方法を確立し、神と精神の存在を示し、動物機械論まで語り終えたデカルト。しかし第六部で彼が語るのは、意外にも「なぜこの内容の大部分を、公表しないでおくことにしたのか」という弁明でした。
印刷業者に渡す寸前だった
デカルトは、これらすべての事柄を含む論文(後に『世界論』と呼ばれることになる著作)をちょうど三年前に書き終え、印刷業者の手に渡すために見直しを始めていました。ちょうどそのとき、ある知らせが届きます。
自分が敬意を払い、その権威が自分自身の理性に劣らない力を持っていた人々が、少し前に他の誰かが公刊した、ある自然学上の見解を否認した、というのです。デカルト自身はその見解に賛同していたわけではありませんが、その非難が下される以前には、それが宗教にとっても国家にとっても有害だと想像しうるようなものは何一つ見出していませんでした。この一件が、デカルトに強い警戒心を抱かせます。もし理性が確信させることであっても、それが非難の対象になりうるのだとしたら、自分の意見の中にも、気づかぬうちに誤りがあるのではないか——彼はそう恐れ、以前公刊しようとしていた決意を変えるに至りました。
この場面を、デカルト自身がどのような言葉で語っているのか気になった方へ。
▼ 古典書房のデカルト『方法序説』翻訳HTMLでお読みいただけます。
名指しされない「ある学説の禁止」
本文中、デカルトはこの一件について、当事者の名前を挙げていません。しかし「少し前に他の誰かによって公刊された、ある自然学上の見解」が「非難」されたという記述は、1633年のガリレオ裁判——地動説を擁護したガリレオが、宗教裁判所によって断罪された事件——を指していると考えられています。
デカルト自身も、地球が動くという説を前提とした自然学の構想を『世界論』の中で展開していました。ガリレオの断罪を知った以上、同じ運命が自分の著作にも及びかねない——これが、彼が全面的な公刊を控えた、実際的な理由だったのでしょう。
それでも、書くことにした理由
とはいえデカルトは、完全に沈黙を選んだわけではありません。『方法序説』とそれに付随する試論(屈折光学・気象学・幾何学)というかたちで、内容の一部を、慎重に公表することにします。
その理由として彼が挙げるのは、大きく二つです。第一に、もし公刊を怠れば、以前いくつかの著作を印刷させようとしていた自分の意図を知っていた多くの人々が、控えている理由を、実際よりも自分にとって不利なものだと想像しかねないから。デカルトは、自分の行動を罪であるかのように隠そうとしたことは一度もなく、知られないよう用心を用いたこともない、と述べています。第二に、自分の企てが、無数の実験を必要とし、しかも他人の助けなしにはそれを行うことが不可能であるために、日ごとに遅れを被っている状況で、後の世代に自分の企てへの貢献の仕方を理解させることをあまりに怠れば、残せたはずのより優れた多くの事柄を残さなかったと、いつか非難される口実を与えてしまうかもしれないから、というものでした。
危険を避けながらも、沈黙しきることはしない。むしろ、後の世代が自分の到達したところから始められるよう、わずかなことでも忠実に世間へ伝えておく——この慎重なバランス感覚の中にこそ、『方法序説』という書物そのものの成り立ちが表れているのかもしれません。学問への不満から出発し、四つの規則、暫定の道徳、コギト、神の証明、動物機械論を経て、最後は公表という現実的な問題に着地する。この一冊の中に、デカルトという一人の人間の、慎重で、しかし着実な歩みが、そのまま刻まれています。
それに続けてデカルトは、自分の企てをたった一人で完成させることに、あえてこだわらないとも述べています。もし自分の思索を人々に伝えることで得られる利益が大きくないとしても、後の者が前の者の終えたところから始めることができれば、多くの人々の生涯と労苦をつなぎ合わせることによって、我々皆が一緒になって、一人ひとりでは到底なしえないほど遠くまで進んでいける——この発想は、科学研究を一人の天才の孤独な達成ではなく、世代を超えた協働の積み重ねとして捉える、きわめて近代的な考え方でもありました。