ある話を聞いて、見事に語られたと感じたとします。そのとき、その話の言っていることまで正しいと、そのまま言ってよいのでしょうか。話の巧みさと、話の中身は、同じものなのでしょうか。ここは筆者の読みですが、『パイドロス』のソクラテスは、リュシアスの話を前にして、この二つを分けて考えはじめるようです。
称賛を求めるパイドロス
パイドロスが読み上げたリュシアスの話は、愛慕する者よりも愛慕しない者に応じるべきだと説くものでした。読み終えたパイドロスは、ソクラテスに感想を求めます。「ほかの点でも、とりわけ言葉づかいにおいても、並はずれてよく語られているのではないか」。ソクラテスはまず、「まことに霊妙な出来だった」と答え、驚かされたほどだが、それはパイドロスのせいだ、と言います。朗読しながら心から喜んでいるパイドロスの様子を見て、そのあとに従ううちに、ともにバッコスの狂乱に加わってしまった、というのです。
パイドロスは、冗談を言っているつもりなのかと尋ね、そう見えるのかと返されると、そうではないと答えて、さらに迫ります。「同じ事柄について、これらよりも大きく豊かな話を、ほかのギリシア人のだれかが語れると思うか」。ここで、ソクラテスの返事が、問いの形をとります。
称賛されるべきは、どの点か
ソクラテスは尋ねます。「この話は、明晰で緊密で、語の一つ一つが精密に磨き上げられているという点だけでなく、作者が必要なことを語ったという点でも、私と君に称賛されねばならないのか」。もしそうする必要があるなら認めるが、自分は取るに足りないために気づかなかった、と言い添えます。さらに、自分は話の弁論術的な面だけに注意を向けていたこと、リュシアス自身もその面を十分だと考えているとは思えなかったことを述べます。そして、「彼は同じことを二度も三度も言っているように、私には思われた」と言います。
この場面の話を、実際の訳文で読んでみたい方へ。
▼ 古典書房のプラトン『パイドロス』翻訳HTML 試し読み版(無料)で確認できます。
パイドロスは、そこにこそこの話の最大の長所があると答えます。「事柄の中にあって語るに値することは、何一つ残さず語られている」のだから、これより多く、これより価値のある話をだれかが語れるはずがない、というのです。ソクラテスは、その点では従えないと言います。君を喜ばせようとして譲れば、これらの事柄について語り書き残した昔の賢い男女たちが、自分を論破するだろうからです。
ソクラテスが認めたこと、認めなかったこと
パイドロスは、ではその、よりすぐれた話をどこで聞いたのかと問います。ソクラテスは、すぐには言えないと答え、美しいサッポーか、賢いアナクレオンか、何人かの書き手からだろうと言います。自分の無学を自覚している以上、胸に満ちているその話が自分から出たものでないことは分かる。残るのは、「どこかほかの人の泉から、耳を通して、器のように満たされた」ということだ、と言うのです。しかも、だれのものをどのように聞いたかは、鈍いために忘れてしまったと付け加えます。
パイドロスは、ソクラテスがその話をリュシアスの話に触れずに語ると約束したのだと言い、その代わりに黄金の像を奉納すると約束します。ソクラテスは、ここでことわります。リュシアスが全体として誤っていると言っているのではない。主題からして、愛慕しない者の思慮をほめ、愛慕する者の無思慮をとがめることは必要な事柄であり、それを取り上げずにおいて、なお語ることがあるだろうか、と問い返すのです。そのうえで、必要な事柄では「称賛すべきは、案出ではなく配置であり」と述べ、必要でなく、しかも見つけにくい事柄では、配置に加えて案出も称賛すべきだと言います。ここは筆者の読みですが、ソクラテスは、話をどう組み立てたかと、必要なことが語られているかとを、分けて見ているようです。
語らせようとするパイドロス
パイドロスはそれでも引き下がりません。「私たちは二人だけで人気のない場所にいる」。しかも自分のほうが力が強く、年も若いのだから、力ずくで語らされるよりも、自分から進んで語るほうを選んでほしい、と言います。
このあと、ソクラテスは誓いに押されて、自分の話を語りはじめます。しかし話は途中で打ち切られ、ソクラテスは、さきの二つの話が神に対する過ちであったと感じて、取り消しの歌を歌うと言い出します。次の記事では、その取り消しの歌の出発点にあたる、狂気をめぐる論点を辿ります。