私たちの日常の感覚では、腕を上げようと思うと、腕が上がる。魂の願いが、身体を動かしているように見える。けれども、『モナドロジー』の世界では、モナドは窓を持たず、外から何も入れず、外へ何も出せない。それなら、魂と身体の一致は、どう説明できるのか。§78以降が、その答えを示す。
予定調和
§78は言う。これらの原理によって、魂と有機的身体との結合、すなわち両者の一致を、自然な仕方で説明する方法を得た。「魂は自らの法則に従い、身体もまた自らの法則に従う。そして両者は、あらゆる実体の間に成り立つ予定調和によって、出会う。」あらゆる実体は、同じ一つの宇宙の表象だからである。
一方が他方を動かすのではない。それぞれが、自分の法則に従っている。その二つが、あらかじめ調和している。これが、予定調和である。
二つの領域
§79は、二つの法則を区別する。魂は、欲求によって、目的因の法則に従って作用する。身体は、運動によって、作出因の法則に従って作用する。そして、「この二つの領域、作出因の領域と目的因の領域は、互いに調和している」。
この区別は、§15の欲求の規定と呼応している。§15は、ある知覚から別の知覚への変化ないし移行をもたらす内的原理の働きを、欲求と呼んだ。モナドの変化は、外から押されて動くのではなく、内側から動くのである。身体のほうは、物体の運動として、作出因の連鎖のうちにある。
デカルトへの応答
§80は、デカルトの考えを取り上げる。デカルトは、魂が物体に力を与えることはできないと認めていた。物質のうちには常に同じ量の力があるからである。しかし、魂が物体の方向を変えることはできると考えていた。ライプニッツは、それは、物質全体において同じ総方向が保存されるという自然の法則が、彼の時代にはまだ知られていなかったためだと言う。
そして、こう続ける。「もし彼がこれに気づいていたなら、私の予定調和の体系に至っていただろう。」
あたかも、影響し合っているかのように
§81は、この体系を、次のようにまとめる。「この体系によれば、身体は、あたかも(不可能なことだが)魂が存在しないかのように作用し、魂は、あたかも身体が存在しないかのように作用し、そして両者は、あたかも一方が他方に影響を及ぼしているかのように作用する。」
魂と身体は、互いに影響を及ぼさない。しかし、あたかも影響し合っているかのように、一致して動く。それは、あらゆる実体が同じ一つの宇宙の表象であり、予定調和によって出会うからである(§78)。『モナドロジー』は、この後、精神と神の国を論じて、§90で閉じられる。最初の節の、部分を持たない単純実体から出発して、この書物は、そこまで来る。