理14の証明、第5部定理3の証明、第5部定理4の系、第5部定理17の証明、第5部定理34の証明、第5部定理40の系
 説明感情が混乱した観念であるのは、精神が受動するのが非十全な観念をもつかぎりだからである。この観念が身体あるいはその部分の以前より大きな、あるいは小さな存在する力を肯定するというのは、感情の形相を構成する観念が、能動する力能が増減し、促進され、抑制されることから身体がもつ状態を表現しなければならないからで、物体の観念は外部の物体の本性よりも私たちの身体の現実的な状態を示す。これは過去の状態との比較ではなく、観念が以前より多くまたは少ない実在性を含むものを身体について肯定するという意味である。完全性とはものの本質なので、そのとき精神はより大きな、あるいはより小さな完全性へ移行し、精神の考える力能が増減するとはこのことである。最後に、この観念が与えられると精神自身はあれよりもこれを考えるように決定される、という文言は欲望の本性を表現するために付け加えた。喜びと悲しみの本性は定義の第一の部分が説明している。
頼るもの 定理3、第2部定理16の系2、第2部定理11、第2部定理13
第3部 終わり
第4部 人間の隷属、あるいは感情の力について
序文感情を抑えられない人間の無力を隷属と呼び、その原因と感情の善し悪しをこの部で証明するが、その前に完全性・不完全性と善・悪について述べる。完全・不完全は、もとは作品が作者の意図した目的に達したかどうかを言う語だったが、人々が普遍的観念を模型として立てるようになり、それに合うものを完全、合わないものを不完全と呼ぶようになった。自然のものをそう呼ぶのも先入見による。神あるいは自然は存在するのと同じ必然性で能動し、目的をもたず、目的因とは人間の衝動にほかならない。完全性と不完全性は、個体を一つの類に還元して比べることから作る思考の様態にすぎず、実在性と完全性は同じものである。善と悪も比較から作る思考の様態であり、同じものが善でも悪でも、どちらでもないものでもありうる(音楽の例)。それでも語は保持し、善を人間本性の模型に近づく手段と確実に知るもの、悪をそれを妨げると確実に知るものと解し、模型に近いほど人間を完全と呼ぶ。完全性への移行は本質の変化ではなく能動する力能の増減であり、完全性とは持続ではなく実在性である。
頼るもの 第1部付録、第1部定理16、第2部定義6
使われる箇所 定義2の説明、定理39の証明、定理59の別証明、定理65の証明
定義
定義1善とは、私たちにとって有益であると確実に知っているもののことである。
使われる箇所 定理8の証明、定理26の証明、定理28の証明
定義2悪とは、何らかの善を私たちが所有するのを妨げると確実に知っているもののことである。
使われる箇所 定理8の証明
定義2の説明善と悪のこの定義については、序文の終わり近くを見るようにとの指示。
頼るもの 序文
定義3個物が偶然的と呼ばれるのは、その本質だけに注意するとき、その存在を必然的に置くものも排除するものも見いだされないかぎりにおいてである。
使われる箇所 定理12の証明、定理13の証明
定義4同じ個物が可能的と呼ばれるのは、それを産出するはずの原因に注意するとき、その原因が当の個物を産出するよう決定されているかどうかを知らないかぎりにおいてである。
使われる箇所 定理12の証明
定義4の説明第1部定理33の備考1では可能的なものと偶然的なものを区別しなかったが、それはそこで両者を正確に区別する必要がなかったからである。
頼るもの 第1部定理33の備考1
定義5反対の感情とは、同じ種類に属していても人を異なる方向に引く感情のことであり、たとえば大食と貪欲は、愛の種類でありながら、本性によってではなく付随的に反対である。
定義6未来のもの、現在のもの、過去のものに対する感情の意味は、第3部定理18の備考1と2で説明済みである。
頼るもの 第3部定理18の備考1、第3部定理18の備考2
使われる箇所 定理10の備考
定義6の説明時間の隔たりも場所の隔たりと同様、一定の限界までしか判明に想像できない。判明に想像できる距離を超えて離れた対象(たとえば200フィートを超えるもの)は、すべて等しく遠く、同じ平面上にあるかのように想像されるのと同じく、判明に想像できる間隔を超えて現在から隔たった対象も、すべて等しく遠いものとして、いわば一つの時間の瞬間に関係づけて想像される。
定義7目的とは、それのために私たちが何かを行うところの衝動のことである。
定義8徳と力能は同じものと解する。徳とは、人間に関係づけられるかぎり、人間自身の本性の法則だけによって理解できることを行う権能をもつかぎりでの、人間の本質すなわち本性そのものである。
頼るもの 第3部定理7
使われる箇所 定理18の備考、定理20の証明、定理22の証明、定理23の証明、定理24の証明、定理35の系2、定理56の証明、第5部定理25の証明、第5部定理42の証明
公理
公理自然のうちには、それより力能が大きく強いものが与えられないような個物は与えられない。どの個物にも、それより力能の大きい別のものが与えられ、その別のものによって破壊されうる。
使われる箇所 定理3の証明、定理7の証明
定理1〜73
定理1偽の観念がもつ積極的なものは何も、真なるものが真であるかぎりにおいて現前することによっては、取り除かれない。
使われる箇所 定理14の証明
 証明頼るもの 第2部定理35、第2部定理33、第2部定理32、第3部定理4
 備考この定理は、想像が外部の物体の本性よりも人間の身体の現在の状態を混乱して示す観念であることから、いっそう明らかになる。太陽を約200フィート先と想像する誤りは、真の距離を知れば消えるが、太陽の観念すなわち想像は消えず、距離を知っても太陽は近くに想像される。水面に反射した太陽が水の中にあるかのように見えるのも同じである。こうした想像は真なるものが現前しても消えない。恐れが真の知らせで消えることもあれば偽の知らせで消えることもあるように、想像は、想像されたものの現在の存在を排除する、より強い別の想像が現れることによってのみ消える。
頼るもの 第2部定理16の系2、第2部定理35の備考、第2部定理17
定理2私たちは、自然の一部であるかぎりにおいて受動する。自然のこの一部は、他のものなしにはそれ自身を通しては考えられない。
 証明頼るもの 第3部定義2、第3部定義1
定理3人間が存在に固執する力は限られており、外部の原因の力能によって無限に凌駕される。
使われる箇所 定理4の証明、定理6の証明、定理15の証明、定理43の証明、定理69の証明
 証明頼るもの 公理
定理4人間が自然の一部でないことも、自分の本性だけによって理解でき、自分がその十全な原因であるような変化のほかは何も受けないことも、起こりえない。
使われる箇所 定理68の備考
 証明頼るもの 第1部定理24の系、第3部定理7、第1部定理34、第3部定理4、第3部定理6、定理3、第1部定理16、第1部定理21
 系人間は必然的につねに受動に従属し、自然の共通の秩序に従い、ものの本性が要求するかぎりその秩序に自分を適合させる。
使われる箇所 定理37の備考2
定理5あらゆる受動の力と増大、およびそれが存在し続けることは、私たちが存在し続けようと努める力能によっては定義されず、外部の原因の力能が私たちの力能と比較されることによって定義される。
使われる箇所 定理6の証明、定理7の証明、定理15の証明、定理43の証明、定理69の証明、第5部定理8の証明、第5部定理20の備考
 証明頼るもの 第3部定義1、第3部定義2、第3部定理7、第2部定理16
定理6ある受動すなわち感情の力は、人間のほかの能動すなわち力能を超えることができ、その結果、その感情は人間に執拗に付きまとう。
使われる箇所 定理37の備考2、定理43の証明、定理44の証明、定理60の証明、第5部定理7の証明
 証明頼るもの 定理5、定理3
定理7感情は、抑制されるべき感情と反対でそれより強い感情によらなければ、抑制も除去もされえない。
使われる箇所 定理7の系、定理14の証明、定理15の証明、定理37の備考2、定理69の証明
 証明頼るもの 第3部感情の一般的定義、定理5、第2部定理6、第3部定理5、公理、第2部定理12
 系感情は、精神に関係づけられるかぎり、私たちが受動している変状と反対でそれより強い身体の変状の観念によらなければ、抑制も除去もされえない。
頼るもの 定理7、第3部感情の一般的定義
定理8善と悪の認識は、喜びあるいは悲しみの感情にほかならない。ただし、私たちがその感情を意識しているかぎりにおいてである。
使われる箇所 定理14の証明、定理15の証明、定理19の証明、定理29の証明、定理30の証明、定理63の系の証明、定理64の証明
 証明頼るもの 定義1、定義2、第3部定理7、第3部定理11の備考、第2部定理22、第2部定理21、第2部定理21の備考、第3部感情の一般的定義
定理9その原因が現在私たちのもとにあると想像する感情は、その原因がないと想像する場合よりも強い。
使われる箇所 定理10の証明、定理11の証明、定理13の証明、第5部定理7の証明
 証明頼るもの 第2部定理17の備考、第2部定理16の系2、第3部感情の一般的定義、第2部定理17
 備考先に第3部定理18で、未来や過去のものの像から、現在のものと同じ感情を受けると述べたが、それはそのもの自身の像だけに注意するかぎりで真である。未来のものの現在の存在を排除するほかのものを現前するものとして観想するときに像が弱められることを、否定したのではない。感情の力をこの部で論じる予定だったので、そのときは注意しなかったのである。
頼るもの 第3部定理18
 系未来あるいは過去のもの、すなわち現在を排除して未来や過去の時間との関係で観想するものの像は、ほかの条件が同じならば、現在のものの像より弱く、それに対する感情も現在のものに対する感情より緩やかである。
使われる箇所 定理12の証明、定理16の証明、定理60の備考
定理10まもなく到来すると想像する未来のもの、また過ぎ去ってから久しくないと想像するものの記憶に対しては、それぞれが遠いと想像する場合よりも、私たちはいっそう強く感情を受ける。
使われる箇所 定理12の証明
 証明頼るもの 定理9
 備考定義6で注意したことから、現在から、想像によって決定できる以上の時間の間隔だけ離れた対象に対しては、互いにどれほど長い間隔で離れていると理解していても、私たちは同じように緩やかに感情を受ける。
頼るもの 定義6
定理11必然的なものとして想像するものに対する感情は、ほかの条件が同じならば、可能的なもの、あるいは偶然的なもの、すなわち必然的でないものに対する感情より強い。
使われる箇所 第5部定理5の証明
 証明頼るもの 第1部定理33の備考1、定理9
定理12現在は存在しないと知っており、可能的なものとして想像するものに対する感情は、ほかの条件が同じならば、偶然的なものに対する感情より強い。
使われる箇所 定理12の証明
 証明頼るもの 定義3、定義4、第3部定理18
 系現在は存在しないと知っており、偶然的なものとして想像するものに対する感情は、そのものが現在私たちのもとにあると想像する場合よりも、はるかに緩やかである。
使われる箇所 定理17の証明
 証明頼るもの 定理9の系、定理10、定理12
定理13現在は存在しないと知っている偶然的なものに対する感情は、他の条件が同じなら、過去のものに対する感情よりも弱い。
 証明頼るもの 定義3、第2部定理18、第2部定理18の備考、第2部定理17の系、定理9
定理14善悪の真の認識は、真であるかぎりでは、いかなる感情も抑制することができず、感情として考えられるかぎりでのみ、抑制することができる。
 証明頼るもの 第3部感情の一般的定義、定理1、定理8、定理7
定理15善悪の真の認識から生じる欲望は、私たちが翻弄される感情から生じる他の多くの欲望によって、消されたり抑制されたりすることができる。
使われる箇所 定理16の証明
 証明頼るもの 定理8、第3部感情の定義1、第3部定理37、第3部定理3、第3部定義2、第3部定理7、定理5、定理3、定理7
定理16善悪の認識から、この認識が未来に関わるかぎりで生じる欲望は、現在において快いものごとへの欲望によって、より容易に抑制されたり消されたりすることができる。
