西洋哲学の歴史は、たいてい一人の人物から語り始められます。紀元前六世紀、ミレトスのタレス。そして、彼の説として決まって紹介されるのが、万物の原理は水である、という一言です。机も岩も人間も、もとをたどれば水だ――そう聞くと、ずいぶん素朴な思いつきに思えるかもしれません。けれども、タレスがなぜそう考えたのかを最初に本気で推し量ったのは、ほかならぬアリストテレスでした。『形而上学』第一巻第三章は、その推理の記録でもあります。

「なぜ」に答える四つの仕方

前の記事で見たように、アリストテレスは、知恵とは原因を知る知識だと述べていました。第三章は、その「原因」をまず整理するところから始まります。

「原因という語は四つの意味で語られる。」(第一巻第三章 983a)

第一に、それぞれのものの実体、すなわち本質。第二に、質料、すなわち基体。第三に、運動がそこから始まる源。第四に、「そのために」ということ、つまり善です。のちに「四原因」と呼ばれる区別です。アリストテレスは、自分より前に哲学した人々も何らかの原理と原因について語っていたはずだとして、彼らの説を検討していきます。そうすれば、別の種類の原因が見つかるか、すでに挙げた四つへの確信が深まるか、どちらかになるはずだからです。

最初の哲学者たちが探したもの

アリストテレスによれば、最初に哲学した人々の多くは、「質料の形をとる原理」だけを、あらゆるものの原理だと考えました。あらゆるものがそこから成り、そこから生じ、最後にそこへと消滅していくもの。姿は変わっても、それ自体は存続しつづけるもの。

ここでアリストテレスは、分かりやすい例を挙げています。ソクラテスが美しくなっても、音楽的になっても、私たちは、無条件な意味でソクラテスが生成したとも消滅したとも言いません。ソクラテス自身は変わらずそこにいて、変わったのはその状態だけだからです。最初の哲学者たちは、世界全体をこれと同じように考えました。何かが生まれたり消えたりして見えても、その下には、常に保存されている一つ(あるいは複数)の本性がある、と。

タレスの「水」

では、その本性とは何か。この種の哲学の創始者であるタレスは、それを水だと言いました。

「だからこそ彼は、大地は水の上に浮かんでいるとも述べたのである。」(第一巻第三章 983b)

アリストテレスは、タレスがこの考えに至った理由を推し量ります。あらゆるものの養分が湿っていること。熱そのものも、湿ったものから生じ、それによって生きていること。そして、あらゆるものの種子が湿った本性をもつこと。生き物が育つところには、いつも湿り気がある――タレスはそれを見てとり、あるものがそこから生じるところのものこそが原理だ、と考えたのだろう、というのです。

ここで注意したいのは、これがアリストテレス自身の「おそらく」という推測として語られている点です。タレス本人の書いたものは残っておらず、アリストテレスも、タレスはこう述べた「と伝えられている」と慎重に書いています。さらに、はるか昔に神々について語った人々も、オケアノスとテテュスを万物生成の父母とし、神々の誓いを水(ステュクス)にかけたことから、同じような見方をしていたと考える者もいる、とも付け加えています。

水から、空気・火・四元素へ

タレスの後、原理の候補は次々に入れ替わります。アナクシメネスとディオゲネスは、水よりも空気を先立つ原理とみなしました。メタポンティオンのヒッパソスとエフェソスのヘラクレイトスは、火を原理としました。エンペドクレスは、それまでの三つに土を加えて、四つの元素を立てます。さらにアナクサゴラスは、原理は数において無限だと言いました。

答えはばらばらですが、アリストテレスの目から見ると、彼らは皆、同じ一つの問いに答えようとしていました。世界は「何から」できているのか――つまり、四つの原因のうちの「質料」だけを探していたのです。

木材は、みずから寝台にはならない

ところが、探求が進むにつれて、「事柄そのものが彼らのために道を切り開き、さらなる探求を強いることになった」とアリストテレスは書きます。あらゆるものが何かから生じるのだとしても、ではなぜそうなるのか、という問いが残るからです。

「木材も青銅も、それぞれが自分自身を変化させる原因ではなく、木材がみずから寝台になったり、青銅がみずから彫像になったりするわけでもなく、変化には別の何かが原因として働いているのである。」(第一巻第三章 984a)

材料が分かっただけでは、ものが生まれる理由は説明できない。こうして、第二の原因――運動がそこから始まる源――が探し求められることになります。さらに、世界に善いものや美しいものが生じるのは、火や土のはたらきでも、偶然でもなさそうだ。そう考えられたとき、自然のうちにも秩序全体の原因となる「知性」がある、と語る人が現れました。アリストテレスはその人物について、それ以前にでたらめなことを語っていた人々のなかで、「ただ一人素面の者であるかのように見えた」と評しています。アナクサゴラスのことです。

水が万物の原理だというタレスの一言は、こうして振り返ると、素朴な答えというよりも、長い探求の最初の一歩だったことが分かります。世界は何からできているのかという問いが、やがて、何がそれを動かし、何のためにそうなっているのかという問いへと広がっていったのです。次の記事では、せっかく「知性」を見出したアナクサゴラスが、なぜアリストテレスから「機械仕掛けのように」しか使っていないと手厳しく批判されたのかを見ていきます。