人間を創り終えたマルドゥクを、神々は最後にどう遇したのか。『エヌマ・エリシュ』は、本編最後の第七書板をまるごと使って、これに答えます。神々の集会は、マルドゥクに五十の栄誉の称号を捧げていくのです。
五十の名、シュメール語で
称号はシュメール語で与えられ、それぞれに、意味を説明するアッシリア語の句が続きます。最初の名はアサリ。「植え付けを授ける者」「穀物と植物の創造者」――戦いの英雄というより、実りをもたらす者としての称号から、この長い讃歌は始まります。
人類を創った理由が、もう一度語られる
称号の列挙が進むなかで、人間創造の場面が、もう一度、違う角度から語り直されます。
「清らかな呪文の主」、「死者に命を与える者」、「捕らわれた神々に慈悲をかけた者」、「敵である神々から軛を取り除いた者」、「彼らの赦しのために、彼は人類を創った」(第七書板 26〜29行より抜粋)
前の記事で見た「神殿と礼拝者が必要だから」という実務的な理由に加えて、ここでは、人間の創造が、敗れて囚われた神々への「慈悲」「赦し」として語られています。同じ出来事が、称号ごとに少しずつ違う光の当て方をされていくのが、この讃歌の面白いところです。
父エアが、名を明け渡す
称号の連なりは、終盤で大きな山場を迎えます。年長の神ベールが、マルドゥクに「世界の主」の称号を与えたとき、それを聞いた父エアは、こう語ります。
「彼の父たちがその名を栄えあるものとした彼は、私と同じになるだろう、彼の名はエアとなるだろう! 私のすべての定めの拘束力を、彼が統べるだろう、私のすべての命令を、彼が知らしめるだろう!」(第七書板 119〜122行より抜粋)
父エアは、自分の権能だけでなく、自分の「名」そのものを、息子であるマルドゥクに明け渡すのです。息子が父にとって代わる、というよりも、息子のなかに父が重なり込んでいくような、独特の瞬間です。
五十番目の名、「ハンシャ」
「『五十』という名によって、大いなる神々は彼の五十の名を宣べ、彼らは彼の道を卓越したものとした。」(第七書板 123〜124行より抜粋)
長い讃歌の最後に呼びかけられる名は「ハンシャ」――そのまま「五十」を意味します。個々の称号を積み重ねたその総和として、この一語がすべてを要約し、象徴するのです。ちなみに、この書板から直接読み取れる称号は五十のうち二十五にとどまり、別の断片に残る一覧と照らし合わせることで、ようやく七つほどが補えるといいます。それでも三十二がせいぜいで、三分の一以上は、いまも失われたままです。
エピローグ——語り継ぐよう命じられた讃歌
称号の列挙が終わると、十八行から成る短いエピローグが続きます。
「それらが記憶にとどめられ、最初の人間がそれらを宣べるがよい。賢い者と分別ある者が、ともにそれらを思いめぐらすがよい!父はそれらをくり返し、息子に教えるがよい。それらが、牧者と羊飼いの耳にあるがよい!」(第七書板 125〜128行より抜粋)
この讃歌は、神殿の奥にしまい込まれる文書ではなく、父から子へ、羊飼いの耳にまで届くよう、語り継がれることを前提に書かれているのです。エピローグはさらに、マルドゥクの人柄を、対照的な二つの言葉で描き出します。
「彼は怒りのうちに見据え、その首をそらさなかった。彼が憤るとき、どの神も彼の激しい怒りに耐えることはできない。彼の心は広く、彼の憐れみは広大である。」(第七書板 133〜135行より抜粋)
本編七書板は、ここで終わります。次の記事では、この本編には含まれない、もうひとつの物語――マルドゥク以外の神が竜を討ったと伝える、別の異本を見ていきます。