使われる箇所 定理17の証明、定理62の備考
 証明頼るもの 定理9の系、定理15
定理17善悪の真の認識から、この認識が偶然的なものごとに関わるかぎりで生じる欲望は、現在しているものごとへの欲望によって、さらにずっと容易に抑制されることができる。
 証明頼るもの 定理16、定理12の系
 備考以上で、人間が真の理性よりも臆見によって動かされ、善悪の真の認識が心を動かしても色欲に屈することが多い原因を示した。「よりよいものを見て是認しながら、より悪いものに従う」という詩人の言葉も、「知識を増す者は苦痛を増す」という伝道者の言葉も、これに由来する。ただし、知らないほうが優れているとも、感情の調整で愚者と知性ある者に違いがないとも結論するのではない。理性が感情の調整に何をなしえて何をなしえないかを決めるために、本性の力能と無力の両方を知る必要があるからである。この部では無力だけを論じ、理性の力能は別に論じる。
使われる箇所 定理37の備考2
定理18他の条件が等しければ、喜びから生じる欲望は、悲しみから生じる欲望よりも強い。
使われる箇所 定理56の備考、定理66の備考
 証明頼るもの 第3部感情の定義1、第3部定理7、第3部定理11の備考
 備考人間の無力と不安定さの原因、人間が理性の指図を守らない理由を示したので、次に、理性が何を指図し、どの感情が理性の規則に合い、どれが反するかを示す必要がある。その証明に先立ち、理性の命じるところを簡潔に示す。理性は本性に反することを要求せず、各人が自分を愛し、真に有益なものを求め、自分の存在をできるかぎり維持しようと努めることを要求する。徳は自分の本性の法則から能動することであり、したがって徳の基礎は存在を維持する努力そのもの、幸福は存在を維持できることにある。徳はそれ自身のために求められるべきであり、自殺する人は心が無力で外部原因に負かされている。また私たちは外のものと交わりなしには存在を維持できず、本性の合致する人間ほど有益なものはなく、二つの同じ本性の個体は結合して二倍の力能をもつ。そこで、すべての人が一致して全員に共通の有益なものを求めるのが最もよく、理性に導かれる人は自分のために求めるものを他人にも欲し、正しく、誠実で、高潔である。この原理を不敬虔の基礎と考える人々に対し、事情はその反対であることを、これから同じ道筋で証明する。
頼るもの 第3部定理4、定義8、第3部定理7、第2部要請4
使われる箇所 定理37の備考1
定理19各人は、自分の本性の法則から、自分が善であると判断するものを必然的に求め、悪であると判断するものを避ける。
使われる箇所 定理35の証明、定理37の証明、定理37の備考2、定理46の証明、定理59の別証明
 証明頼るもの 定理8、第3部定理28、第3部定理9の備考、第3部感情の定義1
定理20各人が自分の有益なものを求め、すなわち自分の存在を維持しようと努め、かつそれができるほど、それだけ多く徳を備えている。反対に、自分の存在を維持することを怠るかぎり、そのかぎりで無力である。
使われる箇所 定理35の系2、定理37の備考2
 証明頼るもの 定義8、第3部定理7、第3部定理4、第3部定理6
 備考自分の本性に反する外部原因に負かされた場合を除いて、自分の存在を維持することを怠る人はいない。だれも自分の本性の必然性から食物を避けたり自殺したりせず、外部原因に強制されてそうする。強制は、他人に右手をねじ曲げられて剣を心臓に向けさせられる場合、セネカのように暴君の命令で血管を切らされる場合(より小さな悪によってより大きな悪を避けようと欲する)、隠れた外部原因が想像と身体を整えて身体が反対の本性を帯び、その本性の観念が精神に与えられえない場合などがある。人間が自分の本性の必然性から存在しないよう努めたり別の形に変わろうと努めたりすることは、無から何かが生じるのと同じく不可能である。
頼るもの 第3部定理10
定理21存在し、能動し、生きること、すなわち現実に存在することを同時に欲しない人は、幸福であり、よく能動し、よく生きることを欲することはできない。
使われる箇所 定理22の系
 証明頼るもの 第3部感情の定義1、第3部定理7
定理22この努力、すなわち自己を維持する努力より先に考えられる徳は、ありえない。
使われる箇所 定理22の系
 証明頼るもの 第3部定理7、定義8
 系自己を維持する努力は、徳の第一にして唯一の基礎である。
頼るもの 定理22、定理21
使われる箇所 定理24の証明、定理25の証明、定理26の証明、定理56の証明、第5部定理41の証明
定理23人間は、非十全な観念をもつことから何かをするように決定されるかぎり、端的には徳から能動すると言われえない。理解することから決定されるかぎりでのみ、そう言われる。
使われる箇所 定理28の証明
 証明頼るもの 第3部定理1、第3部定義1、第3部定義2、定義8
定理24徳に基づいて端的に能動することは、私たちにおいては、理性の導きに従って能動すること、生きること、自己の存在を維持することにほかならず、この三つは同じことを意味する。しかもそれは、自分に有益なものを求めるという基礎に基づいている。
使われる箇所 定理36の証明、定理37の証明、定理56の証明、定理67の証明、定理72の証明、第5部定理41の証明
 証明頼るもの 定義8、第3部定理3、定理22の系
定理25だれも、他のもののために自己の存在を維持しようと努めることはない。
使われる箇所 定理26の証明、定理52の備考
 証明頼るもの 第3部定理7、第3部定理6、定理22の系
定理26理性に基づいて私たちが努めることはすべて、理解することにほかならない。また、精神は、理性を用いるかぎり、理解に役立つもの以外は、何も自分にとって有益だと判断しない。
使われる箇所 定理27の証明、定理28の証明、定理36の証明、定理37の証明、定理38の証明、定理40の証明、定理48の証明、定理53の証明、第5部定理9の証明、第5部定理10の証明
 証明頼るもの 第3部定理7、第3部定理6、第3部定理9の備考、第2部定理40の備考2、第2部定理40、定理22の系、定理25、定義1
定理27私たちが善または悪だと確実に知るのは、理解に実際に役立つもの、あるいは理解を妨げうるものだけである。
使われる箇所 定理28の証明、定理38の証明、定理40の証明、定理48の証明、定理50の証明、第5部定理9の証明、第5部定理10の証明
 証明頼るもの 定理26、第2部定理41、第2部定理43、第2部定理43の備考、第2部定理40の備考
定理28精神の最高の善は神の認識であり、精神の最高の徳は神を認識することである。
使われる箇所 定理36の証明、第5部定理20の証明、第5部定理25の証明、第5部定理27の証明
 証明頼るもの 第1部定義6、第1部定理15、定理26、定理27、定義1、第3部定理1、第3部定理3、定理23
定理29その本性が私たちの本性とまったく異なる個物は、どれも、私たちの能動する力能を助けることも抑えることもできない。端的に言って、私たちと共通するものをもたないかぎり、どんなものも私たちにとって善にも悪にもなりえない。
使われる箇所 定理31の系
 証明頼るもの 第2部定理10の系、第1部定理28、第2部定理6、定理8、第3部定理11の備考
定理30どんなものも、私たちの本性と共通してもつものによって悪でありうることはない。ただ、私たちにとって悪であるかぎりで、そのかぎりで私たちに反している。
使われる箇所 定理31の証明、定理34の証明、定理34の備考、第5部定理10の証明、第5部定理38の証明、第5部定理39の証明
 証明頼るもの 定理8、第3部定理11の備考、第3部定理4、第3部定理5
定理31あるものは、私たちの本性と一致するかぎり、そのかぎりで必然的に善である。
使われる箇所 定理31の系、定理34の備考
 証明頼るもの 定理30、公理3、第3部定理6
 系あるものが私たちの本性と一致するほど、私たちにとってより有益でありより善であり、逆に、より有益であるほど私たちの本性とより一致する。
頼るもの 定理29、定理31
使われる箇所 定理35の証明、定理35の系1、定理72の証明
定理32人間は、受動に支配されているかぎり、そのかぎりで本性において一致すると言うことはできない。
 証明頼るもの 第3部定理7、第3部定理3の備考
 備考否定においてのみ一致するものは、実際にはいかなる点でも一致していない。白と黒がどちらも赤でないという点でのみ一致すると言う人は、両者がいかなる点でも一致しないと主張しているのであり、石と人間が、どちらも有限で無力であり、自己の本性の必然性から存在せず、外的な原因の力能に際限なく凌駕されるという点でのみ一致すると言う場合も同じである。
定理33人間は、受動である感情に悩まされるかぎりで、本性において異なりうる。そのかぎりで、同じ一人の人間も変わりやすく、一貫しない。
使われる箇所 定理35の証明、定理37の備考2
 証明頼るもの 第3部定義1、第3部定義2、第3部定理7、第3部定理56、第3部定理51
定理34人間は、受動である感情に悩まされるかぎりで、互いに反対でありうる。
使われる箇所 定理35の証明、定理36の備考、定理37の備考2
 証明頼るもの 第3部定理16、第3部定理32、第3部定理32の備考、第3部定理55の備考、第3部感情の定義7、第3部定理40、第3部定理40の備考、第3部定理39、定理30、第3部定理59
 備考パウロは、自分も愛しているものをペトロが所有していると想像してペトロを憎む。すると、二人は同じものを愛して本性において一致しているのに互いに害になることになり、定理30と定理31が偽になるように見える。しかし両者は両立する。二人が互いに煩わしいのは、同じものを愛して一致しているかぎりではなく、異なっているかぎりにおいてである。同じものを愛するかぎり、それぞれの愛すなわち喜びが育まれるからである。煩わしさの原因は、ペトロは愛するものをすでに所有している、パウロはそれを失ったという観念をもち、パウロは悲しみに、ペトロは喜びに触発されるという、二人の異なりにある。憎しみのほかの原因も、一致する点ではなく、異なる点にのみ依存することを示せる。
頼るもの 定理30、定理31、第3部定理31、第3部感情の定義6
定理35人間は、理性の導きに従って生きるかぎりでのみ、本性において常に必然的に一致する。
使われる箇所 定理35の系1、定理35の系2、定理36の備考、定理40の証明、定理71の証明
 証明頼るもの 定理33、定理34、第3部定理3、第3部定義2、定理19、第2部定理41、定理31の系
 系1自然のうちには、理性の導きに従って生きる人間ほど人間にとって有益な個物は与えられない。
頼るもの 定理31の系、第3部定義2、定理35
使われる箇所 定理35の系2、定理37の証明、定理37の備考2、定理71の証明
 系2各人が自分の有益なものを最も求めるとき、人間は互いに最も有益である。
頼るもの 定理20、定義8、第3部定理3、定理35、定理35の系1
 備考人間は人間にとって神であると、ほとんどすべての人が日々の経験から口にする。ただし理性の導きに従って生きることはまれで、人間はたいてい妬み深く互いに煩わしい。それでも孤独な生活はほとんど送れず、人間は社会的動物であるという定義が気に入られてきた。社会からは損害よりはるかに多くの利益が生じるので、風刺家、神学者、憂うつな人々が人間を笑い、嫌悪し、動物を賛美しても、人間は助け合うことで必要なものをはるかに容易に得、力を合わせてのみ危険を避けられることを経験するだろう。人間の行いの観想が動物の行いの観想よりすぐれることは、別の機会に述べる。
使われる箇所 定理37の備考2
定理36徳を追求する人々の最高の善は、すべての人に共通であり、すべての人が等しくそれを喜ぶことができる。
使われる箇所 定理37の別証明、第5部定理20の証明
 証明頼るもの 定理24、定理26、定理28、第2部定理47、第2部定理47の備考
 備考徳を追求する人々の最高の善がすべての人に共通でないなら、理性に導かれ本性において一致する人間が、定理34で示したように互いに反対になるのではないか、と問う人がいるかもしれない。これに対しては、最高の善が万人に共通なのは偶然ではなく、理性の本性そのものから生じると答える。その善は、理性によって定義されるかぎりの人間の本質から導かれ、また、神の永遠で無限な本質の十全な認識をもつことが人間精神の本質に属する以上、人間はこの善を喜ぶ権能なしには存在も思考もできないからである。
