カント
Immanuel Kant略歴
ケーニヒスベルクの馬具職人の家に生まれる。8歳でフリードリヒス・コレギウム(ラテン語学校)に入学し、16歳でケーニヒスベルク大学に進んだ。神学・哲学・数学・自然科学を修め、卒業後は約9年間、家庭教師として生計を立てながら研究を続けた。
1755年、大学の私講師となり、以後15年にわたり無給で講義を行った。1770年にケーニヒスベルク大学の論理学・形而上学の正教授に就任。その後11年間の沈黙ののち、1781年に『純粋理性批判』を刊行し、哲学史を画する転換をもたらした。生涯ケーニヒスベルクを離れず、規則正しい日課で知られた。
主要著作
- 1781年『純粋理性批判』(第2版1787年)
- 1785年『道徳形而上学の基礎づけ』
- 1788年『実践理性批判』
- 1790年『判断力批判』
- 1797年『道徳の形而上学』
『純粋理性批判』と神
『純粋理性批判』は、神の存在を証明する本ではない。むしろ、理性だけで神の存在を証明しようとする試みが、なぜ成功しえないのかを示す本である。神が主題となるのは、超越論的弁証論の第三章「純粋理性の理想」である。
カントはまず、神の観念がどこから来るのかを説明する。理性は、ある物を全面的に規定するとき、あらゆる可能な述語の総体を前提にせざるをえない。この総体が一つの個物のように考えられると、あらゆる実在性をもつ「最も実在的な存在者」という概念、すなわち神の理念が生まれる。カントはこれを「超越論的理想」と呼ぶ。
そのうえでカントは、この理想から神の存在を導こうとする三つの伝統的証明――存在論的証明・宇宙論的証明・自然神学的証明――を順に批判する。その要にあるのが、「存在は明らかに実在的な述語ではない」という一句である。ただし、神は退けられて終わるのではない。証明されない代わりに反証もされず、道徳神学へと場所を譲られる。
この書に沿って「神」を定義するとすれば
カントの神は、存在が確かめられた何かとしてではなく、理性が必然的に思い描く「理想」として定義される。定義の文言は、超越論的理想の節と、神学批判の結びの一節から取ることができる。
定義文
『神とは、あらゆる可能な実在性を一つの個別的存在者のうちに統一して考えた、最も実在的な存在者(エンス・レアリッシムム)であり、根源存在者・最高存在者・存在者のうちの存在者とも呼ばれる、純粋理性の超越論的理想である。存在は実在的な述語ではないので、その概念から現実存在を導くことはできない。思弁的理性にとって神は、人間のあらゆる認識を締めくくり、これに冠を戴かせる誤りなき理想であり続け、その客観的実在性は証明されることも反証されることもできない。』
あらゆる物の全面的規定の根底には、実在性の総体の表象がある。この理念が、単なる理念によって全面的に規定された一つの個別的対象の概念にまで純化されると、エンス・レアリッシムム〈最も実在的な存在者〉の概念が生まれる。それは一つの超越論的理想であり、人間理性がなしうる唯一の本来の理想である。その対象は、根源存在者とも、最高存在者とも、存在者のうちの存在者とも呼ばれる。しかしこれらの名は、現実の対象の関係ではなく、理念が諸概念に対してもつ関係を意味するにすぎず、そのような存在者の現存在に関しては、私たちを完全な無知のうちに置き去りにする。
存在は明らかに実在的な述語ではない。すなわち、ある物の概念に付け加わりうる何かについての概念ではない。神は全能であるという命題の「である」は、述語を主語に関係づけて措定するにすぎない。神は存在する、と言うとき、私は神の概念に何ら新しい述語を付け加えるのではなく、主語それ自体を、そのあらゆる述語ともども措定するだけである。だから、神の概念をいくら分析しても、そこから神の現実存在を取り出すことはできない。
しかし同じ理由から、理性の純粋な思弁のみによって、最高存在者が存在しないと洞察することもできない。こうして最高存在者は、理性の単に思弁的な使用にとっては、単なる、しかしそれでいて誤りなき理想、すなわち人間のあらゆる認識を締めくくり、これに冠を戴かせる一つの概念であり続ける。その客観的実在性は、この道によっては証明されることもできないが、反証されることもできない。この欠陥を補うことができるとすれば、それは道徳神学である。