宇宙は、いつ、どうやって始まったのか。
現代の私たちなら、まずビッグバンや素粒子物理学を思い浮かべるでしょう。けれど2400年前、プラトンはまったく違う角度からこの問いに答えようとしました。彼が持ち出したのは、法則の話ではなく、一人の「職人」の話です。
『ティマイオス』の中で、プラトンは宇宙を作った存在を「製作者」(デーミウールゴス、職人・製作者を意味するギリシア語)と呼びます。今日は、この奇妙な宇宙創造神話の中身を見てみます。
なぜ「神」ではなく「職人」なのか
まず押さえておきたいのは、製作者が、キリスト教やユダヤ教でいう「神」とはかなり性格が違うという点です。
聖書の神は、何もないところから言葉一つで世界を生み出します(無からの創造)。ところが製作者は、そうではありません。彼の前には、あらかじめ「材料」と「設計図」が存在しています。材料とは、まだ秩序を持たずに混沌としたまま動き回っている、火・水・空気・土のもとになるもの。設計図とは、永遠に変化しない、完全な「型」の世界(イデア)です。
製作者の仕事は、無から何かを生み出すことではありません。目の前にある材料を、設計図に合わせて、できる限り忠実に作り上げていくことです。まさに、木材を図面通りに加工していく大工や、職人の仕事に近いイメージです。
なぜ、この宇宙を作ろうと思ったのか
では、製作者はなぜわざわざ宇宙を作ろうとしたのでしょうか。
プラトンが与える理由は、驚くほどシンプルです。「製作者は善い存在であり、善い者には、ねたみや物惜しみという感情が一切ない。だから、あらゆるものが、できる限り自分に似た、善いものになってほしいと望んだ」というのです。
ここで注目したいのは、「ねたみ」という、かなり人間くさい言葉が使われている点です。プラトンの考えでは、何かを出し惜しみしたり、他人が自分に近づくのを妨げたりする気持ちこそが、不完全さの表れです。逆に言えば、本当に善い存在は、自分の持っている秩序や美しさを、惜しみなく他へ分け与えようとします。製作者が宇宙を作ったのは、命令でも義務でもなく、善さの自然な発露だった、というわけです。
「できる限り最善に」というこだわり
製作者のもう一つの特徴は、とにかく「最善のものを」という点にこだわり抜くことです。
秩序だっているものは、秩序がないものより常に美しい。だから、製作者は、混沌として動き回っていた材料を、できる限り秩序立った状態へと導きました。そして、宇宙全体の形についても、あらゆる可能な形の中から、もっとも完全とされる「球形」を選び、その表面をなめらかに磨き上げます。手も足も、目も口も与えません。なぜなら、この宇宙の外には何もなく、何かを掴んだり、どこかへ歩いていったりする必要が、そもそもないからです。
さらに、宇宙にはただ一つの「魂」が吹き込まれ、宇宙全体が一つの生きた存在として組み立てられます。部品の寄せ集めではなく、一つの秩序ある生命体として宇宙を捉える、という発想がここにあります。
「妥協」としての物質世界
ここで一つ、重要な限界にも触れておく必要があります。製作者は全能ではありません。
彼の前には、あらかじめ「必然」と呼ばれる、御しきれない性質を持つ材料が存在していました。製作者は、この必然の性質を無視することができず、むしろそれをできる限り「説得」しながら、秩序へと導いていきます。つまり、この宇宙は、完全な設計図をそのまま実現したものではなく、御しきれない材料との、いわば妥協の産物なのです。
この発想は、後の時代の哲学者たちにも大きな影響を与えました。20世紀の哲学者ホワイトヘッドは、自著『過程と実在』の中で、この製作者像を独自に読み替え、「説得によって世界を秩序づける神」という自身の神概念の重要な着想源としています。全能の力で世界を強制的に支配するのではなく、粘り強く働きかけることで、より善いものへと導いていく神、という考え方です。
まとめ――設計図と職人技のあいだで
製作者の物語をまとめると、次の三つの要素が浮かび上がります。
出し惜しみのない善さから、宇宙を作ろうと望んだこと。永遠の設計図に、できる限り忠実であろうとしたこと。そして、御しきれない材料を前に、力づくではなく説得によって、秩序を実現しようとしたこと。
全知全能の一声で世界を生み出す神ではなく、限られた材料と向き合いながら、粘り強く最善を尽くす職人。この少し人間くさい神のイメージこそが、プラトンが『ティマイオス』で描き出した、宇宙創造の姿でした。