水は、氷にもなれば、水蒸気にもなります。金は、指輪にもなれば、延べ棒にもなります。

では、そのとき「水そのもの」「金そのもの」は、いったいどこにあるのでしょうか。氷なのか、水蒸気なのか。指輪の形なのか、延べ棒の形なのか。プラトンは『ティマイオス』の終盤で、この一見単純な問いを、驚くほど徹底的に掘り下げていきます。今日はその話です。

火や水は、実は「本物」ではない

以前の記事で、プラトンが火・空気・水・土を、それぞれ正多面体の形をした粒として説明していたことに触れました。

ところがプラトンは、ここでもう一段深く踏み込みます。「では、その火という粒は、いつまでも火のままでいるのか」と。答えは、否です。水が熱で分解されて空気になり、空気が冷えて水に戻るように、火や水は絶えず互いに姿を変え続けています。だとすれば、「これが火だ」「これが水だ」と、確固たる実体として指し示せるものは、実はどこにもないことになります。目の前にある「火」は、そのつど火に似た性質を帯びて通り過ぎていく、一時的な現れにすぎないのです。

金の比喩――形はあっても、金そのものはどこにあるか

この考え方を、プラトンは有名な比喩で説明します。

職人が、溶かした金を使って、あらゆる図形を次々に作っていく場面を想像してください。三角形を作り、それを溶かして四角形にし、また溶かして別の形にする。このとき、もし誰かが「これは何ですか」と尋ねたら、もっとも安全な答えは「金です」でしょう。三角形や四角形という「形」は、そのつど現れては消えていく、いわば通過点にすぎず、金という材料だけが、姿を変えながらもずっとそこにあり続けているからです。

プラトンは、この関係を、火や水にもそのまま当てはめます。火や水は、金でいう「三角形」や「四角形」にあたる、一時的な「形」にすぎません。では、金にあたる、姿を変えながらもずっとそこにあり続けているものとは何でしょうか。

「場」という、第三の存在

ここでプラトンは、それまで登場していなかった、まったく新しい第三の存在を導入します。それが「場」(コーラ、khōra)です。

プラトンによれば、世界には三つの種類のものがあります。一つは、永遠に変わることのない、本当の意味で「実在する」型(イデア)。もう一つは、その型に似せて、そのつど生まれては消えていく、火や水のような個々の物。そして三つ目が、この生成が起こる「場所」そのものである「場」です。

「場」は、それ自体としては、いかなる性質も持ちません。もし「場」自身に何らかの特徴(たとえば熱さや硬さ)があったなら、そこに何かを型取ろうとしても、もとからある特徴と混ざり合って、正しく型を写し取れなくなってしまいます。香料を仕込む前の、無臭の油のように、「場」は徹底して無性格でなければならない、とプラトンは考えました。だからこそ「場」は、火にでも水にでも、あらゆるものの受け皿になることができるのです。

「型」を父、「場」を母にたとえて

プラトンはこの関係を、家族の比喩でも説明しています。永遠の型(イデア)を「父」、場を「母」、そして生成する個々の物を、両者から生まれる「子」にたとえるのです。

母である「場」は、父である型の性質を、その都度、自分の内に映し出しますが、母自身がその性質を恒久的に所有するわけではありません。だからこそ、場は、あらゆる型を何度でも新しく受け入れることができます。目の前にある「水」や「火」は、この母のもとに、父である型が一時的に映し出された、いわば影のようなものだ、というのがプラトンの考えです。

だから「これが実在だ」とは言い切れない

ここまでをまとめると、こうなります。

目の前にある火や水は、確固たる実体ではなく、そのつど型に似せられては消えていく「似姿」にすぎません。本当の意味で「実在する」と言えるのは、変わることのない型(イデア)だけです。そして、この似姿が現れたり消えたりする、その舞台となっているのが「場」です。

だからこそプラトンは、物について語るとき「これは火である」と断定的に言うのではなく、「これは火に似たものである」という、控えめな言い方をすべきだと考えました。目に見え、手で触れられるこの世界のすべては、永遠の型からすれば、あくまで儚い、通り過ぎていく現れにすぎない、というわけです。

難問として、今も残り続ける「場」

正直に言うと、この「場」の議論は、プラトン自身の対話篇の中でも、とりわけ難解な部分として知られています。「場」とは、単なる空間なのか、それとも物質そのものの根源なのか、あるいはそのどちらでもない何かなのか。研究者の間でも、2000年以上経った今なお解釈が分かれ続けている箇所です。

そのわかりにくさこそが、実はこの議論の面白いところでもあります。「そこにあるもの」がいつも移ろい続けるとしたら、では「そこ」自体は、いったい何なのか。プラトンは、この問いに正面から挑み、簡単には答えの出ない領域にまで、思考を押し進めていったのです。