まったく同じ二つのものは、存在するのか。『モナドロジー』は、存在しない、と答える。しかもその答えは、モナドの変化を説明する必要から、ほとんど前提として立てられる。

モナドは、何らかの性質を持たなければならない

前の記事で見たとおり、モナドには部分も、延長も、形もない。では、モナドは何によって区別されるのか。§8は、まず言う。「しかしながら、モナドは何らかの性質を持たなければならない。さもなければそれらは存在者ですらないだろう。」

理由は二つ述べられている。性質がなければ存在者ですらないこと、そして、性質が異ならなければ変化に気づけないことである。後者について、もし単純実体がその性質において異ならないとすれば、「事物における何らかの変化に気づく方法はまったくないだろう」。複合体の中にあるものは、単純な構成要素からしか来ることができない。だから、単純実体に性質の違いがなければ、複合体にも違いが生じない。

どのモナドも、他のモナドと異なる

§9は、さらに強く言う。「それぞれのモナドは他のあらゆるモナドと異ならなければならない。」その理由は、こうである。「自然の中には、互いにまったく同じであり、内的な規定、すなわち内在的な名辞に基づく違いを見出すことができないような、二つの存在者は決して存在しない。」

内的な規定、つまりそのものの内側に備わる性質によって区別できない二つのものは、ない。この考えは、のちに「不可識別者同一の原理」と呼ばれる。ただし、本文はこの主張に、独立した証明を与えていない。ここでは、§8の、性質の違いがなければ変化に気づけないという議論を受けて、ほぼ前提のように立てられている。

変化は、内側から生じる

次に、変化の話に移る。§10は、あらゆる被造的存在者が変化に服することを、認められたこととして受け取り、したがって被造的モナドもまた変化に服し、しかもこの変化は「それぞれのモナドにおいて連続的である」と述べる。

そこから、§11が帰結する。「モナドの自然な変化は内的原理から生じる。外的原因はその内部に影響を及ぼすことができないからである。」前の記事の「窓を持たない」という主張が、ここで働いている。外から入ってこられないのだから、変化の原因は内側にしかない。

単純なものの中に、多がある

ただし、変化の原理があるだけでは足りない。§12は言う。「しかし、変化の原理だけでなく、変化するものの詳細もなければならない。」この詳細が、「いわば単純実体の特殊化と多様性をなす」。

§13は、その詳細の置き場所を示す。「この詳細は、単一性の中に、すなわち単純なものの中に、多を包み込まなければならない。」あらゆる自然の変化は程度によって生じ、何かが変化し、何かが残るからである。結論はこうなる。「単純実体の中には部分こそないものの、変様と関係の複数性がなければならない。」

部分がないのに、多がある。単一性の中に、多を包み込む。この状態は、§14で「知覚」と呼ばれる。次の記事では、§17の「水車小屋」の思考実験から、なぜ機械の中に知覚が見つからないのかを読む。