魂についての誤謬推理に続いて、理性は「世界」という理念に向かう。世界には始まりがあるのか、それとも無限にさかのぼれるのか。世界は単純な部分から成るのか、それとも無限に分割できるのか。カントはこうした問いをめぐって、理性が自分自身と衝突してしまう場面を四組、取り上げる。これがアンチノミー(二律背反)である。

正命題も反対命題も、同じくらい説得力がある

驚くべきことに、それぞれの問いについて、正命題(たとえば「世界には時間的な始まりがある」)も、反対命題(「世界には始まりがなく、無限にさかのぼる」)も、どちらも同じように説得力のある証明を持ってしまう。理性は、二つの相反する結論のどちらへも、もっともらしく導かれてしまうのである。カントはこの四組を、律儀に正命題・反対命題それぞれの証明として、対立法廷の弁論のように書き並べている。

「世界」を一個の物として問うことの誤り

カントの診断はこうだ。これらの問いは、そもそも現象の全体としての「世界」を、経験を超えて一つのまとまった対象であるかのように扱ってしまっているところに問題がある。世界は、経験のうちで次々と与えられていく現象の系列であって、それ自体が完結した大きさを持つ一個の物ではない。だからこそ、それを一個の物として問うたとたん、理性はどちらの答えにも行き着いてしまう。

行き詰まりが証明していること

この行き詰まりこそが、感性論・分析論で確認してきた「現象と物自体の区別」の重みを、逆説的な仕方で証明しているのである。世界の全体性についての問いは、理論理性にとっては解けない問いではなく、そもそも立て方自体が間違っていた問いだった、というのがカントの結論である。

四組の対立のテーマ

四組のアンチノミーは、それぞれ量・質・関係・様相というカテゴリーの区分に対応している。第一は世界の時間的・空間的な始まりの有無、第二は物質が単純な部分から成るか無限に分割できるか、第三は自然の因果性だけで十分か自由による原因性も必要か、第四は世界に必然的存在者が含まれるか否か、という対立である。カントはこの四組を、力学的な組(第三・第四)と数学的な組(第一・第二)とに分け、それぞれ異なる仕方で解決を与えている。

自由と自然法則は両立できるか

なかでも第三のアンチノミー――自然必然性と自由の対立――は、後の倫理学において特別に重要な意味を持つことになる。カントは、現象としての人間は自然法則に従うが、物自体としての人間には、自然法則に縛られない自由の余地が残されている、と論じる。この現象と物自体の区別を使った自由の弁護こそが、道徳哲学へとつながっていく、アンチノミー論のもう一つの大きな成果である。