ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』は、内容は大部の体系書と比べられるにもかかわらず、文庫本なら百ページにも満たない本です。一つの命題が別の命題の直接の注釈になっていて、順番を動かすことすら許されない。濃密に構造化された議論を、この分量に圧縮しているという点が異例です。ただし、それゆえと言ってよいのか、読みにくい本でもあります。最後まで読み通した人よりも、書名だけを知っている人のほうがはるかに多いと言われる一冊です。
問いを一つずつ、たどっていく
解説本『ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む 問いでたどる解説本』は、この本を、命題1から命題7まで、原典の番号の順に、七つの部に分けてたどるための案内として作りました。部の区切りは、原典の最上位の命題(1から7までの各命題)そのものです。各部の中は、そこで立ち上がる問いを見出しにした節に分かれています。本文中の引用は、すべて翻訳HTMLの訳文によります。この本は、原典を読む代わりではなく、原典を読むための地図として書かれています。
読みにくさの理由の一つは、独特の番号づけにあります。この本の命題には、1、1.1、1.11、2、2.01というように、小数点を挟んだ番号が振られています。著者自身が最初の命題に付けた注で説明しているところによれば、この小数は、それぞれの命題の論理的な重み、つまり叙述のなかでその命題に置かれている力点を示しています。命題nに続く命題n.1、n.2は、命題nへの注釈であり、命題n.m1、n.m2は、命題n.mへの注釈である、という具合に、番号そのものが、どの命題がどの命題を支えているかを表す仕組みになっています。目次を一目見ただけで身構えてしまう読者が多いのも、無理はありません。
実際に、どんな問いがどうつながっていくのか。第六部の終盤から、一つの流れを見てみます。
死をめぐる問いから、最後の一文まで
問い「死は人生の出来事ではない、とはどういうことか」から始まり、「死においても、世界は変わるのではなく、終わるのと同様である。」(6.431)と、死とは世界の終わりであって、変化ではないことが確かめられます。
続く問い「神秘的なのは、世界の『ありか』ではなく、世界が『ある』ということだと、なぜ言えるのか」では、「世界がいかにあるかが神秘的なものなのではなく、世界があるということが神秘的なものなのである。」(6.44)という、この本のなかでもとりわけ有名な一文にたどり着きます。
そこから問いは、「語りえないものについては、示すことしかできないのか」へ、そして「私の命題は、なぜ『梯子』にたとえられるのか」へと進みます。「私の命題は、次のようにして解明を行う。(中略)その人は、いわば、はしごを上りきったあとで、そのはしごを投げ捨てなければならない。」(6.54)ここまで積み上げられてきたこの本自身の議論もまた、読み終えたときには乗り越えられ、投げ捨てられるべき梯子だった、というのです。
そして最後の問い、「『語りえぬものについては、沈黙しなければならない』という最後の一文は、何を締めくくっているのか」。世界、事実、対象、像、思考、命題、そして論理・数学・自然法則・倫理・死・神秘――ここまでの道のりはすべて、この最後の一文へと向かって積み上げられてきました。語ることのできるものを、できるかぎり明晰に語り尽くしたところに、語ることのできないものの在り処が、おのずと浮かび上がってくる。その浮かび上がったものについては、もはや語ろうとせず、沈黙する。これが、『論理哲学論考』という、この短くも読み通しがたい一冊が、最後にたどり着いた場所です。
この続きを、解説本で読む
解説本では、こうした問いのつながりを、命題1「世界は、成り立っていることのすべてである。」から、この最後の一文まで、全七部にわたって、途切れることなくたどることができます。細部の記号操作や、途中で退けられる立場の一つひとつをすべて追うことはせず、この本のなかでもとりわけ多くの読者を引きつけてきた箇所――対象・像・真理関数・独我論・神秘といった主題――に、多くの節を割いています。
解説本は、有料の一冊(¥500)としてご用意しています。「語りえぬもの」をめぐる長い道のりを、最初の命題から通しでたどってみたい方に、読んでいただければと思います。