宇宙の秩序の原因として知性を立てたアナクサゴラスを、アリストテレスは、それまでの人々のなかで「ただ一人素面の者」のように見えた、とまで評していました。ところが、そのすぐあとで、アリストテレスはアナクサゴラスを手厳しく批判します。正しいものを見つけていながら、何がいけなかったのでしょうか。話は、まず、動かし結びつける原因を最初に語ったのは誰か、というところから始まります。
事物を動かし、結びつける原因は、誰が最初に語ったのか
アリストテレスが候補に挙げるのは、詩人ヘシオドスや、エロース、あるいは欲望を原理として立てた、パルメニデスのような人です。アリストテレスは、「というのも、パルメニデスは、宇宙全体の生成を組み立てるにあたって、「もろもろの神々のうちで、真っ先にエロースを案出した」と語っているからである。」(984b)と書きます。ヘシオドスもまた、真っ先にカオスが生じ、その後に大地が、そして不死なる神々のうちでとりわけ秀でたものとしてエロースが生じた、と歌っています。事物を動かし結合させる何らかの原因が、存在するもののうちになければならない。彼らの言葉の背後には、そうした考えがある、とアリストテレスは読みます。誰が最初かの判定は、後に回されます。
では、自然のうちに、善いものだけでなく悪いものもあることは、どう説明されたのか。
善と悪の原因を、最初に語ったのは誰か
自然のうちには、秩序や美しさだけでなく、無秩序や醜さもある。しかも、悪しきものは善きものよりも、劣ったものは美しいものよりも、数多いようにさえ見える。そこでエンペドクレスは、「愛」と「争い」とを持ち込み、それぞれをそれぞれの原因としました。エンペドクレスの口ごもるような言い回しではなく、その思想そのものに即してたどれば、愛は善きものの原因、争いは悪しきものの原因だと分かる。そこでアリストテレスは、「したがって、もし誰かが、エンペドクレスこそが、ある意味で、悪と善を諸原理として語った最初の人物であると言うならば、その者はおそらく正しく語っていることになるであろう。」(985a)と書きます。
こうして先人たちは、四つの原因のうち、質料の原因と、運動がそこから始まる源としての原因とに触れていました。では、それで十分だったのか。
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原因に触れていたのに、何が足りなかったのか
アリストテレスの評価は、それはぼんやりとした、いささかも明晰でない仕方にすぎなかった、というものです。そして、「というのも、訓練を積んでいない者も、動き回るうちに、しばしば見事な一撃を打つことがあるが、それは知識に基づくものではない。」(985a)という試合のたとえを添えます。同じように、この人々も、自分が何を語っているのかを知っているようには見えない。原因をほとんど用いておらず、用いていてもごくわずかにすぎない、というのです。
正しい原因に手が届いていても、それが何であるかを分かって使っているわけではない。知恵ある者とは、「なぜ」を、つまり原因を知っている者でした。そこから振り返ると、この不満の重みが分かります。では、その典型とされるアナクサゴラスは、知性をどのように使っていたのか。
知性は、どのように使われていたのか
アリストテレスは、「たとえばアナクサゴラスは、宇宙の生成を説明するにあたって、知性をいわば機械仕掛けのように用いる。」(985a)と書きます。あることが必然的にそうなっている原因について行き詰まると、そのときになって知性を引っ張り出してくる。けれども、それ以外の場合には、生成する事柄の原因として、知性よりもむしろ、ほかのあらゆるものを挙げている、というのです。
機械仕掛けのように、という言い方は、ギリシア悲劇で、筋の収拾がつかなくなったところに機械で吊られた神が現れて一気に片をつける、いわゆる「機械仕掛けの神」を思わせます。宇宙全体の秩序の原因として知性を立てておきながら、実際の説明ではほとんど使っていない。困ったときの助っ人にしかなっていない。解説者の見るところ、これが批判の芯です。
アナクサゴラスへの答えは、これで出ました。では、アナクサゴラスより多く原因を用いたエンペドクレスは、どうだったのか。
エンペドクレスの説明は、首尾一貫していたのか
エンペドクレスは、アナクサゴラスよりも多くこれらの原因を用いてはいますが、それでも十分な仕方ではなく、首尾一貫した説明も見出していない、とアリストテレスは言います。その証拠として、アリストテレスは、「現に彼のもとでは、多くの場合、「愛」が分離させ、「争い」が結合させるということになっている。」(985a)と指摘します。争いによって万物が元素へと分かれるとき、火は火どうしで一つに結合し、ほかの元素もそれぞれ一つに結合する。逆に、愛によってすべてが一つに集まるときには、それぞれの元素から、その部分が分離しなければならない。結びつけるはずの愛が分け、分けるはずの争いが結ぶことになってしまうのです。
それでもアリストテレスは、エンペドクレスの功績も認めています。原因を分割することを最初に持ち込み、運動の原理をただ一つではなく、別々の、しかも対立する二つとして立てたこと。そして、質料としての元素を四つだと最初に述べたこと。もっとも、実際の使い方では、火を一方に、土と空気と水をまとめて他方に置き、四つをあたかも二つであるかのように扱っている、とも付け加えています。では、まったく別の仕方で世界を組み立てた人々は、どうだったのか。
原子論者は、ものの違いをどう説明したのか
最後に登場するのは、レウキッポスとその同志デモクリトスです。彼らは、充実したものと空虚なものとを元素とし、前者を存在するもの、後者を存在しないものと呼びました。そして、ものどうしの違いは、形と配列と位置という三つの差異だけから生じると説明します。アリストテレスは、文字を例に、「たとえば、A(アルファ)はN(ニュー)と形において異なり、ANはNAと配列において異なり、Z(ゼータ)はH(エータ)と位置において異なる、というのである。」(985b)と紹介します。わずかな種類の要素と、その並び方の違いだけで世界を説明しようとする発想は、今読んでも鮮やかに見えます。
しかし、ここでもアリストテレスの評価は変わりません。運動がどこから、どのようにして存在するものに備わるのかについては、彼らもまた、ほかの人々と同様に、怠って手つかずのまま残した。質料と運動という二つの原因は、この程度まで探求されてきた、と締めくくられます。
正しい答えの近くまで来ていながら、それを原因として使いこなせていない。アリストテレスが先人たちに見ていたのは、そうしたもどかしさでした。では、同じころ、質料でも運動でもなく、数のうちに原理を探した人々は、世界に何を見ていたのか。