一つの都市を、異なる側から眺めると、まったく別のものに見える。『モナドロジー』の§57は、この日常の経験を使って、モナドと宇宙の関係を説明する。窓を持たないモナドが、どうして宇宙全体を表しうるのか。その答えが、ここにある。

宇宙の生きた鏡

§56は言う。あらゆる被造物の、それぞれの被造物への、そしてそれぞれの被造物の他のすべての被造物への、つながりないし適合が、それぞれの単純実体に、他のすべてを表す関係を持たせる。こうして、それぞれの単純実体は、「宇宙の永続する生きた鏡」となる。

§57が、都市の比喩を出す。「同じ一つの都市も、異なる側から眺められれば、まったく別のものに見え、いわば遠近法的に増殖されているかのようである。」単純実体の無限の多数性によって、あたかもそれだけ多くの異なる宇宙があるかのようであるが、それらは実のところ、「それぞれのモナドの異なる視点による、ただ一つの宇宙の遠近法的な現れにすぎない」。

§58は、この多様性の意味を述べる。これは、「可能な限り最大の秩序とともに、可能な限りの多様性を得るための手段である」。すなわち、可能な限りの完全性を得るための手段にほかならない。

すべてを表しながら、すべてを判明には見ない

§60は、モナドの表象がどのように限られているかを述べる。モナドの本性は表象的であるから、事物の一部分しか表象しないように限定するものは何もない。

この表象は、宇宙全体の詳細においては混雑したものにすぎず、判明でありうるのは、それぞれのモナドに対して最も近いか、あるいは最も大きいものにおいてのみである。そうでなければ、それぞれのモナドが神性そのものになってしまう。そこで、ライプニッツは言う。「モナドが限られているのは、対象においてではなく、対象の認識のあり方においてである。」さらに、「モナドはすべて、混雑した仕方で無限に、全体にまで及ぶが、判明な知覚の度合いによって限定され、区別されている」。

翻訳HTMLの解説は、この判明な知覚の度合いによる区別を、§9で立てられた、どのモナドも他のモナドと異なるという主張の、具体的な中身にあたるものとして読む。§9では、違いがあることだけが言われていた。ここでは、その違いが何によるのかが示されている。

魂は、襞を一度には開けない

§61は、複合体も単純実体と対応していると述べる。あらゆるものが充実しているので、物質全体はつながっており、あらゆる物体は宇宙の中で行われるすべてのことから影響を受ける。だから、すべてを見る者であれば、それぞれの物体の中に、いたるところで行われていることを読み取れるだろう。

しかし、魂にはそれができない。「魂は、自分自身のうちで判明に表象されているものしか読み取ることができない。魂は、自らの襞をいっぺんに展開することはできない。その襞は無限に及ぶからである。」

§62は、そこから、各モナドが自分に結びついた身体をより判明に表象することを導く。魂は、自分に属するこの身体を表象することによって、宇宙全体を表象する。では、この魂と身体は、どのように結びついているのか。次の記事では、§78以降を読む。