頼るもの 定理34、定理35、第2部定理47
定理37徳を追求する者はだれでも、自分のために求める善を、ほかの人々にも欲するであろう。しかも、神についてより大きな認識をもつほど、いっそう強く欲する。
使われる箇所 定理45の証明、定理45の系1、定理46の証明、定理50の証明、定理51の別証明、定理68の備考、定理70の証明、定理71の証明、定理73の証明、定理73の備考、第5部定理20の証明
 証明頼るもの 定理35の系1、定理19、定理24、定理26、第3部感情の定義1、第2部定理11、第2部定理47、第1部定理15
 別証明自分が愛する善を他の人も愛するのを見るといっそう愛し続けるので他人にも同じ善を愛させようと努め、この善は万人に共通で、より多く享受するほど努力も強まる、という筋で示す。
頼るもの 第3部定理31、第3部定理31の系、定理36、第3部定理37
使われる箇所 第5部定理4の備考
 備考1感情だけから、自分の愛するものを他人にも愛させ、自分の気質に従って生きさせようとする者は、衝迫で動いており嫌われる。理性によって他人を導こうとする者は、人間味をもって親切に行動し、精神が最もよく一定している。神を認識するかぎりで私たちが原因であるものを宗教、理性に従って生きることから生じる善く行おうとする欲望を敬虔、理性に従う人が友情で人を結ぼうとする欲望を高潔さと呼び、理性に従う人々が称賛するものを高潔なもの、友情に反するものを恥ずべきものと呼ぶ。真の徳とは理性の導きに従って生きること以外の何ものでもなく、無力とは、外にあるものに導かれ、外部の共通の状態が要求することを行うよう決定される点にある。ここから、獣を殺してはならないという法は、健全な理性ではなく、むなしい迷信と女々しい憐れみに基づくことが明らかになる。理性は人間との親交は教えるが、本性の異なる獣との親交は教えず、権利は力能で定義されるので、人間が獣に対してもつ権利のほうがはるかに大きい。獣が感覚をもつことは否定しないが、本性が異なるので、私たちの利益のために用いてよい。
頼るもの 定理18の備考、第3部定理57の備考
使われる箇所 定理58の証明、第15項、第25項、第5部定理4の備考、定理45の系2
 備考2第1部の付録で約束した功績と罪、正と不正の説明を、人間の自然状態と国家状態から行う。自然状態では各人が自然の最高の権利により、自分の本性の必然性から帰結することを行い、善悪を判断し、復讐し、愛するものを保存しようと努める。理性に従えば互いを害さずにこの権利を享受できるが、人間は感情に従属して対立するので、権利を譲り他人の害となることをしないと互いに安心させ合う必要がある。感情を抑えるのはより強い反対の感情だけで、害を控えるのはより大きな害を恐れるからなので、社会が各人の復讐と善悪判断の権利を自らに要求し、共通の生き方と法を威嚇によって確立する権能をもてば、社会は確固たるものになる。これが国家であり、守られる人々が市民である。自然状態には万人の合意による善悪も所有もなく、罪も正不正も考えられない。国家状態では善悪とこの人のもの・あの人のものが共通の合意で決まるので、罪は不服従、功績は服従であり、正不正が成り立つ。これらは精神の本性を説明する属性ではなく外的な概念である。
頼るもの 第1部付録、第3部定理29の備考、定理19、定理20、第3部定理40の系2、第3部定理28、定理35の系1、定理4の系、定理6、定理33、定理34、定理35の備考、定理7、第3部定理39、定理17の備考
使われる箇所 定理73の証明、第15項、定理45の系2
定理38人間の身体を、より多くの仕方で触発されうるように整えるもの、あるいは外部の物体をより多くの仕方で触発するのに適するようにするものは、人間にとって有益であり、それが大きいほどより有益である。これに反して、身体をこれらにあまり適さなくするものは有害である。
使われる箇所 定理39の証明、定理41の証明、定理42の証明、定理43の証明、第27項、第5部定理39の証明
 証明頼るもの 第2部定理14、定理26、定理27
定理39人間の身体の諸部分が互いにもつ運動と静止の割合が保たれるようにするものは善であり、別の割合をもつようにするものは悪である。
使われる箇所 定理42の証明、第27項
 証明頼るもの 第2部要請4、第2部定理13の補助定理4の前の定義、第2部要請3、第2部要請6、定理38、序文
 備考身体が死ぬとは、諸部分が別の運動と静止の割合を得るときだと注意する。血液循環など生きている根拠を保ったまま、身体がまったく別の本性に変わりうることも認め、死体にならなければ死なないとする理由はない。経験の例として、病から回復して過去をすっかり忘れ、自作を自分のものと信じなかったスペインの詩人や、自分が幼児だったことを信じにくい成人を挙げる。迷信的な人々に問いの材料を与えないため、これ以上は述べない。精神への影響は第5部で説明される。
使われる箇所 第5部定理38の備考
定理40人間の共通の社会に資するもの、すなわち人間が一致して生きるようにするものは有益であり、国家に不和を引き起こすものは悪である。
 証明頼るもの 定理35、定理26、定理27
定理41喜びは直接には悪ではなく善であり、悲しみは直接に悪である。
使われる箇所 定理43の証明、定理45の備考2、定理47の証明、定理50の証明、定理59の証明
 証明頼るもの 第3部定理11、第3部定理11の備考、定理38
定理42快活は過度になりえず、常に善である。憂うつは常に悪である。
 証明頼るもの 第3部定理11の備考、第3部定理11、定理39、定理38
定理43快感は過度になりえて悪でありうる。苦痛は、快感すなわち喜びが悪であるかぎりにおいて、善でありうる。
使われる箇所 定理43の証明、定理44の証明、定理47の証明、定理59の証明
 証明頼るもの 第3部定理11の備考、定理6、定理38、定理41、定理5、定理3、定理43
定理44愛と欲望は過度になりうる。
 証明頼るもの 第3部感情の定義6、第3部定理11の備考、定理43、第3部定理37、定理6
 備考快活は善だと言ったが、見いだされるより考えるほうが容易である。日々戦う感情はたいてい他より強く触発される身体の一部に関係して過度になり、精神を一つの対象の観想にとどめるからである。現前しない対象が目の前にあると信じるほど触発された人は、眠っていなければ錯乱している、狂っていると言われ、恋に燃える人も笑いを誘うので狂っていると思われる。貪欲な人や野心的な人は憎しみに値するとされるので錯乱とは思われないが、貪欲・野心・色欲などは病気に数えられなくても錯乱の一種である。
使われる箇所 定理58の備考、定理60の備考、第30項
定理45憎しみは、決して善ではありえない。
使われる箇所 定理51の備考
 証明頼るもの 第3部定理39、定理37
 備考1憎しみによって、ここでも以下でも、人間に向けられたものだけを解する。
使われる箇所 第31項
 系1妬み、嘲笑、軽蔑、怒り、復讐、そのほか憎しみに関係する、あるいは憎しみから生じる感情は、悪である。
頼るもの 第3部定理39、定理37
使われる箇所 定理45の備考2、定理46の証明、定理59の別証明
 系2憎しみに触発されて私たちが求めることは何であれ、恥ずべきことであり、国家においては不正なことである。
頼るもの 第3部定理39、定理37の備考
 備考2系1で悪いとした嘲笑と笑いのあいだには大きな違いがある。笑いや冗談は純粋な喜びなので、度を越さなければそれ自体で善である。楽しむことを禁じるのは険しく陰気な迷信だけで、憂うつを追い払うことは飢えと渇きを癒すのと同じくふさわしい。妬み深い者以外は私の無力を楽しまず、涙や恐れも徳に数えない。より大きな喜びに触発されるほど完全性へ移り、神の本性に与るので、ものを用いできるかぎり楽しむのは賢者のなすことである(吐き気を催すまでではない)。節度ある飲食、香り、緑、装飾、音楽、運動の遊戯、劇場などで自らを回復させることは、他人を害さずに誰でもできる。身体は本性の異なる多くの部分から成り多様な栄養を必要とし、それによって身体全体があらゆることに等しく適し、精神も多くを同時に理解するのに適するからである。この生き方は私たちの原理にも通常の実践にも最もよく一致し、最善の生き方がありうるなら、これである。
頼るもの 定理45の系1、定理41
使われる箇所 第31項
定理46理性の導きによって生きる人は、他人の自分に対する憎しみ、怒り、軽蔑などを、できるかぎり、反対に愛、すなわち高潔で埋め合わせようと努める。
使われる箇所 定理73の備考、第5部定理10の備考
 証明頼るもの 定理45の系1、定理19、定理37、第3部定理43、第3部定理44、第3部定理59の備考
 備考不当な仕打ちを相互の憎しみで復讐しようとする人はみじめに生きるが、憎しみを愛で打ち負かそうとする人は喜びのうちに安心して戦い、多数にも一人にも容易に抵抗し、運命の助けをほとんど必要としない。打ち負かされた人々は、力の欠如ではなく力の増大によって、喜んで屈服する。これらは愛と知性の定義から明らかなので、個別には証明しない。
使われる箇所 第15項、第5部定理10の備考
定理47希望と恐れの感情は、それ自体で善であることはできない。
 証明頼るもの 第3部感情の定義13、第3部感情の定義12の説明、第3部感情の定義13の説明、定理41、定理43
 備考これらの感情は認識の欠如と精神の無力を示す。安心・絶望・歓喜・良心の呵責も無力のしるしであり、安心と歓喜は喜びだが、希望と恐れが先行したことを前提とする。理性の導きに従って生きようと努めるほど、希望への依存を減らし、恐れから自由になり、運命を支配し、行動を理性の確かな方針で導こうと努める。
定理48高評価と軽視の感情は、つねに悪である。
 証明頼るもの 第3部感情の定義21、第3部感情の定義22、定理26、定理27
定理49高評価は、高評価される人間を容易に高慢にする。
 証明頼るもの 第3部定理41の備考、第3部感情の定義30、第3部定理25、第3部感情の定義28
定理50同情は、理性の導きによって生きる人においては、それ自体で悪であり、無益である。
 証明頼るもの 第3部感情の定義18、定理41、第3部定理27の系3、定理37、定理27
 系理性の命令によって生きる人は、同情に心を動かされないように、できるかぎり努める。
 備考すべてが神の本性の必然性から帰結すると正しく知る人は、憎しみ・笑い・軽蔑に値するものを見いださず、誰も憐れまず、よく行い喜ぼうと努める。同情に動かされやすい人は、善と確実に知ることを感情からは行えず、偽りの涙にも欺かれ、後悔するようなことをしばしば行う。ここで語っているのは理性に導かれる人についてであり、理性によっても同情によっても人を助けようと動かされない人は、非人間的と呼ばれて当然である。
頼るもの 第3部定理27
使われる箇所 定理73の備考
定理51好意は理性に反せず、理性と一致し、また理性から生じることができる。
 証明頼るもの 第3部感情の定義19、第3部定理59、第3部定理3
 別証明理性に導かれる人は自分の求める善を他人にも欲するので、他人が善行をするのを見ると自分の善行の努力が助けられて喜び、その喜びは善行をした人の観念を伴うため、その人に好意をもつ、という筋で示す。
頼るもの 定理37、第3部定理11の備考、第3部感情の定義19
 備考憤慨は必然的に悪だが、最高権能が平和を守る望みから、他人に不当な仕打ちをした市民を罰するとき、憎しみで滅ぼそうとするのではなく敬虔に動かされているので、権能が市民に憤慨しているとは言わない。
頼るもの 第3部感情の定義20、定理45
定理52自己満足は理性から生じうる。そして、理性から生じる自己満足だけが、与えられうる最高のものである。
使われる箇所 第5部定理10の備考
 証明頼るもの 第3部感情の定義25、第3部定理3、第2部定理40、第2部定理43、第3部定義2
 備考自己満足は私たちが望みうる最高のものである。だれも何かの目的のために自分の存在を保存しようと努めるのではないからである。自己満足は称賛で育まれ強められ、非難で乱されるので、私たちは栄誉に最も動かされ、恥辱を負っては生きにくい。
