「存在しないもの」を完全に切り捨てたパルメニデスの前には、たった一つの道——「存在するもの」だけが残ります。断片Ⅷは、この「存在するもの」が、いったいどのような性質を持つのかを、驚くほど体系的に描き出す、パルメニデスの存在論の核心です。
七つの徴
断片Ⅷで示される「存在するもの」の性質は、大きく七つに整理できます。
①生成しない・滅しない——存在しないものから何かが生じることも、存在するものが存在しないものになることも、語ることも思惟することもできない以上、ありえません。②唯一・完全——分割できず、全体として一つです。③不動——大きな縛りという限界の中で、始まりなく、止まることなくあり続けます。④果てがない——欠けがない以上、限界を欠くことは許されません。⑤連続している——「存在するものは存在するものに接する」ため、隙間なく連続しています。⑥球のように完全——中心からあらゆる方向に等しく均衡しています。⑦思惟と同一——思惟することと、思惟が存在する理由とは、同じことです。
七つの徴のうち、とりわけ①(生成しない・滅しない)と⑥(球のように完全)の二つは、後世の哲学者たちに繰り返し参照されることになります。生成・消滅を認めない存在論は、後にプラトンが「イデア」という、変化しない永遠の実在を構想する際の、重要な足がかりの一つになりました。また「球のような完全性」というイメージも、宇宙全体を完全な球体とみなす、後の宇宙論的な発想の遠い源流として言及されることがあります。
もう一点付け加えると、この七つの徴は、互いにばらばらに並んでいるわけではありません。生成・消滅の否定(①)から、分割不可能性(②)が導かれ、そこから不動性(③)と連続性(⑤)が導かれる、というように、一つの徴が次の徴の根拠になる形で、緊密に組み立てられています。断片Ⅷは、断片としては長い部類に入りますが、それは議論の密度の高さの表れでもあります。
この七つの徴を、パルメニデス自身がどのような言葉で導き出しているのか気になった方へ。
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「もし生じたとすれば、存在しない」という論証
中でも興味深いのは、生成を否定する論証です。パルメニデスはこう考えます。もし何かが「過去に生じた」のなら、生じる前は存在しなかったことになる。しかし存在するものは、存在しないものから生じることはできない——だとすれば、「生じた」という概念そのものが、存在するものには適用できない。「これから生じる」場合も同じ理屈です。こうして、生成も消滅も、静かに退けられていきます。
もう一つ印象的なのが、「名にすぎない」という言い方です。生成・消滅・場所の移動・色の変化——私たちが当たり前だと思っている、この移り変わる世界のあらゆる出来事は、「死すべき者たちが真実だと信じてつけた、ただの名前」にすぎない、とパルメニデスは言い切ります。感覚がとらえる世界全体が、いわば「言葉の上だけの存在」だというのです。
球のような完全性
断片Ⅷの終盤、パルメニデスは存在するものを「よく丸い球の塊」にたとえます。中心からあらゆる方向に等しく均衡し、ここでより大きく、あそこでより小さいということがない——この比喩は、断片Ⅰで語られた「真理のよく丸い核心」という表現とも、ぴたりと呼応しています。
ここまでが「真理の道」です。断片Ⅷの末尾で、パルメニデスは唐突にこう告げます。「ここで、真理についての確かな語りと思惟を終える。これ以降は、死すべき者たちの思い込みを学べ」。次の記事では、この宣言のあとに続く、もう一つの世界——なぜパルメニデスは、偽と分かっている思い込みの体系にまで、詳しく紙幅を割いたのかを見ていきます。