ソクラテスは、宣誓供述書という正式な告訴状を突きつけられた法廷で、なぜ、あれほど的確に反論できたのでしょうか。弁が立つ人だったから、と考えたくなります。けれども訳文を読むと、少し違う姿が見えてきます。
結論を先に言えば、ソクラテスは自分の潔白を並べ立てたのではなく、告発者メレトスに問いを重ね、その答えの中から不自然さと矛盾を引き出していました。反論の材料は、相手自身の言葉だったのです。その道筋を、訳文の順にたどってみましょう。
最初の問いは、誰が若者を善くするのか
ソクラテスはまず、告訴状の中身を確認します。若者たちを堕落させ、国が認める神々を認めず、別の新奇な鬼神を認めることによって不正を行っている、というものです。彼はこれを一つひとつ吟味していくと言い、最初に、若者を堕落させているという点を取り上げます。
その攻め方は意外なものです。彼は、重大な事柄を戯れの種にして軽々しく人を裁判に引きずり込んでいるメレトスのほうが、むしろ不正を行っていると言います。その証明のために、彼はメレトスに尋ねます。若者たちができるだけ善くなることほど、大事なことはないのではないか。メレトスは、そうだと答えます。ならば、誰が若者たちをより善くするのか。気にかけているなら分かっているはずだ、と迫ります。メレトスはまず法律だと答え、法律を知っている人間は誰かと重ねて問われると、ここにいる裁判官の方々だと答えます。
全員が善くし、私ひとりが堕落させるのか
ソクラテスは確認を続けます。裁判官たちは若者を善くできるのか。全員がそうなのか。メレトスは全員だと答え、聴衆たちも、評議員たちも、民会に集う者たちも同じだと認めます。そこでソクラテスは、メレトスの主張をこうまとめます。「アテナイの人々は皆、私ひとりを除いて、若者たちを立派な善き者にし、私だけが彼らを堕落させる」。メレトスは、まさしくそう言っているのだと答えます。
ソクラテスは馬の例を出します。馬を善くすることができるのは、ただひとり、あるいはごくわずかな、馬術に通じた者だけで、多くの人は、馬を用いさえすればかえって損なうのではないか。事情はどの動物も同じではないか、と言うのです。若者を堕落させる者がひとりで、他の皆が益をもたらすなら、若者にとってこの上ない幸運でしょう。実際には、メレトスは若者のことを一度も気にかけたことがないと、自分で示しているのだ、と彼は言います。
意図してか、意図せずにか
次に彼は、善き市民のもとに住むのと悪しき市民のもとに住むのとでは、どちらがよいかと尋ね、悪しき者は自分にもっとも近い者に悪いことをなし、善き者は善いことをなすのではないか、と確かめます。メレトスは、そのとおりだと答えます。害を受けることを望む者がいるかという問いにも、いない、決してと答えます。
そのうえでソクラテスは、私が若者を堕落させているのは意図してなのか、意図せずになのか、と尋ねます。メレトスは意図してだと言います。しかし、悪しき者が身近な者に害をなすと言うのなら、堕落させた相手から自分が悪いことを受ける危険にさえ気づかないほど、私は無知だというのか。ソクラテスはそう問い返し、メレトスの言うことは誰も信じないだろうと述べます。しかも、意図せずにしていることなら、法廷に引き出すのではなく、個人的に教え諭すべきです。学べば、やめるのは明らかだからです。ところがメレトスは、私に教えることを避け、「教えを必要とする者ではなく、懲罰を必要とする者を引き出すために法が定めているこの場」に私を引き出したのだ、とソクラテスは指摘します。
神々を認めないのか、別の神々を認めるのか
話は、告訴状のもう一つの柱、神々の問題に移ります。ソクラテスは、堕落させるとは、国の認める神々を認めないことと、別の新奇な鬼神を教えることを指すのだな、と念を押し、メレトスは強くそう言います。
ここでソクラテスは、二つの意味を分けて尋ねます。国とは別の神々の存在を認めるよう教えている、という意味なのか。それなら私は神々の存在を認めていることになり、その点で不正はありません。それとも、私自身がまったく神々を認めていない、という意味なのか。メレトスは、君はまったく神々を認めていないのだと答えます。太陽や月まで神々と認めないのかと問われると、太陽は石であり、月は土だと言っているではないか、と言います。ソクラテスは、君はアナクサゴラスを告発しているつもりなのかと応じます。そんな説は彼の書物に満ちており、せいぜい一ドラクマで買えるものを、若者たちが私から学ぶというのか、というわけです。
鬼神を認めるなら、神々も認めている
ソクラテスには、この告訴状が自分自身と矛盾しているように見えます。それはあたかも、「ソクラテスは、神々を認めないことによって不正を行っているが、しかし神々を認めているのだ」と言っているようなもので、謎かけを組み立てて戯れているのだ、と彼は言います。
その矛盾を、彼は身近な例から示します。人間に関わる事柄を認めながら人間そのものは認めない者はいるか。馬は、笛吹きはどうか。そして問います。「鬼神的な事柄が存在すると認めながら、鬼神そのものは存在すると認めない者が、いったいいるだろうか」。メレトスは、いない、と答えます。告訴状のとおり私が鬼神的なことを認めているのなら、鬼神たちの存在も認めざるをえません。ここでメレトスが答えないので、ソクラテスは同意したものとして扱います。鬼神は神々か神々の子だと考えるのではないか、という問いには、メレトスもそのとおりだと答えます。そこでソクラテスは言います。もし鬼神が神々であるなら、神々を認めないと言いながら鬼神を認めていることになり、それこそ謎めかして戯れているのだ。もし鬼神が神々の庶子であるとすれば、神々の子は存在すると考えながら神々そのものは存在しないと考える者などいるだろうか。それは、ラバは存在すると考えながら馬やロバは存在しないと考えるのと同じように奇妙だ、と。
ソクラテスの反論は、メレトス自身の答えを土台にし、答えが返らなかった場面ではソクラテスが自分で答えを補い、あるいは同意として扱いながら、その行き着く先が告訴状と食い違うことを示そうとするものでした。次の記事では、告発への反論を終えたソクラテスが、その生き方のせいで今にも死にかけているのに恥ずかしくはないのか、という問いに答える場面を読みます。