『ソクラテスの弁明』を初めて開いた人は、たいてい同じところで首をかしげます。ソクラテスは被告なのだから、すぐ告発に答えるはずだと思うからです。ところが、話し方についての断り書きが続き、そのあとの弁明も、昔からの告発者たちという、名前さえわからない相手に向けたものから始まります。なぜ、本題の告発の前に、これほど長い前置きが必要だったのでしょうか。
結論から言えば、この前置きは脇道ではなく、弁明の順序そのものだと読むことができます。ソクラテスは、人々が抱いている中傷は、目の前の告発よりずっと前から耳に入り込んでいたと考えています。だから、まず何を基準に聞いてほしいかを断り、次に誰に先に答えるべきかを決め、そのうえで中傷の中身を確かめていくのです。
まず、話し方について断っておく
ソクラテスは、告発者たちの話しぶりに驚いたと言います。彼らがあまりに説得力をもって語るので、危うく自分自身のことすら忘れそうになったが、真実のことは何ひとつ語っていない。中でも驚いたのは、彼らが諸君に向かって、ソクラテスは弁舌に長けているから欺かれないよう用心せよ、と言った点でした。彼が少しも弁舌に巧みでないことが明らかになれば、彼らはたちまち論駁されてしまうのに、それを恥じないからです。ただし、彼らの言う巧みさが真実を語る者を指すのなら話は別で、その意味でなら、自分は彼らの流儀での弁論家ではないと認めよう、と切り返します。
そのうえで彼は、諸君が耳にするのは美しく飾った言葉ではなく、「思いつくままの言葉で、行き当たりばったりに語られる」ものだと予告します。自分の語ることが正しいと信じているうえ、この歳になって少年のように言葉をこしらえるのはふさわしくないからだ、と言います。さらに、七十歳で初めて法廷に上がり、ここでの話し方にはまったく不慣れなので、普段の言葉遣いで語っても驚かないでほしい、と頼みます。そして、語り方が劣っていても優れていてもかまわないから、ただ一点、私が正しいことを語っているかどうかに注意してほしい、と求めます。裁判官の徳は正しいかどうかに目を向けること、弁論家の徳は真実を語ることだからです。これは言い訳というより、話術ではなく真実かどうかで聞いてほしいという、聞き方の依頼に見えます。
告発者には二種類あった
次にソクラテスは、まず最初の偽りの告発と最初の告発者たちに弁明し、その次に後の告発と後の告発者たちに弁明するのが正しい、と順序を宣言します。彼が恐れているのは、アニュトスの一味よりも、むしろ昔からの告発者たちのほうだと言います。この者たちは、諸君の多くを子供の頃から引き受けて、ソクラテスなる知恵のある人物がいて、天上のことに思いをめぐらし、地下のあらゆることを探究し、弱い言論を強い言論に作り変える者だ、と説き聞かせてきました。それを聞いた者は、そんな人間は神々をも認めないのだと思い込みます。
この相手が厄介なのは、数が多く、長い年月にわたって、信じ込みやすい年頃の人々に語りかけ、弁明する者が誰もいないまま、いわば欠席裁判で告発してきたからです。しかも、喜劇作家でもないかぎり、名前さえ知ることも口にすることもできません。誰ひとりここに呼び出して論駁することもできないので、ソクラテスは、「いわば影と戦うほかなく、誰も答える者のないまま論駁しなければならない」と述べます。諸君は昔からの告発を、後の告発より先に、しかも多く耳にしてきた。だから先に、あの昔からの告発者たちに弁明すべきなのだ。これが、冒頭の問いへの、訳文の中での答えです。
告発の中身は、宣誓供述書として読み上げられる
ただし、彼はこの弁明が容易でないことも承知しています。長い年月のうちに人々が抱いた中傷を、これほど短い時間で取り除かねばならないからです。それでも、結果は神の意に任せ、法に従って弁明すると言います。
そこで彼は、中傷がそこから生じた告発そのものを、最初から取り上げます。メレトスもこの告発を信じたからこそ告訴状を書いたのだと述べたうえで、中傷した者たちが告発者であるかのように、その宣誓供述書を読み上げます。内容は、「ソクラテスは不正を行い、余計なことに首を突っ込んで、地下のことと天上のことを探究し」、弱い言論を強い言論に作り変え、さらに他人にもこれと同じことを教えている、というものでした。姿の見えない中傷に文面という形を与え、否認する対象をはっきりさせているわけです。
彼は、諸君自身がアリストパネスの喜劇で、ソクラテスなる者が空中を歩くと称するのを見たはずだ、とも言います。そのうえで、そうした学識を軽んじてはいないと断り、ただ、自分にはそうしたことへの関わりが一切ないのだと言います。その証人は、諸君自身です。私がそうしたことを語り合うのを聞いたことがあるかどうか、互いに話し合ってほしい、と。
教えて金を取る人々との違い
供述書にあった、他人にも同じことを教えているという点について、ソクラテスは、人々を教育して金を取っているという噂も真実ではないと言います。もっとも、ゴルギアスやプロディコスやヒッピアスのように人々を教育できるのなら、それは立派なことだとも語ります。彼らは、どの国に行っても、自国の市民と無償で交わることのできる若者たちを説き伏せ、自分たちと交わらせ、金を払わせ、感謝までさせるのだ、と言います。
その具体的な場面として語られるのが、ソフィストたちに大金を払ってきたカリアスとの対話です。ソクラテスは、息子が馬や牛の子であれば監督者を雇えるだろうと話を切り出し、「人間としての徳、市民としての徳に通じた者は、いったい誰なのか」と尋ねます。カリアスは、パロスのエウエノスで五ムナだと答えました。ソクラテスは、その人が本当にそのような技術を身につけているなら幸せな人だと思い、自分なら得意になっただろうと語ります。しかし実際には、自分はそれを知らないのだ、と結びます。
この冒頭の断り書きや、古い告発者たちへの弁明を、ソクラテス自身がどう語っているのか気になった方へ。
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こうして見ると、飾らない話し方の断り、昔からの告発者を先に取り上げる順序、告発の文面、教えて金を取る人々との違いは、一続きの準備になっています。しかし疑問が一つ残ります。天上や地下のことに関わりがなく、金を取って教えてもいないのなら、なぜそのような噂が立ったのか。ソクラテスはその原因を、自分が持っているかもしれないある種の知恵に求め、友人カイレフォンがデルポイの神託に尋ねた出来事を語り始めます。次の記事では、その場面をたどります。