頼るもの 定理25、第3部定理53の系、第3部定理55の系
使われる箇所 定理58の備考
定理53謙遜は徳ではない。すなわち、理性から生じない。
使われる箇所 定理54の証明
 証明頼るもの 第3部感情の定義26、第3部定理7、第3部定理55、定理26
定理54後悔は徳ではない。すなわち、理性から生じない。むしろ、自分のしたことを後悔する人は、二重に惨めである、すなわち無力である。
 証明頼るもの 定理53、第3部感情の定義27
 備考人は理性の指図にめったに従わないので、謙遜・後悔・希望・恐れは損害より利益が多く、過ちを犯さねばならないなら、この側で犯すべきである。心の無力な人々が皆高慢なら、何も恥じず恐れず、束縛できず、民衆は恐れがなければ人を脅かす。預言者たちが共同の利益を考えて、謙遜・後悔・畏敬を熱心に勧めたのも不思議ではない。これらに左右されやすい人々は容易に導かれ、ついには理性に従って生き、自由になり、至福な人々の生を享受する。
定理55最大の高慢または卑下は、最大の自己無知である。
使われる箇所 定理56の証明
 証明頼るもの 第3部感情の定義28、第3部感情の定義29
定理56最大の高慢または卑下は、心の最大の無力を示す。
 証明頼るもの 定理22の系、定理24、第2部定理43、定義8、定理55
 系高慢な人々と卑下する人々が、とりわけ感情に左右されやすいことが帰結する。
 備考高慢は喜び、卑下は悲しみで、高慢のほうが強いので、卑下は高慢よりも容易に矯正されうる。
頼るもの 定理18
定理57高慢な人は、寄食者すなわち追従者がそばにいることを好み、高潔な人々がそばにいることを憎む。
 証明頼るもの 第3部感情の定義28、第3部感情の定義6、第3部定理13の備考
 備考高慢な人はあらゆる感情に左右されやすいが、愛と憐れみには最も左右されにくい。他人について正当以下に思う人も高慢と呼ばれるので、高慢を、自分を他人より上と思う誤った思い込みから生じる喜び、卑下を、自分を他人より下と信じる誤った思い込みから生じる悲しみと定義し直す。すると高慢な人は必然的に妬み深く、徳で称賛される人を最も憎み、その憎しみは愛や恩恵で容易に克服されず、愚か者を狂人に変える人々がそばにいることだけを喜ぶ。卑下する人は高慢と反対だが最も近い。他人の欠点の観想に想像が占められると悲しみが和らぐからで、「惨めな者の慰めは災いの仲間」という諺もここから生まれた。卑下する人は妬みに傾き、人の行為を矯正のためより非難のために観察し、卑下だけを称賛して誇る。これらは三角形の内角の和のように必然的に帰結する。これらを悪と呼ぶのは人間の利益だけに注目するときで、私は感情を他の自然物と同じく考察しており、感情も自然の力能と技巧を示している。
頼るもの 第3部定理55の備考、第3部定理41の備考、第3部序文
使われる箇所 第22項
定理58栄誉は理性に反せず、むしろ理性から生じうる。
 証明頼るもの 第3部感情の定義30、定理37の備考1
 備考空虚な栄誉とは民衆の意見だけに育まれる自己満足で、意見がなくなれば最高の善である自己満足も消える。民衆の意見で栄誉を誇る人は、評判を保つために日々不安になり、すべての人が喝采を求めるので互いに他人の評判を抑えつけ、あらゆる手段で圧倒しようとする激しい色欲が生じ、勝者は自分の益より他人を害したことを誇る。この栄誉は無なので空虚である。恥は同情と同じく徳ではないが、高潔に生きる欲望が恥じる人にあることを示すかぎりで善であり、痛みが傷ついた部分がまだ腐っていないことを示すのと同じである。恥じる人は悲しんでいるが、恥知らずな人より完全である。以上で喜びと悲しみの感情について述べ終えた。欲望の善悪は生じる感情によるが、受動である感情から生じる欲望はすべて盲目であり、人間が理性だけで導かれうるなら無用になる。これを次に示す。
頼るもの 定理52の備考、定理44の備考
定理59受動である感情からそれへと決定されるどんな行為へも、私たちは、その感情なしに、理性によって決定されうる。
使われる箇所 第5部定理4の備考
 証明頼るもの 第3部定理3、第3部定義2、定理41、定理43、第3部定理3の備考、第3部感情の定義4の説明、第3部感情の定義1
 別証明悪い感情から生じる行為は悪と呼ばれるが、行為それ自体は善でも悪でもなく、同じ行為がときに善くときに悪いので、悪い感情から生じる同じ行為へも理性によって導かれうる、という筋で示す。
頼るもの 定理45の系1、序文、定理19
 備考殴る行為の例で説明する。物理的に見れば、腕を上げ手を握り下に動かすことは身体の構造から考えられる徳であり、怒りや憎しみによっても決定されうる。同じ行為が任意の像と結びつきうるので、混乱した像からも明晰判明な像からも同じ行為へ決定される。したがって人間が理性に導かれうるなら、受動である感情から生じる欲望はすべて無用になる。次に、これらがなぜ盲目と呼ばれるかを見る。
定理60身体の一つまたはいくつかの部分に関係し、すべての部分には関係しない喜びまたは悲しみから生じる欲望は、人間全体の利益を考慮に入れない。
 証明頼るもの 定理6、第3部定理6、第3部定理7、第3部定理12
 備考喜びはたいてい身体の一部に関係するので、私たちはたいてい全体の健康を考えずに存在を保とうと欲する。最も強く支配される欲望は、現在だけを考慮し、未来を考慮しない。
頼るもの 定理44の備考、定理9の系
使われる箇所 第30項
定理61理性から生じる欲望は、過剰をもちえない。
使われる箇所 定理63の系の証明、第5部定理4の備考
 証明頼るもの 第3部感情の定義1、第3部定理3、第3部定義2
定理62精神が理性の指図に従ってものを考えるかぎり、その観念が未来・過去・現在のどれのものであっても、精神は等しく触発される。
使われる箇所 定理66の証明
 証明頼るもの 第2部定理44の系2、第2部定理43、第2部定理43の備考、第2部定理41、第2部定義4
 備考ものの持続について十全な認識があり、存在する時間を理性で決められるなら、未来も現在も同じ感情で観想し、より大きな未来の善のために現在の小さな善を無視し、未来の悪の原因となる現在の善は求めないだろう。しかし持続の認識は非十全で、時間は想像で決めており、想像は現在と未来の像から等しくは触発されない。そのため善悪の真の認識は抽象的・普遍的にすぎず、現在の善悪についての判断は現実的というより想像的である。未来を見据える欲望が現在の快いものへの欲望に容易に抑えられるのは不思議でない。
頼るもの 第2部定理31、第2部定理44の備考、定理16
定理63恐れに導かれ、悪を避けるために善を行う者は、理性に導かれていない。
使われる箇所 定理67の証明、定理73の証明
 証明頼るもの 第3部定理3、第3部定理59、第3部感情の定義13
 備考1迷信家は徳を教えるより悪徳を非難し、人を理性ではなく恐れで抑え、徳を愛するより悪を避けさせようとする。他の人々も自分たちと同じく惨めにすることが目的なので、厄介で憎まれるのも不思議でない。
 系理性から生じる欲望によって、私たちは善を直接に追求し、悪を間接的に避ける。
使われる箇所 定理65の証明、定理65の系、定理67の証明、第5部定理10の備考
 系の証明頼るもの 第3部定理59、定理61、定理8
 備考2系は病人と健康な人の例で示される。病人は死の恐怖から嫌いなものを食べるが、健康な人は食物を楽しみ、死を恐れて直接避けようとするよりよく人生を享受する。同様に、憎しみや怒りでなく公共の安寧への愛だけで被告に死刑を宣告する裁判官は、理性だけに導かれている。
定理64悪の認識は、非十全な認識である。
 証明頼るもの 定理8、第3部感情の定義3、第3部定理6、第3部定理7、第3部定義2、第3部定理3、第2部定理29
 系もし人間精神が十全な観念しかもたないなら、悪についてのいかなる概念も形成しない。
使われる箇所 定理68の証明
定理65二つの善のうちより大きいほうを、二つの悪のうちより小さいほうを、私たちは理性の導きによって追求する。
使われる箇所 定理66の証明、定理66の系
 証明頼るもの 序文、定理63の系
 系より小さな悪を、より大きな善のために、私たちは理性の導きによって追求し、より大きな悪の原因であるより小さな善は無視する。
頼るもの 定理63の系
使われる箇所 定理66の系
定理66より大きな未来の善を、より小さな現在の善よりも、またより小さな現在の悪を、より大きな未来の悪よりも、私たちは理性の導きによって求める。
使われる箇所 定理66の系
 証明頼るもの 定理62、定理65
 系より小さな現在の悪がより大きな未来の善の原因なら、理性の導きによって私たちはそれを求め、より小さな現在の善がより大きな未来の悪の原因なら、それを無視する。
頼るもの 定理66、定理65の系、定理65
 備考感情すなわち臆見だけに導かれる人は、望むと望まざるとにかかわらず自分が最も知らないことを行い、理性に導かれる人は、自分以外の誰にも従わず、人生で第一と知ること、したがって最も欲することだけを行う。前者を隷属する者、後者を自由な人と呼び、この自由な人の気質と生き方を次に述べる。
頼るもの 定理18
使われる箇所 定理73の証明
定理67自由な人が考えることのもっとも少ないものは、死である。その知恵は、死ではなく生についての省察である。
 証明頼るもの 定理63、定理63の系、定理24
定理68もし人間が自由なものとして生まれるなら、自由である間は、善と悪の概念を何も形成しないだろう。
 証明頼るもの 定理64の系
 備考この定理の仮定は偽であり、人間の本性だけに、つまり人間が存在する原因であるかぎりでの神にだけ注目しなければ考えられない。これは最初の人間の物語に示されていると思われる。そこでは、神の力能として、人間を創造した力能、人間の利益だけを配慮した力能以外は考えられていない。神が自由な人に善悪の認識の木から食べることを禁じ、食べるやいなや人間は生きることを欲するよりむしろ死を恐れた。人間は自分に一致する妻を見いだし、自然に彼女より有益なものはないと認識したが、獣を自分に似ていると信じて獣の感情を模倣しはじめ、自由を失った。この自由を族長たちはのちにキリストの霊、すなわち神の観念に導かれて取り戻した。人間が自由であり、自分のために欲する善を他のすべての人にも欲することは、この神の観念のみに依存する。
頼るもの 定理4、第3部定理27、定理37
定理69自由な人の徳は、危険を避けることにおいても、危険を乗り越えることにおいても、等しく大きいと認められる。
 証明頼るもの 定理7、定理5、定理3、第3部定理59の備考、第3部感情の定義40、第3部感情の定義41
 系自由な人にとって、時宜を得た逃走は、戦いと同じく大きな気概、すなわち心の沈着さを示す。
 備考気概は第3部定理59の備考で説明した。危険とは、悲しみ、憎しみ、不和などの原因でありうるすべての悪を指す。
頼るもの 第3部定理59の備考
定理70無知な人々のあいだで生きる自由な人は、できるかぎり彼らの恩恵を避けようと努める。
 証明頼るもの 第3部定理39の備考、第3部定理42、定理37
 備考「できるかぎり」と述べたのは、無知な人も人間であり、窮乏のときには何にもまさる人間の援助をもたらしうるので、その恩恵を受け、その気質に合わせて祝意を表すことも必要になるからである。恩恵を避けるときも、軽蔑や、貪欲による返礼への恐れと見られないよう用心し、有益なものと高潔なものを考慮しなければならない。
使われる箇所 第18項
定理71自由な人々だけが、互いに対してもっとも感謝に満ちている。
 証明頼るもの 定理35、定理35の系1、定理37、第3部感情の定義34
 備考盲目的な欲望に導かれる人々の感謝は、たいてい感謝より取引、あるいは利得の追求である。忘恩は感情ではないが、過度の憎しみ・怒り・高慢・貪欲などを示すので恥ずべきである。愚かさのため贈り物に報いられない人は忘恩ではなく、娼婦や盗人の贈り物に動かされない人はなおさら忘恩ではない。その人は、贈り物で自分や共同の破滅へ堕落させられない揺るぎない心を示している。
使われる箇所 第18項
定理72自由な人は、決して悪意の欺瞞によらず、つねに誠実に行動する。
 証明頼るもの 定理24、定理31の系
