健康な人が、これからも健康でいたいと願うことがあります。すでに健康なのに、何を願っているのでしょうか。欲しいという気持ちは、まだ手に入れていないものに向かうのか、それとも、すでに持っているものにも向かうのか。『饗宴』では、ソクラテスが、この問いを足がかりに、エロスについての議論を進めます。

アガトンの賛辞と、ソクラテスの問い

先に話したアガトンは、エロスは神々のうちで最も幸福であり、それは最も美しく、最もすぐれているからだ、とほめました。話し終えると、居合わせた全員が歓声を上げます。ソクラテスは、自分には同じようにほめることはできないと述べ、本当のことを自分のやり方で話したい、と言います。そして、その前に、アガトンに少しばかり尋ねることを許してもらいます。

最初の問いは、こうです。「エロスは、何かに対する愛であるような者なのか、それとも何にも対するものではないのか」。ソクラテスは、例を添えます。父は何かの父であるのか、と問えば、父は息子か娘の父だと答えるはずです。母も兄弟も同じです。アガトンは、エロスについても、何かの愛だと答えます。

欲するものは、欠けているもの

次にソクラテスは、エロスは自分がその愛であるところのものを欲しているのか、いないのかと尋ね、欲している、という答えを得ます。さらに、欲しているそのものを、すでに持っていながら欲するのか、持っていないのかと問うと、アガトンは、おそらく持っていないのだろう、と答えます。ソクラテスは、おそらくでは足りない、必然かどうかを考えてくれ、と言い、こう確かめます。「欲するものは、欠けているものを欲し、欠けていなければ欲しない」。これは自分には、驚くほど必然だと思われる、というのです。

ソクラテスは、ありうる反論を、自分で取り上げます。強い者が強くあることを望み、健やかな者が健やかであることを望む。それは、すでに持っているものを欲しているのだ、と考える人があるかもしれない。しかし、と彼は言います。そうした者は、望もうと望むまいと、いま持っているものを持っています。もし誰かが、自分は健やかなのに健やかでありたいと言うなら、こう言おう。君は富と健康と力をすでに手に入れていて、これからのちの時にもそれらを手に入れ続けていたいのだ。現在あるものを欲していると言うとき、それは、「現在あるものがこれからのちの時にもあってほしいと望む」ということ以外の何かを言っているのかどうか、考えてみよ、と。アガトンは、そう認めます。

こうして、欲する者が欲しているのは、手もとにないもの、自分が持たないもの、欠けているものだということになります。ソクラテスは、まとめます。エロスは、まず何かに対するものであり、次に、自分にそれが欠けているものに対するものだ、と。

美しいと言えなくなるエロス

ここでソクラテスは、アガトン自身の言葉を思い出させます。アガトンは、神々には、美しいものへの愛のゆえに事柄が整えられた、「醜いものに対する愛はない」からだ、と言っていました。それなら、エロスは美に対する愛であって、醜に対する愛ではありません。そして、愛は欠けているものに対するのですから、エロスは美を欠いており、持っていないことになります。そこでソクラテスは尋ねます。「美を欠き、まったく美を所有していないものを、君は美しいと言うか」。アガトンは、決して言わない、と答えます。それなら、なおエロスが美しいと認めるか、と問われたアガトンは言います。「私はあのとき自分が言ったことを、何も知らないように思う」。

ソクラテスは、いや、実に見事に言った、と応じたうえで、さらに、善いものも美しいと思われるか、と尋ね、アガトンは、そう思うと答えます。それなら、エロスが美しいものを欠いており、善いものが美しいなら、エロスは善いものをも欠いているはずです。アガトンは、君に反論することはできないだろう、と認めます。ソクラテスの返しは、こうでした。真理に反論することができないのだ、愛されるアガトン。「ソクラテスに反論することは、少しも難しくないのだから」。

美しくないことは、醜いことか

ソクラテスは、ここから先を、かつてマンティネイアの女ディオティマから聞いた話として語ります。彼自身も、かつて彼女に、エロスは偉大な神であり、美しいものに属する、と言いました。すると彼女は、ちょうど彼がいまアガトンを論駁したのと同じ論法で、彼を論駁したというのです。エロスは美しくも善くもないことになる、と。

ソクラテスは尋ねました。では、エロスは醜く、悪いということになるのか。ディオティマは答えます。「美しくないものは、必ず醜いと思うのか」。彼女は、知恵がなければ無知なのかと問い返し、知恵と無知の間にも何かがあることを、正しく思いなしていても根拠を述べられない場合の例で示します。そのうえで、エロスも、善くも美しくもないからといって、醜く悪いものだと思う必要はない、むしろこの二つの間にある何かだと考えなさい、と言います。

では、その間にあるエロスとは、何者なのか。ディオティマの答えは、翻訳HTMLの本文で続けて読むことができます。