「無知の知」は、ソクラテスを一言で言い表す言葉として、ほとんど常識のように使われています。自分が何も知らないことを知っている人こそが、いちばん知恵がある。では、ソクラテスの法廷での弁論を伝えるプラトンの『ソクラテスの弁明』には、この言葉が出てくるのでしょうか。

結論から言えば、出てきません。この言葉は、ソクラテスの考えを、後の時代の人々が要約して呼ぶようになった名前です。それでも、その元になった考えは、確かに『ソクラテスの弁明』の中にあります。それがどのような場面で、どのような順序で語られるのかを、訳文にそって見ていきましょう。

発端は、デルポイの神託だった

ソクラテスは、自分が長年かけられてきた中傷の原因を、「ある種の知恵」に求めます。それは「人間的な知恵」だと言い、その証人としてデルポイの神を差し出します。彼の友人のカイレフォンがデルポイに行き、神託に尋ねました。「私より知恵のある者が誰かいるか」。すると巫女ピュティアは、誰も彼より知恵のある者はいないと答えたのです。

ここで注目したいのは、ソクラテスがこの神託を聞いて喜んだのではない、ということです。彼はこう考えたと語ります。「神はいったい何を言おうとしているのか、いったい何を謎かけているのか。私は自分が知恵のある者だとは、大きくも小さくも自覚していない」。神が嘘をつくはずはない。しかし、自分には知恵の自覚がない。この食い違いが、彼の探究の出発点でした。

神託を論駁するために、人を訪ね歩いた

ソクラテスは、神託が間違っていることを示そうとしました。知恵があると思われている人のもとへ行き、その人が自分より知恵のある者だと示せれば、神託を論駁できるからです。つまり、彼の吟味は、神託をそのまま信じるためではなく、神託に反論するために始まっています。

最初に訪ねたのは政治家でした。その人は、多くの人にも、誰よりも自分自身にも、知恵があるように見えている。しかし実際にはそうではないと、ソクラテスには思われました。そのことを本人に示そうとすると、彼は嫌われてしまいます。次に訪ねた詩人たちについては、作品を作るのは知恵によってではなく、生まれつきの資質と霊感によるのだと気づきます。居合わせた人々のほとんど誰もが、詩人自身よりも作品について立派に語れただろう、とまで言っています。最後に訪ねた職人たちは、ソクラテスの知らないことを実際に知っていました。ところが彼らも、技術に優れているために、他のもっとも重大なことについても自分がいちばん知恵があると思い込んでいたのです。

「この一点」で、彼はまさっていた

「無知の知」に当たる考えが、いちばんはっきり語られるのは、最初の政治家を訪ねた後の一節です。ソクラテスは、その場を立ち去りながら、こう考えたと述べます。私たちのどちらも、美しく善いことについて何ひとつ知ってはいないらしい。しかしこの人は、知らないのに知っていると思い込んでいる。それに対して自分は、「知らないことを知っているとは思わない、というこの一点」で、この人よりも知恵があるらしい、と。

ここで語られているのは、「何も知らない」という一般的な宣言ではありません。政治家の場面での無知は、美しく善いことについて知らない、という無知です。しかも、勝負を分けているのは、知らないのに知っていると思い込んでいるかどうか、という一点です。後の場面には、自分は「ほとんど何も知らない」と自覚していたという言い方も出てきますが、同じ場面で、ソクラテスは、職人たちが自分の知らないことを実際に知っていたと認めています。「無知の知」という短い言葉では、こうした細かな区別が見えにくくなります。

神が言おうとしたこと

吟味を重ねたソクラテスは、神託の意味を、次のように受け取ります。おそらく神こそが真に知恵のある者であり、人間の知恵はほとんど価値がない、あるいはまったく無価値だ、と神は言っているのだ、と。そして神は、ソクラテスの名を借りて、こう言おうとしているように思われる、と語ります。「人間たちよ、諸君のうちでもっとも知恵があるのは、ソクラテスのように、自分が真実には知恵に関して何の値打ちもないと悟った者である」。

ここで、ソクラテスが「知恵のある者」になっているのは、彼が特別な知識を持っているからではありません。自分の知恵に、真実には何の値打ちもないと悟っている点が、彼を「知恵のある者」にしているのです。彼が今もなお、人々を訪ね歩いて、知恵があると思い込んでいる人を探り調べているのは、この神への奉仕のためだ、と彼は言います。

吟味の代償は、中傷だった

この探究には、代償がありました。暇のある者たち、それももっとも富裕な家の若者たちが、自分から進んでソクラテスにつき従い、その真似をして他の人々を吟味しようとするのです。すると、ソクラテスの見るところ、何かを知っていると思い込みながら、実際にはほとんど何も知らない人が、数多く見つかることになりました。

ところが、吟味された人々が腹を立てた相手は、自分自身ではなく、ソクラテスでした。彼らは「ソクラテスなる者はもっとも忌まわしい人間であり、若者を堕落させている」と言います。では、何を教えているのかと問われると、答えられません。それでも困惑しているように見られたくないので、哲学する者に対して人々が持ち出しがちな常套句、つまり「天上のこと、地下のこと」とか「神々を認めない」とか「弱い言論を強い言論に作り変える」とかいう文句を口にするのです。

こうした人々が数多く、熱心に語ったため、アテナイの人々の耳は、早くから中傷で満たされてしまいました。メレトスも、アニュトスも、リュコンも、こうして自分に襲いかかってきたのだ、とソクラテスは言います。メレトスは詩人たちのために、アニュトスは職人たちと政治家たちのために、リュコンは弁論家たちのために憤っている、というのです。では、その三人のうち、告訴状を書いたメレトスに、ソクラテスはどう反論したのか。次の場面で、その問答を見ていきましょう。