 備考裏切りで死の危険から逃れられるなら存在保存の理由は裏切りを勧めるのではないか、という問いにも同様に答える。理性が裏切りを勧めるなら、すべての人に勧めることになり、悪意の欺瞞なしには力を結合し共通の権利をもつ約束を結ぶなと勧める、つまり実際には共通の権利をもたないよう勧めることになるが、これは不合理である。
定理73理性に導かれる人は、自分だけに従う孤独のうちよりも、共通の決意に従って生きる国家のうちでのほうが、いっそう自由である。
 証明頼るもの 定理63、定理66の備考、定理37、定理37の備考2
 備考これらと人間の真の自由についての同様のことは、強さ、すなわち気概と高潔に帰着する。強い人が誰も憎まず、怒らず、妬まず、憤慨せず、軽視せず、高慢にならないことは、憎しみは愛で克服すべきであり、理性に導かれる者は自分の求める善が他の人にもあるよう欲する、ということから容易に確証される。さらに、強い人は、すべてが神の本性の必然性から帰結し、不快・悪・不敬・不正・恥ずべきと思われるものは、ものを断片的・混乱して概念することから生じると考察する。それゆえ、ものをそれ自体においてあるとおりに概念しようと努め、憎しみ・怒り・妬み・嘲笑・高慢など真の認識の妨げを取り除き、善く行動し喜ぼうと努める。人間の徳がどこまで及ぶかは次の部で証明する。
頼るもの 第3部定理59の備考、定理37、定理46、定理50の備考
使われる箇所 第15項
付録この部で正しい生き方について述べたことは、一方を他方から導きやすいよう散らして証明したので、ここで改めて集め、主要な項目に整理する。
第1項私たちの努力、すなわち欲望は、私たちの本性の必然性から、近接原因としての本性だけを通して理解されるか、自然の一部であるかぎりで理解されるかのどちらかで帰結する。後者の自然の一部は、ほかの個体を離れてはそれ自体だけで十全に概念されえない。
第2項本性だけを通して理解できる欲望は、精神が十全な観念から成るかぎりで精神に関係する欲望であり、残りは精神がものを非十全に概念するかぎりでしか関係しない。後者の力と増大は人間の力能ではなく外のものの力能で定義される。前者は私たちの力能を示すので能動、後者は無力と断片的な認識を示すので受動と呼ばれる。
第3項人間の力能あるいは理性によって定義される能動の欲望は常に善であり、残りの欲望は善でも悪でもありうる。
第4項生活で最も有益なのは知性あるいは理性をできるかぎり完全にすることであり、人間の最高の幸福あるいは至福はこのことだけにある。至福とは神の直観的な認識から生じる精神の安らぎであり、知性を完全にすることは神と神の属性と神の能動を理解することだからである。理性に導かれる人の究極の目的は、他のすべての欲望を調整する最高の欲望、すなわち自分自身と知解力の範囲に入りうるすべてのものを十全に概念するよう向かわせる欲望である。
第5項知解力なしには理性的な生活はなく、ものが善いのは、人間が知解力で定義される精神の生活を享受するのを助けるかぎりにおいてのみである。人間が理性を完全にし理性的な生活を享受するのを妨げるものだけが悪いと言われる。
第6項人間が作用因であるものはすべて必然的に善いので、人間に悪いことが起こりうるのは、人間が全自然の一部であるかぎり、外部の原因からだけである。人間の本性は、この自然の法則に従い、ほとんど無限の仕方で自然に自分を適合させるよう強いられている。
第7項人間が自然の一部でありその共通の秩序に従うことは避けられない。自分の本性と一致する個体のあいだにいれば、能動する力能は助けられ育まれるが、本性とまったく一致しないものたちのあいだにいれば、大きく変わらなければ適合できない。
使われる箇所 第9項
第8項自然のうちで悪い、あるいは存在や理性的な生活を妨げうると判断するものは、より安全な道で取り除いてよい。逆に善い、有益と判断するものは、自分の用に取り、どんな仕方ででも用いてよい。端的に、各人は自分の利益に資すると判断することを、自然の最高の権利によって行ってよい。
第9項何ものも同じ種の個体ほどには本性と一致しえないので、人間にとって、存在を保存し理性的な生活を享受するために、理性に導かれる人より有益なものはない。理性に導かれる人より優れた個物を私たちは知らないので、各人は、人々を理性自身の命令に従って生きるよう教育することで、自分の技術と才能を最もよく示せる。
頼るもの 第7項
第10項人間が妬みや憎しみの感情に駆られて互いに向かうかぎり、互いに対立しており、自然のほかの個体より力が大きいほど、それだけ恐れられるべきである。
第11項心は武力によってではなく、愛と高潔によって征服される。
第12項人々にとって何よりも有益なのは、交際を結び、全員をいっそう適切にひとつにする絆で結びつき、友情を固めるのに役立つことを行うことである。
第13項これには技術と注意深さが要る。理性に従って生きる者はまれで、人々はさまざまで妬み深く、憐れみより復讐に傾くので、各人をその気質のまま受け入れ、人々の感情をまねないよう自分を抑えるには並外れた心の力能が要る。人々をあしざまに言い、徳を教えるより悪徳をとがめ、心を強めずに挫く者は、自分にも他人にも厄介である。そのため多くの人が、心の辛抱のなさと宗教への誤った熱意から、人間のあいだより獣のあいだで生きることを選んだ。たとえば、親の口論に耐えられない子どもや青年は、兵役に逃げ込み、戦争の不便や暴君の支配を選ぶ。
第14項人々が多くの場合すべてを色欲に従って調整するとしても、共通の社会からは損害よりはるかに多くの利益が帰結する。だから、人々から受ける危害を平静に耐え、一致と友情を結ぶのに役立つことに熱意を注ぐほうがよい。
第15項一致を生み出すのは正義・公平・名誉にかかわるものである。人々は不正で不公平なことのほか、国家の受け入れられた習慣を軽んじる恥ずべきことも不快に思うからである。愛を結ぶために何よりも必要なのは、宗教と敬虔にかかわるものである。
頼るもの 定理37の備考1、定理37の備考2、定理46の備考、定理73の備考
第16項恐れから一致がたいてい生じるが、そこに信頼はなく、恐れは心の無力から生じるので理性の使用には属さない。同情も敬虔の外観を呈するが、理性の使用には属さない。
第17項人々は気前のよさによっても征服される。とりわけ生活に必要なものを得るすべを持たない人々がそうである。しかし困窮するすべての人を助けることは私人の力と利益をはるかに超え、一人の人間の能力は、すべての人を友情で結ぶには限られすぎている。だから貧しい人々の世話は社会全体の責務であり、共通の利益だけにかかわる。
第18項恩恵を受けることと感謝を返すことには、まったく別の配慮が必要である。
頼るもの 定理70の備考、定理71の備考
第19項娼婦的な愛、すなわち容姿から生じる生殖の色欲、端的に、心の自由以外に原因を認める愛はすべて、容易に憎しみに移る。それが錯乱の一種である場合はさらに悪く、愛は一致によりも不和によって助長される。
頼るもの 第3部定理31の備考
第20項身体を交わらせる欲望が容姿だけでなく、子を産み賢明に教育しようとする愛からも生じ、さらに男女双方の愛が、容姿だけでなく、とりわけ心の自由を原因としているなら、結婚が理性と合致することは確実である。
第21項追従も一致を生むが、それは隷属という醜い罪、あるいは背信によって得られる一致である。第一人者でありたいのにそうでない高慢な人ほど、追従に捕らえられる者はいない。
第22項卑下には偽りの敬虔と宗教の外観が内在している。卑下は高慢の反対であるが、卑下する人は高慢な人にもっとも近い。
頼るもの 定理57の備考
第23項恥は、隠すことのできないものについてのみ、一致に寄与する。恥自体が悲しみの一種なので、理性の使用には属さない。
第24項人々に対する悲しみのその他の感情は、正義・公平・名誉・敬虔・宗教に直接対立する。憤慨は公平の外観を呈するが、各人が他人の行為を判断し、自分や他人の権利を主張することが許されるところでは、法なしに生きていることになる。
第25項理性によって決定される、人々に気に入られようとする欲望である謙虚さは敬虔に帰されるが、感情から生じるなら野心であり、偽りの敬虔の像のもとで不和や扇動を引き起こす欲望である。他の人々が最高の善を共に享受できるよう助けたい人は、まず彼らの愛を得ようと努め、彼らを驚嘆させて自分の名を学派に冠させることも、妬みの原因を与えることもしない。日常の会話では人間の欠点や無力に控えめにしか触れず、人間の徳と、それを完成させる道を豊富に語り、人々が恐れや嫌悪ではなく喜びの感情だけに動かされて、理性の指図に従って生きようと努めるようにする。
頼るもの 定理37の備考1
第26項人間以外に、自然のうちに、その精神を享受でき、友情や交際によって私たちに結びつけられる個物を、私たちは知らない。それゆえ人間以外のものを保存することを私たちの利益の理由は要求せず、その多様な用途に応じて、保存し、破壊し、あるいは私たちの用に適合させるよう教える。
第27項外のものから得る利益は、観察して形を変えることから得る経験と認識のほかは、おもに身体の保存である。したがって、身体のすべての部分が務めを果たせるよう身体を養い育てるものが何より有益である。身体がより多くの仕方で触発され、外部の物体を触発するのに適するほど、精神は思考に適するからである。だがこの性質のものは自然にごくわずかしかないので、本性の異なる多くの栄養物を用いる必要がある。身体は本性の異なる多くの部分から成り、多様な栄養物を必要とし、それによって身体全体があらゆることに等しく適し、精神も多くを考えるのに適するようになる。
頼るもの 定理38、定理39
第28項人々が互いに労働を提供しあわなければ、これらを手に入れる力は各人にほとんどないが、貨幣があらゆるものについての簡便な手段をもたらした。そのため貨幣の像が民衆の精神をもっとも占めるのが常になった。民衆は、原因として貨幣の観念が伴わなければ、どんな喜びもほとんど想像できないからである。
第29項この欠点は、困窮や必要からでなく、利得の術を学んだために貨幣を求める人々だけのものである。彼らは華々しく自分を誇示するが、身体の保存に費やす分だけ財産を失うと信じて、身体を控えめにしか養わない。貨幣の真の用途を知り、富の程度を困窮だけで調整する人々は、わずかなもので満足して生きる。
第30項身体の部分が務めを果たすのを助けるものは善であり、喜びは人間の力能が精神と身体から成るかぎりで助けられ増大することなので、喜びをもたらすものはすべて善である。ところがものは私たちを喜びで触発する目的で働くのではなく、その能動する力能も私たちの利益で調節されない。喜びはたいてい身体の一部にとくに関係づけられる。これらの理由から、理性と注意深さが伴わなければ、喜びの感情も、それから生まれる欲望も、たいてい過度になる。さらに私たちは感情に基づいて現在において快いものを優先し、未来のものを同じ強さの感情で評価できない。
頼るもの 定理44の備考、定理60の備考
第31項迷信は反対に、悲しみをもたらすものが善で、喜びをもたらすものが悪だと定めているように見える。しかし妬む者でなければ、私の無力や不都合を喜ぶ者はいない。より大きな喜びに触発されるほど、私たちはより大きな完全性へ移り、それだけ神の本性にあずかるからである。私たちの利益の真の理由が調節する喜びは決して悪ではありえない。これに対して、恐れに導かれ、悪を避けるために善を行う者は、理性に導かれていない。
頼るもの 定理45の備考
第32項人間の力能はきわめて限られ、外部の原因の力能に無限に凌駕されるので、私たちは外のものを自分の用に適合させる絶対的な権能をもたない。それでも、自分が務めを果たしたこと、自分の力能がそれらを避けるところまで及ばなかったこと、自分が全自然の一部でその秩序に従っていることを意識しているなら、私たちの利益に反して起こることを平静な心で耐える。これを明晰判明に理解するなら、知解力で定義される私たちのより良い部分はそれに完全に安らぐ。私たちは理解するかぎり必然的なもの以外を求められず、真なるもののうちでしか安らげないからである。これを正しく理解するかぎり、より良い部分の努力は全自然の秩序と一致する。
第5部 知性の力能、あるいは人間の自由について
