夜空に見える天体は九つしかない。けれども、天体は十個あるはずだ。だから、見えない十番目がどこかにあるに違いない。現代の感覚からすると奇妙な推論ですが、古代ギリシアには、本気でこう考えた人々がいました。ピュタゴラス派です。アリストテレスは、この「対地球」の話を、彼らの考え方をよく表す一例として紹介しています。

数学のなかで育った人々は、世界に何を見たのか

ピュタゴラス派は、これまで見てきた人々と同じころ、あるいはそれより先に、数学の研究に最初に着手し、これを前進させた人々です。アリストテレスは、「彼らは数学のうちで育ち、その諸原理を、あらゆる存在するものの原理であると考えた。」(985b)と書きます。

数学の原理のうちで、数は本性上第一のものです。彼らは、火や土や水よりも、むしろ数のうちに、存在するものや生成するものとの類似を見て取りました。数のかくかくの様態は正義であり、しかじかの様態は魂であり知性であり、また別の様態は好機である、というぐあいです。とりわけ彼らの目を引いたのは、音階の様態と比が数のうちに見出されることでした。よく知られた例でいえば、弦の長さの比が音程を決める、といった事柄がそれにあたると読むことができます。ここから彼らは、数の元素こそがあらゆる存在するものの元素であり、天全体が音階であり数である、と考えるに至ります。では、その数による説明は、現実とどう付き合ったのか。

なぜ、見えない天体が付け足されたのか

数による説明は、ときに現実のほうを押し曲げました。彼らは、天のさまざまな様態と部分、全体の秩序づけのうちに、数と音階に一致するものを集めて当てはめていきます。そしてアリストテレスは、「もし体系のどこかに何か欠けているところがあれば、自分たちの理論全体が一貫したものとなるように、進んでこれを補った。」(986a)と書きます。

その例が、冒頭の天体です。彼らは十という数を、完全なものであり、数の本性全体を包括する数だと考えました。だから、天を運行する天体も十個でなければならない。しかし、目に見える天体は九個しかない。そこで十番目の天体として、「対地球」を作り出した、というのです。原語のアンティクトーンは、「反対側の」「対になる」を表すアンティと、「大地」を表すクトーンを組み合わせた、文字どおり「反対側の地」を意味する言葉です。観察から理論を組み立てるのではなく、理論に合わせて、観察にないものを付け足す。アリストテレスの筆致には、この態度への距離感がにじんでいるように見えます。

答えははっきりしています。対地球は、数の体系を一貫させるために付け足されたのです。では、アリストテレスは、その数を、四つの原因のどれにあたると見たのか。

数は、四つの原因のどれにあたるのか

アリストテレスがピュタゴラス派を取り上げるのは、彼らのもとでどのような原理が立てられ、それが四つの原因のもとにどう収まるかを見るためです。彼らは数を、存在するものにとっての質料としても、その様態や状態としても、原理とみなしている。そして数の元素として偶数と奇数を立て、一方を限定されたもの、他方を無限定なものとし、一はこの両方から成る、としました。

ピュタゴラス派の一部の人々は、原理を十の対にして並べました。限定と無限、奇と偶、一と多、右と左、男と女、静と動、直と曲、明と暗、善と悪、正方形と長方形。クロトンのアルクマイオンも、人間界の多くの事柄が対をなしていると考えましたが、白と黒、甘いと苦いなど、たまたま思いついた対を挙げたにすぎない。これに対してピュタゴラス派は、対立項の数と種類を明らかにした、とアリストテレスは評価します。

では、これらの対立項は、どの原因にあたるのか。彼らの語り方は明晰ではありませんが、アリストテレスは、「彼らは原理を、いわば質料の形をとる元素として立てているように見える。」(986b)と書きます。実体は、これらの元素が内在するものとして、これらから構成されると彼らは言うからです。数を立てた人々も、原因の種類としては、質料の原因のもとに収まる。これが答えです。では、万物は一つだと語った人々は、どう扱われるのか。

万物は一つだと語った人々は、どう扱われるのか

万物を一つの本性だと語った人々、いわゆるエレア派は、一なるものを不動だと言います。そのため、この人々の議論は、原因についての今の考察には、いかなる意味でも適合しない、とアリストテレスは言います。それでも、これだけは関わりがある。パルメニデスは定義式のうえでの一なるものを、メリッソスは質料のうえでの一なるものを捉えているように見える。そのため、一方は一なるものを限定されたものと言い、他方は無限だと言うのだ、と。

この人々のうちで最初に一なるものを立てたクセノパネスは、何も明晰にせず、天全体を見渡して、一なるものを神だと述べたにすぎない。そこで、クセノパネスとメリッソスは、いくぶん粗雑な論者として、今の探求から除外されます。これに対してパルメニデスは、より深い洞察をもって語っているように見える、と特別に扱われます。存在するもののほかに非存在は何もない以上、存在するものはただ一つである。しかし、感覚される現象にも従わざるをえなかったので、定義式のうえでは一であるものが、感覚のうえでは多であると捉え、熱と冷という二つの原理を立てた。熱を存在するものの側に、冷を非存在の側に置いたのです。

では、ここまでの先人たちのなかで、ピュタゴラス派は、何を付け加えたのか。

ピュタゴラス派は、何を付け加えたのか

アリストテレスは、ここまでを振り返ります。最初期の人々は、原理を物体的なもの、質料の形をとるものとして立てた。別の人々は、それに加えて、運動がそこから始まる源を、一つ、あるいは二つ立てた。これに対してピュタゴラス派は、限定されたものと無限定なものを、火や土のような何か別の本性とは考えず、無限定なものそれ自体と一なるものそれ自体こそが、それが述語づけられるものの実体だと考えました。だから彼らは、数こそが万物の実体だとしたのです。

彼らはさらに、「それが何であるか」についても語りはじめ、定義を試みます。けれども、その扱いはあまりに単純でした。ある定義が最初に当てはまるものを、そのままその事柄の実体だと考えてしまったからです。「二倍」という規定が最初に当てはまるのは二という数なので、「二倍」と「二」とは同じものだと考える。これに対してアリストテレスは、「しかし、二倍であるということと二であるということは、おそらく同じではない。」(987a)と書きます。もし同じなら、一なるものが多くのものになってしまう。それは、まさに彼らに生じたことだった、というのです。

ここで問題になっているのは、「それが何であるか」、つまり本質をどう捉えるかという問いです。数という、目に見えない形式に原理を求めたピュタゴラス派は、その問いの入り口に立っていた、と読むことができます。では、その「それが何であるか」を、感覚されるものとは別の「イデア」として捉えたプラトンは、なぜそうしなければならなかったのか。