断片Ⅷの末尾で、パルメニデスは「真理についての確かな語りと思惟」を終えたと宣言します。ところが、詩はそこで終わりません。むしろ、断片Ⅸ以降、彼は「死すべき者たちの思い込み」の体系を、かなりの分量をかけて語り始めるのです。
火と夜、二つの原理
断片Ⅸによれば、この現象世界は「光」と「夜」という、二つの原理の組み合わせで成り立っています。「光と夜のすべてに名がつけられ、それぞれの力に応じてこれらとあれらに」「すべては光と見えない夜とで満ちている、両者等しく、一緒に」。パルメニデスは、私たちが感覚でとらえるあらゆる現象——熱いものと冷たいもの、明るいものと暗いもの——を、この二つの原理の配合として説明していきます。
断片ⅩⅥでは、この二原理が、人間の思考のあり方にまで応用されます。「流動的な体の各部分を、それぞれが持つように、そのように思惟が人々にそなわる」「より多いものが思惟を決めるからだ」。つまり、体の中で光(火)の成分が優勢であれば思考は明晰になり、夜(闇)の成分が優勢であれば思考は鈍くなる、というのです。身体の物質的な配合が、そのまま思考の質を決めるという、徹底した唯物論的な認識論がここにあります。
この「思い込みの世界」の全体像を、パルメニデス自身の言葉で確認したい方へ。
▼ 古典書房のパルメニデス『自然について』翻訳HTMLでお読みいただけます。
偽と知りながら、なぜここまで詳しく語るのか
ここに、一つの興味深い緊張関係があります。パルメニデス自身、この体系を「思い込み」であり、「真の確信はない」ものだと、はっきり言っています。断片Ⅰの女神の言葉を借りれば、これは「わたしの惑わしの言葉の体系」ですらあります。にもかかわらず、なぜ彼は、これほど筋道立った、詳細な説明を残したのでしょうか。
一つの解釈は、女神自身の言葉の中にあります。「死すべき者たちの思い込みがあなたを追い越すことのないよう、この世界の秩序のすべてをわたしはあなたに語る」。つまり、真理を知った者であっても、日常生活の中では、この移ろいゆく現象世界と関わらざるをえません。だからこそ、それがいかに巧妙に、もっともらしく「実在するもの」として通用してしまうのかを、あらかじめ知っておく必要がある、というわけです。偽の体系を軽んじず、むしろその説得力の高さゆえに、正面から解剖しておく——このバランス感覚こそが、断片ⅩⅣで見たような、鋭い天文学的観察を可能にした土壌だったのかもしれません。
この徹底ぶりは、後世の哲学史においても異色です。多くの哲学者は、自分が誤りとみなす立場について、簡単に触れるだけで済ませがちです。しかしパルメニデスは、みずから「これは思い込みにすぎない」と宣言した体系のために、現存する断片だけでも断片Ⅷの真理論に匹敵するほどの分量を割いています。真理と誤りの両方を、同じ厳密さで扱おうとする、この徹底した姿勢こそが、パルメニデスという哲学者の際立った特徴なのかもしれません。
断片Ⅲから、ここまで
最初の記事で見た「思惟することと存在することは、同じことだ」という一行は、こうして振り返ると、女神への旅(断片Ⅰ)、二つの道の峻別(断片Ⅱ)、存在するものの七つの徴(断片Ⅷ)、そして真理から意図的に切り離された思い込みの世界(断片Ⅸ・ⅩⅥ、月の観察を含む)という、詩全体の構造の中に位置づけられます。わずか19の断片しか現存していないにもかかわらず、そこには、真理とは何か、存在とは何か、そして人はなぜ誤りうるのかという、哲学の根本問題が、驚くほど凝縮された形で詰め込まれているのです。