序文この部は自由に導く道、すなわち理性の力能を論じ、理性が感情に何をなしうるかを示したうえで、精神の自由あるいは至福を示す。知性の完成法は論理学に、身体の世話は医学に属するので扱わず、精神あるいは理性の力能だけを論じる。感情への絶対的な支配力を私たちがもたないことは前に証明した。ストア派は感情を意志に端的に依存すると考えたが、経験に迫られて訓練と努力が要ると認めた。その例として、訓練で家庭犬に狩りの習慣を、猟犬に野ウサギを追わない習慣を身につけさせた話が挙げられた。デカルトは、精神が松果腺に結合し、意志で腺を動かせ、腺の運動は習慣によって思考と結びつけうるので、確実な判断に情念の運動を結びつければ情念を絶対的に支配できると考えた。これに対し、隠れた性質を非難してきた哲学者が、あらゆる隠れた性質より隠れた仮説を立てたことに驚く。心身の合一を最も近い原因で説明できず神に訴えざるをえないこと、精神が腺に与える運動の度合いが分からず、精神と身体の力能のあいだに比較が与えられないので、身体の力が精神の力で決定されることはありえない。これに加えて、腺は脳の中央で容易に多様に回されうる位置にあるとは見いだされず、すべての神経が脳の空洞まで伸びているわけでもない。意志の自由についての主張は偽だと既に示した。そこで、感情への対処法は精神の認識だけによって決定し、至福に関わることもそこから導く。
頼るもの 『魂の情念』第1部第50項、『魂の情念』第1部第27項
公理
公理1同じ主体のうちに二つの反対の能動が引き起こされるなら、それらが反対でなくなるまで、両方のうちに、あるいは一方だけのうちに、必然的に変化が生じなければならない。
使われる箇所 定理7の証明
公理2結果の力能は、結果の本質が原因そのものの本質によって説明または定義されるかぎりで、原因そのものの力能によって定義される。
使われる箇所 定理8の備考
 説明公理2は第3部定理7から明らかである。
頼るもの 第3部定理7
定理1〜42
定理1精神のうちで思考とものの観念が秩序づけられ連結されるとおりに、身体の変状あるいはものの像も、身体のうちで秩序づけられ連結される。
使われる箇所 定理10の証明
 証明頼るもの 第2部定理7、第2部定理6の系、第2部定理7の系、第2部定理18、第3部定理2
定理2心の動きすなわち感情を外部の原因の思考から取り去り、他の思考に結びつけるなら、外部の原因に対する愛または憎しみと、そこから生じる心の動揺は破壊される。
使われる箇所 定理4の備考、定理20の備考
 証明頼るもの 第3部感情の定義6、第3部感情の定義7
定理3受動である感情は、その明晰判明な観念を形成するやいなや、受動であることをやめる。
使われる箇所 定理18の備考、定理20の備考
 証明頼るもの 第3部感情の一般的定義、第2部定理21、第2部定理21の備考、第3部定理3
 系感情は、よく知っているほど私たちの権能のうちにあり、精神がその感情から受ける受動も少ない。
使われる箇所 定理42の証明
定理4身体のどの変状についても、私たちはその明晰判明な概念をなにか形成することができる。
使われる箇所 定理4の系、定理14の証明
 証明頼るもの 第2部定理38、第2部定理12、第2部補助定理2
 系どの感情についても、その明晰判明な概念をなにか形成できる。
頼るもの 第3部感情の一般的定義、定理4
 備考各人は自分と自分の感情を少なくとも部分的には明晰判明に理解する権能をもち、受動を減らせる。そこで感情をできるかぎり明晰判明に認識するよう努めるべきで、そうすれば愛や憎しみが破壊されるだけでなく、そこから生じる欲望も過度にならない。能動とも受動とも言われる衝動は同じ一つの衝動であり、他人に自分の気質で生きるよう求める衝動は、理性に導かれない人では野心という受動、理性に従う人では敬虔という徳である。欲望は非十全な観念から生じるときだけ受動で、十全な観念から生じるなら徳に数えられる。精神の力能は考えることと十全な観念を形成することにあるので、感情の真の認識にまさる対処法は考え出せない。
頼るもの 第1部定理36、第2部定理40、定理2、第4部定理61、第3部定理31の系、第4部定理37の備考1、第4部定理37の別証明、第4部定理59、第3部定理3
使われる箇所 定理20の備考
定理5単純に想像されるもの、すなわち必然的なものとしても可能的なものとしても偶然的なものとしても想像されないものに対する感情は、ほかの条件が同じなら、あらゆる感情のうちで最大である。
使われる箇所 定理6の証明
 証明頼るもの 第3部定理49、第4部定理11、第2部定理35の備考
定理6精神がすべてのものを必然的なものとして理解するかぎり、精神は感情に対してより大きな力能をもつ。すなわち、感情から受ける受動がより少ない。
使われる箇所 定理10の備考
 証明頼るもの 第1部定理29、第1部定理28、定理5、第3部定理48
 備考ものが必然的だという認識が、より判明に生き生きと想像される個物に関わるほど、感情に対する精神の力能は大きい。善いものを失った人は、それを保てなかったと考えると悲しみが和らぎ、幼児が話せず歩けないことを誰も憐れまない。だが大人として生まれる者がほとんどで幼児は一、二人にすぎないなら、幼児であることを自然の欠陥と見て、誰もが憐れむだろう。
定理7時間の観点を考慮に入れるなら、理性から生じる感情は、不在のものとして観想する個物に関係する感情よりも強い。
使われる箇所 定理10の備考、定理20の備考
 証明頼るもの 第2部定理17、第4部定理6、第4部定理9、第2部定理40の備考2、第2部定理38、公理1
定理8ある感情が、同時に競合するより多くの原因によって引き起こされるほど、その感情は大きい。
使われる箇所 定理10の備考、定理11の証明
 証明頼るもの 第3部定理7、第4部定理5
 備考この定理は、公理2からも明らかである。
頼るもの 公理2
定理9精神がその感情と同時に観想する複数の異なる原因に関係づけられる感情は、ただ一つまたは少数の原因に関係づけられる同じ大きさの感情に比べて、害が少なく、それによる受動も小さく、個々の原因に対して触発される度合いも小さい。
使われる箇所 定理20の備考
 証明頼るもの 第4部定理26、第4部定理27、第3部定理7、第2部定理11、第3部定理48
定理10私たちの本性に反する感情に悩まされない間は、私たちは身体の変状を知性にかかわる秩序に従って秩序づけ連結する権能をもつ。
使われる箇所 定理39の証明
 証明頼るもの 第4部定理30、第4部定理27、第4部定理26、第2部定理40の備考2、第2部定理47の備考、定理1
 備考この権能により、悪い感情に触発されにくくできる。知性の秩序で連結された感情を抑えるには、不確かな感情を抑えるより大きな力が要るからである。感情を完全に認識していない間の最善は、確かな人生の教え(たとえば、憎しみは返報でなく愛すなわち高潔で克服する)を記憶に委ね、出会う個物にたえず適用することである。ありふれた不正を前もってしばしば考え、高潔で退ける道を考えておけば、不正の像が教えの想像と結びつき、憎しみや怒りはより短い時間で克服される。恐れにも同様に、ありふれた危険と、沈着と強さによる避け方を想像しておく。像を秩序づける際は、どのものにも善いところに注意を向け、喜びの感情から能動するようにする。栄誉を追い求めすぎる人は、栄誉の正しい用い方と目的・手段を考え、濫用や空しさは考えない。それは心の病から考えることで、栄誉の濫用を声高に言う人ほど栄誉を欲しており、貧しい貪欲な人の金持ち批判や、つれなくされた恋人の女性批判も同様である。自由への愛だけから感情を抑えようとする人は、徳とその原因を知り、その真の認識から生じる歓喜で心を満たそうとし、人間の悪徳の観想や、人をそしること、自由の偽りの外見を喜ぶことはしない。これを守れば、短い時間で行為を理性の命令で導ける。
頼るもの 定理7、第4部定理46、第4部定理46の備考、第2部定理18、第4部定理52、定理6、定理8、第4部定理63の系、第3部定理59
使われる箇所 定理20の備考
定理11ある像が複数のものに関係づけられるほど、その像はより頻繁になり、すなわちより頻繁に勢いをもち、精神をより多く占める。
使われる箇所 定理12の証明、定理16の証明、定理20の備考
 証明頼るもの 定理8
定理12ものの像は、ほかの像とよりも、私たちが明晰判明に理解するものに関係づけられる像と、容易に結びつく。
使われる箇所 定理20の備考
 証明頼るもの 第2部定理40の備考2、定理11、第2部定理18
定理13ある像がより多くのほかの像と結びついているほど、その像はそれだけ頻繁に勢いをもつ。
使われる箇所 定理20の備考
 証明頼るもの 第2部定理18
定理14精神は、身体のすべての変状、すなわちものの像を、神の観念に関係づけるようにすることができる。
使われる箇所 定理15の証明、定理16の証明、定理20の備考、定理39の証明
 証明頼るもの 定理4、第1部定理15
定理15自分とその感情を明晰判明に理解する人は、神を愛する。しかも、より多く理解するほど、より多く神を愛する。
使われる箇所 定理16の証明、定理20の備考、定理39の証明
 証明頼るもの 第3部定理53、定理14、第3部感情の定義6
定理16神に対するこの愛は、精神を最大限に占めなければならない。
使われる箇所 定理20の備考、定理39の証明
 証明頼るもの 定理14、定理15、定理11
定理17神は受動を免れており、喜びや悲しみのいかなる感情にも触発されない。
使われる箇所 定理17の系
 証明頼るもの 第2部定理32、第2部定義4、第3部感情の一般的定義、第1部定理20の系2、第3部感情の定義2、第3部感情の定義3
 系厳密に言えば、神はだれをも愛さず、憎みもしない。
頼るもの 定理17、第3部感情の定義6、第3部感情の定義7
使われる箇所 定理19の証明
定理18だれも神を憎むことはできない。
使われる箇所 定理20の証明
 証明頼るもの 第2部定理46、第2部定理47、第3部定理3、第3部定理59、第3部感情の定義7
 系神に対する愛は、憎しみに変わりえない。
 備考神をすべてのものの原因と理解するなら神を悲しみの原因とみなすことになる、という反論がありうる。これに対し、悲しみの原因を理解するかぎり悲しみは受動であることをやめ、悲しみであることをやめるので、神が悲しみの原因であると理解するかぎり私たちは喜ぶ、と答える。
頼るもの 定理3、第3部定理59
定理19神を愛する者は、神が自分を愛し返すように努めることはできない。
 証明頼るもの 定理17の系、第3部定理19、第3部定理28
定理20神に対するこの愛は、妬みや嫉妬の感情によって汚されえない。むしろ、同じ愛の絆で神と結ばれている人間が多いと想像するほど、いっそう育まれる。
 証明頼るもの 第4部定理28、第4部定理36、第4部定理37、第3部感情の定義23、定理18、第3部定理35の備考、第3部定理31
 備考神への愛に直接反してそれを破壊しうる感情は与えられず、この愛はすべての感情のうちで最も恒常的で、身体に関係づけられるかぎり身体とともにしか破壊されない。ここで感情への対処法のすべてを包括した。精神の力能は、第一に感情そのものの認識、第二に感情を混乱して想像する外的原因の思考から切り離すこと、第三に理解するものに関係づけられる変状が断片的に考えるものに関係づけられる変状に勝つ時間、第四に共通の特性あるいは神に関係づけられる変状を育む原因の多さ、第五に感情を秩序づけ連結する秩序にある。感情の大きさは外的原因の力能と私たち自身の力能との比較で定まり、精神の力能は認識だけで、無力は認識の欠如から評価される。非十全な観念が大部分を占める精神は最も受動し、十全な観念が大部分を占める精神は最も能動する。心の病と不幸は、変化にさらされ決して所有できないものへの過度の愛に由来する。第三種の認識は、感情が受動であるかぎり端的には除去しないが、感情が精神のごく小さな部分しか占めないようにし、不変で永遠で実際に所有しているものへの愛を生む。この愛は通常の愛の欠陥に汚されず、いっそう大きくなって精神の最大の部分を占める。以上で現在の生に関わることを終え、身体との関係なしの精神の持続に移る。
頼るもの 定理4の備考、定理2、定理7、定理9、定理11、定理10の備考、定理12、定理13、定理14、第4部定理5、第2部定理47の備考、定理3、定理15、第2部定理45、定理16、第3部定理1、第3部定理3
