物の定義史
西洋哲学は「物」をどう捉えてきたか
私たちの目の前にある「物」とは、いったい何だろうか。この素朴な問いに、西洋の哲学者たちは二千五百年にわたって答え続けてきた。その答えの変遷をたどると、哲学史全体の流れが一本の線として見えてくる。
はじまりは古代ギリシャである。パルメニデスは、移ろい消えていく多様な物たちを「仮象」と斥け、真にあるのはただ一つの不変の「ある」だけだと説いた。プラトンはこれを受けて、物は永遠のイデアを分かちもつことで物たりうると考えたが、後年その「分かちもつ」とは何かをみずから問い直してもいる。アリストテレスは物を、形相と質料からなり、それ自体で立つ「実体」として捉えた。物が確かな手応えをもって「ある」とされた時代である。
中世のトマス・アクィナスは、物が何であるか(本質)と、物が現にあること(存在)とを分けた。物は本質によってしかじかのものとして成り立つが、みずからを存在させることはできず、神から存在を受け取り続けることで初めて在る——物の根拠が神に置かれた。
近代に入り、デカルトは物を「広がりをもち、心がなくても存在できる実体」と定義した。物と心がきっぱり分けられ、物は数学的に扱える対象になった。だが、この「心の外に独立して在る物体」という像は、ほどなく揺さぶられはじめる。バークリーは、物とは知覚される観念と、それを知覚する精神にほかならないとし、心の外の物質という想定そのものを退けた。ヒュームはさらに進み、物とは知覚の束が習慣でまとめられたものにすぎないとして、実体という概念自体を解体した。カントはこの懐疑を引き受け、物そのもの(物自体)は決して知りえず、私たちが知るのは、感性の形式のもとで与えられ、悟性のカテゴリーによって規定されて成立する「現象」だけだと論じた。物の確かさは、こうして少しずつ崩されていった。
十九世紀、ヘーゲルは物を、静止した実体としてではなく、みずからを諸性質と素材とへ解きほぐしながら、現象へと移りゆく運動の一段階として描いた。物はもはや「在るもの」ではなく「なるもの」へと傾いていく。ベルクソンは物を、分けられない生成の流れに、行為する知性が瞬間的な切断を入れてとった安定した見方とみなし、実在するのは解けていく行為とできていく行為だけだと考えた。ホワイトヘッドにいたって物はついに、生成し消滅する「出来事」の連なりそのものとなった。固い物体は、流れる過程のなかへと溶けていったのである。
二十世紀前半、現象学はもう一つの道を示す。フッサールは物を、一面ずつしか与えられず、純粋意識に意味を付与されて構成される意味の統一として精緻に分析した。ハイデガーは、物がまず眺める対象としてではなく、手にとって使う「道具」として私たちに出会われることを明らかにした。
こうして「物」をめぐる問いは、確かな実体から、知覚へ、運動へ、過程へ、そして人間との関わりそのものへと、たえず姿を変えてきた。物の定義の歴史は、そのまま、西洋哲学が世界をどう見ようとしてきたかの歴史でもある。この一覧は、その長い問いの軌跡を、一冊ずつ手にとるように歩むためのものである。