ここまで12回にわたって、『純粋理性批判』の道のりを、批判とは何かという出発点から、空間・時間、カテゴリー、図式論、経験の類推、現象と物自体、そして魂・世界・神をめぐる理性の壮大な試みと挫折まで、たどってきた。最終回では、少し視点を変えて、古典書房「知るための本」というシリーズ独自の試みそのものについて書いておきたい。
「物の定義史」という問い
古典書房の「知るための本」シリーズは、パルメニデスからカントまで、哲学史を貫く一つの問いを追いかけている。「物とは何か」。この問いに、それぞれの哲学者は、自分自身の言葉で答えを出してきた。
カント自身の語彙で組み立てた定義
カントの答えは、これまで見てきた議論を一つの定義文にまとめると、次のようになる――物とは、空間・時間という感性の形式のもとで与えられた現象が、統覚の総合的統一のもとで悟性のカテゴリー――とりわけ実体・原因性・相互作用――によって規定され、可能な経験の対象として成立したものである。この定義文は、カントの言葉をただ引用したものではなく、『純粋理性批判』全体の議論から、カント自身の語彙だけを使って組み立てた、一つの答えである。
並べて読むと見えてくるもの
「知るための本」という各巻の第Ⅱ部は、こうして、それぞれの哲学者に「物とは何か」を語らせる場所になっている。パルメニデスの答え、デカルトの答え、カントの答え――並べて読むと、哲学史という長い対話の姿が、少しずつ見えてくる。「知るための本」は、原典の全体構造の紹介と、この定義の探求とを一冊にまとめた、いわば哲学書への入り口である。カント『純粋理性批判』の場合、この一冊だけでも、翻訳HTML本編を読む前の見取り図として十分に機能するように作られている。
なぜ「物自体」ではなく「物」の定義なのか
ここで一つ、注意しておきたい点がある。「知るための本」第Ⅱ部が問うているのは、認識できない「物自体」の定義ではなく、私たちが実際に認識する対象としての「物」の定義である。カントの哲学は、物自体について語ることに極めて慎重だが、現象としての物――経験の対象としての物――については、驚くほど具体的で体系的な答えを用意している。この定義文は、その体系全体を一文に凝縮したものである。
シリーズの他の哲学者との対話
たとえばデカルトは、物を「延長を本質とする実体」として定義し、アクィナスは「存在と本質の結合」として捉えた。パルメニデスは、そもそも「ある」ということ自体を物の核心に置いた。カントの定義は、これらの先行する答えを踏まえたうえで、「認識する側の条件(感性・悟性)」を定義そのものの中に組み込んだ点で、大きな転換を示している。この転換の意味を、シリーズの他の巻とあわせて読むことで、より深く味わっていただけるはずである。