定理21精神は、身体が持続するのでなければ、何も想像することができず、過ぎ去ったものを想起することもできない。
使われる箇所 定理29の証明、定理31の証明、定理34の証明、定理38の備考、定理40の系
 証明頼るもの 第2部定理8の系、第2部定理26、第2部定理17の備考、第2部定理18の備考
定理22しかし、神のうちには、あれこれの人間の身体の本質を永遠の相のもとに表現する観念が、必然的に与えられる。
使われる箇所 定理23の証明
 証明頼るもの 第1部定理25、第1部公理4、第1部定理16、第2部定理3
定理23人間精神は、身体とともに端的に破壊されることはできない。精神のうちの或るものが残り、それは永遠である。
使われる箇所 定理29の証明、定理31の証明、定理38の証明、定理40の系
 証明頼るもの 定理22、第2部定理13、第2部定理8の系
 備考身体の本質を永遠の相のもとに表現する観念は、精神の本質に属する思考の様態であり、永遠である。ただし永遠性は時間と関係をもたないので、身体より前に存在したことは思い出せない。それでも私たちは自分が永遠であることを感じ、経験する。精神が理解して考えるものは、記憶にあるものに劣らず感じられ、精神の目は証明そのものだからである。精神が持続すると言われ、その存在が時間で限定され、ものを持続のもとに考える力能をもつのは、精神が身体の現実的存在を含むかぎりにおいてだけである。
定理24個物を理解すればするほど、私たちは神をいっそう理解する。
使われる箇所 定理25の証明、定理27の証明
 証明頼るもの 第1部定理25の系
定理25精神の最高の努力、最高の徳は、ものを第三種の認識で理解することである。
使われる箇所 定理27の証明
 証明頼るもの 第2部定理40の備考2、定理24、第4部定理28、第4部定義8、第3部定理7
定理26精神がものを第三種の認識で理解するのに適しているほど、精神は同じ種の認識でものを理解することをいっそう欲する。
 証明頼るもの 第3部感情の定義1
定理27この第三種の認識から、与えられうる最高の精神の安らぎが生じる。
使われる箇所 定理32の証明、定理36の備考、定理38の備考
 証明頼るもの 第4部定理28、定理25、定理24、第3部感情の定義2、第2部定理43、第3部感情の定義25
定理28第三種の認識でものを認識しようとする努力すなわち欲望は、第一種の認識からは生じえないが、第二種の認識からは確かに生じうる。
 証明頼るもの 第2部定理40の備考2、第3部感情の定義1
定理29精神が永遠の相のもとに理解するものは何であれ、身体の現在の現実的存在を考えることからではなく、身体の本質を永遠の相のもとに考えることから理解する。
使われる箇所 定理31の証明、定理32の系、定理37の証明、定理38の証明、定理40の系
 証明頼るもの 定理21、第2部定理26、第1部定義8、第1部定義8の説明、第2部定理44の系2、定理23、第2部定理13
 備考ものが現実的と考えられる仕方は二通りある。特定の時間と場所との関係で存在すると考える仕方と、神のうちに含まれ神の本性の必然性から帰結すると考える仕方である。後者の仕方で真なるものと考えられるものを永遠の相のもとに考え、その観念は神の永遠で無限な本質を含む。
頼るもの 第2部定理45、第2部定理45の備考
定理30私たちの精神は、自分と身体を永遠の相のもとに認識するかぎり、必然的に神の認識をもち、自分が神のうちにあり、神を通して考えられることを知る。
使われる箇所 定理31の証明、定理32の証明
 証明頼るもの 第1部定義8
定理31第三種の認識は、精神そのものが永遠であるかぎり、形相的原因としての精神に依存する。
使われる箇所 定理33の証明
 証明頼るもの 定理29、定理21、定理23、定理30、第2部定理46、第2部定理40、第2部定理40の備考2、第3部定義1
 備考この種の認識で力があるほど、自分と神をよりよく意識し、より完全で至福である。精神が永遠であることは確信済みだが、説明を容易にするため、精神をいま存在し始め、ものを永遠の相のもとに理解し始めたかのように考察する。明白な前提からしか結論しないよう用心していれば、誤りの危険はない。
定理32第三種の認識によって理解するものはすべて、私たちを喜ばせる。しかもその喜びには、原因としての神の観念が伴う。
使われる箇所 定理32の系、定理33の備考、定理36の証明、定理42の証明
 証明頼るもの 定理27、第3部感情の定義25、定理30
 系第三種の認識からは、神に対する知的愛が必然的に生じる。この愛は、神を現前するものとして想像するかぎりでの愛ではなく、神が永遠であると理解するかぎりでの愛である。
頼るもの 定理32、第3部感情の定義6、定理29
使われる箇所 定理33の備考、定理35の証明、定理36の証明、定理42の証明
定理33第三種の認識から生じる神に対する知的愛は、永遠である。
使われる箇所 定理37の証明、定理39の証明
 証明頼るもの 定理31、第1部公理3
 備考この愛は始まりをもたなかったが、生じたかのように愛のあらゆる完全性をもつ。違いは、精神がそれらの完全性を永遠のものとして、永遠の原因としての神の観念を伴ってもっていたことだけである。喜びがより大きな完全性への移行にあるなら、至福は精神そのものが完全性を備えている点にある。
頼るもの 定理32、定理32の系
定理34精神は、身体が持続しているあいだにかぎって、受動に帰される感情を受けやすい。
 証明頼るもの 第2部定理17の備考、第2部定理16の系2、第3部感情の一般的定義、定理21
 系知的愛のほかに永遠な愛はない。
 備考人々は自分の精神の永遠性を意識しているが、それを持続と混同し、死後も残ると信じている想像すなわち記憶に帰している。
定理35神は、無限な知的愛によって自分自身を愛する。
使われる箇所 定理36の証明、定理36の備考
 証明頼るもの 第1部定義6、第2部定義6、第2部定理3、第1部定理11、第1部定義1、定理32の系
定理36精神の神に対する知的愛は、神が自分自身を愛するその愛そのものである。ただし、神が無限であるかぎりでの愛ではなく、永遠の相のもとに考察された人間精神の本質を通して説明されうるかぎりでの愛、すなわち神が自分自身を愛する無限な愛の一部である。
使われる箇所 定理42の証明
 証明頼るもの 定理32の系、第3部定理3、定理32、第1部定理25の系、第2部定理11の系、定理35
 系神は自分自身を愛するかぎりで人間を愛し、神の人間に対する愛と精神の神に対する知的愛は、一つの同じものである。
 備考救い、至福、自由は、神に対する恒常的で永遠な愛、すなわち神の人間に対する愛にある。この愛すなわち至福は聖書で栄誉と呼ばれ、神に関係づけても精神に関係づけても精神の安らぎと呼べ、この安らぎは実際には栄誉と区別されない。神に関係づけられるかぎりこの愛は喜びであり、その喜びには自分自身の観念が伴い、精神に関係づけられるかぎりでも同様である。精神の本質は認識のみにあり、その原理と基礎は神なので、精神が本質と存在に関して神の本性から帰結し、絶えず神に依存することが明らかになる。この例で、個物の認識すなわち直観的な第三種の認識が、普遍的な第二種の認識よりどれほど力をもつかを示した。第1部の一般的な証明は、個物そのものの本質から結論されるときほどには精神を触発しないからである。
頼るもの 第3部感情の定義25、第3部感情の定義30、定理35、定理27、第1部定理15、第2部定理47の備考、第2部定理40の備考2
使われる箇所 定理42の証明
定理37自然のうちには、この知的愛に反するものも、この愛を取り除きうるものも、何も与えられない。
使われる箇所 定理38の証明
 証明頼るもの 定理33、定理29
 備考第4部の公理は、一定の時間と場所への関係で考察されるかぎりでの個物を対象としており、このことを疑う人はいないと信じる。
定理38精神が第二種と第三種の認識でより多くのものを理解するほど、精神は悪である感情から受動することが少なくなり、死を恐れることも少なくなる。
使われる箇所 定理42の証明
 証明頼るもの 第2部定理11、定理29、定理23、定理37、第4部定理30
 備考精神の明晰判明な認識が大きく、神をより愛するほど、死の害は少ない。これは第4部定理39の備考で触れ、この部で説明すると約束した点である。第三種の認識から最高の安らぎが生じるので、身体とともに滅びる部分は、精神に残るものと比べれば何の重要性もたない本性でありうる。これらはまもなくさらに述べる。
頼るもの 第4部定理39の備考、定理27、定理21
使われる箇所 定理39の備考
定理39身体を多くのことに適したものとして持つ者は、その最大の部分が永遠である精神を持つ。
 証明頼るもの 第4部定理38、第4部定理30、定理10、定理14、定理15、定理16、定理33
 備考人間の身体は多くのことに適するので、自分と神への大きな認識をもち、主要部分が永遠で死をほとんど恐れない精神に関係づけられうる。私たちは変化のうちに生き、よりよい方へ変わるか悪い方へ変わるかで幸福とも不幸とも言われる。身体がわずかなことにしか適さず外部の原因に依存する幼児の精神は、自分・神・ものをほとんど意識しないが、多くのことに適した身体の精神は多くを意識する。それゆえこの生で努めるのは、幼児期の身体を、本性が許し益となるかぎり、多くのことに適した身体へ変えることと、記憶や想像に関わるものが知性との関係でほとんど重要でなくなるようにすることである。
頼るもの 定理38の備考
定理40あらゆるものは、より多くの完全性をもつほど、より多く能動し、より少なく受動する。反対に、より多く能動するほど、より完全である。
使われる箇所 定理40の系
 証明頼るもの 第2部定義6、第3部定理3、第3部定理3の備考
 系精神の残る部分は、どれほどの大きさであっても、残りの部分より完全である。精神の永遠な部分は知性で、私たちはそれによってのみ能動し、滅びるのは想像で、私たちはそれによってのみ受動するからである。
頼るもの 定理23、定理29、第3部定理3、定理21、第3部感情の一般的定義、定理40
 備考精神を身体の存在との関係なしに考察して示すと決めていたことは、以上である。精神は理解するかぎり思考の永遠な様態であり、この様態は別の永遠な様態に決定され、それも別の様態に決定されて無限に続き、すべてが合わせて神の永遠で無限な知性を構成する。
頼るもの 第1部定理21
定理41私たちの精神が永遠であることを知らなかったとしても、敬虔、宗教、そして第4部で気概と高潔に関係づけられると示したすべてのものを、私たちは第一のものとして持つだろう。
 証明頼るもの 第4部定理22の系、第4部定理24
 備考民衆の確信は異なり、多くの人は色欲に従えるかぎりで自由で、神の法に従うのは権利の放棄だと信じる。敬虔や宗教を重荷とみなし、死後にその報酬を期待し、とりわけ死後の刑罰への恐れから法に従う。この希望と恐れがなく、精神が身体とともに滅びると信じるなら、人々は生来の性向に戻り、すべてを色欲で律し、自分でなく運命に従おうとするだろう。それは、身体を善い食物で永遠に養えないからと毒物を詰め込んだり、精神が不死でないからと理性なしに生きるほうを選んだりするのと同様に不合理で、数え上げるに値しない。
定理42至福は徳の報酬ではなく、徳そのものである。私たちが至福を享受するのは色欲を抑えるからではなく、至福を享受するからこそ色欲を抑えることができる。
 証明頼るもの 定理36、定理36の備考、定理32の系、第3部定理59、第3部定理3、第4部定義8、定理32、定理3の系、定理38
 備考以上で感情に対する精神の力能と精神の自由について示そうとしたことを論じ終えた。賢者は、色欲だけに動かされる無知な者よりまさっている。無知な者は外部の原因に動かされ、真の安らぎを得ず、自分・神・ものを意識しないかのように生き、受動をやめると存在もやめる。賢者は心を動かされることがほとんどなく、永遠の必然性によって自分・神・ものを意識し、存在をやめず、つねに真の安らぎを得ている。示した道は困難に見えても見いだされうる。救いが容易なら、ほとんどすべての人がそれを無視するはずはなく、すぐれたものはまれであるのと同じくらい困難である。
終わり

