悪い目に遭ったら、同じ目に遭わせて返す。多くの人は、これを当然のことのように考えます。ところが、プラトン『クリトン』のソクラテスは、そうは言いません。牢の中で、クリトンと脱獄の是非を考えるなかで、彼は、不正を受けたからといって不正をし返してはならない、と言います。その理由は、どのように示されるのでしょうか。
前の節の結論を、そのまま当てはめる
この議論は、その前の問いから続いています。どんな場合にも不正を行ってはならないのか、ということを、ソクラテスは、クリトンと先に確かめていました。ここでソクラテスは、その結論をそのまま当てはめます。どんな場合にも不正を行ってはならないのだから、多くの人々は不正をし返してよいと考えているが、「不正を受けたからといって不正をし返してもならない」。
これに対するクリトンの返事は、訳文では短く「そうは見えない」と記されています。ソクラテスは、この返事を詳しく取り上げません。同じ点を、別の角度から、一つずつ確かめ直していきます。
短い問いと答えを重ねる
最初の問いは、悪事を働いてよいのか、いけないのか、です。クリトンは「いけないだろう」と答えます。次に、多くの人々が言うように、悪い目に遭ったからといって悪事をし返すことは、正しいのか、正しくないのか。クリトンは「けっして正しくない」と答えます。
ここでソクラテスが理由として置くのは、次の一点です。「人々に害を加えることは、不正を行うことと少しも違わない」。クリトンは「本当のことを言っている」と応じます。害を加えることが不正を行うことと同じなら、不正を行ってはならない以上、害を加えてもならない。ソクラテスは、こうまとめます。「不正をし返してはならないし、誰であれ人に害を加えてもならない。その人々から何をされたとしてもだ。」
ここまでの問いは、どれも短い問いと答えでした。クリトンが一つずつ同意を重ねることで、結論が、ソクラテス一人のものではなく、二人のものになっていきます。相手から何をされたかによって、こちらが不正を行ってよい理由は生まれない。これは、前の節で、外の事情が答えを動かさなかったのと、同じ形になっています。
この出発点に、本当に加わるのか
そのうえでソクラテスは、クリトンに念を押します。これらを認めるときは、自分の思わくに反して認めることのないよう気をつけてくれ、と。その理由は、「これを考え、これからも考える人は、ごくわずかだと私は知っている」からです。そういう考えの人々と、そうでない人々との間には、共通の思案はなく、互いの考えを見て、互いを軽蔑するほかはない、とも言います。そのため、よく考えたうえで、この出発点に加わるのか、降りるのかを答えてほしい、と求めます。
その出発点とは、不正を行うことも、不正をし返すことも、悪い目に遭って悪をもって仕返しすることも、けっして正しくない、というものです。ソクラテスは、自分は以前からそう考えていて、今もそう考えていると述べ、別の考えがあるなら教えてくれと言います。クリトンの答えは、「とどまっている。同意もしている。」でした。
この節の答えは、こうなります。不正を受けても、不正をし返してはならない。この出発点に、クリトンも同意しました。では、その次に、ソクラテスは何を問うのでしょうか。人が誰かに対して、正しいことだと合意したことは、実行すべきか、それとも欺くべきか。次の記事では、この問いが、国の法律との関係へ広がっていくところを見ます。