幼い頃から学問によって育てられ、学問さえ修めれば人生に役立つあらゆる事柄について、明晰で確実な知識が得られると信じ込まされていた——そういう子供が、当代最高水準の学校で学び終えたとき、何を思ったでしょうか。
デカルトが通っていたのは、ラ・フレーシュ学院。イエズス会系の名門校で、当時のヨーロッパでもっとも名高い学校の一つでした。彼はそこで、他の誰よりも熱心に学びました。教えられた学問だけでは満足せず、珍しい学問を扱った書物まで手に入るかぎり読み尽くし、周囲からも学者の卵として一目置かれていたといいます。同級生の中にはすでに教師の座を継ぐと目されていた者もいましたが、デカルト自身、彼らに劣ると見なされている様子はなかったと振り返っています。
ところが、その一連の学業を終えた瞬間、デカルトはまったく考えを改めてしまいます。
「疑いと誤りに行き詰まった」
あまりに多くの疑いと誤りに行き詰まってしまい、学ぼうと努めたことで、かえって自分の無知をますます発見しただけのように思われた——デカルトは自らそう告白しています。
これは、単に「授業がつまらなかった」という不満ではありません。むしろ彼は、語学・雄弁術・詩・数学・道徳・神学・哲学・法学・医学と、当時考えられうる学問のほぼすべてを、きちんと修めたうえで、こう結論しているのです。彼は学校の修業そのものを否定してはいません。古代の言語は古典を読むために必要であり、歴史は判断力を養う助けになり、数学にはその推論の確実さと明証性ゆえに、格別の敬意さえ払っていました。個々の科目の出来不出来が問題だったのではなく、学問という営み全体の足場そのものが、揺らいで見えたのです。
とりわけ彼が着目したのは哲学でした。哲学は幾世紀にもわたり、もっとも優れた精神によって培われ続けてきた学問です。それにもかかわらず、いまだに議論の余地のない結論を一つも生んでいない。これほど大勢の優秀な人間が、これほど長い時間をかけて取り組んできたのに、誰もが納得する答えが一つもない——この事実こそが、デカルトにとって決定的でした。哲学が確実でない以上、哲学の原理の上に組み立てられている他の諸学問もまた、確実な基礎を持ちえないだろう、と彼は考えます。
書物ではなく、「世界という大きな書物」へ
学業を終えたデカルトは、書物による学問への信頼をいったん捨て、代わりに「世界という大きな書物」を学ぼうと、旅に出ます。さまざまな国の風俗を見聞し、宮廷や軍隊で経験を積み、あらゆる気質・身分の人々と交わりました。書物の中の学者たちの議論よりも、実際に世間を渡り歩く人間の生きた判断のほうが、真理に近いのではないかと期待してのことでした。
しかし、そこで見出したのは、書物の中の哲学者たちの間に見られたのと同じ種類の多様性でした。ある国では美徳とされることが、別の国では悪徳とされる。人々の意見は、時代や場所によって、驚くほど食い違う。旅は、書物への不信を裏づけこそすれ、解消してはくれませんでした。それどころか、旅を続けるうちに、自分自身の意見についてさえ、次第に確信が持てなくなっていったといいます。多くの人が、自分と異なる意見を持っているからといって、その人が野蛮であったり理性を欠いていたりするわけではない、ということを、旅は嫌というほど教えてくれたのです。
この決意の後、デカルトは実際にどのような手順で学問をやり直そうとしたのか、気になった方へ。
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自分自身の内側へ
ここに至って、デカルトは一つの決意を固めます。外的な学問にも、外的な経験にも頼らず、自分自身の内側で、自らの精神の力だけを用いて、真理を探し求めようという決意です。彼はこの決意を、ことさら大げさな言葉で語ってはいません。自分の精神が人並み以上に優れているとは思っていない、とさえ書いています。むしろ彼が頼りにしたのは、「良識」——正しく判断し、真と偽とを区別する能力——が、すべての人間に生まれつき等しく備わっているという確信でした。意見が人によって食い違うのは、理性の量が違うからではなく、それぞれが思考をさまざまな道筋で導いているからにすぎない、というのです。
『方法序説』は、この個人的な知的危機の告白から始まります。当代随一のエリート教育を受けた人物が、その教育全体に見切りをつけるところから出発する——この逆説めいた出発点にこそ、本書がいまなお読み継がれる説得力の一つがあるのかもしれません。次の記事では、この決意の先で、デカルトが実際にどのような「方法」を編み出したのかを見ていきます。