正確で、役に立つ説明が、いつのまにか、それがすべてだという主張にすり替わってしまう。第一部第一章第III節は、哲学の誤りの典型を、そこに見る。

哲学の主要な誤りは、誇張である

第III節は、どの哲学もいずれ廃位される、と認めたうえで、哲学体系の束は、宇宙についての多様な一般的真理を表現している、と言う。そして、こう続ける。「合理主義の達成についてのこの説明にしたがえば、哲学における主要な誤りは、誇張である。」

一般化をめざす目的そのものは健全である。誤りは、「その成功の見積もりが誇張されている」点にある。誇張には、二つの主要な形態がある、とホワイトヘッドは言う。

一つ目:具体性置き違えの誤謬

一つ目の形態は、〈具体性置き違えの誤謬〉である。「この誤謬は、一つの現実的存在が、単にある種の思考のカテゴリーを例証する限りにおいて考察されるとき、そこに含まれている抽象の度合いを見落とすことにある。」

続けて、こうも言う。「思考をこれらのカテゴリーに限定しているかぎり、単純に無視されてしまう現実態の諸側面がある。」だから、一つの哲学の成功は、思考がそのカテゴリーの内部に限定されているとき、この誤謬をどれだけ比較的うまく避けているかによって測られる、とされる。

翻訳HTMLの解説は、この語を、前著『科学と近代世界』で提示された術語として説明し、具体例を挙げている。ある人物を「身長170cm、体重70kg」と記述する。これは、その人物が質量をもつ物体という思考のカテゴリーを例証している限りでは、正確で有用な記述である。しかし、「この人物とは、結局のところ70kgの質量を持つ物体にすぎない」と考えてしまえば、その人が何を考え、誰を愛し、どんな記憶をもつか、といった具体的な現実が見落とされる。抽象的な一断面を、具体的な現実そのものと取り違えることが、この誤謬だという。

二つ目:論理的手続きの誤った見積もり

もう一つの形態は、論理的手続きについての誤った見積もりである。第III節は言う。「哲学は、その方法とは、それぞれが明晰で、判明で、確実であるような前提を独断的に示し、それらの前提のうえに、演繹的な思考の体系を築き上げることだ、という不幸な考えに取り憑かれてきた。」

これに対して、ホワイトヘッドは、順序を逆にする。「窮極の一般性についての正確な表現は、議論の目標であって、その出発点ではない。」哲学は、数学の実例によって誤り導かれてきた、とも言う。そして、合理主義的体系の検証は、第一原理の特有の確実性や、当初の明晰さのうちにではなく、その一般的な成功のうちに求められる。

範疇的図式の精密化へ

そこで、哲学の目標は、こう置き直される。「哲学がその本来の地位を取り戻すのは、進歩の各段階において明確に述べられる、範疇的図式の漸進的な精密化こそが、その本来の目標であると認められたときである。」

この図式の骨組みとなる範疇は、第二章に示される。次の記事では、その中核にある〈窮極の範疇〉、創造性・多・一を読む。