世界の始まりを語る物語は数多くありますが、バビロニアの創造叙事詩『エヌマ・エリシュ』ほど、身も蓋もない理由から物語が動き出す例は珍しいかもしれません。ある神が、わが子である神々を皆殺しにしようと決意します。その理由は、たったひとつ。「うるさくて眠れない」からです。
名を持たない世界
『エヌマ・エリシュ』は、こう歌い出されます。
「高みにおいて天がまだ名づけられず、下にある大地もまだ名を負わず、それらを生んだ原初のアプスーと、そのどちらの母でもある混沌ティアマトとが――二者の水が一つに混ざり合っていて、野は形づくられず、沼地も見えず、神々のうち、だれ一人まだ存在へと呼び出されず」(第一書板 1〜7行より抜粋)
アプスーとティアマトは、いずれも原初の水を体現する神です。天も大地も、名前すら、まだこの世になかった時代、この二者の水が混ざり合った状態から、最初の神々が生まれ出てきます。ラフムとラハム、アンシャルとキシャル、そしてアヌ、エア――幾世代もの神々が、こうして次々と誕生していきます。なかでもエアは、「あらゆる知恵に満ち」、「並ぶ者がない」と本文が讃える、ひときわ強い神として登場します。
「うるさくて眠れない」——父なる神の企み
ところが、生まれたばかりの若い神々は、騒がしく走り回り、アプスーの安らぎを妨げます。腹を立てたアプスーは、宰相ムンムを連れてティアマトのもとへ行き、こう打ち明けます。
アプスーは、昼も夜も安らかに休めないと訴えたうえで、こう告げます。
「だが私は彼らの道を滅ぼそう……嘆きの声があがるがよい、そして私たちは(再び安らかに)横になろう。」(第一書板 39〜40行より抜粋)
つまりアプスーは、子である神々が立てる物音のために眠れず、その解決策として、彼らを滅ぼすことを選ぶのです。この言葉を聞いたティアマトは怒り狂って叫び、呪いの言葉を発しながらも、この計画に応じます。宰相ムンムも彼らの道を滅ぼすようアプスーに勧めます。子を滅ぼす計画を聞いて、アプスーの顔つきは明るくなった、と本文は記します。
清らかな呪文か、それとも戦いか——エアの逆転劇
この企みを見抜いたのが、あらゆる知恵に満ちた神エアでした。ここで本文は大きく欠けており、エアがどのようにアプスーを打ち倒したのか、詳しい経緯は失われています。読み取れるのは、「彼の清らかな呪文」という一語だけです。この一語から、キングは、エアが戦闘によってではなく呪文によってアプスーを打ち倒したのだろうと推測していますが、本文そのものは、戦闘によったのか呪文によったのか、断定できる形では残っていません。いずれにせよ、アプスーは討たれ、以後この詩のなかでは「深淵」と呼ばれる存在になります。
ティアマトの逆襲——十一体の怪物とキングー
夫アプスーを討たれたティアマトは、復讐のために立ち上がります。「万物を形づくった」と呼ばれる彼女は、無敵の武器を新たにこしらえ、怪物の蛇を次々と産み落としていきます。毒蛇、竜、猛り狂う猟犬、蠍人間、魚人間――本文は、体つきの巨大な怪物を、全部で十一体造り上げた、と伝えます。
彼女はこの毒蛇たちに恐怖をまとわせ、威光で飾り、丈高い姿に造り上げます。彼らを見る者はだれもが恐怖に圧倒され、その攻撃に耐えられる者はいなかった、と本文は伝えます。そしてティアマトは、この軍勢の指揮を、自身の子である神キングーに委ねます。「私はあなたの呪文を唱え、神々の集会においてあなたを権力の座に引き上げた」とティアマトは告げ、キングーに「運命の書板」を授けます。これは、世界の秩序を定める力そのものを象徴する宝器です。かつて何もできなかった一柱の神が、母に取り立てられ、若い神々の誰にも太刀打ちできない脅威へと変わった瞬間です。
次の記事では、この報せを受けた神々がどう動いたのか——そして、名指しで呼ばれることさえなかった一柱の神が、なぜ酔っぱらった宴の席で、皆の英雄に選ばれることになったのかを見ていきます。