「体のバランスを整える」「デトックスする」。現代でも、健康にまつわる言葉には、こうした表現がよく使われます。

病気とは、体の中の何かが崩れた状態であり、健康とは、それが釣り合った状態である。私たちが当たり前のように受け入れているこの発想は、実は2400年前の『ティマイオス』にまで遡ることができます。今日は、プラトンの病気論を見てみます。

病気の原因は、大きく二つに分けられる

『ティマイオス』の終盤で、プラトンは人間の病気について、体系立った説明を試みます。彼の考えでは、病気の原因は大きく二つに分けられます。

一つは、体を構成する火・空気・水・土という基本要素そのものが、過剰になったり不足したりすること。もう一つは、血や肉、骨といった、体のより複雑な組織が、本来あるべきでない順序で作られてしまうことです。前者は材料の量の問題、後者は組み立て方の順序の問題、というわけです。

体液の乱れという、第三の原因

プラトンはさらに、体液に由来する病気にも、多くの分量を割いています。

彼が注目するのは、胆汁、漿液(しょうえき、リンパ液や血清に近いもの)、粘液という体液です。血液が本来の順序で作られず、これらの体液が正常な流れから外れて体のあちこちに滞留すると、それが病気を引き起こす、とプラトンは説明します。たとえば粘液が体内にこもって発酵すると発熱や炎症が起こり、胆汁が正常な通り道を外れて古い肉を溶かしながら体内を巡ると、それが「肉が焼けるような」感覚を伴う病を引き起こす、といった具合です。

ヒポクラテス医学への、直接の先駆け

この胆汁・漿液・粘液という体液の理論は、決して思いつきの空想ではありませんでした。この後まもなく確立される、ヒポクラテス医学の「四体液説」(血液・粘液・黄胆汁・黒胆汁のバランスで健康と病気を説明する理論)の、直接の先駆けとなったのです。

四体液説は、その後1000年以上にわたって西洋医学を支配し続けました。中世からルネサンス期に至るまで、医師たちは患者を診るとき、まずこの四つの体液のうち、どれが過剰でどれが不足しているかを考えました。「気質」を意味する英語のtemperament(体液の「混合具合」を語源に持つ言葉です)が、今も性格を表す言葉として使われているのは、この理論の名残です。プラトンが体液の乱れとして描いた病気のイメージは、こうして長きにわたり、西洋医学の基本的な枠組みを形づくり続けました。

「バランスの乱れ」という発想は、なぜ生き延びたのか

もちろん現代医学は、胆汁や粘液のバランスで病気を説明する、この理論そのものはすでに完全に手放しています。ウイルスも細菌も遺伝子も知らなかった時代の理論である以上、当然のことです。

けれども興味深いのは、この理論を支えていた「思考の型」――病気とは、複数の体内システムのバランスが崩れた状態であり、健康とはその均衡が保たれた状態である、という発想――そのものは、姿を変えながら現代にまで生き延びている、という点です。20世紀の生理学者ウォルター・キャノンは、この「体内環境を一定の均衡状態に保とうとする働き」を指して「ホメオスタシス」という言葉を作りました。血糖値やpH、体温といった数値を、体が自動的に一定範囲へ調整し続けているという、今では当たり前になったこの発想の根っこには、プラトンが体液の理論で捉えようとしていたのと同じ、「均衡としての健康」という考え方が横たわっています。

体の病は、そこで終わらない

最後に一つだけ、次回への伏線を張っておきます。プラトンは、この体液の理論のすぐ後で、驚くべき主張を展開します。「魂の病」、つまり狂気や無知、悪徳といったものもまた、多くの場合、体の状態に起因する病気の一種として説明できる、というのです。

さらにプラトンは、個人の体質だけでなく、悪しき国制や悪しき教育もまた、魂に病を生む原因になると述べます。健康は、個人の意志だけの問題ではなく、社会の側の条件によっても左右される、という発想です。この「魂の病」の議論、そして「誰も進んで悪人にはならない」というプラトンの有名な主張については、次回、詳しく見ていきます。