あることには、理由がある。この当たり前に見える考えを、『モナドロジー』の§31以降は、推論の土台に据える。そして、その考えを突きつめると、偶然的なものの連鎖の外にまで出てしまう。順にたどってみよう。
二つの大きな原理
§31は言う。「私たちの推論は、二つの大きな原理に基づいている。」一つは矛盾律であり、これによって、矛盾を含むものを偽と判断し、偽に対立ないし矛盾するものを真と判断する。
§32は、もう一つの原理を挙げる。それが充足理由律である。これによって私たちは、「いかなる真なる言明も、なぜそうであってそうでないのではないのかについての充足理由なしには成り立たない」と考える。もっとも、その理由の多くは、私たちに知られえないことが多い、とも添えられている。
二種類の真理
§33は、真理を二つに分ける。「真理には二種類あり、推論の真理と事実の真理である。」二つの違いは、反対が可能かどうかにある。「推論の真理は必然的であり、その反対は不可能である。事実の真理は偶然的であり、その反対は可能である。」
必然的な真理は、分析によって理由を見出せる。その真理を、より単純な観念や真理へと分解していき、最終的に原初的なものに至るのである。§34・§35は、数学者のもとで定理が定義・公理・要請へ還元されるように、最終的には、「定義を与えることのできない単純な観念」や、証明されえず、証明を必要ともしない原初的な諸原理がある、と述べる。
偶然的な真理の理由は、どこにあるのか
では、偶然的な真理、つまり事実の真理の理由は、どこにあるのか。§36は言う。充足理由は、事実の真理の中にも見出されなければならない。すなわち、「被造物の宇宙全体に広がる事物の連鎖の中に」である。
ところが、その理由への分解は、際限のない詳細にまで及びうる。ライプニッツは、自分が書いているこの文字の例を挙げる。「私がいま書いているこの文字の作出因には、無数の現在および過去の形と運動が関与しており、私の魂の目的因には、無数の現在および過去の小さな傾向と性向が関与している。」
§37は、ここから結論を出す。その詳細のすべては、さらに先行する、あるいはより詳細な別の偶然的なものしか含んでおらず、そのそれぞれが、また同様の分析を必要とする。だから、「これによって少しも先へは進まない」。
そこで、こう言う。「したがって、充足理由あるいは究極の理由は、この偶然性の詳細の連鎖ないし系列の外になければならない。その系列がどれほど無限であろうとも。」偶然的なものをいくら遡っても、理由は偶然的なものの内側には見つからない。では、その外にあるものとは何か。次の記事では、§38以降を読む。