解説本
ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む
問いでたどる解説本
ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』全七部・全526命題を、原典の命題番号の順に、一つずつ問いを立てながら読み進める解説本です。全七部47節。世界は成り立っていることのすべてである、という冒頭の命題から、事実・対象・像・思考・命題をめぐる議論を経て、論理学と自然科学、倫理と神秘、そして「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」という最後の一文まで、ウィトゲンシュタインの思考の道筋をたどります。
本文中の引用は、すべて古典書房の翻訳HTML『論理哲学論考』の訳文によります。引用のあとの記号は、その訳文が対応する原典の命題番号です。
ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む
問いでたどる解説本
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目次
- はじめに(このページの下に全文を掲載しています)
- 第一部(命題1) 世界について
- 1 世界は、なぜ「物の総体」ではなく「事実の総体」だと言われるのか
- 2 世界が「論理空間のうちにある事実」だとは、どういうことか
- 3 世界の中の一つのことが変わっても、なぜ世界全体が丸ごと変わるわけではないのか
- 第二部(命題2) 事態・対象について
- 1 事態とは何か、そしてそれはなぜ対象の「結合」として現れるのか
- 2 対象がなければ、なぜ事態を考えることさえできないのか
- 3 対象は、なぜそれ自体を「語る」ことができず、外的な性質によってしか区別されないのか、そして世界の実体は、なぜ「単純なもの」でなければならないのか
- 4 事態はどのように組み合わさっているのか、そして、その総体が「世界」「現実」と呼ばれるのはなぜか
- 5 像とは何か、そして像はなぜ現実と「論理形式」を共有していなければならないのか
- 6 像は、なぜ自分自身だけでは、真偽を知ることができないのか
- 第三部(命題3) 思考・命題について
- 1 思考とは、事実の論理的な像である、とはどういうことか
- 2 思考の像である命題は、なぜ「知覚できる要素」を必要とするのか
- 3 命題記号が一つの事実である、とはどういうことか
- 4 名は対象を代示する、とはどういうことか
- 5 命題は、なぜそれ自体で理解可能な、現実の像でなければならないのか
- 6 可能なすべての意味は、なぜあらかじめ命題のうちに用意されていなければならないのか
- 7 論理においては、なぜ何ものも偶然ではないのか
- 第四部(命題4) 意味と無意味について
- 1 思考とは、意義をもつ命題である、とはどういうことか
- 2 命題は、なぜ現実の「像」でありながら、現実の「モデル」でもあるのか
- 3 命題を理解するとは、その真である場合を知っていることだ、とはどういうことか
- 4 日常言語の命題は、なぜそのままでは論理的に整えられていないのか
- 5 論理学の命題は、なぜ「自然科学の命題」ではないのか
- 6 哲学は理論ではなく活動である、とはどういうことか
- 7 要素命題は、なぜ対象の存在・非存在だけを主張するのか
- 8 一つの命題の真偽は、なぜ他のすべての命題から独立に定まるのか
- 9 すべての命題は、要素命題の真理関数である、とはなぜ言えるのか
- 第五部(命題5) 真理関数・独我論について
- 1 真理関数とは何か、そして真理表とはどう対応するのか
- 2 推論が妥当かどうかは、なぜ命題の形式だけから分かるのか
- 3 トートロジーと矛盾は、なぜ「無意義」でありながら「無意味」ではないのか
- 4 確率命題とは何か
- 5 すべての命題は、なぜ要素命題から一つの操作だけで生み出せるのか
- 6 命題の一般形式とは何か
- 7 「私の言語の限界が、私の世界の限界を意味する」とは、どういうことか
- 8 独我論は、なぜ徹底されると純粋な実在論に一致するのか
- 9 哲学的な自己は、なぜ世界に属さず、世界の限界であるのか
- 第六部(命題6) 論理・数学・自然科学、そして神秘について
- 1 命題の一般形式は、なぜ論理の本質でもあるのか
- 2 数とは、操作の指数である、とはどういうことか
- 3 論理の命題(トートロジー)は、なぜ何も語っていないのか
- 4 数学の等式は、なぜ「疑似命題」なのか
- 5 自然法則とは何か、そしてそれはなぜ対象について語らないのか
- 6 自然法則は、なぜ「説明」だと錯覚されるのか
- 7 意志の自由とは、未来の行為をいま知ることができないということにすぎないのか
- 8 倫理は、なぜ語ることができないのか
- 9 死は人生の出来事ではない、とはどういうことか
- 10 神秘的なのは、世界の「ありか」ではなく、世界が「ある」ということだと、なぜ言えるのか
- 11 語りえないものについては、示すことしかできないのか
- 12 私の命題は、なぜ「梯子」にたとえられるのか
- 第七部(命題7) 語りえぬものについて
- 1 「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」という最後の一文は、何を締めくくっているのか
はじめに
ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』は、内容は大部の体系書と比べられるにもかかわらず、文庫本なら百ページにも満たない本です。一つの命題が別の命題の直接の注釈になっていて、順番を動かすことすら許されない。濃密に構造化された議論を、この分量に圧縮しているという点が異例です。ただし、それゆえと言ってよいのか、読みにくい本でもあります。最後まで読み通した人よりも、書名だけを知っている人のほうがはるかに多いと言われる一冊です。
読みにくさの理由の一つは、独特の番号づけにあります。この本の命題には、1、1.1、1.11、2、2.01というように、小数点を挟んだ番号が振られています。著者自身が最初の命題に付けた注で説明しているところによれば、この小数は、それぞれの命題の論理的な重み、つまり叙述のなかでその命題に置かれている力点を示しています。命題nに続く命題n.1、n.2は、命題nへの注釈であり、命題n.m1、n.m2は、命題n.mへの注釈である、という具合に、番号そのものが、どの命題がどの命題を支えているかを表す仕組みになっています。目次を一目見ただけで身構えてしまう読者が多いのも、無理はありません。
それでも、全体を貫く問いは一つです。何を語ることができ、何は語ることができず、ただ示されるだけなのか。世界とは何かという問いから始まったこの本は、事実、対象、像、思考、命題と歩みを進め、命題の総体としての言語がどこまで届き、どこで届かなくなるかを、一歩ずつ確かめていきます。そして、論理・数学・自然科学について語れることを見きわめたのち、倫理・美・神秘といった、語ろうとすると言葉が空転してしまう領域に至り、最後は、語ることのできないことについては沈黙しなければならない、という一文で締めくくられます。
この本は、その道筋を、原典の命題番号の順に、命題1から命題7まで、七つの部に分けてたどるための案内です。部の区切りは、原典の最上位の命題(1から7までの各命題)そのものです。各部の中は、そこで立ち上がる問いを見出しにした節に分かれています。対象・像・真理関数・独我論・神秘といった、この本のなかでもとりわけ多くの読者を引きつけてきた箇所には、そのぶん多くの節を充てています。細部の記号操作や、途中で退けられる立場の一つひとつをすべて追うことはしません。省いたところは、そうと分かるように書き、翻訳HTMLに譲ります。
本文中の引用は、すべて翻訳HTMLの訳文によります。引用のあとの(6.372)などの記号は、その訳文が対応する原典の命題番号で、翻訳HTMLの各命題に付された番号とそのまま一致しています。気になった箇所は、ぜひ翻訳HTMLでその命題の前後を読んでみてください。
この本は、原典を読む代わりではなく、原典を読むための地図として書かれています。
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