用語欄

本欄に掲げる用語は、原典において繰り返し用いられ、論の進行において、問いや区別の支点として機能している語である。各用語については、原典中における定義が示されている場合にはそれに沿って記し、定義が示されていない場合には、文脈を事実として記す。

『自己原因』

その本質が存在を含むもの。すなわち、その本性が存在するものとしてしか考えられないもの(定義1)。

『実体』

自己のうちにあり、それ自身を通して考えられるもの。その概念が、そこから形成されねばならないような他のものの概念を必要としないもの(定義3)。

『属性』

知性が実体について、その本質を成すものとして知覚するもの(定義4)。

『様態』

実体の変状。他のもののうちにあり、その他のものを通しても考えられるもの(定義5)。

『神』

端的に無限な存在者、すなわち無限の属性から成る実体。その属性のどれもが、永遠で無限な本質を表現する(定義6)。

『自由』

自分の本性の必然性だけから存在し、自分だけによって行為へと決定されるもの。ほかのものによって、一定の限定された仕方で存在し作用するよう決定されるものは、必然的な、あるいはむしろ強制されたものと呼ばれる(定義7)。

『永遠性』

永遠なものの定義だけから必然的に出てくると考えられるかぎりでの、存在そのもの(定義8)。

『物体』

神の本質を、延長するものとして考えられる限りにおいて、一定の限定された仕方で表現する様態(第2部定義1)。

『本質に属する』

それが与えられるとそのものが必然的に定立され、取り去られるとそのものが必然的に取り去られるもの。あるいは、それなしにはそのものが、またそのものなしにはそれが、ありえず考えられもしないもの(第2部定義2)。

『観念』

精神が、思考するものであるがゆえに形成する、精神の概念(第2部定義3)。

『十全な観念』

対象との関係なしにそれ自身において考察される限りで、真な観念のすべての内在的な特性を備えている観念(第2部定義4)。

『持続』

存在することの不定の継続(第2部定義5)。

『実在性』『完全性』

同じものと解される(第2部定義6)。

『個物』

有限で、限定された存在をもつもの。複数の個体が一つの行為において協働し、そのすべてが同時に一つの結果の原因となるなら、その限りで一つの個物と見なされる(第2部定義7)。

『個体』

物体が、ほかの物体によって互いに重なり合うように押さえつけられ、あるいは互いに一定の割合で運動を伝え合うことで合一し、すべてが合わさって構成する一つの物体。物体のこの合一によってほかの物体から区別される(第2部、定理13の備考のあと、補助定理3の系および公理1・2のあとの定義)。

『十全な原因』

その結果がその原因自身を通して明晰判明に知覚されうる原因。結果がその原因だけを通しては理解されえない原因は、非十全な原因、すなわち部分原因と呼ばれる(第3部定義1)。

『能動』『受動』

私たちのうちまたは外で何かが生じ、私たちがその十全な原因であるとき、私たちは能動すると言い、部分原因にすぎないとき、受動すると言う(第3部定義2)。

『感情』

身体の変状、および同時にこれらの変状の観念。身体の変状とは、それによって身体自身の能動する力能が増大または減少し、促進または抑制されるもの。私たちがその十全な原因でありうるなら能動を、そうでなければ受動を意味する(第3部定義3)。

『善』『悪』

善とは、私たちにとって有益であると確実に知っているもの。悪とは、何らかの善を私たちが所有するのを妨げると確実に知っているもの(第4部定義1・2)。

『偶然的』『可能的』

個物を偶然的と呼ぶのは、その本質だけに注意するとき、存在を必然的に置くものも排除するものも見いだされない限りにおいて。可能的と呼ぶのは、その個物が産出されるはずの原因に注意するとき、その原因が当の個物を産出するように決定されているかどうかを私たちが知らない限りにおいて(第4部定義3・4)。

『目的』

それのために私たちが何かを行う目的とは、衝動のことである(第4部定義7)。

『徳』

徳と力能は同じものと解される。徳とは、人間に関係づけられる限り、人間自身の本性の法則だけによって理解できる一定のことを行う権能を持つ限りでの、人間の本質すなわち本性そのもの(第4部定義8)。

第Ⅱ部 物の定義について

第Ⅰ部で整理した思考の展開を踏まえ、この哲学者が物を定義するとすれば、どのように定義するかを検討する。

『エチカ』には、物そのものを定義した文はない。個物は神の属性が一定の限定された仕方で表現される様態であるとする第1部定理25の系、様態の定義(第1部定義5)、あるものはすべて神のうちにあるとする第1部定理15から、物の定義を組み立てる。

以下の定義文は、第Ⅰ部の議論を踏まえた一つの表現例である。

『物とは、神のうちにあり、神の属性を一定の限定された仕方で表現する様態であって、神なしにはありえず考えられないものである。』

物がどこにあるのかを問えば、答えは一つに行き着く。あるものはすべて『神』のうちにあり、神なしには何ものもあることも考えられることもできない。物もこれに洩れない。

では、物は神のうちで何としてあるのか。神は無限の『属性』から成り、そのどの属性も永遠で無限な本質を表現している。物は、この神の属性が、一定の限定された仕方で表現されたものにほかならない。

そこで物は『様態』である。様態とは、他のもののうちにあって、その他のものを通しても考えられるものであり、物の場合、その他のものとは神である。物は神のうちにあるだけでなく、神を通して考えられる。

作品名:スピノザ『エチカ』を知るための本

発行責任者(著者):飯島健二

発行:古典書房

制作協力:Claude(claude-sonnet-5-5)

参照原典:ラテン語原典 Benedictus de Spinoza, Ethica ordine geometrico demonstrata(Spinoza Opera, ed. Carl Gebhardt, Bd. II, Heidelberg: Carl Winter, 1925)

初版発行日:2026年10月20日

本書の本文・解説その他の創作部分について、著作権は発行責任者に帰属します。私的使用のための複製を除き、著作権者の許諾なく複製・転載・再配布することを禁じます。

注記:本書が参照する原典は、バルーフ・デ・スピノザ『エチカ』(Ethica ordine geometrico demonstrata)のラテン語原典の全体(第1部から第5部まで)である。本書の制作において直接参照した版は、ゲプハルト版『スピノザ全集』(Spinoza Opera, ed. Carl Gebhardt, Bd. II, Heidelberg: Carl Winter, 1925)であり、現在の標準的な校訂版として『エチカ』の引用・参照にもっとも広く用いられているものである。

本書第Ⅰ部本文は、原典の翻訳ではない。原典の記載順および論の進行に沿って、著者が定めた制作ルールにもとづきClaudeが構成したものである。著者による加筆・修正は行っていない。対応する日本語翻訳HTMLが存在する場合は、術語および論証骨格の照合基準として当該翻訳HTMLを参照して制作している。

本書第Ⅱ部に示す定義文は、原典にそのまま記されているものではない。第Ⅰ部で整理した議論を踏まえ、この哲学者が物を定義するとすれば取らざるを得ない形として示した表現例である。