ホワイトヘッド
Alfred North Whitehead略歴
イギリスのケント州に生まれる。父は聖職者兼教師であった。シェーボーン・スクールで教育を受け、1880年にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学し数学を専攻した。1884年に同大学の研究員・教師となり、バートランド・ラッセルを指導した。
ラッセルとの共著『プリンキピア・マテマティカ』(数学原理、1910〜1913年)で数学の論理的基礎づけを試みた後、ロンドン大学インペリアル・カレッジで数学・物理学の哲学を研究した。1924年、63歳でハーバード大学哲学科教授として渡米。晩年に過程哲学の大著『過程と実在』(1929年)を刊行し、生涯をボストンで終えた。
主要著作
- 1910年『プリンキピア・マテマティカ』(ラッセルとの共著、全3巻)
- 1920年『自然の概念』
- 1925年『科学と近代世界』
- 1929年『過程と実在』
- 1933年『観念の冒険』
『過程と実在』と神
『過程と実在』において、窮極にあるのは神ではなく〈創造性〉である。神は、その創造性の「原初的な、非時間的な偶有性」とされる。神もまた一つの現実的存在であり、遠い空虚な空間に生じるとるに足らない一吹きと、原理の上では同じ水準に置かれる。
それでも神は、この体系に欠かせない。まだ実現されていない可能性(永遠的客体)が、生成しつつある出来事にとって意味をもつためには、それらすべてをあらかじめ評価し秩序づけている現実的存在がなければならない。これが神の〈原初的本性〉である。
しかし原初的本性だけでは、神は「現実性において欠けている」。神は、世界で起こった出来事を一つひとつ抱握し、世界とともに成長する〈結果的本性〉をもつ。第五部でホワイトヘッドは、この神を「世界の詩人」と呼ぶ。神は世界を創造するのではなく、それを救う。
この書に沿って「神」を定義するとすれば
ホワイトヘッドは、神の二つの本性を、第一部と第五部とに分けて論じている。二つを合わせたときにはじめて、この書の神の姿が完全になる。
定義文
『神とは、創造性の原初的な被造物である一つの現実的存在であり、二つの本性をもつ。原初的本性においては、あらゆる永遠的客体についての無条件の概念的評価として、実現されていない可能性に適切性の秩序を与え、世界を新しさへと誘う。結果的本性においては、世界の出来事を一つひとつ抱握し、何も失われないようにという優しい配慮によってそれを救う。神は世界を創造するのではなく、真・美・善の幻視によって、優しい忍耐をもって世界を導く、世界の詩人である。』
原初の被造的事実とは、永遠的客体の全体的多性についての、無条件の概念的評価にほかならない。これが神の原初的本性である。神を離れれば、現実世界において実現されていない永遠的客体は、生成しつつある出来事にとって、相対的に非存在であることになるだろう。この神的秩序づけ自体が事実であり、それによって創造性を条件づける。ただしそれは、それ自身とのみともにある、抽象における神であり、神における単なる一要素にすぎず、現実性において欠けている。
世界のあらゆる現実的存在がもつ性質が、神的本性のうちに適合的な表象を得る。それが神の結果的本性を構成する。結果的本性は、原初的本性の永遠の完全性を損なうことなく、進化しつつある世界との関係のうちで進化する。神は、あらゆる現実性を、その苦しみ、その悲しみ、その失敗、その勝利、その喜びとともに抱握し、決して消えることのない調和のうちへと織り込む。そのイメージは、何も失われないようにという、優しい配慮のイメージである。
事物の純然たる力は、中間的な物理的過程のうちにある。神の役割は、産出的な力と産出的な力との、破壊的な力と破壊的な力との格闘ではない。それは、神の概念的調和化の圧倒的な合理性の、忍耐強い作用のうちにある。神は世界を創造するのではない。神はそれを救う。あるいはより正確には、神は世界の詩人であり、真・美・善の幻視によって、優しい忍耐をもってそれを導く。